第12話 バタフライナイフ
第12話 バタフライナイフ
病院を脱出して一五分後。
「くっそー。きっとこのあたりに誘いだされているはずなんだけど……」
俺は河川敷の上流にいた。蜂矢が不埒なことを考えているなら、この付近がベストスポットといえる。民家から離れていて薄暗い。危険地帯だ。
肩にかけたボストンバッグから、カサカサと音がする。橋の下で収集した保険である。卑怯な手でもいい。これで彼女を救えるなら。
手遅れになる前にみつけないと、そう思ったときだった。
西の方角から、夜空を引き裂く金切り声が響いてきた。
相沢だ。そう思った瞬間駆けだしていた。
※
悲鳴のした方向に走ると、蜂矢のシャツの背中がみえた。
相沢の姿はみえないが声だけ聞こえる。押さえ込まれているようだ。
「乱暴はやめてくださいっ、お願いです!」
「今さら機械の故障ってなにいってるんだよ。いいからさっさと服脱げよ」
「いやああっ」
「うるせえ! 人が来たら面倒だろっ」
蜂矢が拳を振り上げた。肉を叩くにぶい音と鋭い悲鳴。
それをみてキレた。
草むらを疾走する。
絶対に許さない。
「なにしてんだァ! 蜂矢ァァァーーー!」
手にしたバッグを地面に投げ捨てると、狼藉者の背中にドロップキックを放った。
おおきな身体が吹っ飛ぶ。
すかさず俺はそこに馬乗りになり、怒りにまかせて殴りつけた。
頬、鼻、腕、肩、胸、あご。
どこでもかまわない。体重を乗せて打撃を加える。
殴る! 殴る! 殴る! 殴る!
我に返ると、蜂矢は丸くなり、動かなくなっていた。
完全に戦意喪失している。
「南雲くんっ! どうして」
「病院を抜けてきたっ。そっちこそなにがあった」
バッグをつかむと、彼女の元に駆け寄った。
「南雲くんの言葉が気になって、もう一度同じ質問してみたんです。そうしたら――」
その続きは、俺の推理したとおり。
計測器は相沢が転んだ衝撃で壊れていた。だから異常な数値を叩きだした。
信頼していた数値は、よりによってこんな危険な男を、彼女にふさわしいと教えたのだ。
悔しい。その可能性を指摘できていれば彼女を怖がらせずに済んだかもしれないのに。
相沢の頬が赤く腫れていた。女の子に手を上げるなんて言語道断だ。
(もっと殴ってやればよかった)
爪が食い込むくらい拳を握りしめて蜂矢をにらむ。
狂犬がゆっくりと起き上がった。
ただでさえ凶悪な相貌は怒りにゆがみ、悪鬼のようになっていた。
「南雲ぉ。てめぇ、植物人間になったんじゃねえのか!」
「おちおち病院で寝てらんねぇんだよ。おまえの匂いがドブ臭くてな」
「なんだとっ」
以前は、蜂矢とトイレでかち合うのも怖かった。なにかされるんじゃないかと。
だが、今は面と向かって啖呵を切っている。
蜂矢が血の混じったつばを吐いた。
「八つ裂きにして川に沈めてやりたいが、てめえを殺しても一文にもならねえ。土下座プラスの詫び料二十万で許してやる。消えろ」
「ふざけろよ。相沢にしたこと、絶対に許さないからな」
怒りで血がたぎっている。
「はっ。勘違いするなよ。俺らは愉快にデートしてただけだぜ。なあ!」
威圧的な声に、相沢がびくりと身体を震わせる。
「よせよ。怖がってるだろ」
「うるせぇ! 似合わないヒーローごっこはもうおしまいだ」
蜂矢が尻ポケットをまさぐる。そしてバタフライナイフを取りだした。
その刀身は月光を受け、静かに輝いている。
「せっかくだから、おまえは担架に乗って、ご退場願おうか」
「やめてくださいっ。お願いですからっ」
「危ない。下がっていろ」
割って入ろうとする相沢を後ろに押した。
相手から目をそらさず間合いを計る。
冷たい汗が額をつたって地面に落ちた。
あたりは暗い。それでも敵の目が血走っていることはわかる。
先ほどからずっと膝が震えている。
なんとか立っていられるのは彼女の前だから。
どんな事態になっても、相沢だけは逃がさなくてはならない。
「蜂矢、おまえマンガは読むか?」
「あん? いきなり、なにいってんだ?」
相手を無視して、俺は話を続ける。
「俺は勧善懲悪のヒーローマンガが好きでさ。主人公がピンチに陥ったとき、こんなセリフをいうんだ。『たとえ九十九パーセント不可能でも、一パーセントの可能性あれば……』って」
しゃべりで敵の気を引きながら、カバンのファスナーを開けていく。
「だからなんだ? 一パーセントに賭けて、素手でこいつとやりあうってか、ヒーロー」
蜂矢が片手でバタフライナイフの柄を開閉し、チャキチャキと音をだす。
「よせよ。俺はヒーローじゃない。不可能をひっくり返すどころか、できて当然のことさえできない……ちっぽけな虫だ」
蜂矢が鼻を鳴らす。
「身の程がわかってるじゃねえか。なら、さっさと消えろ」
「そうしたいところだけどな」
ブレードの切っ先をにらみつけ、足を踏みだした。
ヒーローじゃない、ちっぽけな虫。でもただの虫じゃない。クモだ。
上昇気流に乗って、未知の大地に降り立つ誇り高い生き物。
彼女が教えてくれた。残酷な現実に立ち向かう勇気を、そして健気さを。
だから逃げない。どんな卑怯なことをしても、生きる。
「こいつを食らえっ」
カバンの中身が宙に舞う。
ばらまかれた中身が、黒い雹のごとく降り注ぐ。
蜂矢は一瞬ぽかんとしていた。
その黒いものが動く。S型探査機だ。五〇〇匹はいるだろう。
カサカサカサ、カサカサカサ、カサカサカサ。
いっせいに蜂矢の肌の上で散らばる。
「う、うわあああああぁぁ! クモぉぉぉ!」
俺を元の姿に戻すのにエネルギーを使ったので、データ収集機能はオフになっている。
だが、S型探査機は自動的にクモの動きを模して動く。
バタフライナイフを握ったまま、蜂矢が手を振りまわして暴れる。
「来るなっ。来るなぁ――――!」
S型探査機は、蜂矢の顔や手や足を這いまわった。くちびるの上にも乗る。
ナイフ捌きもあったもんじゃない。
ただ振りまわすだけ。もう蜂矢は半狂乱だ。
「なにぼさっとしてるんだ、相沢。今のうちに逃げるぞ」
「う、うん」
元柔道部員とまともに立ち会って勝てる道理はない。なんとしても相沢だけは守り抜く。
それさえ叶うなら、卑怯者のそしりなどいくらでも受けてやる。
彼女を引っ張っていこうと、白い手を取ったそのときだ。
どすんと腹部に衝撃があった。
殴られたような感覚。
おかしい。敵の位置から手は届かないはずだ。
蜂矢の手をみる。あるべきものが消失していた。
(あれ……ナイフは?)
相沢の悲鳴が耳朶を打つ。
視線を落として腹部をみる。
すると、ちょうどへその上あたり、赤いプラスチックの柄がにょっきりと生えていた。
ナイフが刺さっている。
そう気づいた次の瞬間、俺はうめき声を上げていた。
――挿絵:戦いの終止符
イラスト:けすこ




