第11話 ひとりぼっちの病室
第11話 ひとりぼっちの病室
――呼吸を……ほんのひと握りでいい、空気をっ。
わずかな酸素を求めて海面を目指すように、俺の意識が急浮上した。
「ぷはっ! げほげほっ」
目が覚めると同時に、消毒液の匂いが、口内に飛び込んできてむせる。
そこは病院の白いベッドだった。
夜間だからか、部屋の光量は人が床につまずかないほど。病床のカーテンが閉められている。看護師の気配はない。
もぞもぞと身体を動かし、シーツから腕をだした。
(本当に戻れたんだな、生身の身体に)
もう金属製の身体ではない。何度も握ったり開いたりして、感触を確かめる。
数週間だったが、本当にいろんなことがあった。
身体がクモのサイズに縮んで、宇宙人に恋愛指南して……。
およそ現実のこととは思えない。すべてが夢だったような気がする。
ふとベッドテーブルをみた。
マンガ雑誌が何冊か積まれ、その横に籐のかごに入った果物が置かれている。
すぐに父と母の顔を思い浮かべた。息子の意識が戻らないことで、どんなに心労をかけたことだろう。もうこれ以上迷惑をかけられない。
相沢のことは心配だ。でも、もう忘れるべきなのだろう。
ちょうどマンガの本を閉じるように、すべての物語にふたをする。
……胸の底を焦がす思いにも。
「ん?」
そのとき、雑誌に四角い紙のようなものが挟まれているのに気づいた。
ベッドから落ちないようにサイドフレームをつかんで上体を起こす。
身体が重い。動かしていなかったからか。
苦労して挟まれていた紙を抜く。
真っ白な本のしおりだった。なにげなくひっくり返してかたまる。
『わたしだけのヒーローへ』
ていねいな文字でそう綴られていた。
その下に『偏屈なクモより』と添えられている。
何度も、何度もその文字を読み返した。
本名は記されていない。でも俺は知っている。これを残した女の子を。
装置を作動させてから、俺が意識を取り戻すまでのあいだに、病室を訪れたに違いない。
この雑誌を購入して……。
しおりをぎゅっと握りしめた。
「ちくしょうっ。それでも、相沢の選んだ道なら邪魔できるわけないだろ!」
俺はヒーローにはなれない。ただの虫けらだ。
もうふたりは河川敷でデートしている頃だろうか。
(今何時だ?)
サイドテーブルに置いてあるデジタル腕時計が目に入った。気絶したときに装着していたものだ。
液晶が破損している。転んだ拍子に故障したのだろう。『6』を鏡に映したようなでたらめな数字が表示されている。
なんだ故障か。
ため息をついたその瞬間、脳天を稲妻が貫いた。
(俺はバカ野郎かっ)
真実値九七点をはじきだしたあの精密機器――眼鏡は、胸ポケットに入っていた。
計測の直前、相沢の身になにが起きただろう。
「胸から転んだじゃないか!」
眼鏡は地面と彼女とのサンドイッチになった。
精密機器は衝撃に弱い。もし、そのせいで誤作動が起きていたら。
心臓が圧迫されたように苦しい。
この想像が当たっていたら、危険なやつと夜の河原でふたりきりということになる。
背中から汗が噴きでてきた。
すべてが俺の早とちり。ただの道化になる可能性もある。
それでもいい。迷惑になってもいい。どうせ嫌われ者のクモなのだ。ヒーローになんてなれやしない。だったらいっそお邪魔虫になってやる。
ベッドをそっと抜けだし、服を着替えて、靴を履く。
「……っと、これも持っていくか」
そうつぶやいて、ベッドの足下に置いてある自前のボストンバッグをつかんだ。
――挿絵:覚悟のとき
イラスト:けすこ




