見慣れた天井
夕日に照らされた商店街を高校の制服を着て家に帰っていた。ほとんどの店はシャッターが下ろされており、通行人も見当たらない。歩きなれた道を一人で歩きながら、頭の中は今日提出してきた退学届けの事で頭が一杯だった。今でも険しい顔で書面に印鑑を押した親の顔が今でも目に浮かぶ。そのたびにそれを誤魔化すように音量を上げる。
気が付けば店と店の間の狭い路地の前で立ち止まっていた。この道がいわゆる近道というやつで、毎日のように利用していたのだが、最近の出来事もあってそこに入って行くのにためらいを感じていた。夕日に慣れた目には薄暗いだけの路地が道もまともに見えないぐらいの真っ暗闇に見える。いつも見る光景のはずなのに、今日はその暗闇がどうしようもなく不気味に感じられた。
ふと、路地の闇が蠢いた気がした。野良犬だろうか人だろうかそれとも…気のせいなのだろうけれど、どうもその道を通る気にはなれず、外れかけたイヤフォンを耳にはめ直して路地から離れていった。とにかく今は自分の世界にこもっていたかった。目に刺し込む夕日がひどく腹ただしかった。
「…君…有澤君!」
慌てた声で夢から覚める。見慣れた天井を背景に大家さんが心配そうな顔でのぞき込んでいる。状況がつかめず一瞬あっけにとられるが、すぐに自分がどのような経緯で床に倒れこんだのかを思い出した。
「だ、大丈夫です…」
「良かった、意識はあるわね。救急車とか呼ばなくて平気?」
「いえ…お構いなく…」
取りあえず体を起こして異常がないか簡単に調べる。床の叩きすぎで両手が痛いがそれ以外に問題は無さそうだ。服の下に手形がべったりとかのよくあるオチもなく、一安心する。
「あのさ、一体何があったの?」
「…」
そう言われて答えにつまる。どこまで説明するべきか、というかどう説明するべきか悩む。イタイ人扱いで済めばまだましだが、下手に答えれば精神病院に叩き込まれる可能性すらある。
うっすらと、大家さんが幽霊を目視して怯えていた記憶がある。その証拠に震える両手でどこからか持ってきたお守りを握りしめている。という事はある程度は真実を話しても問題はないだろう。
「まず部屋に幽霊が出まして…」
「うん、うん、私も見たよ…やっぱり幻覚じゃなかったか…」
「だからそいつを追っ払おうと塩を振りまきまして…」
「へぇ、また思い切ったことやったね」
「そしたら痛いからやめろって言われて」
「うん…うん?」
「じゃあ出てってくれと言ったら何か怒らせちゃったみたいで」
「は?」
「それで首をくいっ!と絞められちゃって」
「…」
「いやーまいっちゃいましたね、ははは…」
苦笑とともに話をしめるが、大家さんの怪訝な表情は消えない。そりゃあそうだ。こんな説明で納得しろという方が無茶だ。
「まぁ、幽霊が出てきたのは事実だしね…その説明で納得するよ…」
無茶が通った。
「それでですね、大家さん。いい加減この部屋で起こった事件について教えてくれませんか?」
「そ、そうなるよねぇ」
今度は大家さんが困ったような表情を浮かべる番だった。
「かなり言いにくいんだけどね」
「はい」
「今回の幽霊とは関係ないと思うよ…」
「またまたぁ!そんな訳無いじゃないですか」
「勿論その事件については話すわよ、ただまずは寝かせてくれない?夜通し眠ってないから眠たくてたまらないの。今日の昼過ぎにでも部屋を訪ねてちょうだい」
ふと見ると窓からうっすら朝日が射し込んでいる。時間を確認すれば午前の5時前だった。幽霊とエンカウントしたのが1時過ぎ、おしゃべりの時間も長くは無かったのでノックアウトされたのも同じような時間だろう。つまり4時間近く大家さんに放置を放置されていたという事になる。
呆れてため息がでる。それを見て大家さんは何かを察したのか慌てたように言い放つ。
「じゃ、念のため病院で見てもらった方が良いかもよ?私は部屋でひと眠りするから」
そう言っていそいそと部屋から出ていった。一人になると色々と考え始めてしまう。幽霊なんか見たのは生まれて初めてだ。自分に霊感があるとは思わなかったし、幽霊に直接攻撃されるとも思わなかった。そしてどうしても気になる事が一つあった。
「残念ね、あなた頑丈だから一か月は持つわね」
確かにそう言われた。一ヶ月なにが持つのだろうか。あまり考えたくなかった。