異端の研究者
諏訪湖総合病院から帰って来た週末。小春は高校時代の友人と会っていた。
「小春は最近何しているの? 大学でも会わないし……」
ファミレスのテーブルを挟んで目の前に居るのは、小春の高校時代の同級生で小春と同じ港南大学に進学した林美紀子だった。
「最近講義の時以外は、図書館か研究室にいるよ」
「研究室って……。うちの大学のゼミは早いところでも二年になってからでしょう?」
「うん、教授に頼んで特別に入れてもらったの」
「へー、小春ってそんなに勉強熱心だったっけ?」
高校時代の小春を知っている林美紀子にとっては、小春が港南大学に入学出来た事さえ不思議でならない。小春の高校時代は勉強とはほぼ無縁だったからだ。
「勉強熱心なんかじゃないよ。ただね、ちょっと調べたい事とか有ってね」
「ふーん、それでどこの研究室に入ったの?」
「河村教授のところ。超心理学研究室だよ」
「超心理学ってエスパーとかの研究をしているの?」
「違うよ。医学では解明出来ていない人格障害とかの研究だよ。いわゆる多重人格とかの研究をしているんだ」
「へー、多重人格って小説とかドラマなんかによくあるやつだよね。あんなの本当に有るんだ」
「うん、実は結構有るんだよ」
「それって面白いの? 研究して何かの役に立つの?」
「面白いって言うか……。役には立つよ。この前も長野県まで行って、多重人格の患者さんに会ったんだ。研究対象の症例では無かったけれど、患者さんはとても苦しんでいてね。河村教授のカウンセリングで障害の原因を特定して、治療の方向性が決まったんだよ」
林美紀子は笑顔で小春を見つめていた。小春はそれに気付いて言った。
「なんで笑っているのよ? 私、何か変なこと言った?」
「いやいや、小春がすごく楽しそうに話すからさ。こんなに楽しそうな小春を見るのは久しぶりだよ」
「そうだっけ? 私ってそんなに暗かった?」
「暗いって言うより、何か無理しているみたいだったからさぁ。一時期、ちょっと変だったじゃない。テスト中に奇声を発したり、ブツブツと独り言を言ったりしてさ」
小春は、まだハルが小春の中に入って来たばかりで、対応に慣れていなかった頃のことを思い出して赤面していた。
「それは忘れてよ! 今でも思い出すと恥ずかしいよ」
「すっかり元気になったみたいで、安心したよ」
「心配してくれていたんだね、ありがとう」
「なんの、なんの。心配しながら面白がっていたからね」
「えー、優しいんだか、ひどいんだか?」
「ハハハ」
「ウフフ」
二人は楽しげに笑い合った。
「ところでさぁ。私、テニスサークルに入ったんだ。遊び中心の同好会で、活動はほとんど飲み会みたいなところなんだけどね」
「なにそれ? テニスサークルなのにテニスはやらないの?」
「たまにやるよ。それでね、そこの先輩が今年は女子が少ないから、今度の飲み会に女の子を連れてこいって言うんだよ。絶対合コンと間違えているよね。ねえ、一緒に行かない?」
「でも、私はお酒飲めないし……、初対面の人とかも、にがてだからねぇ……」
「そんなのジュースでも飲んでいれば良いんだよ! 私も一緒だし。ねぇ、行こうよぉ」
「うーん、いつなの?」
「今度の金曜日。大丈夫だよね!」
「うーん、たぶん……」
「約束だからね! 必ず来てね」
(小春は押しに弱いなぁ)
(うん、昔から自覚はしているんだけど……)
(まあ、仕方ないな! また、面白い展開になるかも。ちょっと楽しみだな)
(ハルが何を考えているか知らないけど、そんなに面白い展開になんか、ならないと思うよ)
林美紀子に誘われている飲み会の日が来てしまった。美紀子との待ち合わせ場所へ行く為、急いで帰り支度をしていた時だった。
「小春、どっか行くの?」
中津川波奈に話し掛けられた。
「うん、友達に誘われて飲み会に行くことになっちゃったんです。あんまり気が進まないんですけど……」
「飲み会かぁ。良いなぁ。最近そう言う誘いが全然無いんだよね。嫌われているのかなぁ」
「そんなこと無いですよ。ハナちゃんは優しいし素敵だもの、好きになっちゃう人は居ても、誰も嫌いになんかならないですよ」
「あ~ん、私も行きたいよ~。行って良いか聞いてみてよ~」
「ハナちゃん、なに甘えているんですか? キャラ違っていますよ! まあ、聞いてみるけど……」
小春が林美紀子に電話をすると、女の子が増えるなら大歓迎だと言っていた。
「ハナちゃん、オッケーだってさ。一緒に行こう」
「やったー。久しぶりの飲み会だー」
「そんなに久しぶりなの?」
「うん、先週の土曜日以来なの」
「えー、そういうのは久しぶりって言いませんよ!」
波奈にすっかりあきれた小春だったが、一緒に飲み会に行くことになった。
(ほら、ちょっと面白そうな展開になって来たよ)
(面白がらないでよ!)
飲み会の場所は全国チェーンの居酒屋だった。
小春達が到着すると、既に六人の男子と二人の女子が来ていた。
「林さん、遅かったね。先に始めちゃったよ」
「ごめんなさい。でも、女子をふたりも連れて来ましたよ。高校の同級生だった早川さんと早川さんの先輩の中津川さんです」
全員の視線が小春と波奈に注がれた。特に六人の男子の目は完全に波奈の姿に捕らわれてしまった。
三人が席についたところで全員の自己紹介があったが、小春は名前すら覚えられなかった。
最初は女の子チームと男の子チームみたいにそれぞれかたまっていたけれど、時間が経つにつれてバラバラになっていった。
小春の隣にも男子が座っていた。その男子はかなり酒に酔っている様だった。
「早川さんは講義の合間とかは何をしているの?」
「だいたい研究室にいます。たまに図書館にも行きますけど……」
「あれ? 一年だったよね? 一年のうちはゼミって無いよね。どこの研究室に行っているの?」
「河村教授の研究室です」
「えっ! 河村教授って、あの河村教授?」
「河村教授は一人しかいないと思いますけど……」
「ふーん、あの河村研究室にねぇ」
いきなり立ち上がって大声で言った。
「みなさーん、皆さん聞いて下さーい。ここにいる早川さんはぁ、あの有名な変人ゼミの河村研究室に行っているそうでーす」
小春は彼が何を言っているのかわからなかったが、上級生らしい人達が小春を妙な顔で見つめていた。
その発言にいち早く反応したのは波奈だった。大声をあげた男子学生の襟を掴んで、いつもの優しい波奈とは思えない迫力で言った。
「だから何だよ! 文句が有るなら最初から呼ぶんじゃないよ! 小春、帰るよ!」
わけのわからない小春はあわてて帰り支度をして店を出た。
小春は店の外に出たところで、波奈に追いついた。
「ハナちゃん、どうしちゃったの? あれ、何だったの?」
「小春は気にしなくて良いんだよ。ごめんね」
波奈に謝られても、小春にはなにがなんだかわからなかった。波奈が興奮状態だったので、とりあえず近くのカフェで落ち着くことにした。
「ハナちゃん、何が何だかわからないんだけど?」
波奈は話すべきか少し悩んだけど、話しておいた方が今後の小春の為になると思い話すことにした。
「河村教授とその研究に関係しているんだけどね。河村教授は学内でも学会でも異端なんだよね」
「異端? なんで?」
「まずは、学会なんだけど……、超心理学といいながら他の教授や研究室とは全く違った研究をしているでしょう。だから超心理学学会では河村教授を完全に無視しているのよ」
「無視ですか?」
「そうなの。だから学会では論文の発表すら認めていないの。あと、医学のほうね。あそこも自分達の領域を引っ掻き廻すなって言う事なのだろうけど、こっちからも嫌われちゃっているのよ」
「周り中敵ばっかりなわけですね」
「そう、大学の中でも似たようなものね。医学部からは院内立ち入り禁止だし、世の中に貢献していないと言われて研究費もろくに出ていないみたいだよ」
「そうなんだ、かなり迫害を受けているんですね」
「小春はまだ入学して間もないから知らないだろうけど、二~三年になると河村教授はマッドサイエンティスト扱いだし、その研究室は変人の集まりだと思われているの」
「ふーん、河村教授、良い人なのにね。そんな風に思われているのに、なんでハナちゃんは河村研究室に入ったの?」
「うん、今まで他人に話したこと無いんだけどね。小春には話しちゃおうかな」
言葉は軽そうなのに表情は深刻そうだった。その違和感に小春は戸惑っていた。
「……………」
「私が中学生の時にね、親友が自殺したの。その親友がね、私に不思議な悩みを相談してきたの。自分の中に変な人がいるって……。頭の中でいやらしい話しをしたり、体を触ったりするって言うのよ。普通、中学生がそんな話しを聞かされても理解出来ないじゃない。だから、私、『ノイローゼっていうやつじゃないの? 病院でみてもらったら?』なんて言っていたの。その後、やることがしだいにエスカレートしてきたみたいなの。私、全然理解してあげられなくて……」
波奈の目に涙が浮かんでいた。波奈はバッグからハンカチを出して涙を拭いながら話しを続けた。
「彼女が自殺する直前に電話をしてきたの。『もう耐えられない』って。私、何も言ってあげられなかった。もっと話を聞いてあげていたら、なにか言ってあげられたら……あんな事には……」
「ハナちゃん……」
「せめて、抱きしめてあげたかった……」
「ハナちゃんは優しいんだね。私もハナちゃんの優しさにずいぶん助けられているよ。今日だって、研究室のことでこんな風になることを予想して、私を守る為に一緒に来てくれたんでしょう」
涙を拭いて鼻もかんだ波奈は、少し元気を取り戻して、ニッコリと笑顔を見せた。
「私の可愛い小春をいじめるやつは許さないよ! これからも何か有ったら言いなさい。みどりんと一緒に懲らしめに行くから」
「ありがとう。ハナちゃん、大好き!」
小春は波奈の手をしっかり握っていた。
(小春の周りは良い人だらけだな)
(うん、本当に良い人ばっかり……)
小春は涙を流していた。波奈の心遣いが嬉しかった。
その時小春のケータイが鳴った。林美紀子からの電話だった。
「小春、ごめんなさい。あんなことになるなんて……」
「うん、私は大丈夫だよ」
「あのあと先輩から聞いて……私……知らなくて……」
「美紀子のせいじゃないから、気にしなくて良いよ」
「本当にごめんなさい。先輩達がなんて言ったって、私は小春の友達だからね! 私は小春の味方だよ!」
「ありがとう。ずっと友達でいようね」
「うん、ごめんね。また連絡するよ」
「うん、じゃあまたね」
波奈は静かに小春の様子を見ていた。
「小春も優しくて良い子だよ」
小春は波奈の優しい笑顔に癒やされていた。
(河村教授も大変なんだな。周り中敵だらけか)
(そうだね。それより、さっきのハナちゃんの話しだけど、パターンは私達に似ていると思わない?)
(そうだな、別人格が入って来た経緯とか、別人格との関係とかも知りたいな)
(ハナちゃんに聞くしか無いよね)
(そうだな)
小春は自殺した友達のことを波奈に聞くことにした。
「あのさぁ、さっきのハナちゃんの友達のことなんだけど……自殺したっていう友達のことをもう少し教えてもらえないかな?」
「うん、良いけど……」
表情を曇らせた波奈を見て、小春はためらった。自分が力になってあげられなかった友達の話しをすることは、とてもつらい事だろう。
「話しをするのはかまわないんだけどさ。また涙が出てきちゃうとね。私のキャラじゃないでしょう。小春、これから家に来ない? そうすればゆっくり話しも出来るし……。ね、良いでしょう」
「うん……、良いよ!」
「よし、キマリ! じゃあ行こう」
(ハナちゃんの部屋に入れるんだ。なんか……嬉しい)
(また変なこと考えているでしょう! ハナちゃんの友達もハルみたいなやつに耐えきれなかったのかなぁ)
(俺は変なやつじゃ無いだろ!)
(そうだっけ? 私の友達の裸を見て喜ぶし、私の身体を触って喜ぶし、じゅうぶん変なやつでしょう)
(…………………)
(返す言葉も無いみたいだね!)
波奈と小春は波奈の家へと向かった。