入学、そして研究室へ
あちらこちらで桜の花が満開になっていた。今日は港南大学の入学式だ。
小春は両親とハルの母と四人で入学式の会場に来ていた。三人の親と入学式に来る新入生は珍しいだろう。小春がどうしてもハルの母にも入学式に来て欲しいと言って来てもらったのだ。卒業式と違い、涙無しのお祝いムードで入学式は終わった。
「小春ちゃんも今日から大学生なんだよね、おめでとう。早川さん、私まで出席させていただいて、ありがとうございます」
ハルの母は小春と両親に礼を言った。
「小春はお母さんのことが大好きですから、どうしても入学式に来て欲しかったみたいです。わざわざ来て頂いてありがとうございました。これからもご迷惑お掛けすると思いますがよろしくお願いします」
小春の母が言った。
こうして、小春とハルの大学生活が始まった。
入学式の後は、オリエンテーションだとか何だとかで、なかなか忙しい。講義も始まり、落ち着いてきたのは、ゴールデンウィークも目の前に迫った頃だった。河村研究室のことを調べた結果、ハルの誤算が発覚したのもその頃だった。
「河村教授のゼミって三年生からだって。それまでハルの研究はおあずけなの?」
(困ったな。すぐにでも始めたいんだけど……)
「仕方ないでしょう。決まりなら」
(河村教授のところへ行って直接頼んだら何とかならないかな?)
「ならないと思うよ」
(明日、ダメもとで行ってみようよ!)
「えー、どうしても行くの?」
(うん、どうしても行く!)
「ひとに物事を頼むときはなんて言うんだったかしら?」
(おねがいします)
「よろしい。ならば、明日行ってみよう」
翌日、河村教授の研究室を訪ねた。研究室で訪問の理由を話すと、河村教授が会ってくれるらしい。
しばらく待たされた後、小春の前に河村教授が現れた。小春は超心理学なんて研究をしているくらいだから、見るからに変人が出てくると思っていた。しかし、目の前に現れたのは、予想に反して、スーツをきちんと着て白髪混じりの髪をきっちり分けた紳士的な人物だった。
「君が私の研究室に入りたいと言う新入生ですか?」
「はい、早川小春です」
「この研究室がどんな研究をしているか知っていますか?」
「はい、超心理学の研究です」
「その通りです。しかし、超心理学と言っても、内容にはいろいろ有ります。ほとんどの人は超能力の研究、つまりテレパシーとかの研究をしていると思っている様ですがね。でもここでは少し違う分野を研究しているのです」
当然ハルと小春は河村教授の研究を知っている。知っているからこそ、この研究室に入りたいと思ったのだ。
(小春、わかっているな。昨夜練習した通りに話すんだ)
(了解、頑張るよ)
「知っています。私は超能力の研究がしたいわけではありません。私がやりたいのは、多重人格についての研究です」
小春は昨夜ハルと打ち合わせした通りの話しをした。
河村教授は小春の眼を見つめていた。小春の心の中まで見ている様な視線だった。
「早川さん、多重人格症とは解離性同一性障害と言って、精神疾患のひとつとされています。その研究をしているのは主に医学部の精神医学とか心療内科の分野です。そちらに行った方が良いと思いますが……」
河村教授はそう言ったが、小春とハルには想定内のことだった。
「確かに解離性同一性障害ならばそうでしょうけれど、それでは説明のつかない多重人格症も存在していると思われます。患者が知り得ない事柄や知識を主人格以外の人格が知っていることも有りますし、人格が入れ替わること無く同時に存在して、人格同士が情報を共有している場合も有ります」
「確かに説明のつかない、もしくは説明に至っていない事例は有りますが、それも解離性同一性障害の特異事例、または情報が不足しているための誤認で、実は患者が知り得たとは考えられませんか?」
(特異性って、そんなことで済ませるなんて……。いや、ここは食い下がらないと。小春、俺の言う通りに話すんだ)
(わかった。頑張るよ。で、なんて話せば良いの?)
ハルは話の内容を小春に伝えた。小春はその通りに教授に話した。
「特異性と一口に言ってしまうのは乱暴な気がしませんか? 解離性同一性障害はしばしば、暴行・傷害・殺人・窃盗などの犯罪を引き起こしますので、事例が多く報告されていて研究もそれなりに進んでいます。しかし、それ以外の場合のほとんどが犯罪とは無関係な為か、症例が少なくて研究が進んではいません。河村教授の研究室ではこれらの症例を集めて研究をしているそうですね。私もその研究に参加させて下さい。お願いします」
河村教授は溜め息をつき天井を見上げた。再び小春の眼を見つめて言った。
「良く調べている様ですね。特例になりますが、私の研究室への参加を認めましょう。ただし、単位については三年生以降にしか付きませんがよろしいですか?」
「ありがとうございます! 頑張ります」
(ハル、やったよ!)
(小春、良くやった!)
小春はみごと河村教授の超心理学研究室へ入ることに成功した。
「それでは、研究室の学生を紹介しておきましょう」
「はい」
河村教授は小春を学生達に紹介した。
「えっと、今年の新入生で早川さんです。一年生ですが特例でここに入ってもらうことになりました」
「早川小春です。よろしくお願いします」
小春の前には五人の学生が立っていた。そのうち三人は男子学生で、一時間後に街で出会っても気付かないくらい特徴のない三人だった。
ふたりの女子学生は男子学生とは正反対でまるで芸能人とかグラビアモデルの様な容姿とオーラを発している。
「今、ここに居る五人がこの研究室に所属している学生です。ではみなさん、自己紹介して下さい」
「院生の高梨洋一です」
「四年の吉岡保です」
「三年の南川勇司です」
(ヤバイよ、三人とも同じに見えるよー)
小春には三人の男子学生の顔と名前を一致させる自信が無かった。
「三年の山本みどり、『みどりん』って呼んでね。小春ちゃん、カワイイ!」
小春はいきなり抱き締められた。
(わっ! どうしよう。みどりんさんの胸が私の顔に……息が……できな……い……)
(小春、大丈夫か?)
「み……みどりんさん……くっ……くるしいですぅ……」
小春は手をバタバタさせながら、苦しそうに言った。
「あらら、ごめんなさいね。小春があんまり可愛いからつい……」
小春はみどりの胸から解放され呼吸を再開することが出来た。
(あぁ、死ぬかと思った)
「私は同じく、三年の中津川波奈、『ハナちゃん』って呼んでね。ホント小春は可愛いねぇ」
何故か波奈も小春を抱きしめた。またしても小春の呼吸は中断させられ、手をバタバタとさせていた。
「山本さん、中津川さん、そんな歓迎のしかた有りなんですか?」
院生の高梨洋一が冗談っぽく言うと、みどりがそれに答えた。
「私とハナはね! あんた達が小春にこんなことしたら殺すけどね!」
みどりに睨まれた高梨はあわてて手に持っていた資料らしき書類を読み始めた。
男子学生達には『みどりん』『ハナちゃん』などと呼ぶことは許可されていないらしい。
河村教授はそんな学生達を楽しそうに見ている。
(なんだか凄い所に来ちゃったみたい)
(俺もここまでは読めなかった。読めるはずがないけど……)
小春は自分がここで上手くやっていけるか不安になっていた。
小春とハルはそれ以来、講義の時間以外は河村研究室か図書館で過ごしていた。
今日は朝から図書館で多重人格症の勉強をしていた。目的の症例と区別する為に、解離性同一性障害について調べていたのだ。
「解離性同一性障害ってDIDっていうんだ。やっぱり人格は交代するものみたいだね」
(そうだな、ほとんどの場合は人格が交代して、お互いその間の記憶はないわけだ。自分の中に別の人格を作って、責任を別の人格になすり付けるわけだからな!)
「私も責任をハルになすり付けられるかな?」
(そんなわけないだろ! 俺達はDIDじゃないんだから)
「でも、DIDの人格っていろいろなのが有るんだね。もし、私達だったら私が主人格かな、ハルは……異性人格で……身体は死んでいるから憑依人格? エクソシスト~」
(だからDIDじゃないって……)
「ほら、ここ。人格の傾向のところ、性的傾向だって。性衝動を行動に移す傾向が強いって。ハルは私の胸をしょっちゅう触るよね」
(そう言う意味じゃ無いだろ! それにDIDじゃないって言っているだろ! 少し黙っているか、真面目に勉強するか、どっちかにしろよ!)
「ハイハイ、じゃあ黙っていますよ」
いつものように小春とハルが会話をしていた時だった。
「早川さん、勉強熱心ですね」
小春は背後から声を掛けられて飛び上がるほど驚いた。
「あーびっくりした。高梨先輩じゃないですかぁ」
「脅かしてごめん。なんだか独り言を言いながら勉強しているから、声を掛けようか迷ったんだけどね……」
「独り言いっていましたぁ?」
(だから、いつも言っているだろう。外で俺と話すときは声に出すなって!)
(ごめん……)
「うん、言っていたよ。誰かと話しをしているみたいだった」
「そうでしたか? 気にしないで下さい」
(アブナイ、アブナイっと)
高梨は不思議なものを見る様な表情になっていた。
「早川さん、僕に見覚えないかな?」
「なんですかぁ? 古くさいナンパの台詞みたいですよぉ」
「ははは、確かにそうだね。僕、今年の入試で試験官のバイトをしていたんだ。その時、左手で答案用紙に解答を書き込みながら、右手で問題用紙に絵を描いている女子学生が居たんだよ」
(小春、こいつに見られていたんだ。気を付けろ! 小春だってバレたら面倒だぞ!)
(わかった! なんとかしないとね)
「すごーい! そんなこと出来る人がいるんですかぁ?」
「うん、びっくりしたから覚えていたんだけど……。下を向いていたから、顔までは良く覚えていないんだ。けど……早川さんに似ていたような気がするんだ」
「私にはそんなこと出来ませんよぉ。人違いですぅ」
「そうかぁ……」
小春はなんとか誤魔化そうとしていた時、後ろに派手なオーラの様なものを感じた。
「小春、なにやってんのぉ」
今度は、背後から声を掛けられると同時に抱きしめられた。
「あっ! みどりん」
「小春、高梨先輩と何を話していたのよ? 私も混ぜてよ」
「いや、たいした話しじゃないよ。頑張って勉強しているなって言っていただけだよ。じゃあ僕は行かなくちゃならないから……」
みどりの出現によって、高梨はあわてて立ち去った。
「高梨先輩、何か言っていた? 小春にくだらないことを言ったら私に知らせて。とっちめてやるから!」
「何でもないですよ。ただの世間話ですよ」
「そう、なら良いけど……」
(小春、助かったな)
(そうだね、みどりんのおかげだね)
「そうだ! ゴールデンウィークなんだけどさぁ。研究室のみんなで一泊の合宿に行くのよ。合宿って言っても、ただの親睦会なんだけどね。一緒に行こうよ」
「私? 私はまだ入ったばっかりですし……」
「こう見えて、私もハナちゃんも研究室に入ったばっかりだよ。あと南川もね。小春も一緒に行こうよ。研究室じゃ小春も同期なんだから……」
「は……はい……」
「オッケーね。楽しみだなぁ。詳しいことは後でね」
小春は山本みどりの勢いに押されて合宿に行くことになってしまった。
(合宿に行くことになっちゃったみたい)
(そうだな、行くことになっちゃたな。なんだか楽しみだなぁ。みどりんとハナちゃんも一緒だからなぁ)
(ハル! なんかエッチなこと考えているでしょう!)
(えっ! エッチなことなんか考えているわけないだろう……。ウフフフフ)
(なんかやらしい!)