占い師
小春は夏休みだと言うのに、母親から粗大ごみの様な扱いをされつつ、家でうだうだとしていた。
大方の女子大生の夏休みは、彼氏と旅行に行ったり、友人と街へ繰り出して買い物をしたりするものらしい。しかし、友達の少ない小春にとって、毎日出掛けるほど友人のレパートリーは持っていない。
彼氏のハルは昨年事故で亡くなってしまった。だけど、ハルの意識は小春の中に棲んでいるから、小春はフリーな訳ではない。毎日片時も離れる事無く一緒に居るので、毎日彼氏と旅行に行っている様なものだ。それどころか、夫婦以上に繋がりがつよくなっている。
(小春、毎日家でゴロゴロしていて飽きないのか?)
「だって、特に行きたい所が無いんだもの……。ハルはどこか行きたい所が有るの?」
(特に無いけど、一日中家にとじ込もっているのも飽きたなぁ。たまにはどこかに出掛けた方が良いんじゃないか?)
などと話していると、小春の携帯が鳴った。大学の先輩の波奈からだ。
「ハナちゃん、久しぶりだね」
「小春は今何をしているの?」
「家で粗大ごみになっています」
「何それ! 今から有楽町まで出て来ない?」
「うん、いいよ。急いで支度するから」
小春は電話を切ると、大急ぎで支度を始めた。
(やった! ハナちゃんとお出掛けだー)
ハルの嬉しそうな声が小春の頭の中に響いた。
「全く! ハルはハナちゃんが大好きなんだからぁ……」
小春が少しふくれたが、ハルは全く気付いていない様だ。ハルがそんな小春の神経を逆撫でする。
(今日のハナちゃんはどんな服を着ているかな? ハナちゃんの事だから、ヤッバリ色っぽい感じだろうな。小春も色っぽい服を着て行こうぜ。ちょっとエロいくらいのやつ)
「ばーか! ハルの希望通りになんかしないよーだ!」
小春は出来る限り可愛らしい服を選んだ。
(なんでだよ! 今日は暑いぞ。もっと肌を露出した方が良いんじゃないか)
「嫌だよ! 日に焼けちゃうじゃない! それにハルの希望を聞いていたら、そのうち裸で外出しろとか言いそうじゃない!」
(さすがにそこまでは言わないよ。家の中なら裸で居てくれたら嬉しいけど……)
「変態! ドスケベ!」
小春はハルの希望を無視して、可愛らしくて露出の少ない服で有楽町に向かった。駅の改札を抜けると波奈が待っていた。
「ハナちゃんお待たせ!」
「おー、今日は一段と可愛いね~」
波奈は人目を気にする事もなく、小春に抱き付いて来た。
「ハナ……ちゃ……ん……くるし……い……よ……」
小春の鼻と口は波奈の胸によって塞がれていた。
「小春、カワイイ!」
波奈はそう言いながら腕の力を少しだけ弱めた。
「死んじゃいますよ~。今日はどうしたんですか?」
「うん、有楽町によく当たる占い師が居るらしいんだ。私、最近男運無いじゃない? だから占ってもらおうかと思ってさ。小春も一緒に占ってもらおうよ」
「私はいいですよ。占いってなんか怖いし……」
「占いが怖いってなに? そんな事を言う娘、小春が初めてだよ」
「未来がわかっちゃうって怖くないですか? 『あなたの未来には良いことは有りません、苦労ばっかりです』とか言われたら嫌じゃないですか」
「ハハハ、そんな事言う占い師は居ないよ。とにかく行こう」
波奈は小春の腕に自分の腕を絡めて歩き始めた。
小春が連れて行かれた雑居ビルの前には『占いの館』という看板が置かれていた。細いうえに急な階段を昇ると、小さな窓の様な受付が有った。受付を済ませ、通された待合室にはベンチが置かれていて、先客が五組ほど座っていた。
目の前には小さく仕切られた部屋が三つ並んでいる。一番右の部屋には『タロット占い・マリアローズ』と書かれた看板が掛かっている。真ん中の部屋には『占星術・星乃聖』一番左は『霊感占い・白井リオ』と書かれている。
「あの白井リオさんがめちゃくちゃ当たるんだって。客のほとんどはリオさんを指名しているらしいよ」
波奈が小春に説明した。
「それだと、一時間以上待たされるんじゃない?」
「まあ、そのくらいなら仕方ないよ。だから小春を誘った訳だしね」
「え~、待っている間の暇潰し要員ですかぁ」
「そんな顔をしないでよ。私だって不安なんだからね。小春を頼りにしているんだから……」
「はいはい、わかりました」
(自信満々のハナちゃんもカッコいいけど、不安がっているハナちゃんも何か可愛くていいねぇ)
(何をエロオヤジみたいな事を言っているのさ!)
(エロオヤジは酷くないか?)
(充分エロオヤジだよ!)
「中津川さん、どうぞ中へ……」
波奈たちの順番が来たようだ。波奈と小春は白井リオの部屋へ入った。
白井リオは二十代半ばの小柄な女性だった。服装もジーパンにTシャツ姿だし、ごく普通の女性だった。この人が本当に霊感占いをするのかと思うと不思議な気がした。
「ようこそ、白井リオです。えっと、中津川さんと早川さんですね」
白井リオは受付で波奈が書いたシートを見ながら言った。
(何だか病院でカルテを見ながら話す女医みたいだな)
(確かにそうだね。でも、ハルは余計な口出しをしないでよね!)
(はいはい、黙っていますよ)
「中津川さんはどちらですか?」
「はい、私が中津川です。中津川波奈です」
波奈が名乗った。
「では、こちらが早川小春さんですね」
「はい、早川小春です」
「まずはどちらから占いましょうか?」
「あの、私からお願いして良いですか?」
「中津川さんですね。分かりました、えっと、恋愛運ですね?」
「はい、最近男運が悪いというか……。恋愛に発展しそうな男の人と巡り合わないので、いつ頃、どんな人と巡り合えるでしょうか?」
白井リオは黙って波奈を見つめた。波奈を見ていると言うより、その視線は波奈を通り越して、全く別の空間を見ている様だ。
「うーん、既に出会っていますね。中津川さんも実は気付いているはずです。実感が無いと言うか、一般的には対象とならないタイプの人ですね。歳の差とかね」
「えっ、そうなんですか? だれだろう?」
波奈は視線を宙に浮かせている。視線の先に様々な男性を出現させ吟味しているのだろう。
「わっかんないよ~、誰だか教えてくれませんか?」
「私はお相手の方を具体的に知らせることは控えています。なぜなら、もしも私の見立てが間違っていた場合、貴女の人生を間違った方向へ導いてしまうことになりますから。無責任だって言われても仕方ないですが、未来を変えると言うことは大変な事態を招くことになりますから。ご了承ください」
(いったい誰なんだ! ハナちゃんの彼氏になる奴って! まさか研究室の奴じゃないよな!)
(なんでハルがそんなに怒っているのよ! だいたいハルはハナちゃんの彼氏でもパパでも無いんだからね! 誰だって良いじゃない! ハナちゃんが幸せになれば!)
(なんだよ、なんで小春が怒るんだよ)
(もう、しらない!)
「中津川さん、他に聞きたいことは有りますか?」
白井リオに声を掛けられたが、波奈は宙をにらみ続けたまま男達の吟味を続けている。
「フフ、中津川さんは忙しいみたいですね。それでは、早川さんの方を視ましょうか?」
白井リオは微笑みを浮かべながら言った。小春も波奈の様子を見て、つい笑ってしまった。
「はい、お願いします。って言っても、今日はハナちゃんの付き合いで来ただけだから、特に占ってもらいたいこととかは無いんです」
「あら、そうなの? じゃあ、漠然と未来の雰囲気だけでも視てあげましょうか」
白井リオは小春の方を見た。例によって視線は小春を通り越して別の空間を彷徨っている。
波奈の時との違いは、時間の長さだった。白井リオは空間を見つめたままなかなか話し始めない。それどころか、小首を傾げて何か考え事をしている様にも見える。
数分間の沈黙の後、白井リオが話し始めた。
「早川さん、貴女……」
白井リオが言葉に詰まっている。小春は何か嫌な予感がした。
小春は恐る恐る白井リオに声を掛けた。
「あのぉ、どうかしましたか?」
「あっ、いえ、うーん」
白井リオの様子がおかしい。小春がじっと見つめていると、白井リオは意を決したように座りなおして口を開いた。
「早川さん、貴女は不思議な人ですね」
「小春は高校時代には不思議ちゃんって呼ばれていたんですよ」
男達の吟味から戻って来た波奈がいきなり会話に参加してきた。
「ああ、そうなんですか? でも、一般的に不思議がられる程度の不思議では有りませんよね」
(小春、まずく無いか? まさか俺のこと見えているなんて事ないよな)
(わかんないよ! もし見えていたらどうなっちゃうの?)
(俺にもわかんないよ)
白井リオは話を続けた。
「早川さんの中にもう一人の人格が視えます。男性ですね。同い年ですかね」
「えっ、小春が二重人格? そんなこと……」
(こいつ、見えているぞ! やばく無いか?)
(ハル、どうしょう?)
(どうしたら良いんだ? 逃げ出そう!)
(逃げるって言ったって、ハナちゃんも居るんだよ。ここで逃げるのは不自然だよ)
(確かにそうだな。じゃあ、どうしたら良いんだよ?)
(一応話を聞いて、そんなことある訳ないとか言ってごまかすって言うのはどう?)
(危険だな! 小春に全て掛ってくるけど、出来るか?)
(この際やるしか無いよね! なんとかやってみるよ)
(よし! がんばれよ)
「この男の子、微妙ね。亡くなっているみたいだけど、霊になっているわけではないみたい。こんなの初めて!」
「何を言っているんですか! 小春は、小春は普通の子ですよ!」
波奈は小春の肩を抱きながら叫ぶように言った。しかし、白井リオの確信はひとつも揺るがなかった。
「彼氏だったみたいね。ふたりの間では今でも彼氏彼女のつもりみたいだけど。交通事故だったのね。事故現場に早川さんもいて、肉体は死んでしまったけれど、人格の方は早川さんの中に入ってしまった。そうなのね」
(事故の状況まで見えるのかよ! 本当にやばいやつだな)
(でも、この人に協力してもらえたら、私達の事、もっと良くわかるんじゃないのかな? これからの事とか……)
(これからって言ったって、俺の身体はもう無いし……、ずっと一緒に居るか俺が消えるかの選択肢しか無いだろう)
(そうじゃ無くて、これからのふたりの付き合い方とか、そういうアドバイスとかしてもらえるんじゃないかな)
(これからのふたり……)
「早川さん、大変でしたね。こんな事が世間に知られたら大変な事になるって心配していますよね。でも、私は学者でもマスコミでもありませんから大丈夫ですよ。安心して下さい。それに、こちらの中津川さんも信頼できる人ですからね」
「は、はい」
小春は混乱していた。今日初めて会ったばかりの占い師、白井リオを信用しても大丈夫なのだろうか? たとえばマスコミに公表して名をあげようとするような事は無いだろうか? どこかの研究者に小春の情報を売る様な事は無いだろうか?
「今日初めて会った私の事を信用するのはなかなか難しいですよね。でも、信じて欲しいな」
白井リオは微笑んだ。その微笑みは小春を温かく包む様な微笑みだった。
小春はこの人は信じても良い人だと思った。何の根拠も無いけれど、ただそう思ったのだ。
(ハル、私、この人は信用できると思うの。何の根拠も無いけれど、きっと大丈夫だと思う)
(えっ、信用するのか? 今会ったばかりだぞ! どんな奴かなんてわからないだろう?)
(うん、そうだけど……。でも、大丈夫だって思うの)
(なんだよ、それ。女のカンとかってやつか? それで、どうしようって言うんだよ。まさか全てを話すとか言うんじゃないだろうな!)
(そのまさかだよ。全て話しても良いって思っているの)
(本気かよ!)
(うん、本気だよ)
小春の決意は固い様だ。
「白井さん」
「リオで良いわ」
「リオさん、私、リオさんの事、信用できる人だと思うから……」
「嬉しいわ。信じてもらえて。なんでも話してみて。絶対に口外しないから」
「はい、よろしくお願いします。ハナちゃんも聞いていてね」
そう前置きをしてから、小春は話し始めた。
小春の中に居る人格がハルという男子で有る事。ハルが交通事故にあった事。急にハルに話しかけられて驚いた事。ハルの希望で港南大学を受験した事。左手だけはハルの意識で動かせる事。いつもハルと会話している事などをかいつまんで話した。
白井リオは興味深そうに聞いていた。波奈は首を傾げながら小春と過ごした今までの事を反すうするように思い出していた。
記憶をたどっていた波奈はある事に思い至った。
「って言うことは、ハルくん、私の裸も見たってことね!」
小春の中でハルは焦っていた。
(仕方なかったんだよ! 小春が避けていたのにみどりんとハナちゃんが無理やり小春と温泉に入ったりしたから……。小春、なんとか言ってくれよぉ)
「今、ハルが焦っているよ。まあ、のぞきをやっていた様なものだから自業自得なんだけれどもね」
(コハル~。そんな言い方ないだろう。弁解してくれよ~頼むから)
小春は楽しそうに笑いながら言った。
(しょうがないなぁ)
「でも、そもそも私が嫌がっているのに無理やり温泉に一緒に入ったのはハナちゃんとみどりんだから、責任はハナちゃんとみどりんに有るって言っているよ。ハルもハナちゃんとみどりんの裸を見て喜んでいたけどね」
(わー、最後の所は言わなくて良いだろう!)
「そう言うことだったんだ。なんか変だとは思っていたんだけれどね。ハルくんて結構スケベなんだ」
「そうなんですよ。困っています」
「小春が自分の胸を左手で触るの、癖だと思っていたけれどハルくんがやっていたんだ」
(ほら、ばれているじゃない! だから人前でやるなって言ったじゃない)
(ごめん……)
「そうなんですよ。まったく困ったものです!」
そんな会話を笑顔で聞いていた白井リオが会話に参加した。
「ハルくんが支配しているのは、今のところ左手だけなのね。私からの忠告として聞いて欲しいんだけれど、これ以上ハルくんの支配を増やさない様にしてね」
「どう言うことですか?」
「これ以上ハルくんの支配する部分が増えると、小春ちゃんの身体に異変が出る可能性が有るわ。人間というのは、意識をしなくても生きるために動かしている部分がたくさん有るの。たとえば心臓。誰も心臓を動かそうとして動かしている人はいないでしょう。ハルくんの支配する部分が増えると、そんな生きるために必要な部分の機能に障害が発生する可能性が有るのよ。それだけは注意して!」
「はい、注意します」
小春は白井リオの真剣な目にちょっと恐怖を覚えた。
(ハル、気を付けようね)
(そうだな、小春に何かあったら大変だからな)
その時、テーブルの上に有るランプが点灯した。
「あら、もう時間みたい。次の人が待っているのでごめんなさい。連絡先教えてくれるかしら? 今度はお友達として会いましょう」
小春と波奈は白井リオに携帯番号を教えて占いの館を後にした。
小春と波奈は近くのカフェでお茶をしながら話をしていた。
「小春にあんな秘密が有ったなんてね。驚いたよ」
「誰にも言っちゃだめですよ」
「わかっているって! でも、私の彼氏って誰なんだろう?」
「対象にならない様な人って言っていましたよね」
「対象にならないタイプって、ろくでも無い奴だったらどうしよう」
(歳の差とかって言っていたな。河村教授とか?)
(うっそー、そんなの有るかな?)
(だって、対象にならない様なタイプで歳の差だぞ。じゅうぶん考えられると思うけど……)
「小春、今、ハルくんと話していたでしょう? 小春は時々人の話を聞いていなかったり、何だかうわの空だったりする時が有るけど。そんな時はハルくんと話しているんだね」
「うん、ハルがね、対象にならない様なタイプで歳の差があるって言うと、河村教授も候補になるって言っているんだ」
「教授ねぇ、無くは無いかも知れないなぁ」
「えー、可能性あるんだぁ」
「無くは無いって言っただけだよ!」
「ハナちゃん、顔が赤いよ。教授の事、意識しちゃっている? 教授、独身だものね」
「何言っているのよ!」
そう言いながら、波奈はまた自分の空想の世界に入って行ったようだ。




