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パンチ

 今年は梅雨入りと同時に雨の日が続いている。

(雨の日は気が滅入るよな)

「そうなの? 私は雨の日ってわりと好きだよ」

(雨が好きなんて、意味わからん)

「そう? なんか落ち着くじゃない。天気が良いと急かされているみたいだけど、雨の日は何もしないで家でまったりしていても良い気がするでしょ」

(そうかぁ? だけど結局雨の中を学校へ行くんだろ)

「まあ、そうだけど……」

(やっぱりわからん!)

 などと言いながら準備をして、大学に向かったのだが、大学に着くと今日の講義は休講になっていた。

(休講かよ! 図書館と研究室どっちに行くかな?)

「お茶をしてからなら、どっちでも良いよ」

(えー、すぐ行かないのかよ!)


 小春は学内のカフェに入った。カフェには数人の学生がいた。カフェラテを頼んで窓際の席に座り窓の外を眺めていると、河村教授と吉岡先輩がカフェに入って来るのが見えた。

 河村教授が小春を見つけて声をかけてきた。

「やあ、早川さん」

「おはようございます」

「同席させてもらっても良いですか?」

「どうぞ」

 河村教授は席に座りながら言った。

「早川さんは今日の予定、どうなっていますか?」

「今日は講義が休講になってしまいましたから、これから図書館か研究室へ行こうと思っています」

「そうですか、私はこれから吉岡君と一緒に警察に行って来ます」

「吉岡先輩、何かやらかしたんですか?」

 小春は河村教授と吉岡先輩を交互に見た。

「いいえ、警察から犯人の分析を頼まれましてね。これから警察署へ行くのですが、もし時間が有るなら、一緒に行きませんか?」

「はい、行きます」


 三人は港警察署に到着した。カウンターにいた女性警察官に用件を伝えると、病院の待合室に有るような長椅子で待つように言われた。少し待っていると、スーツを着た女性がやって来た。

「河村教授、お久しぶりです。お元気でしたか」

「ええ、変わり有りませんよ。貴女は少し雰囲気が変わりましたね」

「毎日犯罪者の相手をしていますからね。目付きが悪くなっちゃいました」

 スーツを着た女性は眉間にタテジワを作った後、美しい笑顔を見せた。

「こちらは学生さんですか?」

「研究室の学生で四年の吉岡君と一年の早川さんです」

「宮前洋子です。私も河村教授の研究室にいたのよ。もうずいぶん昔の話だけどね」

 それまで、宮前洋子に見とれていた吉岡が、うわずった声で自己紹介をした。

「吉岡保です。よろしくお願いします」

 小春も挨拶をした。

「早川小春です。よろしくお願いします」

「まずは、事件の概要について説明しますので、こちらへどうぞ」


 宮前洋子に案内されて、会議室に入った。

「殺風景な所ですが、お掛け下さい」

 宮前洋子は資料を開きながら説明を始めた。

「分析をお願いしたいのは、昨夜傷害で現行犯逮捕した女なんです」

「女性ですか……。やはり、早川さんに来てもらって正解でしたね」

 河村教授は小春の方を見ながらつぶやいた。宮前も小春をチラリと見たけど、そのまま話しを続けた。

「この女、盛田早苗もりたさなえ・二十八歳・製薬会社勤務なのですが、会社帰りに自宅近くの商店街で通りすがりの会社員男性に殴りかかり、男性に怪我をさせたという事件です」

「男性の怪我はどの程度なのですか?」

「左アゴを殴られ、頸骨挫傷、救急車で運ばれて現在入院中です。意識不明の重体です」

「すごい! 男の人を殴って重傷を負わせるなんて、その女性は何か格闘技をやっていたのですか?」

 小春の質問に宮前が答えた。

「いいえ、格闘技経験は無い様です。盛田早苗は身長152センチ体重38キロ、被害者は身長178センチしかも筋肉質のスポーツマンタイプです。それをたった一発殴っただけで病院送りだって……。信じられない状況よね」

 宮前洋子に見とれているだけだと思っていた吉岡がいきなり発言した。

「小さな女性でも、鉄パイプの様な凶器を使うとか、高い所から飛び降りながら殴れば可能ですよね。現行犯逮捕ってことは、目撃者が居るんですよね?」

「はい、犯行現場に居合わせた青果店の店主が一部始終を目撃していました。店主の話しによると、盛田早苗は京浜急行線大森町駅の方向から歩いて来ました。駅へ向かっていた被害者の前に立ちはだかり、いきなり殴りかかったそうです。もちろん凶器は持っていませんし、高い所から飛び降りながらでもありません。ただ普通に殴ったそうです。被害者はそのまま倒れ込み、盛田早苗は呆然と立ち尽くしていたそうです」

「逮捕された盛田早苗は、被害者を殴った理由を供述しているのですか?」

「それが、駅からの商店街を歩いていた記憶は有るけれど、被害者と遭遇するあたりからの記憶が全く無いと言っています」

 沈黙していた河村教授が質問をした。

「盛田早苗さんと被害者は面識が有ったのですか?」

「盛田早苗によると面識は無いそうです」

「逮捕時や取り調べ中に変わったことは有りませんでしたか? 例えば急に無関係な事や妙な事を口走るとか、異常な行動をとるとか……」

「今のところ、特に無い様です。これから盛田早苗の取り調べに同席して頂けますか?」

「そうですね。とりあえず、会ってみないと何とも言えませんね。取り調べには、何人入れますか?」

「出来れば一人か二人でお願いします」

「盛田早苗さんが犯行時の様な力を発揮した場合、同席者に危険は有りませんか? あと、中の様子は別室でわかりますか?」

「手錠と腰縄はつけたままですし、警察官も入ります。安全には配慮します。取調室の様子は隣室から見ることが出来ます。もちろん声も聴くことが出来ます」

「わかりました。では、早川さんは私と一緒に取調室に入ってもらえますか?」

「はい、よろしくお願いします」

「吉岡君は隣室で記録をお願いします」

 河村教授は小春と吉岡に指示をして立ち上がった。



 河村教授と小春は宮前の後ろについて取調室に入り、机を挟んで盛田早苗の前に座った。

(本当に可愛らしい感じの人だね。小さいし……)

(そうだな、制服を着たら女子高生に見えかも。小春も制服を着ろよ。小春の制服姿、萌えるんだよな)

(バカ! 私の制服姿は今、関係無いでしょ! 少しは集中してよね!)

 宮前が取り調べを始めた。

「もう一度当日の行動を話して下さい」

 盛田早苗が話し始めた。

「昨日は定時で仕事を終えて、会社を出ました。電車で大森町駅に着いて改札を出ました」

「それは何時ごろですか?」

「五時過ぎに会社を出ましたから、たぶん六時少し前だと思います」

「途中寄り道はしていないのですね?」

「はい、真っ直ぐ帰りました」

「話しを続けて下さい」

「改札を出て商店街を自宅の方へ向かって歩きました。八百屋さんの前で突然目の前が真っ暗になって……」

 盛田早苗が口ごもった。何かを思い出そうとしている様だった。

「真っ暗になって、どうしたのですか?」

 宮前が話の続きを即した。

「男の人が倒れていました……」

「あなたが殴り倒したのでしょう?」

「わかりません! 何も覚えていないんです!」

 盛田早苗が興奮状態になっている。宮前が畳み掛ける様に言う。

「目撃者がいるんですよ! 覚えていないじゃ済まないんですよ!」

「覚えていないんだからしかたないでしょ!」

「まあまあ、少し落ち着いて下さい」

 河村教授が話しに割って入った。

「盛田さんは休日には何をしていますか?」

 河村教授の言葉に落ち着きを取り戻した森田早苗が答えた。

「ひとり暮らしですから、掃除や洗濯をしたり、買い物に行ったり……ですね」

「友達と遊びに行ったりはしないのですか?」

「たまには行きますけれど、ほとんど行かないです。私……友達は少ないですから」

「家にひとりで居るのは楽しいですか?」

「あまり人付き合いが得意な方では無いですから……ひとりの方が楽です」

「ひとりの時とか、会社とかで、独り言を言っていることは有りませんか?」

「会社ではあまり有りませんが、自宅ではよく有ります。ひとり暮らしの人には多いのでは無いですか?」

「確かに多いでしょう。貴女の独り言は貴女だけが話しをしているのですか?」

「どういうことでしょうか?」

 森田早苗は何を聞かれているのか全くわからない様だった。

「貴女と会話をしている第三者が貴女の中に居ませんか? 例えば、貴女が何かを言ったら、それに応えてくれる様なことですが……」

「有るような気もします」

「その人は今どこにいますか?」

「わかりません。意識して考えたことは無いです」

「では、今までに記憶が欠落したことは有りませんか? 自宅に居るときでも、会社や街中でも……」

「以前、会社へ行こうと思って家を出たのに、なぜか鎌倉に居たときが有りました。慌てて会社に電話して……休みましたけど……」

「他には?」

「あとは、街を歩いていていつの間にかこんな所まで来ちゃった、みたいなのはよく有りますけど……」

「そうですか、少し休憩しましょうか」


 河村教授の言葉で、教授と小春は宮前と共に取調室を出て隣室に移動した。

「教授、どうでしょう」

「DIDの可能性は有りますが、第二人格が出て来ないですから……。第二人格は普通もっと目立ちたがるものですからね。元々、自己防衛の為に作り上げる人格ですから、ちょくちょく出てくれないと意味が無いでしょう。早川さんはどう思いますか?」

「えっ! 私ですか? えーと、第二人格を引きずり出してしまうのはどうですか?」

(小春、過激だなぁ。でも、ちょっと面白そうだな。怒らせたら出て来ないかな?)

(あの人、結構興奮しやすい性格なんじゃ無いかな? さっきも興奮しかかっていたし。私が急に殴りかかったら怒りださないかなぁ)

(小春のパンチじゃどうかな?)

(うーん、あっ、そうだ! ハルが左手で殴りかかるって言うのは?)

(俺がなぐるのか? 俺、女を殴るのはいやだなぁ)

(捜査の為なんだからやってみてよ)

(うーん、気が進まないけど、仕方ないかぁ)

 小春がハルと話していると、宮前が『そんな簡単に出来るわけがない』と言いたそうな顔で言った。

「どうやって引きずり出すのかしら?」

「私が盛田さんに殴りかかったりして挑発したら、怒りで第二人格が出て来ませんかね?」

「取り調べ中の暴力はまずいわ。それにちょっと危険ですよ。盛田は大の男を病院送りにしたのよ」

 宮前が小春の提案を却下した。しかし、河村教授の考えは違っていた。

「面白そうですね。早川さんなら警察官ではないですし、相手に怪我をさせることは無いでしょう。それほどの問題にはならないと思いますよ。早川さん、やってみて下さい」

「教授まで! やめて下さい! 危険すぎるわ」

「そこは警察の人達でフォローして下さい。早川さん、お願いします」

「はい。やってみます」

 宮前刑事はしぶしぶ了承した。

「では、取調室に戻りましょう」


 取調室にいる刑事に事情を伝えてから、三人は取調室に戻った。

「取り調べを始めましょう」

 小春は盛田早苗に近付いた。

「早苗さんは私より小さいですね。身長はどのくらいですか?」

「152センチ位だと思います」

「私には、貴女が178センチの男性を殴り倒したなんて思えないです。どんな風にやったんですか?」

「覚えていないです。殴った事さえ憶えていないです」

「ふ~ん、こんな感じですか?」

(ハル、お願い!)

(オッケー)

 小春の中のハルは盛田早苗に殴りかかった。盛田は椅子に座っているにも関わらず、小春の左フックを身軽にかわした。

「素早いですね」

 言いながらもう一度、今度は左ストレートを繰り出した。それを手錠のかかった手ではねのけて言った。

「何してんだよ! アタシを誰だと……」

 そこまで言って盛田早苗は口を閉じた。

「早苗さん、貴女は何者ですか? かなり喧嘩なれしている様な動きですね。言葉遣いもね。昔はかなり危ない人だったんじゃ無いですか? 格闘技の経験は無くったって、ケンカの強い人はいっぱいいますよね」

 森田早苗の雰囲気ががらりと変わった。

「だったらなんだって言うんだよ!」

「貴女が殴ったんですよね。相手の人、知り合いですよね。何が有ったんですか?」

 盛田早苗はフーッと息を吐いた後、堰を切ったように話し始めた。

「アイツは昔付き合っていた男でね。元彼ってヤツ。あいつが昔の写真を使ってゆすって来たんだ。アタシがヤンチャしてた時の裸の写真を持っていやがって……。会社に送るとか、彼氏に見せるとか言って、金と身体の関係を迫ってきやがった。今の彼がやっとプロポーズしてくれたのに……」

「格闘技はやっていなかったんでしょう?」

「きちんと習ってはいないけど、ちょっとした知り合いに格闘家が居てね。その人に少しだけ教わっていたことがある。護身術の代わりにね」

 多重人格では無いとわかったので、あとは警察に任せて河村教授と小春は、取調室を出た。


 取り調べ室を出ると、隣室で記録を取っていた吉岡保が話しかけてきた。

「早川さん、見事でしたね。記憶が無いって言うのが嘘だと気付いていたんだね。すごいよ」

「あ、いえ、もしかしてって思って……」

(ホントかよ! 成り行きでそうなっただけだろ)

(うるさいなぁ! 良いでしょ、結果が良ければ! でも、ハルのパンチは当たらなかったね)

(バ、バカヤロー! 女だから手加減したんだよ……)

(ふーん)

 小春はつい、にやけ顔になってしまい、真顔に戻すのに苦労していた。


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