同居
早川小春は友人三人と大学近くのカフェに居た。
目の前のテーブルには可愛らしいケーキと紅茶が置かれている。
ケーキに立てられたローソクに火が点けられると、整列したカフェの店員達が歌い始めた。
♪ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデー、ディア、コハルチャン、ハッピバースデーツーユー
大学の友人達の企みによるバースデーイベントだった。友達と言っても、三人共小春より歳上だ。
小春のいる大学のゼミには三年生・四年生と大学院生しかいなかった。通常ならば誕生会も飲み会になるのだけれど、小春が未成年なのでカフェでの誕生会になったようだ。
小春はローソクの火を吹き消した。
「小春、誕生日おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとう、これは三人からのプレゼントだよ」
そう、今日は十一月三日、小春の十九歳の誕生日だった。
「ありがとう」
「でも、十一月が誕生日なのにどうして名前は小春なの?」
小春が小学生の頃から、クラスが変わった時や、中学・高校に進学して新しい友達が出来る度にこの質問は繰り返されている。今ではすらすらと説明出来る様になってしまった。
「小春日和って言うのは、春の日のことでは無いんですよ。十一月なのに暖かくて、まるで春みたいな日のことを言うんです。英語ではインディアンサマーって言うらしいです。そんな小春日和に産まれたから小春っていう名前にしたそうです。何だかややこしいけど……」
「そうなの? 私、小春日和って春の暖かい日のことだと思っていたよ」
大学生になっても反応は同じなんだなと思いながら、小春はプレゼントの包みを開けた。中にはハートに羽が生えた可愛らしいペンダントが入っていた。
「わぁ、かわいい! ありがとう」
「本当なら彼氏に貰った方が嬉しいだろうけど、小春は全然彼氏作ろうとしないじゃない」
「そうそう、小春ほど男子に興味持たない子は居ないよね。実は女子に興味が有ったりして」
「そんなこと無いですよ!」
確かに十九歳の女子の中で小春ほど男子に興味を持たない娘は居ないだろう。
小春だって恋をしたことも有る。その恋は今でも進行中だと言えなくも無い。そこには、人に話しても決して理解してもらえないし、話すことが出来ない理由が有るのだ。
それは小春の中には、ハルという男子が共存していることだった。いわゆる二重人格とは少し違っていた。
ハルとは加藤ハルという実在する男子だった。小春が中学三年の二学期に転校して来た、色白できれいな顔立ちだけどメガネを掛けたひ弱そうな男子だ。小春的には、ちょっと気にはなっていたけれど、ほとんど話をすることも無いまま卒業してしまった。
小春とハルが再会したのは、高校三年になった春のことだった。近所のコンビニで買い物をしていた時、突然後ろから声を掛けられた。
「早川だよな。オレ、加藤。加藤ハル」
一瞬の警戒と戸惑いの後、脳内システムをフル回転させて、加藤という名前を検索した。
一件のデータが検索された。
「加藤くん? 中三の時転校して来た加藤くん?」
「そうそう、その加藤」
加藤ハルは相変わらず色白だったが、コンタクトレンズに変えたのかメガネは掛けて無かった。ひ弱そうだった身体も健康そうになっていた。
その日は、コンビニ前の立ち話で、中三の時の思い出話や近況を語り合った。しかし、中学三年生の二学期と三学期の思い出しかない。まして、まともに話をしたことも無い男子だ。それほどの思い出が有るはずもなく、会話はすぐに途絶えた。
ふたりはまるでそうすることが礼儀でもあるかの様に、連絡先を交換して別れた。
その後、メールのやり取りから親しくなって行った。高校三年生と言えば受験生であるにもかかわらず、やがてデートを重ねる様になっていた。そして、いつしか互いの家にも往き来し、互いの親にも可愛がられる様になった。
小春の十八歳の誕生日、お台場で誕生日デートをした。夜景を見ながら指環をもらった。ハルからの初めてのプレゼントだった。
「わぁ、ステキ! 婚約指環かなぁ?」
小春はおどけた感じで聞いてみた。ハルは無言のまま小春の身体を抱き寄せキスをした。ふたりにとって初めてのキスだった。
小春はハルに家の前まで送ってもらい、手を振りながら帰って行くハルを見送っていた。
その時、突然脇道から飛び出してきた車とハルが交錯した。ハルの体は車のボンネットにのった後、前方に弾き飛ばされた。
小春は慌てて駆け寄ってハルを抱き起こそうとした。ハルは小春の腕の中で何かを言ったが、その弱々しい声は小春には届かなかった。
小春が声を聞こうと春の口元に耳を近付けた時だった。小春の身体の中に何か熱いものが流れ込んで来た。何だか解らないけれど、傷みと喜びとが入り混じった感じで、小春が今までに経験したことの無い感覚だった。
その感覚の中で、小春の意識は遠ざかりその場に倒れ込んでしまった。
気が付いた時には、病院のベッドに寝かされていた。白い天井と淡いベージュのカーテンと小春の父と母の顔が見えた。両親が何か話し掛けているけど、事態を把握するのには数分間の時間が必要だった。
「ハルは! ハルは大丈夫なの?」
小春の言葉に両親はうつむくしか無かった。
「小春、大丈夫? お医者さんは『怪我は無い』って言っていたけど……」
母はうろたえていた。
「私は大丈夫! それよりハルは? 車にはねられたでしょう? ハルに会わせて!」
起き上がろうとする小春の肩を優しく押さえながら、父が落ち着いた声で話し始めた。
「小春、落ち着いて聴いてくれ。ハルくんが事故に遭ってから、もう丸一日経っているんだ。小春はその間、ずっと眠り込んでいたんだよ。目覚めてくれてパパは嬉しいよ」
小春は父の言葉に少し苛立っていた。しかし次の言葉を想像すると話を急かすことが出来なかった。聞きたくない話が出てくる様な気がしたからだ。
父は重い口を開いた
「小春。君に話さなくてはならない事が有るんだ。ハルくんの事なんだけれど……。ハルくんは事故で亡くなってしまったんだよ。痛みを感じることも無く、亡くなったそうだ」
小春にとって一番聞きたくない内容だった。小春の口は声を発することが出来なかったが、小春の目は大量の涙を溢れさせた。
それから、身体中の水分が無くなるほど泣いた。その間、母は小春の身体を優しく抱きしめていた。
翌日、家に帰って自室のベッドで寝ている時だった。突然ハルの声が聴こえてきた。
(小春、元気出せよ! 俺は死んでなんかいないから)
小春は辺りを見回した。いくら見回してもいつもの自分の部屋だ。ハルの姿なんか見える筈がない。
「なに、今の? 私、変になっちゃったの?」
小春は声に出して言ってみた。すると、ハルの声が応える。
(小春が変になったわけじゃ無いよ。変になったのは俺の方みたいだ)
ハルの声は耳から聴こえてくるのでは無くて、小春の脳に直接聴こえている様だった。
「えっ! 何が変なの?」
(俺、小春の中にいるみたいなんだ)
「えっ? えっ? 意味わかんないよ」
(俺にも解らないよ。でも、俺はここにいるんだ)
「いつから私の中に居るの? いつまで居るの? 出て来られないの?」
(質問責めだな。事故に遭った時、小春が俺を抱きしめただろう。あの時に入ったみたいなんだ。いつまで居られるのかは不明だ。出られるかどうかも解らない。出られるとしても方法が解らないし……)
「じゃあどうしたら良いの? パパやママやお医者さんに相談する?」
(それはやめた方が良いな。相談した場合、確実に小春の精神に異常が有ると言われるだろうからね。それより、俺の身体がどうなっているのか知りたいな。小春、俺の家に様子を見に行ってくれないか?)
「わかった、すぐに用意するね」
小春は急いで着替えをしてハルの家に行くことにした。
「ママ、ちょっとハルの家に行ってくるよ」
小春は母にそう告げて玄関へと向かった。
「それなら私も一緒に行くから、ちょっと待っていて」
母はエプロンをはずし、急いで身なりを整えた。
小春と小春の中に居るハルは、小春の母に付き添われて加藤家の玄関前に到着した。加藤家では葬儀の準備が進められている。すでに親戚の人達も集まって来ているようだ。
小春がインターホンを押すと、ハルの母親が応えた。
「あら、小春ちゃん。ハルに会いに来てくれたのね。さあ、入って」
小春と小春の母が玄関に入ると、ハルの母親が迎えてくれた。
「この度はご愁傷さまで……」
「ご丁寧にありがとうございます」
小春の母とハルの母はお決まりの挨拶を交わしていたが、小春はお悔やみの言葉をためらっていた。今、加藤家に横たわって居るのはハルの身体だけで、ハルの意識は小春の中に居るのだから……。
「…………」
小春は母に脇腹を小突かれたが、言葉が出て来なかった。
そんな小春にハルの母が言った。
「小春ちゃん、挨拶なんかどうでも良いから……。ハルの顔を見てあげて」
ハルの遺体は既に棺の中に設置されていた。棺の中のハルは、交通事故で亡くなったとは思えないほどきれいだった。まるで寝ている様に穏やかな顔をしている。
小春の目から涙がこぼれ落ちた。後ろで通夜に来ていた親戚のおばさんらしき人の話し声がかすかに聴こえた。
「あの子は誰?」
「ハルくんの彼女らしいよ。あの子を家まで送って行って事故に遭ったらしいよ」
「そうなの? ハルくん優しいからねぇ」
「そうそう。送って行かなければ事故にも遭わなくて済んだのにねぇ」
横に座っていた母が、小春の肩を優しく抱いた。小春が母を見ると、母の目にも涙が光っていた。
(小春、気にするな。それより俺の身体に触ってみてくれよ)
頭の中にハルの声が聴こえた。
小春はハルの遺体にそっと手を伸ばしたけれど、指先がハルに触れる直前で止まった。
小春は頭の中でハルに尋ねた。
(ハル、触れたらハルは身体に戻れるの?)
(それは解らないけれど……、もしかしたら戻れるかも知れないな)
小春は遺体になんか触るのは初めてだったから、少し怖いと思った。けれど、勇気を出してハルの遺体に手を伸ばした。
小春の指先がハルの頬に触れたとたん、指先にシビレと痛みが走った。まるで長時間正座をした後に足の指を触った時みたいな感覚だ。
小春は手を引っ込めそうになったが我慢した。一分ほど触れていただろうか?
(こ・は・る、手を……はなして……くれ……)
ハルの苦しそうな声が聴こえた。小春は慌てて手を引っ込めた。
「ハル!」
脳内で呼び掛けた筈だったが、その言葉は声に出てしまった。
親戚の人達の視線が、一斉に小春の背中に向けられた。小春は痛い程の視線を浴びながら、声を消してハルに話し掛けた。
(ハル、大丈夫? 身体に戻れそう?)
(大丈夫だよ。危なく身体に引き込まれそうになったよ)
(引き込まれそうって……、戻れそうだったの?)
(たぶん)
(なんで戻らなかったのよ!)
(ムリムリ、この身体もう腐りかけているし……)
(じゃあどうするのよ!)
(うーん、どうしょうか?)
(他人ごとじゃ無いんだからね!)
(そんなこと言われても無理なものは無理だよ。腐りかけているんだぞ! あんなモノの中に入れるわけがないだろう! ……とりあえず小春の家に帰ろうよ)
(解ったよ! 帰れば良いんでしょう!)
小春はハルの遺体から離れてハルの両親と親戚の人達に挨拶をして帰ることにした。さっきのおばさん達が涙を拭きながら小春を見ていた。
「可愛い娘なのにねぇ……かわいそうに……」
そんな声が聞こえてきた。ハルの遺体の前に長時間座り込んで涙している小春に心を打たれたのだろう。
「小春ちゃんにはハルのお嫁さんになってもらいたかったけれど……。こんなことに成っちゃってごめんね。明日は十時から告別式だから、小春ちゃんも来てちょうだいね」
帰り際にハルのお母さんに言われた。小春の目には涙が戻って来ていた。
その夜、小春とハルは何か名案は無いものかと話し合ったけれど、良い考えは何も浮かばないまま眠りに就いてしまった。
翌日、何も出来ないまま告別式は進み、遺体は火葬されてしまった。ハルの身体は遺骨となり加藤家に帰った。
「身体、無くなっちゃったね」
(そうだな)
ハルの声はどことなく不機嫌そうだった。
「やっぱり身体が無くなるって寂しいよね。これからどうしょう?」
(うーん、今のところ何も考えられないなぁ。小春の中に同居させてもらうしか無い様だし……。よろしく頼むよ)
「そうね、こちらこそよろしく」
小春は出来る限り嬉しそうに言った。
ふたりの中では今後の方針が決まったようだ。
それは、『成るように成るしか無い!』だった。
そんな事情で小春とハルは、小春の身体の中で同居を始めることとなった。