Phase009『エルフさんとショッピング July 15, 2012』
「スマートホンって格好いいけど、なんか壊れやすそうだな」
「ガラケーなんて最近じゃほとんど見ないけどね」
「便利よ。インターネットも使いやすいから」
夏休みの迫る週末の或る日、私はエルフ耳を生やした、かつて『彼』だった少女と、『彼』の妹である少女とともに繁華街へと繰り出すことになった。
今日は良く晴れて青空が見え、絶好の後楽日和であり、街も3日前の事件以来特に大きな騒動もなく落ち着きを取り戻して人通りも元に戻っていた。
テロリストを名乗る、彼女曰く異様な進化を遂げたネズミたちに関する続報はなく、マスコミの騒ぎも収まってはいないけれども、おおむね日常は戻ってきている。
「アタシはそんなに着飾ったものじゃなくてもいいんだけどさ」
「ダメだよ、カワイイの選ぼうよルシアちゃん」
本日の目的は、『彼女』のために携帯電話を購入するというもの。家電量販店の大きなスペースに、様々なメーカーの携帯電話が展示されている。
明るい照明の下、白いタイルの床に並べられた長方体の展示台の上、赤や青、黒や白のスマートホンが並び、その横に宣伝文句がひしめいている。
画面の大きさ、画質の良さ、カメラのピクセル数、操作性、価格。煽り文句はいろいろで、買う側が重視する視点も様々だ。
私などは使いやすさを、春奈ちゃんはデザインを優先して。『彼女』はというと特に必要も無さそうな性能や機能ばかりを見る。
そうして私たちはそれらを手に取って、あーでもない、こーでもないと話しながら騒ぐのだ。
なお、私の彼氏などをやっている変態は先日、ラーメン屋でのセクハラにより自宅謹慎中である。実際は気を使ったのだろうけど。
電話では先日、タカシ君と『彼女』が一緒に昼食を摂った時のことをある程度聞いている。何か隠そうとしていたが、カマをかけて話させた。
『彼』が『彼女』が考えそうなことだ。
まあ、セクハラの内容まで事細かに伝えてきた辺りは明らかに蛇足で、改めてお仕置きが必要であるが。
「……」
快活な笑顔の春奈ちゃんと、それに振り回されながら呆れ顔の『彼女』。それは、二度と見ることは叶わないと諦めていた光景だ。
しかし、それでも、再開したあの日にも見せた苦しそうな顔が脳裏によぎる。本当に、こんなに小さくなってしまった体に、どれほど多くの事を抱えているのだろう?
曰く、自殺すら実行したのだと。
私の覚えている『彼』からは考えられないような事。ヘタレで根性がなくて、それでも情にもろくて、優しくて、そしてどこか弱かった『彼』。
そんな『彼』、今は『彼女』が自ら命を絶とうとした。そうしなければならない程に追い詰められた。
そしてその原因の一つであろう《呪い》。私が逆の立場でも、もしかしたら同じように避けようと、早く離れようと考えてしまうだろう。
その気持ちは痛いほど分かるから、そこまで苦しんでいる『彼女』をこれ以上苦悩させたくないとも考える。
それでも私は『彼女』とずっと一緒にいたいと、それが無理なら私が向こうの世界に渡っても良いとすら思ってしまう。
きっと彼女を苦しませるだけだろうけど、私の我儘はその《呪い》とやらで殺されてしまう恐れがあったとしても『彼女』の傍に居たいと叫んでいる。
けれど、それはダメだろう。
私には私の生活が、『彼女』には『彼女』の都合と想いがあり、そして私はタカシ君を選んだのだから。
だから、裏切りだけはしない。『彼女』への裏切りも、タカシ君への裏切りも、私は絶対にしてはいけない。
だから、今日の終わりに話をしよう。これからの話を、私たちの関係が終わらずに済む方法を一緒に考えたい。
「これなんかどうかな?」
「んー、ちょっとカワイくないかなー」
春奈ちゃんが『彼女』の選んだ機種にダメ出しをしていく。二人の価値判断は微妙にズレているので噛み合わない。だからそれを眺めて自然と笑みがこぼれてしまう。
もしもあの時、私が『彼』を引き止めていれば、こんな光景を、こんな平和な関係をすっと続けてこれたのだろうか。
意味のない仮定。しかしその《もし》はこの3年間、『彼』が失われたあの日の夜のニュース番組を目にした時からずっと私に付きまとってきた事だ。
あの時は私はこの短期留学が『彼』にとってとても良い経験になると信じていた。信じて、背中を押して送り出したのだ。
多くの人の前ではあまり積極的に前に出れない、とても弱かった『彼』だからこそ、そういった経験は『彼』を人間的な意味で成長させると信じていた。
しかし、もたらされたのは誰も予想だにしなかった結末。何の痕跡も残さず、『彼』は海の向こう、空の向こうで消息を絶った。
残された『彼』の家族はとても酷い事になって、その結末は多くの人たちの心に癒しがたい傷を残した。
正直なところ、彼女を、ルシアとなった『彼』に、あんな風になってしまった家族を見せたくはない。きっと自分を責めるから。
春奈ちゃんはまだ良い。彼女はそこまで崩れなかった。なんとか私とタカシ君で支えることができたと、これは自惚れだけど思っている。
だけれども、おばさんたちは…。
「じゃあじゃあ、ルシアちゃん、これなんかどう?」
「なんだこのキラキラは…。もう少し大人しめのを…」
春奈ちゃんが手に取ったのはド派手なピンクにキラキラ輝くラメやビーズやらでデコレートされたもの。可愛いけれども、『彼』の好みではない。
ハートとかは特に恥ずかしがる。『彼』のために作ったお弁当で、ピンク色の田麩でハートを描いたのだけど、教室で蓋を開けた時のあの反応は実によかった。
クラスのみんなから冷やかされて真っ赤になりながら悪態をついて、それでも全部食べ切ってくれた。こう、なにか顔がにやけた。
お弁当箱を洗って返してきた時、普通の弁当にしてくれなどと懇願されて、それがとても可愛らしかったので、毎日腕によりをかけて作ってあげた。
ちなみに、タカシ君はむしろ周りに自慢して回るので面白くない。むかついたので、一度、弁当の表層にコーンを敷き詰めてやったことがある。この時に反応は良かった。
さて、私も選んでみるか。
「こっちのいぶし銀はどうかしら? とっても大人しめよ」
「それ、自分で持ってみるか? てかなんで葵の紋?」
天下の副将軍用の携帯電話なのだろうか? これで控えおろうなんて言うのだろうか。『彼女』は不満げな顔で抗議する。
何でも歴女向けの戦国携帯電話シリーズらしく、様々な家紋のついたシックなデザインらしい。印籠みたい。
「私がこれにしたら、おそろいで持ってくれるの?」
「え、お、あえ?」
「冗談よ、ふふ」
ふむ。相変わらず押し込まれる事に弱い。とはいえ、このまま『彼女』が暴走してコレでお揃いになってしまうのもどうかと思うので、ここまでとしておく。
「相変わらずエグい冗談だよね、佳代子おねえちゃん」
「あら、冗談だと思った?」
「すげぇ、コイツはドン引きだぜ」
可愛い子を虐めたくなるのは私の悪い癖だ。だけれども、どうしても止められない。楽しくて仕方がないのだ。
この二人とタカシ君はそういう私を受け入れてくれる。良い友人たちに、恋人に恵まれたと思う。
「これ、完全防水だって。圧力釜で炊いても壊れないって書いてあるよ」
「スゲェな日本の家電っ、マジかよ見せて!」
春奈ちゃんが新たに面白い携帯を見つけたとルシアちゃんを呼び寄せる。在り得ない性能の携帯だけれど、『彼女』は目を輝かせて春奈ちゃんの元へ駆けていった。
だが、春奈ちゃんは「ふふーん」と笑うと、
「嘘です♪」
「ちょ、春奈、お前な!」
「やだ、どうしよう。佳代子おねえちゃん、この子簡単に騙されて可愛い」
「女はみんなドSなのか…」
いいえ、貴女が弄り甲斐があるだけです。
Phase009『エルフさんとショッピング July 15, 2012』
ちょっと変わり種の携帯電話のコーナーを離れ、比較的保守的なデザインの携帯が並ぶエリアへ。
「おおっ、まともなのが並んでいる」
「つまんない」
「つまらないわね」
悦ぶエルフさん。なので私たちは不平不満をブーイングで表現する。虐めではない。親愛表現である。ちなみに、虐待する側は大体そう言って言い逃れしようとする。
「待て、ヒトの携帯だからってネタに走らせようとしてねぇか?」
「「めっそうもない」」
おお、春奈ちゃんとハモッた。これは私たちの友情力がカンストしたからに違いない。そのあまり理不尽に『彼女』がうなだれる。可愛い。
「くそっ、もう誰も信じられねぇ…っ、アタシの道はアタシが決める!」
そしてとうとう、圧政から解放されるべく少女が自ら立ち上がる。素晴らしい。感動的だ。私は期待する。『彼女』なら、この子ならやってくれる。
「君に決めた!」
そう強く宣言し、一つの携帯電話をむんずと掴んだ。
「……………」
「……………」
「……………」
高齢者向け、簡単操作、文字も大きい。GPSにより現在地を家族に伝えてくれて、徘徊癖があっても安心。
「…えと」
『彼女』が耳をへたらせてこちらを振り向く。今私は最高の笑みを浮かべているはずだ。だって、隣の春奈ちゃんもものすごく良い笑顔になっているのだから。
「じゃあ行こっか、ルシアちゃん」
春奈ちゃんが『彼女』の右腕をガッチリホールド。
「さっそく買いましょう」
私もまた『彼女』の左をガッチリホールド。まるでこれはロズウェル事件の宇宙人が黒服の男に連れて行かれる写真のよう。
私と春奈ちゃんの心は完全にシンクロを果たし、ただ一つの目的のために奇跡的な同期を実現する。
「待てっ、コレ違っ」
「店員さ~~んっ」
エルフさんは焦りに焦って半泣きだ。可愛い。このまま会計のコーナーに連れて行ったらどうなるだろう。店員さんの迷惑になりそうだけど、心がウキウキして仕方がない。
「すみません、ごめんなさい、アタシが悪かったですぅっ」
必死に二人を思いとどまらせるために無様に謝るヘタレエルフ。流石にこれには春奈ちゃんは苦笑いで応じたが、私は笑顔が浮かぶのを止められない。
タカシ君曰く、とても放送することが出来ない、子供が見たら泣きじゃくるような邪悪な笑みを浮かべているに違いない。
ということで、
「でも、さっき自分で決めるって言ってわよね」
「他人の意見にも耳を貸すのが人類の調和と協調に必要だと思うんだ」
実に歯の浮くような正論である。心にもない事を述べ立てるのは、獲物が弱っている証だ。昔えらい人が言いました。水に落ちた犬は叩けと。
「うふふ、私たちのこと、信じられないっていってたわよね?」
「信じるってすばらしいなと思います」
「なら、私たちの事、信じてくれるの?」
「もちろんですとも!」
言質は取った。私は歓喜の笑みと共に、先ほどから目を付けていた一つの携帯電話をむんずと手を伸ばして掴む。
後日、『彼女』はタカシ君にこう話した。まるで腕が伸びたかのようだったと。
「なら…これでどう?」
ピンク色、世界的に大人気な子猫をデフォルメしたキャラクターがプリントされた、とても可愛くって、女の子らしい素敵な素敵な携帯電話。
「そんな…バカな」
「うわぁ、これすっごく可愛い! 私も欲しいなぁ」
エルフさんは崩れ落ちた。拒否権? そんなモノが敗戦国に与えられるとでも?
◇
「へえ、最近の携帯ってのは、いろんな機能が付いてるのな」
「アプリとか多すぎて全部使いこなせないよね。私、ラインとかパズルゲームとかしか使ってないかも」
「みんな、そんなものよ」
エルフ耳の少女は購入した携帯電話のカタログを興味深そうに眺めている。子猫うんぬんは忘れることにしたようだ。ささやかな現実逃避。後で現実を思い知らせてあげよう。
大概、先送りした問題は後からより深刻になって立ちはだかるもの。しかし彼女は目の前の『カワイイッ!』を直視することはしない。ヘタレだからだ。
「魔法の世界にはこういうの無いの? テレパシー的な?」
「人形通信っていう呪術通信とかはあるけどな。こんなゴチャゴチャした機能は無い。こういうのってガラパゴスとかいうんだろ」
知ったかぶりの『彼女』はちょっと昔に流行ったタームをふふんと、さもインテリぶって口にする。
「人形とか呪術とか、ちょっとオカルトっぽいね」
「文字通りだかんな。髪の毛とか血液とか、体の一部を双子の人形に入れて使うんだよ。それをマジックアイテム化すると、双方向通信が出来るようになるって具合だぜ」
「な、なんか本当にそれっぽいよね、それ」
「無断で仕掛けられるとビビるぜ。夜中にいきなりタンスの上に飾られてる人形が笑い出してさ…」
「いやーんっ、それ絶対怖いよっ」
二人を微笑ましく見守る。まるで、昔に戻ったような気分。だからこれ以上は贅沢というものかもしれない。
これ以上を望むことは裏切りだ。
そんな後ろ向きな事を考えていると、おもむろに春奈ちゃんが後ろを振り向く。突然の事に思わずどうしたのか問いかけた。
「どうしたの?」
「…あれ?」
「なんか、気になる事でもあったか?」
「ううん、なんか、ちょっと視線を感じて…」
春奈ちゃんがキョロキョロと周囲を見渡す。私と『彼女』も同様に振り向いてあたりを見渡すが、特に変わったところはない。
「気のせいじゃないか?」
「そうかな」
そして、その場はそれきりとして、私たちは再び買物に戻る。
◆
「…ええ、分かっております。全て順調に」
男は携帯電話の通話を切る。手櫛で白髪の混じりのオールバックを整え、黒の革靴でカツリと小気味の良い音を響かせて正面を向く。
ブランド物の濃灰色のスーツを着こなす堂々とした態度は、この場にいる集団においての彼の地位を表しているのだろう。
目下では防毒マスクをして白衣を纏う男たちが忙しなく台車を使って機械を運び込んだり、中央の呻き声を漏らす黒いシートに包まれた何かに電極を取り付ける作業に没頭していた。
白衣の男の一人が鉛の箱で厳重に封印された何かを運んでくる。先ほどまで冷却されていたのか、箱からは白いもやが立ち、下の方に流れている。
厳重に何重にも保護する手袋で包まれた手で、箱が開けられ、透明なシリンダーが取り出された。
シリンダーに封じられているのは、まるで紫水晶のような色合いの、金色の文字のようなものが踊る宝石板。
「あと20分以内に実行する。急げ」
◆
「なるほどなるほど…。んじゃ、アタシ、他に用事があるから、あばよっ」
エルフさんは逃げ出した。脱兎のごとく、後ろを振り向かず。そう、自由になるのだ。逃避は悪ではない。その先に新しい可能性があるかもしれないのだ。
「知らなかったの? 大魔王からは逃げられない」
しかし、エルフさんは回り込まれてしまった。コマンド?
「や、止めろ、アタシはそんなの買う気なんてねぇんだ!」
「いーじゃない、アレなんてすっごい可愛いよ!」
「いたいけな幼女にたいする虐待だ!」
「失礼ね。愛でているだけだわ」
さて、今ここにいる場所には、無数のカラフルな布切れが展示されている。布切れである。そんなものでどうやって身を守るというのか?
ビキニアーマー? そんな不合理なものは認めません。いや、まあ、私が着たことないだけで、南方のダークエルフとかは着たりするらしいけれど。
だいたい、なんだよアレ。ヒモじゃねえか。あんなの、ボンキュッボンな奴が着ればいいだろ? アタシみたいな幼児体型には似合わねぇよ。
「でも、貴女、水着持ってないでしょ?」
「持ってないけどさ…」
「私のお下がりの水着なんて着ないでしょ?」
「そりゃ着ねぇけどさ」
「暑いし、プールとかにも行きたいでしょ?」
「そりゃ行きてぇけどさ…」
「水着回は必要でしょ?」
「そりゃ必要だけど…、ん?」
おかしい、何か全く関係のない事に同意したような気がする。そうだ、水着回ってなんだ。そんなものマンガやアニメならともかく、現実には必要ないじゃないか。
「くっ、危うく騙されるところだったぜ」
「ちっ」
「おい、今舌打ちしただろうっ」
最悪だ。我が幼馴染みにして、昔はそういう関係だったこともあるけど、相変わらず性格悪いなコイツ。
よく男の子が好きな女の子に意地悪するっていうパターンがあるけど、私たちの関係は全く逆だったし。
ショートケーキのイチゴを確実に奪い、偽の情報で恥をかかせ、ボードゲームとかでアタシを集中攻撃してくるのは当たり前。
…ほんとうに、なんでこんな奴と付き合ったし私。
横では春奈がお腹を抱えてクスクスと笑っている。
「佳代子おねえちゃん、ルシアちゃんのこと相当大好きだよね」
「この虐めを見て何故そんな結論になるのか」
「だって、お姉ちゃん、好きな子しか虐めないし。しかも、他の子が自分のお気に入りの子を虐めるの大嫌いなんだよね」
わかるわ。カヨのお気に入りに手を出すなというのは、彼女との付き合いのある人間たちの暗黙事項である。
お気に入り同士のじゃれ合いなら許すが、そうでなければ壮絶な報復をするらしい。半ば伝説になっている話もいくつか。
例えば小学校の頃、クラスメイトらが囲む教室で、机の上に足を組んで座るカヨに泣きながら謝罪する女子たちを見たことがある。
うん、あの公開処刑は怖かった。あの見下したような目が特に怖かった。おしっこちびるかと思った。なお、後藤はナニカに目覚めたらしい。
「まったく、失礼ねあなた達」
「どの口が言うのか…」
「ふふ、まあまあ。ルシアちゃん、ちょっとこれを見て」
おもむろにカヨがスマートホンの液晶画面を私の顔の前に。そこには、そこには、水溜まりの周囲をクルクルと上機嫌にステップするエルフ耳の少女の姿が。
「ふふ、良く撮れてるでしょ?」
「はわ…はわわわわ」
「ねー、何それ、何してるのー?」
「後藤のクソ野郎がぁぁぁぁぁぁ!!」
どう考えても先日、アイツに見られたアタシの姿です、本当にありがとうございました。
アイツ、マジでカヨに動画送付しやがった。何に使われるかなんて知ってるだろうに。
「さあ、ルシアちゃぁん、選択肢がありまぁす。着る、着ない。貴女の自由意思を尊重するわぁ、ウフフフフ」
カヨはパッと液晶画面を消し、私の顔を覗き込んでくる。壮絶なドS顔である。どう考えても無抵抗な人間をいたぶる時の悪役のゲスい笑みである。
「なになに、お姉ちゃん、見せてっ」
「ふふ、ダメよ。でも、ルシアちゃん次第かしらねぇ」
くそっ。何が私次第だ。とはいえ、選択肢はないに等しい。他人から与えられる選択肢なんて、だいたいそういう類のものだ。
今の私のこの苦悶に耐えるぐぬぬ顔も、このサディストには甘露以外のなにものでもない。というか、現在進行形で歓喜に打ち震えるゲスい顔になっている。
その顔、放送禁止レベルですよ佳代子さん。小さい子供が見たら泣きますから。大きいお友達だって泣きますから。
「わ…、分かった…、着れば、着ればいいんだろ……」
「素直な子は好きよ」
「てやんでぇっ、好きにしやがれこんちくしょうっ!!」
そうして、悪態をつく私の運命は決定した。カヨの口が三日月状に歪んだ。
◇
「いやあん、ルシアちゃん可愛いっ」
「子供っぽくねぇか?」
「そうね。でも、タカシ君なら涎を垂らして喜ぶわよ」
少し子供っぽい、レース状のフレアスカート様の飾り布のついた、淡い緑色の水着。カヨはクスクス笑いながら私を携帯で撮影し、春奈は可愛いしか述べない何かだった。
私の容姿が金髪北欧系の洋ロリのおかげで、周りの女性客の視線も集まる。店員さんも既にノリノリだ。ダメだコイツら、なんとかしないと。
ビキニタイプ、ワンピースタイプ。パレオにショートパンツ風。青や緑、赤やピンク。お前らもう選ぶとかいうより、着せ替えて遊んでないか?
「ふふ、鼻からパトスが溢れそうだわ」
「満足気な表情しやがって。アタシはげっそりだぜ」
「おかげで、携帯のメモリーも溢れ出しそう」
「消せよ。さっさと消せよ。あの動画ごと全部」
「そんなこと言ってー、ルシアちゃんも途中からノリノリだったじゃない。ポーズとったりさ」
うん。途中からもうどうでも良くなっただけなんだ。言われるがままに悪ノリして、セクシー(笑)なポーズをとって、媚びた表情とか作ってさ。
だから、冷静になった今、こう思うんだ。その写真のデータを今すぐ消してくださいお願いします何でもしますから(切実)。
「んで、どれが一番良かった」
「これとか?」
「そのデータ、後で絶対消せよな」
スマホの液晶に映る、クマさんがプリントされたワンピースタイプ。死ねばいいのに。私の目から光が失せたので、カヨは冗談よと笑いながら写真を切り替える。
「これとかはどう?」
「悪くないわね」
黒の縁取りの白いワンピースタイプ。サイドにリボンがついて、白地に猫の足跡をイメージしたプリントが描かれている。
「これも似合うよね」
「活発なこの子に良く似合ってるわ」
ジーンズタイプのショートパンツで構成されたビキニタイプ。胸を寄せるようなポーズをとっているが、寄せるほどの胸は持ち合わせていない。
「あ、アタシはこれが…」
「却下」
爽やかなパステル調の緑色のワンピースタイプは素気無く却下される。おかしいな、私の水着選んでるんやよね? なんで私に決定権がないん?
「これもいいわね」
「うんうん」
紫を基調とした、鮮やかな複数の色を用いるレース生地をふんだんに使用したビキニタイプ。派手ではなく、かといって地味ではない。
そんな風にいくつかの水着の候補が選ばれる。私はもういろいろ面倒になって、それらを大人買いしてしまうことにする。資産はあるのです。
「すごい、全部買っちゃうんだ」
「ふふふ、もうどうにでもしろってんだ。メイド服でもなんでも着てやんよ」
「言質はとったわ」
「え?」
不安なる一言、不安に身を震わす。しかし、すぐにカヨは春奈の方に振り向いて、ニタァと笑い、肩を掴んだ。ターゲット変更ですねわかります。
「じゃあ、次は春奈ちゃんね」
「ほぇ…?」
「そうだな。次は春奈だな」
「え、ちょ、まって、それ紐じゃっ? いやぁぁぁぁ!?」
そうして私たちはイヤイヤと首を横に振りながら懇願する春奈を、試着室へと連行するのであった。おうふ、コイツ本当に乳でかくなったな。
「さあ脱げ。さもなければ貴様の無駄にデカい脂肪の塊を揉みしだくぞゴラァ!」
「やっぱり、胸の大きな子は見栄えがするわぁ」
「じ、自分で脱ぐからぁっ」
この後、無茶苦茶着せ替えした。
◇
さて、水着コーナーから離れ、時刻はおおよそお昼近く。どこかで何か食べようと、飲食店が集まる場所へと移動を開始。
ちょうど私たち以外の人間たちも同じように考えたのか、ファーストフード店などには行列が出来はじめている。
「何食べよっか。お腹すいちゃった」
「あれだけはしゃげば腹も空くだろうさ」
「そうねぇ、サンドイッチとかどうかしら?」
「アタシはいいぜそれで」
ランチにサンドイッチとは実に女子らしいチョイス。まあ、今の私はその女子であるので、それに特に不満はない。
男だった頃はもっとガツンとしたものを食べたがったはずだけど、食が細くなった今ではこの有様である。
お好み焼きとか焼きそばは青ノリが歯について女の子的な意味でよろしくない。ラーメンなんかの汁ものも、スープが跳ねるから危険だ。牛丼も女子的な意味でなかなかだ。
私は一向に気にはしないが。
向こうのご飯はこの世界ほど多種多様ではないので、こちらの世界の食事は楽しい。
向こうの世界では食肉用に品種改良され肥育された動物の肉なんて食べる機会に恵まれないし、冷凍技術も普及してないから新鮮な海の魚なんてなかなか食べれない。
野菜だって季節のモノだし、調味料は種類が限られて、香辛料の値段は安くない。特に甘味の類はなかなかの値段になる。
まあ、それはそれとして、私たちは全国にチェーン展開するサンドイッチを売りにした店に並ぶことに。
「アタシ、アボカド食った事ないんだよな」
「美味しいよ。海老とよく合うの」
「サーモンとも相性がいいわね」
というわけで、目当てはアボカドを使ったサンドイッチ。そんな風に決めて、その後、ぺちゃくちゃと駄弁っていると、
「っ!?」
唐突に、まるで世界が別のモノに切り替わったような違和感を覚えた。私は違和感が来たと思われる方向に振り向き、警戒しながら睨みつける。
「ルシアちゃん、どうしたの?」
「またかよ…、マジで嫌になるな……、クソッ」
悪態をつく。初日に二日目、そしてこれだ。ここまで同時多発的に巻き込まれるのは初めてだが、どちらにせよまた二人を巻き込んでしまった。
しかも、今回は文書災害ではない。人為的に引き起こされた、無差別テロ攻撃に分類されるべき事象だ。
まさか、こんなバカげた事をしでかす奴がこの世界にいるとは思わなかった。いや、そんな技術がこの世界にあること自体、想定なんてしてなかった。
甘かったとは言わないけれども、酷い自己嫌悪に陥りそうになる。
「あ、うぁ…」
「春奈ちゃん!?」
突然、春奈がうずくまる。胸を押さえて、ヒュウヒュウと喘ぐように速いペースで呼吸を繰り返す。過呼吸だった。
周囲でも同じような症状を呈する人たちで溢れる。視界に移るすべての人々が、うずくまったりバタバタと倒れ込んでいく。
どうやら、落ち込んでいるヒマなんてないらしい。
「春奈、落ち着け」
私は春奈の背中を右手で触れて、魔法を使用する。すると、呼吸がゆっくりになりはじめ、症状が収まっていく。
「はぁ…、はぁ…、なに、なんなのこれっ!?」
「落ち着け…、って言っても無理か」
真っ青な顔になっているカヨにも同じような術式を組み込む。対症療法なので、原因を何とかしなければ根本的な解決にはならないけれども。
周囲で次々と自動車の甲高いブレーキ音が響き、その後に心臓が飛び出すような衝突音があちらこちらで連続する。
効果範囲は少なくともこの街区を覆っているのではないだろうか? だとしたら、早く対処しなければ街は事故などで大混乱に陥るだろう。
「な、何が? まさか、また?」
「こいつは文書災害じゃねぇよ。どこかのバカが、文書魔術を使いやがった」
◆
「システム、正常に作動しています」
「効果範囲は予定値の20%超。想定の範囲内です」
「警察と消防が現地に派遣されましたが、渋滞のため現地への到着は1時間後になる模様」
「衛星画像から、現在市内12か所で火災が確認できます。また、暴動・略奪行為の発生を確認」
巨大なモニターには市の俯瞰が映し出され、そこにリアルタイムで発生する様々な事象が表示されていく。
白衣の男たちが別の小さなモニターに映る情報を睨み、経過を解析し続ける。未知の事象に彼らの心は浮足立っているようだ。
中央の呻き声を漏らす黒いシートに包まれた何かには、紫色の宝石板が封じられたシリンダーが取り付けられ、痙攣するように跳ねている。
シートの中にはこの時のために選定した入力装置が入っている。洗脳を行い、身動きを封じ、長時間あらゆる刺激から遮断したことで、その精神状態は限界に達しているだろう。
制御は網膜投影ディスプレイを用い、プログラムを入力していく。宝石板は活性化を始め、表面に映る金色の文字のようなものも激しく移り変わりを始めていた。
「なんだ、テストの時よりも順調じゃないか」
白髪交じりの背の高い男は、満足そうにその様子を眺めた。この分ならば、予定通り目的を達することが出来るだろう。
「それで、撒いた種はどうなっている?」
「今のところ反応は…、っ! 来ました。8番ですっ」
「さて、獲物は釣れるかな?」
◆
「魔術…って、ルシアちゃんの他にも使えるヒトがいるのっ?」
「できる。誰にでもできるんだ文書魔術ってのは。必要なのは妖精文書との相性だけなんでな」
未だ顔色の悪い春奈の質問に答える。情報の隠ぺいは不安を呼び起こす。この状況ではとにかく、正確な情報を。嘘でも安心できる情報を与えなければならない。
カヨはまだ落ち着いている方だが、それでも限界はある。妖精文書の力に人間個人の力なんてタカが知れている。
「今使われてんのは、不安を増大させる感じの干渉だとおもう。ちょっとした不安とかが際限なく大きくなって、パニック障害を誘発してるみたいだな」
「何のためにそんなことを?」
「さて、そいつは分からな…、いや、そうか…。はっ、最悪だなコイツは。連中、文書災害を誘発させようとしてやがる」
「え…、嘘…」
私が視線を向けた先を二人も見て、そして息が詰まるような、悲鳴にもならない声を上げた。前方にあった高層ビルが倒壊を始めたからだ。
「伏せろっ!!」
私は二人を押し倒し、そして魔術的な防御を展開する。
軋むような音、石が割れるような音。ゆっくりと、本当に冗談のようなゆっくりとした速度で建物が崩壊を始める。
ゆっくりに見えたのは、単純にビルの大きさによるものだ。小さなものが落下する速度も、大きなものが落下する速度も同じだから、スケールの違いによる錯覚が生まれる。
そこに何の救いも生まれない。錯覚は錯覚であり、崩壊によって生じるエネルギーが減じるわけではないのだ。
轟音と共にコンクリートの砕けた白い煙が吹き上がり、爆風のように周囲に瓦礫と共に広がる。まるで米国で起きた同時多発テロの画像の様だ。
飛来する瓦礫一つ一つが凶器だ。大きな塊ならば、人間なんてトマトか何かのようにグシャっと潰されてしまうだろう。小さな欠片でも当たればただで済まない。
また、落下の衝撃により周囲の建物もただでは済まない。隣にある複数の建物が倒壊を始め、ドミノ倒しのようにいくつもの建物を巻き添えにしていく。
「いやぁぁぁぁっ!?」
悲鳴。振動。轟音。爆風。視界は白く閉ざされた。