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Phase008『エルフさんは胃が小さい July 14, 2012』



「はふはふ、ずずっ」



およそ18年ぶりのラーメンに夢中のエルフさん。その横で、美少女が一生懸命モノ食べてる構図っていいよねっとかそんなことを考える俺こと後藤隆。



「向こうではラーメン作らなかったのか?」


「豆から作った味噌みたいな調味料があったから、それで作ってみたけど、やっぱ本格的なのはなー」


「へぇ、お前って料理するのか?」



少しだけ意外。俺の記憶では、転生前の目の前の友人は料理をしていたという覚えはない。まあ、調理実習では作ってはいたが、平均的な家事を手伝わない男子レベルだったはず。



「向こうで覚えた。ほら、アタシって魔女の弟子してるだろ。だから、料理当番が回ってくるんだよ」


「へぇ、他にどんなもん作ってるんだ? 米はないんだろ?」


「米はないけど、こっちでいう小麦に対応するやつはあるんだ。そのまんまってわけじゃないけど。だから、パスタとかピザとか、パイなんかかな。キッシュなんかも作るけど。あと、米的な位置にある穀物もあるんだけど、それでチマキとか餅をか作ったりだな」



世界が異なると食材も異なる。こちらの世界でも大航海時代以前は新大陸と旧大陸に大きく分かれた食文化があったことを考えれば当然ともいえる。


しかし、異世界の料理というのも興味深いものがある。西洋の料理と東洋の料理、あるいは南アジアの料理が大きく違うように、向こうの料理も大きく違うのかもしれない。



「考えてみると面白いんだよな。向こうとこっちじゃ食一つとっても大違いだぜ」


「他に違いとかあるのか?」


「どういうわけか、文化的には似てるんだよな。宗教だってあるし…、服も似てるし、法律だってある。まあ、人間自体の形態とか精神性がほとんど同じだからしかたないけど。魔法が一般に認知されてるって違いはあるけどな」



リアルで剣と魔法の世界。とはいえ、魔法の存在は認知されていても、魔法を使える人間はそんなに多くはないのだという。


曰く、遺伝的な適正と、高度な教育を必要とするからで、ルシアは魔法の適正がもともと高いエルフなので、最初のほうはクリアしているとのこと。



「他には…精霊がいるってことぐらいかな」


「精霊ねぇ。ファンタジーじゃ魔力とか精霊とかデフォルトで出てくるけどさ、実際のところどうなんよ?」



椅子に深く座りなおし、水をあおって問う。口の中を覆っていた脂っこさを異に流し込んですっきり。



「どうって?」


「例えば魔力とかな。RPGとかじゃ使い果たしたら魔法が使えなくなったりとかあるけど、実際に使うとかなったらそんな単純なものじゃないだろ?」


「まあな。MPとかそういう単純な量で計るもんじゃねーし。どっちかっていうとさ、エンジンみたいに何ccとか排気量みたいな出力で表したりー。持久力とかも問題になってくるけど」


「何か数値とかで表してんのか?」


「一応な。潜在的な魔力…、出力の個人差は整数倍で表せるからな」


「ふーん?」



分かったような分からないような。整数倍というのは、つまり連続性がない事と同義だ。1.5とか1.7という数値はないという意味になる。


だけど、現実の機械などのエンジンではそういった事はない。出力は小数点以下で常に変動するはずだから、整数倍ということはありえない。



「エネルギーだって量子の世界じゃ整数倍で示されるだろ? まあ個人の魔力の大きさは細胞内のマナ小胞…、細胞内精霊の数で決まるんだけどさ」


「細胞内…? 細胞の中に精霊住んでんのか?」


「ミトコンドリアとかと一緒な」



ルシアさん曰く、精霊さんは元をただせば原始生命から分化した…、人間とかと起源を同じくする生物だとのこと。


ごく初期の精霊、古精霊は原始的な生命としての性質を強く持つので…当時の他の生物と同様に酸素に弱い。


そのせいで酸素を発生させるシアノバクテリアの登場を以って一時的に存亡の危機に陥ったとか。


ルシアはチャーシューを一口かじって、言葉を続ける。



「で、まあそれから古精霊は3つの道を歩むことになる。一つは古細菌みたいに熱水噴出孔とか嫌気条件の過酷な環境で細々と生き残ること。一つは原子で構成する自らの身体を捨てて、霊体だけで身体を構成する純粋な精霊に進化すること。そんでもう一つが―」


「細胞の中に共生すること…ね」


「そゆこと」



細胞内に共生することで、酸素からの直接的な脅威から免れることが出来る。しかし、そのうちに細胞の一部として退化の道を辿っていき、細胞の一つの器官となった。



「んで、魔術師は自分の細胞の中にあるマナ小胞を制御して魔法を使うんだ」



レンゲでラーメン鉢を叩きながら講釈を足れるルシアさんの声を聞き流し、後藤はラーメンを啜る。焦がしバターが香ばしくてよい感じ。



「それと、魔法には大きく分けて二種類ある。一つは自分の力だけでいろいろな現象を起こす魔法。もう一つが、他の存在の力を借りていろいろな現象を起こす魔法。前者には古代語魔術、後者には精霊魔術とか神霊魔術がある」


「前にも言ってたな」


「古代後魔術は全部自分の力でやるから、燃費が悪いし、細かな調整も自分でやらなきゃなんねぇ。だけど、出力とかアレンジとかは自由に出来る。精霊魔術の方は、細かい調整とかは精霊が勝手にやってくれるからコストの割りに複雑な現象とか起こせたりするんだけど、出力も力を借りる精霊の質次第で、起こせる現象もある程度きまった型に収まってる感じだな。自分でやるか外部委託するかの違いみたいな」


「ふうん」


「んで古代語魔術と違って、精霊魔術ってのは術者じゃなくて、精霊に現象を起こしてもらうわけだから実質的に力を運用する主体は術者じゃなくて精霊になる」


「術者は何するんだ?」


「術者は精霊の力を借りる変わりに、精霊の住処を提供すんの。より良い住処を提供できるかどうかが精霊魔術の適正に直結すんだぜ」



人間のような高等生物は生存しているだけで精霊にとって住みやすい場を形成する。場は一種の霊地となり、精霊にとって都合の悪い外部要因を排除し、栄養となる豊富な霊子を提供する。


このため人間を含めた高等生物の周囲には精霊の群落(コロニー)が、体細胞内のマナ小胞と一定の相互作用を持ちながら、その個体独自の精霊相(フローラ)を形成する。



「だから、精霊術で命令できるのはソイツのフローラに居る精霊だけなワケ。当然、おっきくて複雑なフローラを持ってる方が精霊魔術は強くなるんだぜ」


「ふーん」



レンゲでご飯モノを掬い、口に運ぶ。長々とした説明に飽き始め、俺はご飯ものの攻略に取り掛かった。



精霊相(フローラ)を形成する精霊の組成とかは、個人の得意な魔術属性に関わったりするんだけど……何食ってんの?」


「チャーシューめし」



細切れのチャーシューをご飯の上に乗せ、特製の出汁を注いだお茶づけ風の一品。薬味を混ぜ、レンゲで掬う。美味い。


ルシアさんの目に留まる。



「…で、でだ、術は精霊が使うわけだから、簡単な魔術なら術者はほとんどコスト無しで使えるんだけど、あんまり酷使するとフローラから精霊が脱落していく恐れもでてくんの。環境悪い場所から逃げてく感じ。なあ、それ美味い?」


「ワサビが効いてなかなかだな。チャーシューの香ばしさと旨さが、和風出汁のお茶漬けと良く合ってる」



チャーシューめしを口の中にかきこむ。ほお張る。かみ締める。美味い。エルフ耳の少女のノドからゴクリという唾を飲む音が聞こえる。ふむ。



「…そ、それはいいとして、精霊の消耗が大きくなったり、脱落が増えたりすると精霊術の成功率とか出力が目に見えて落ちてくんだ。フローラが一旦崩壊したら、修復には手間と時間がかかるし…、あと肌荒れとか自分自身も体の調子が悪くなってくんだぜ」


「ふぇんひとか?」


「口の中にモノ入れながらしゃべんな。…んで、そうならないようにフローラを維持するのに結構魔力が食われるんだ。結局、フローラの元になる『場』自体が魔術的なモノだから…。なあ、それ美味い?」


「美味いぞ。脂っこいラーメンとの相性も悪くない」


「じ~~」



レンゲの動きを止める。エルフさんの瞳が睨むように俺のレンゲを射抜いているからだ。しかし、視線を茶碗から正面のルシアに移すと、ルシアはとっさにそっぽを向いて興味ないフリをした。



「授業の続きはどした?」


「…あー、えっと、何だったっけ?」


「フローラとかビアンカとか」


「ああ、そうそう、どっちと結婚するかだったよなっ。…アレ?」


「…やっぱ断然ビアンカだろう」


「幼馴染は強しって感じか」


「デボラは?」


「誰それ? てか本当にこんな話だったか?」



超関係ない話に移行。それでもチラチラとルシアさんの目線がチャーシューめしに。ふむ。欲しいと言えばくれてやるのに。


いろいろ考えて、ヘタレて、言い出せないのだろう。



「…欲しいのか?」



エルフさんの長い耳がピコンと上に上がる。何それ可愛い。



「べ、別にそんなんじゃねぇよ…。ちょっと気になっただけだぜ」


「ふうん」



ツンデレいただきましたありがとうございます。説得力は限りなくゼロなエルフさんの言い訳。


というわけで、俺は見せつけるように匙で掬ったチャーシューめしを口にほおばって見せる。



「じ~~」



再び感じる視線。うっわー、ガン見してるよ絶対。つーか、物凄い食べにくい。なんか子供虐めてるみたいだし。


というわけで、視線を少女に向けてみる。



「♪~~ ♪~~」



再び視線を明後日の方向にくいっと向け、鳴らない口笛で誤魔化しきれると思っているエルフさん。実に滑稽である。



「欲しいのか?」


「違うって言ってるだろーが」


「欲しいって言えばやるぞ」


「アタシはそんなにさもしくねぇんだよ」


「つーか、お前も注文すればよかったんじゃん?」


「食いきれねぇんだよ…」



しょぼんとエルフさんの耳が下がる。何これ萌える。胸がキュンときた。ときめいた。なんか、意地でも餌付けしたくなってきた。



「まあ一口ぐらいならやるぞ…」


「だからいらねぇって」


「俺も食いきれないかなって思ってたところなんだよ」


「…そうなのか?」



エルフさんの耳が中ぐらいまで上がる。もう一押しなのかもしれない。全く何をしているんだかとも思うが、萌えるのだからしょうがない。


男だった頃のコイツが目の前にいるならもっと見せつけるように食ってやったんだがと苦笑する。



「ああー、このままじゃ残しちまうかもなー、どうしようかなー、もったいないなー(棒読み)」


「そ、そいつはもったいないよな…。うん、もったいない。しかたねぇから貰ってやるよっ」



エルフさんの耳が幾分か持ち上がる。何これ超可愛い。内心激しく萌える。心の秘蔵画像フォルダーに記録したい。



「ほらよ」



レンゲで掬った一匙をエルフさんに差し出してみる。



「あ~ん、はくっ」



エルフさんが身を乗り出してレンゲにかぶりつく。一瞬くらっと来た。俺はもう本当にダメになりそうだった。もうロリコンでいいや。



「もう一口いくか?」


「っ?」



エルフさんの耳がこれでもかという感じでピコンと上がる。



「最高ですか?」


「最高だぜ…って、どした? 鼻血か?」


「いや、生命の躍動だ」


「大丈夫か? むしろ生命の危機って感じだぜ?」



首を傾げるエルフさん。でも目線はレンゲに固定。



「ほれ、あ~ん」


「あ~~ん。はくっ」



レンゲに喰らいつくルシアたん。かわゆい。


横を通ったアルバイトの女の子が犯罪者を見るような、ゴミを見るような視線で俺を見つめる。でもいい。もう逮捕されてもいい。



「はぁ…はぁ…る、るるるルシアたん、ももももう一口どうだい?」


「おうっ♪」





そして10分後。



「…くそっ、お前のせいでラーメン残しちまうだろうがっ!」


「何その理不尽な怒り?」



ルシアさんはご立腹だった。俺の仕掛けた卑劣な罠により、もうお腹いっぱいでラーメンが食べられないからだ。そういう設定らしい。


…怒っている理由があんまりにもアレなので、俺は生暖かい視線でルシアさんを見つめる。なんつーか、アホ可愛い。



「お前が調子乗ってアーンってやるから…やるから……」



と、何故か少しづつ声が小さくなっていくルシアさん。



「どーした?」


「あ、アタシは…アタシってヤツはぁっ!? よりにもよってお前なんかにアーンされてただとっ!!?」



両手で頭を抱えて首をぶんぶん振るエルフさん。今頃気づいたらしい。というか、俺も親友相手に何をやっていたのか。まあ、満足したけど。



「なんだその今更感いなめない苦悩は」


「不覚、ルシア様一生の不覚」


「お前はいつだって前後不覚だとおもうが?」


「くそっ、大体なんでお前そんなにアーンがナチュラルなんだっ!? 思わず食いついちまっただろうがっ!!」



今度は逆に後藤を顔を赤くして非難し始めるルシアさん。大変恥ずかしがっているらしい。というか、アーンがナチュラルってどういう意味なのか。



「それ、どんな責任転嫁?」


「責任転嫁じゃねぇっ! お前の『あーん』はあれだっ、なんと言うか一切の警戒心を呼び起こさないほどのナチュラルな、つまり『ステルスあ~ん』」


「何言ってるのか全くよく分からん」



というか、『ステルスあ~ん』ってなんなのだろう。レーダー反射断面積が低いという意味なのか。わけがわからないよ。



「くそっ、このルシア様を謀るとは、やるな後藤。お前には今日から『あーんマスター』の称号をくれてやるぜ」



何故か誇らしげに妙な称号を俺につけるルシアさん。そんな称号をもらったところで全く嬉しくはない。



「なんだその称号は?」


「ぐっ、しかしこんなトコ、セティには見せられねぇ…」


「セティ?」


「いや、なんでもねぇ(つーか、コイツにセティのことがバレたらなんてからかわれるか…)」



今度は苦々しい表情に変わり、ルシアさんは呼吸を整え心を静めはじめる。まったく、コロコロと表情が忙しない奴である。笑みがこぼれる。そして、胸の疼きが酷くなる。



「……」


「どした?」


「いや、お前はお前だなって思ってな」



本当に、一緒にいると楽しい。馬鹿みたいで、馬鹿らしくて、そういうのが何よりも良い。だから、無性に悔しくなった。



「やっぱりさ、俺、お前にいなくなって欲しくない」


「な、お、おい…」



顔を真っ赤にして、耳を真っ赤にして、照れて恥ずかしくなって俺から目を逸らすその仕草は懐かしい。


まあ、今の俺のセリフがどこか告白じみたものだったので、そういう反応になったのだろうけれど。


いや、自分でやってて、俺何言ってんだろうって思うけれど。



「ま、まあ、アタシは超美少女だしなっ。お前がそう思うのは無理もねぇけど」


「ふざけて言ってるわけじゃないぞ。お前がどんな風になってたって、お前がお前なら、俺はそう思う」


「…な、なんだよ。つーか、さっさとメシ食えよ。ラーメン伸びるぞ」


「いいんだよ、また食いに来ればいい。なんなら、今度は佳代子とかも一緒に来ればいいだろ」



ラーメン屋には悪いけれども、今はそれよりももっと大切な事がある。ラーメンはまた食いに来ればいい。でも、コイツとはもう二度と会えなくなるかもしれない。



「お前にも事情があるんだし、無理言っているのも分かる。けど、俺たちにも俺たちの想いとか…、まあ、そういうのがあるんだよ。佳代子もそうだ。だから、難しいだろうけど、これっきりにはしたくない」


「……」



ルシアは俯いて黙り込む。迷惑だっただろうか? 18年の年月だ。俺たちの3年とは文字通り桁が違う。


絶望的な距離と時間は、俺たちの関係をも無かったことにしたのだろうか?


もしそうなら仕方がないのかもしれない。これは俺の我儘でしかないのだし、気持ちの無い相手に強要するようなものではない、してはならない。



「いや、別に向こうに帰るななんて言ってるわけじゃ…」


「……だって…」


「ん?」


「…アタシだって、アタシだって離れたくないに決まってるだろうが!」


「あ…、すまない」



それは、悲痛過ぎた叫びだった。誰にも叩きつけられない憤りと、自由にならない苦しみがない交ぜになった慟哭。俺は思わず、先ほど思っていた思考を恥じた。



「謝んな! お前らは悪くないだろう…。危ない目に遭わせたのも、変な期待とか持たせちまったのも、全部アタシが帰りたいなんて馬鹿な事考えなきゃ起こらなかったんだからな」


「変な期待…? ざけんなっ、怒るぞ俺も!」



確かに危険な目に遭ったけれども、それはコイツのせいじゃないだろう。それに、俺たちの想いを《変な期待》だなんて表現はしてほしくない。あまりにも悲しいじゃないか。


そもそも、ただ帰りたいというそれだけの願いはそんなに罪深いものなのか? 誰にも阻まれているわけでもなく、ただ何か良くない事を引き起こすかもしれないからといって。


そんな言い方に俺は怒りを覚え、声を荒げて席を立ちあがった。そしてすぐに周囲の目が集中した事に気付いて、周囲に軽く頭を下げて座りなおす。


少し間を置いて、ルシアはしおらしく耳を垂れ下げて、目を逸らしながらも俺に謝罪を口にした。



「……ごめん」


「…悪い。こっちも興奮しすぎた」



別に喧嘩をしているわけではない。別にコイツを責めているわけではない。ただ、何か得体のしれない大きなモノの前で何もできないという事実にイラついただけだ。



「私はただ帰りたかったんだ。もう一度だけ、一目だけでもいいから、生まれ故郷を見たかったんだ」


「そうか」


「ホントはさ、アタシ、こういう事になるってのは予想してたんだ。予備実験じゃ一度も地球に辿り着けなかったのに、本番でドンピシャこの街とかさ」



以前にも言っていた話。ここに来る前に行った、幾度もの世界を越える実験。そこでは一度たりとも地球を光学的に捉えられる距離に到達することは出来なかったという。


本番前に行われた予備実験では地球から465億光年よりも遥か彼方の虚空にしか転移できなかったのに、本番ではこの街に一発で転移できた。これが偶然であるはずがない。


それをコイツは《呪い》だと言い切った。持ちこんだ宇宙空間で2ヵ月間漂うための装備が全部無駄になったと笑いながら。



「いつものパターンだから、今回もダメなのかなって思ってた。案の定、お前らいきなり文書災害に巻き込まれてたしさ」



あの場所にいた10人以上の人間が消滅し、街中に巨大な穴が発生した事件。公には道路陥没と行方不明とで処理されたが、俺たちは見ていた。


あの場に現れた一人の男が、その手で触れたモノを消し去っていく光景を。唐突に大地がお椀状のクレーターに抉られて、そこに落下した俺は気を失った。



「でも、またお前らに会えて嬉しかったんだ。本当はすぐに姿くらまそうって思ってたけど、ズルズルとさ」


「仕方ないだろう。俺がお前と同じ立場なら…って、おいっ!?」



まるでそれが懺悔のようで、聞いていられなかった俺は下手な慰めを言おうとして、絶句した。


何を思ったのか、ルシアは何の脈絡もなく割り箸をその先端を喉に向ける形で両手で持つと、全力で自分の喉を突こうとしたのだ。


俺は焦って止めさせようと思ったが、次の瞬間、目の前の事に理解が及ばなかった。


先ほどまで確かにそのままあったルシアの手の割り箸が、握った手の中で綺麗に折れて落下し、ルシアの喉には傷一つつかず、拳だけがぶつかった形となった。



「ナイフでもこんなんだ。自殺は必ず失敗するらしくてさ。焼身しようとしたって、勝手に火種が消えるんだぜ。すげぇだろ。主人公補正なんて目じゃねぇぜ」


「お前…」


「死にもしなけりゃ歩けば不幸を撒き散らすって、疫病神そのものじゃねぇか。マジでバカみたいな話だろ?」


「やめろよ。そんなこと言うのはやめてくれ」



ろくでもない話だ。気分が悪い。そんなワケの分からない呪いだなんて、そんなの人間の手でどうにかなるとは思えない。


どれだけ大丈夫だと勇気づけたくても、口だけでなにもできやしない。呪いから解き放つ方法も、危険から自分の身を守る自信もない。



「いつ…だ?」


「今すぐにでも」


「明日の約束はどうするんだ?」


「それは…」



明日の日曜日、コイツは佳代子と一緒に買い物に、携帯電話を買う約束をしていたはずだ。


佳代子は楽しみにしているようだったし、俺はまあ空気を読んでついてはいかないけれども、それでも、それぐらいは…


すると。見つめる先の少女が頬を赤らめて困ったような顔でそっぽそむいた。



「…しゃあねぇな。そのぐらいなら」


「そうか」


「お前は来ねぇの?」


「止めとく」


「そっか」



こんな事ぐらいかできない。それでも、突然いなくなられるよりはマシだろう。



「なぁ、今の、もうすぐ向こうの戻るって話だが。佳代子には…」


「アタシから話すよ。日曜の最期にさ。それぐらいはしねぇと」


「そうか。朝帰りしていいんだぞ。海の日で連休だからな」


「しねぇよ!」



そうして顔を見合わせてケラケラと笑う。何の解決もしていないけれど、それでもしみったれた空気が少しばかり晴れたような気がした。


そして少しばかり冷めたラーメンを改めて啜る。ツルツルと麺を啜っていると、それを隣の幼女が「む~」という感じのしかめっ面で見つめてくる。



「なんだ?」


「いんや。なんて言うかさ、男ってたくさん食えるよなーって思ってさ」


「そうか?」


「アタシ、タダでさえ身体ちっこいからさ、胃が小さいのなんの」


「まあ、これだけラーメン残してたらな」



半分以上残している。もったいない。昔のコイツなら俺と同じぐらいは食っていたはずだ。どちらがたくさん食べれるかなんて張り合ったこともある。



「男だったときが懐かしー」


「そんなものか?」



だらーんとやる気なさげに椅子の背もたれに体を預けるルシアに問う。


男から女になるというのはピンとこないけれど、佳代子あたりを見ていたら女というのが面倒くさいというのはなんとなく分かる。



「ん~、まあ、他にもいろいろなー。別に嫌ってわけじゃねぇけどさ。女だからこそってモンもあるし。でもまあそういうのも含めて、オンナってやっぱ面倒臭いぜ?」


「らしいな」


「体力ないしー、背とかちっさいしー、侮られるしー。あと男のときなんて身だしなみとかほとんど気にしてなかったけどさー、女になると朝とか起き抜けで出てくとか出来ねぇじゃん?」



干物である姉貴ですら、出かける前には結構な時間をかけている。女というのは色々とデリケートで難しいものなのだろう。


佳代子も準備には時間をかけるし、男よりもはるかに多く身嗜みのために色々と散在する必要もあるはずだ。


ところで、ふと気になったことが。



「そーいや、お前、生理とか来てんの?」


「ぶっ! 何だそのセクハラ発言。最悪だ。何でカヨと付き合えたんだろコイツ」



ジト目で睨むルシア。いや、まあ、デリカシーのない質問だから普通の女子にはなかなかできない質問だが、まー、コイツならセーフかなっと。



「やっぱTSモノなら避けて通れない道だろう?」


「人を何だと思ってやがる」


「萌えキャラ?」


「死ね」



呆れ返るルシアさん。冷ややかな視線を送ってくる。やめろやい、気持ちよくなっちまう。反応が面白かったので、もう一度突っ込んでみよう。



「んで、実際どうなんだ?」


「まだ聞くか…呆れてモノが言えなぇぜ」



溜息交じりにヤレヤレと首を振るルシアさん。コップの水を一口。ふむ、答えられないという意味だろうか。となると、



「言えないってことは、まだ来てないとか?」


「ぶーーっ!!」



吹く。虹がかかる。つーか、顔にかかっただろうが。美少女の吐き出した水とか二次元ではご褒美だけど、三次元では汚いなやっぱり。


おしぼりで顔をふく。



「てめっ、真っ昼間から大声でなんてこと言いやがるっ!!」



周囲から少女に視線が集まる。『ソーカー、マダキテナインダー』的な。うん、まあ、あれだ。人それぞれっていうからな。



「そうかそうか。うん、悪かった。妙なことを聞いたな」



とりあえず、やはりデリカシーが無い質問だったと反省すべきだろう。悪い事を聞いてしまったと思い、思わず気まずくなって視線を逸らしてしまう。



「てめっ、何を勝手に自己完結してやがるっ!? いや、まあ、確かに来てないけどさ……」



頬を紅潮させて怒るが、尻すぼみになっていくルシアさん。うん、まあ、ほんとうにスマン。これは佳代子にバレたら殺されるじゃすまないな…。



「あー、この事は佳代子にはいうなよ。な?」


「言うか! ったく、この変態は…」



まあ、こういう奴だからからかい甲斐があるのだけれど。とはいえ、佳代子には話さないのなら安全安全。


よぅし、もう少しこの可愛らしい顔をセクハラで紅潮させて遊んでみよう。



「いやー、しかしマダなのかー。いやあ、予想を裏切らない結果ありがとうございます。ありがとうございます」


「まだ言うかコイツ…」


「だってさー、合法ロリで生理まだとかこれなんてエロゲ状態だろ?」



プルプルと赤くなって震えだすロリエルフ。うむ、この辺りで止めておくべきだろう。紳士は引き際をわきまえるものなのだ。



「そーいえばさー、この前やったエロゲでエルフさんには生理周期に合わせて発情期があるってゆー設定があったんだけどその辺どうなってんのエロフさ――」



  ― ブチッ ―



そしてその瞬間、目の前のエルフさんの心の中から、理性とか堪忍袋とか自制心とか、そーゆーのが一斉に分断される音を聞いたような気がした。


うん、引き際間違えた♪



「…少し、頭冷やそうか」


「って? ギギギギギギギギッ!?」



アイアンクロー。ルシアさんの怒りの右手が唐突に俺の顔面を鷲摑み。細腕に関わらずその握力は万力のよう。流石はファンタジー帰り。


痛みに喉を潰したような声しか上げられない。わお、これこそ肉体言語による会話。OHANASHI。



「言い残すことは…?」


「まっ、待てっ、モチつけっ! 話せば分かるっ」


「……」


「ちょ、ちょっと調子に乗りすぎただけなんっす。マジで反省してるっすっ」



割と本気度の高い怒りを笑顔として顔に出すエルフさん。笑顔って攻撃的な表情なのね。ともかく俺は下手に下手に出て機嫌を取ろうとする下っ端モード。


流石に変態紳士とはいえ、命まで投げ出す愚は犯せない。功を奏したのか、顔面に食い込むルシアさんの指の握力が弱まる。


ふふ、バカめ。こんなんだからコイツは付け込まれるのだ。



「で、それでですね、最後に一つだけ…」


「?」



俺はゴマをするように、ワザとらしいほどの猫背になり上目遣いでルシアの様子を伺いながら言い放つ。こいつがラストだ喰らいやがれ。



「…まだキてないってことは、いくらヤっても安全なんですね分かります!!」


「……」


「でも、生理来てないと性欲とかないのか? ねぇ、エルフに発情期とかあるん?」



やっぱり、変態は変態でしかないのです。変態紳士たるもの、セクハラは命を賭して行うモノ。投げ捨てるものなのです。


耳を真っ赤にしてフルフルとルシアさんが震えだす。可愛い。ルシアたん合法ロリ可愛い。



「えっ、やっぱ発情するのっ? すっげ、それなんてエロゲ―」


「…契約しよう。おまえを生きたまま、少しずつ、高熱で熔かすように咀嚼すると」


「ひっ」



俺は見た。鬼を。すげぇ、赤い気炎が立ち上っているかのようだ。この絶体絶命の状況下、しかし、それでも、俺は――



「だがっ! 引かぬっ! 媚びぬっ! 省みぬっ! 発情した時のエロいルシアたん見てみたいぃぃぃっ!!」



変態の火は消えることなどないのだ!!



「審判の日だ」


「―――――っ!!?」



アイアンクローwithサンダーボルト。脳に伝わる素敵な刺激。過剰なセクハラは正義によって裁かれる運命にあった。


良い子のみんなは真似するなよ♪









「随分と派手に動き出してくれたものだ」


「僥倖、舞台は絞られた」


「この世界の住人は大迷惑だよ。平和な日常が一転、人類存亡の危機だ」



白髪の老人は黒革の大きな椅子に背中を預け、呆れたように目の前の話し相手を睨みつけた。だが、その話し相手は動じることはない。


いや、そのような機能は存在しないと言った方が正しい。赤い色をしたウサギのヌイグルミでしかないのだから。


かわりに、その喋る奇怪な顔をしたヌイグルミを抱いてソファに座る幼いブロンド髪の少女が首を傾げて反応した。



「おじい様、困ってる?」


「いや…、さしたる障害にはなるまい。一両日中には、この茶番も収まる」


「当然、この私が手を貸したのだから」


「……契約は果たそう」



目蓋を閉じれば、この半世紀の月日が一瞬で流れ去る。あらゆるものを失った自分が手にしたのは、悪魔との契約だった。


自分は多くのものを得た。新しい家族、使え切れないほどの富、多くの人々の人生を左右できる権力。


熱帯の泥に沈んで死ぬはずだった私が、映画で見たような成功者たちがふんぞり返るような部屋で、多くの人間に指示を出す立場にある。


落伍者には分不相応な人生だ。ならば契約は果たされなければならない。おそらく、これが自分の最後の仕事となるだろう。


リスクはあまりにも大きいが、上手く乗り切れば、最小限の被害に抑えることも不可能ではない。いや、家族を守るためにも、私は乗り切らなければならない。


この規模での異変と、そして舞台の発覚は、自分を誘うための兆しに違いない。そして、私たちはこの誘いに乗らなければならない。


乗らなければより大きな災厄がこの世界を襲うだろう。最悪、この惑星が塵芥と消えるなどという非現実的な行く末すらあり得るのだから。



「日本か…」


「どこにあるの?」


「ここだ」



傍に寄ってきた少女のために地球儀を回し、大平洋という巨大な海洋を挟んだ祖国と向かい側にある弧状列島を指差す。


特に思い入れのある国ではない。オキナワの土を踏んだことはあるが、記録に残ってはいても、記憶には残っていない。


ましてや、舞台となるのはこの国の都市部にほど近い街だ。行った事も見たこともない。ただ、偶然にしては出来過ぎているが、その街にはこちら側の足がかりがある。



「都合の良い駒がこの国にもあったはずだ。近々、報告書が上がってくるだろう」




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