Phase007『エルフさんはラーメンも好き July 14, 2012』
雨。
この国の夏の始まりを告げるこの時期、梅雨などと呼ばれるこの季節は長雨が多い。曇天が続き、湿度が高く、これを好む人間は多くない。
しとしとと地面を叩く雨音のリズムと、雨の日の特有の匂い。視界は霞み、世界はモノトーンに近くなる。空気も重い。
湿度が高くて、洗濯物が乾かない。あと一週間もすれば明けるだろうけど、誰もが早く過ぎ去る事を望んでいるけれど、それでもこの国にとっては必要不可欠な天の恵み。
個々にとって都合の悪いモノでも、全体にとって必要だというモノはよくあることだ。税金や義務教育。挙げればきっと枚挙が無い。
雨は嫌いではない。狩猟民族であるエルフにあるまじき事だが、個人の好みなので仕方がない。
何故か安心できる。雨音のリズム。匂い。世界が静寂に包まれるような。空が低いことだけが難点だが。
傘をさして建物から出る。街には色とりどりの傘が咲き、雨の日を彩る。向こうの世界では見られない光景だ。
「ちょろいぜ」
ルシアは封筒から頭をのぞかせる札束を指ではじく。札束を手に悪い顔でニヤリとする幼女というのは、物凄く犯罪臭がして絵にならない。
俗世に汚れていくエルフを、雨は決して洗い流してなどくれない。傘をさしているからだ。
出てきた建物は宝石を扱う店舗だ。魔法とはかくも偉大であり、精密な検査機器ですらも天然のそれとの違いを判別できないほどの人工宝石を造りだすことができる。
科学的な手段では天然の宝石としか判別できないのなら、この世界においてそれらは間違いなく天然石として流通するだろう。
炭素やアルミニウムの塊が大金に変貌。バレなきゃ犯罪にはならないのである。法治国家万歳。
私は上機嫌で水溜りを避けながら踊るようなステップで雨の街を闊歩する。かつての「彼」だった頃はそんな少女趣味なことなどしなかったはず。
いや、まあ、アスファルトの上の白線とか歩車道を分けるためのコンクリートブロック以外を踏んだら死ぬ的な設定を勝手に作って歩いたことはあったけれども。
それはともかく、「彼」は実に模範的な子供だった。
幼馴染みや友人にかこまれ、非行に走るわけでもなく、勉強は好きではなかったが、かといって毛嫌いしたわけではなく成績は良い方だった。
特別な才能に恵まれたわけではなく、特別不幸な境遇というわけでもなく、ごく普通の家庭のごく普通の少年だった。
まあ、それは本人の主観であって、実際にはライターからガスを抜き取り、それを連結したアルミ缶製の円筒に詰め、出来損ないのバズーカを作って喜ぶクソガキであったわけだが。
ガス爆発ですごい音が出て、電気式で遠隔操作で起爆してなきゃ大怪我してたな。
なお、そのあと滅茶苦茶大人に怒られて三日だけ反省した。反省内容は今度はもっと上手くやろうということだけだったが。
閑話休題。
生まれ故郷を歩くと色々な事を思い出す。
公園の滑り台、逆走して上に登る遊びをしていたら、途中で足が滑って逆さまに滑って落ちて地面に頭を打った。カヨに思いっきりバカにされた。
テニスコート、の周りを囲うフェンスに登って雄叫びを上げたら大人に怒られた。カヨに思いっきりバカにされた。
近くのゴルフ場に落ちていたゴルフボールを大量に集めてカヨに自慢したら、冷ややかな目で褒めてくれた。その後、家に持って帰ったら親にさっさと捨てて来いと怒鳴られた。
セミの抜け殻を集めて、嫌がる妹に近づけてからかっていたら、カヨに取り上げられて踏みにじられた。
アイツ、あの時、絶望に打ちひしがれるアタシを見て思いっきり悪い笑顔になってたな…。
あれ? ろくなことしてねぇなアタシ。
あそこはあれだ。雀の雛が地面に落ちているのを拾って、どうにかできないかとカヨと妹で頭を悩ませた並木だ。
結局アタシが育てることになって、色々図鑑とかひっくり返して試行錯誤して。あの雀、結局何も礼もせずにどっか飛んで行ったな。つづらとか貰えなかったし。
そんな風に、繁華街から馴染みのある住宅街へ。
本日は単独行動。一匹狼ならぬ一匹エルフさん。いや、念のため言っておくけど、エルフの数え方は1人2人なので。
まあ、現金を得るための生臭い行為に連中を連れ立つ意味もないので、一人旅なのである。後藤もいつも自分の部屋に幼女がいては都合が悪かろう。健全な青少年的な意味で。
「あ、虹」
いつの間にか雨が止み、前方には天に大きな弧を描く鮮やかな弓。左の先端を地上に降ろし、右の先端は中空で掠れ見えなくなっている。不完全な半円。
――駆け出したくなる。
傘を閉じてステッキ替わり、少しだけ速足。小さな水たまりはスキップで飛び越え、大きな水たまりは避けてクルリとステップアンドターン。
ターンすると、ふわりとスカートが遠心力と空気を含んで広がり円錐状に。スーフィーの回転舞踏みたいで上機嫌。両手を広げてそれっぽく。
子供っぽい衝動は体に引き摺られているからか、それともひたすらに自己防衛に勤めた中身が年齢以上に幼かったからか。
そんな理屈っぽい自己分析に苦笑する。信じられるか、こっちと向こうで併せて30年越えてるんだぜ。
――いつまでも成長しないな。
虹の下。まだ暗い雨雲が覆う東の空と、陽光と青空を覗かせる西の空の境界線の天候。虹と言えば…、思い出したのは向こうの生みの母親が枕元でよく話したあの定番の。
「貴女が産まれた年、夜空に大きな虹のベールが覆ったのよ。虹の梯子って呼ばれてて、きっと貴女はその梯子から降りてきたのね」
「夜に虹?」
「そう、バーンていう感じで、ゆらゆらー、って感じだったわ」
「ばーんでゆらゆら・・・・・・」
夜空の虹のベール。オーロラのことだろうか? いや、まあ、ファンタジーな世界だから他の何かである可能性も無きにしも非ず。
いま徐々に消えようとしている空の弓とは異なる天体現象。向こうの世界では、低緯度地域でもオーロラに似た現象が見られることがある。
『虹の梯子』
中天を支配する氷の精霊が引き起こす現象。太陽や銀河中心から飛来する高エネルギー放射線を精霊が減速させる際に起こる制動放射が主な要因になるのだとか。
こちらの世界においてオーロラは天と地を結ぶ架け橋だなんていう伝承が北欧かどこかにあったはず。なら向こうは天国というわけだろうか。
ろくでもない話だ。思わず苦笑してしまう。そういえば北欧では死者は永遠に戦い続けるのだったっけ?
曖昧な知識で確信は持てないでいたが、もしそうなら天国も地獄もさして変わりないのだろう。神様だって怒れば大量虐殺したりするんだし、最終戦争したりするのだし。
そもそも現世でさえ生存競争なのだから、結局はどれも延長線でしかないのかもしれない。
などという高尚(笑)な取り留めの無い思考は車のクラクション音で中断された。
「おっと」
「なにやってるんだお前」
「おあっ?」
通り過ぎていく騒音の元である高級車。踊りに夢中になって交通の邪魔をしてしまったらしい。
そしてそれを、呆れたような表情で我が友人が見ていた。
「よう」
「ななななななんでこんなトコにいる後藤っ!?」
顔が熱くなり、顔が見れなくなる。急いで目を逸らし、この場を乗り切るための方法を考える。
なんで奴がこんな所に? まさか全部見られていたのか? 私が上機嫌に水たまりの上でステップしてたなんて事をこの変態に見られていたのか?
とにかく誤魔化さなければ。他の話題にすげ替えて、今コイツが見たかもしれない事を記憶の奥底に沈めてしまわなかれば。気絶させるか?
「んで、お前…」
「お、お前、こんな所で何やってんだよ?」
「雑誌を買いに出てただけだが」
先手必勝。相手が問いを発する前に、こちらから問うことで話題に上らせない作戦。
後藤は雑誌とお菓子などが入ったコンビニのビニール袋を軽く掲げた。そういや、この辺りにコンビニがあったか。
「なんの雑誌?」
「やれやれ、なんでそんな事が気になるんだ? んん?」
「う、うっせぇ」
くっ、この男、まさか私の意図に気付いているというのか!? バカな。私を手の平の上で転がそうとしているのか? 後藤の癖に。認めん、認めんぞぉっ。
「お前の事だからエロ本じゃねぇだろうな?」
「はっはっは」
「この変態!」
「止めろ、そんな風になじられたら癖になるだろう」
「なるほど、それは問題だな。でも、カヨって基本的に…」
「アイツはドSだしな…」
「だよなー、ほんと、カヨの悪い癖だよなー」
よしっと私はガッツポーズを心の中で。カヨに対する悪口できっとこの変態も今目の前で起きた光景の事など頭の隅に追いやられたはずだ。
このままカヨの事を話題にし続けて、今コイツが見たことも無かったことにしよう。ふはは、どうだこの完璧な知的戦略。インテレクチュアル・タクティクス!
「というわけで、ドSの彼氏である俺は先ほど撮影したこの動画を投稿サイトにアップする」
そんな都合のいい展開はありませんでした。
「止めてくださいお願いします。カヨとかに見られたら、絶対あいつアタシのこと弄り倒すから。ドSだし」
「残念ながら佳代子には送付済みだ。虹の下でステップ踏んでるエルフとか、どう考えても永久保存です」
「消せよ…、消してください。心のフォルダーごと」
「悪いな。もう拡散済みだ。ところでどうだ、これから昼飯一緒に喰うか?」
遅きに失したか…。しかたない、ここはメシを奢らせてこのクサクサした気分をどうにか癒してしまおう。
「ゴチになりやす!」
「…じゃあな」
後藤は黙って踵を返した。おうふ、ほんの冗談だったのに。マネーならいっぱいあるので、別に奢ってもらう必要はないのである。
「待てっ、アタシが悪かったっ」
「誠意を見せろ」
「お兄ちゃん…、ごめんね……」
「グハッ」
上目づかいで、モジモジしながら、甘ったるい声音で精いっぱいの謝罪を表明する。後藤は喀血したようによろめいた。
やはりロリペドである。こうかはばつぐんだ。
「ゆるしてくれる、おにいちゃん?」
「も、も、もちろんだよルシアたん」
小首を傾げて問うと、後藤は快く機嫌を直してくれたようだ。
鼻の下を伸ばして、両手をわきわきとさせて私に近寄り、怪しげな笑みを浮かべながら「どんなものでも食べていいよ」「おにいちゃん張り切っちゃうぞ」などとのたまいだす。
「お、お、お、おにいちゃんが美味しいもの食べさせてあげるからねぇぇぇっ!!」
「わぁい」
両手を上げて、無邪気な笑顔で喜びを表現。ちょろいぜ。これなら奢らせるのも可能だな。美少女は男にたかる権利と義務があるのである。
「るるるルシアたん、何食べたい?」
「ラーメンがいいと小生は思うでありますっ」
Phase007『エルフさんはラーメンも好き July 14, 2012』
あの図書館での事件から二日が過ぎようとしていた。
今は街も平穏を取り戻してはいるが、昨日などはてんやわんやで大変だったようだ。全世界の大都市圏で同時多発的に大規模な停電が発生し、社会は大混乱に陥ったのだから。
俺たちは件の怪物を目撃した関係で警察やらから聴取を受けたり、疫病に罹っていないか検査する羽目になり、学校もまた軒並み休校となった。
混乱は全世界に広がっている。あの図書館で現れた巨大なヘビと同じように、各国で巨大化した動物たちが暴れまわり、大きな被害を出し、そして忽然と姿を消した。
「こんな店できたんだ。へぇ」
「冬に開店したんだ」
「ふうん、美味いの?」
「まあまあだな」
さて、コンビニに雑誌を買いに行く途中にエンカウントしたエルフさんを連れて、俺は一路、最近開店したラーメン屋へ向かった。
レトロでノスタルジックな雰囲気。口コミで美味いという噂だが、まだ行列が出来るほどじゃない…というなんともご都合主義な店。
店の昭和なたたずまいは、どこぞの有名店で修業をしたのだとかいう店主の趣味なのだろう。のれんをくぐると、目に飛び込むのは赤い合板のテーブル。
壁には「ビール」だの「カルピス」だのの日に焼けた昭和の香りプンプンなポスター。手書きのメニューは達筆なのか字が下手なのか判断がつかない。
多分下手なのだろう。
テーブルについて注文を頼む。目の前の金髪耳長ロリはウキウキである。ほほえましい。癒される。おにいちゃんと呼んでほしい。
席に座ると冷水で満たされた透明なプラスチックのコップを配膳するアルバイト店員の女の子がやってくる。スマイル0円。
「えーと、アタシはネギ醤油…、ネギ多めで」
「俺は焦がしバターとチャーシューめし」
「麺の固さはどういたしましょう?」
「アタシは普通のでいいや」
「俺は固めで頼む」
「かしこまりましたー」
店員の女の子が営業スマイルをふりまき注文を受け取る。そこそこ可愛いが、目の前の金髪ロリほどではない。まさに、俺は今、人生最大のモテ期にいる!
向かい合わせで座る少女がコクコクと水を飲む。ゴクゴクではなく、コクコクという擬音が正しい。これ重要。
『スマトラ島に出現した全長50mのスマトラトラは、52の集落を襲撃した後、忽然と姿をけし…』
店の奥、台に置かれたテレビが映すのは、ジャングルを巨大な何かが通り過ぎてできた巨大な道のようなもの。
テレビ番組は先週あたりから2つの話題で持ちきりだ。一つは世界各地で同時に出現した11匹の超巨大生物。
日本ではあのヘビが、アメリカではバカみたいに大きなバッファローが出現したらしい。それらは一通り暴れまわると、忽然と姿を消した。
あの大蛇もまた、死体はまるで嘘のように消失し、混乱に拍車をかけた。そしてもう一つの話題は、
『テロリスト《十二支》についての続報です。日本時間の14日午前2時にホワイトハウスにおける記者会見にて大統領が公式に認めた、テロリストにより世界各国の原子力潜水艦が奪われた事について…』
冗談のような話。核ミサイルを積載した核保有国の原子力潜水艦がテロリストによって奪われ、そして彼らは世界というより人間に対して最後通牒を突きつけたというのだから。
彼らの要求は『人類が進行中の全ての環境開発計画と動物消費の即時停止』。世界最悪の環境テロリズムだそうで、もう現実味すらわかない。
というか、一般市民の俺の守備範囲を大きく逸脱しすぎて、どうしようも出来ないのだから、考えないことにしている。
ちなみに、明らかに関係者な目の前のヘタレは「そーゆーのはアメリカ人の仕事だろ」などとやる気のない様子。
まあ、そんな世界がひっくり返るような事が起きても、ラーメン屋は開いているしサラリーマンは会社に出勤しているので日本人全体がそう思っているのかもしれないが。
「んで、お前の方はあんなところで何してたんだ?」
「マネーだよ。金。こっちでの活動資金が必要だからさ」
エルフさんがおもむろにものすごく分厚い封筒をテーブルに載せた。開け口からは100万ではきかない札束が顔を覗かせている。
俺は義務感を覚えて少女の肩に手を置いた。
「…自首しよう。な?」
「犯罪じゃねぇよ。正当な商取引の結果だぜ」
犯罪者はまずそう言うものである。
「んで、具体的には?」
「そういや、そんな話聞いたな。つーか、俺も行くんだったか」
「外国人登録証明書を役所からちょろまかして…」
「やっぱり犯罪だろうが…。だいたい、なんだったってそんな大金を…」
公文書偽造は犯罪です。ましてや登録原票レベルの改竄は言うまでもありません。写っている写真には耳の長いエルフさんの写真。どこからどう見ても犯罪行為だった。
そのうちパスポートとか偽造するんじゃないだろうか? 少女は苦笑いして偽造文書と金銭をポーチにしまう。
本当に大丈夫なのか俺は訝しみながらも水を口にする。と、ルシアは唐突に真剣な雰囲気を纏う。俺は身構えるように姿勢を正した。
「やっぱ、アタシさ、この街から離れようと思うんだ」
「唐突だな。なんでだ?」
「分かるだろ?」
先の事件の事だろう。直接的にはコイツが原因とは思えない。だが、コイツが言うには文書災害とやらには偶然はあり得ないそうだ。
つまり、コイツは自分がこの街にいたからこの街で事件が起きたと言いたいのだろう。だが、それは本当だろうか?
少なくともあのネズミはコイツが来る遥か以前から準備を整えていたはずだ。それなら、時系列的に矛盾が生じる。
「いや、妖精文書の干渉は因果を無視して、時間を越えて機能するんだ。例えば、必要な規模の妖精文書が今ここにあるなら、それを使って数百光年離れた恒星の超新星爆発の光を見ることが出来る」
ルシアは語る。本来なら今ここで数百光年離れた星を爆発させても、星の終わりの光が地球に届くのは数百年後になる。
しかし、妖精文書の干渉は時間を越えて因果を越える。星の終わりの光は今すぐに地球に届き、昼間でも見て取れる光源を天空に生み出すことが出来るだろう。
「だから、あの事件はアタシのせいだ」
「前にも話したぞ。俺と佳代子はそれでも…」
「春奈は…春奈からはその言葉は聞いてない」
「お前が話さなかったからだろう。お前が話せば、多分アイツだって…」
「必要ないさ。それに、どうせ一ヶ月ぐらいなんだぜ。遅かれ早かれアタシは元の世界に戻るんだ」
それは知っている。コイツの言いたいことも、その気持ちも理解できる。俺がコイツの立場でもそうするだろう。
でも、それじゃあ、残された側の気持ちはどうなるんだ?
「……」
「……」
お互い黙り込む。気まずい空気で、相変わらずコイツは俺の顔から黄金の瞳を逸らして、辛そうな表情をする。
やめろ、そんな表情をさせたいわけじゃない。残り少ない時間だからこそ、悔いのない時間を過ごしたいんだ。
「と、ところでさ、前々から思ってたんだけど、お前何処でこういう店の情報掴んでんの?」
ルシアは場を仕切りなおすように唐突にそんな事を問いかけてきた。俺は少しだけ間を置いて、息を吸う。
そうだ。残り少ない時間を、喧嘩とか仲違いで終わらせるわけにはいかない。俺は急いでとりつくろって、明るめの声で応える。
「ふっふっふ、交友関係がネコの額並に狭いお前と違って色々とあるんだよ、コネがさ」
「ネコの額…、まあ自慢できるほど顔は広くなかったけどさ。そこそこダチはいたんだけどな…」
すっかりと空気が入れ替わって、あの話を切り出される前の雰囲気に戻る。なんというか、俺もいい加減ヘタレだな。
目の前の少女は何やら考え込むように「んー」と唸っている。おそらくは記憶をたどっているのだろう。
かつて『アイツ』だったころ、本当に俺たちが無邪気でいれた幸せだった頃の記憶だろう。俺もつられて思い出そうとする。
しかし、記憶の中のアイツはカヨとか妹、俺たち4人の中の誰かと常にいたので、他の誰かと特別に仲が良かったという記憶は見当たらない。
「……」
「どうした?」
「ヤベ、全然思い出せねぇ。てか、何でお前ら以外の顔が思いうかばねぇんだろ…」
「惚れたか?」
「ばーろー。アタシはホモじゃねぇ」
「今はどうなんだ?」
「んー、どうなんだろうな?」
疑問を疑問で返すなこのヘタレ幼女め。とはいえ、恋愛対象になり得るかの判断はキスをする想像をしたとき、嫌でなければなり得るという有名な判定法がある。
「佳代子とならできるか?」
「ん、ああ、まあ」
百合ん百合ん。ただし、どう考えても佳代子がタチである場面しか想像できない。これはいったいどういうことか?
「俺とは?」
「吐き気がするな。キモイ」
「面と向かって女子に言われると、流石にへこむわぁ…」
女の子にキモイとか言われると、すごい落ち込むよね。こう、心を抉る感じ。目がさ、語ってるんだよ。ご褒美なのは二次元だけです。
「…それはまあいいとして、本気でダチの顔が思い浮かばねぇってのは自分でもどうかと思うんだ」
「オンナもか?」
「……」
「マジかよ…」
あきれ果てる。佳代子がいたから、他の女子は遠慮していたが、意外にコイツは女子から評判が良かった。
なんというか、昔から佳代子や妹の相手をしていたので、女子との距離感の取り方とか、気遣いができたからだろう。
「遠藤真由美とかは?」
「?」
「ほら、あの、ベンツで送り迎えされてた…」
「あー、真由美か。思い出したぜ。あの雰囲気ちょっと派手な感じの…」
ルシアさんは「あー、あー、あいつかぁ」なんて感じで当事を思い出す。芋づる式。ちなみに、そいつの下の名前を呼び捨てにすると、アレの機嫌が悪くなるのでやめてほしい。
しかし、本当に覚えてなかったのか。あんなに分かり易いぐらいアタックしてきてたのに。
いやあ、あの時の佳代子の機嫌の悪さはヤバかったなぁ。表情は笑ってるのに、目にどう考えても憎悪というか殺意が宿ってた。
当時、学年の女子を二分していた派閥のトップである二人が正面衝突状態になったせいで、当時の学校の雰囲気は最悪で、俺や男子たちの胃壁はずいぶんと削られた。
そのせいで俺は自らの胃壁の厚みを守るため、自分の感情を押し殺しつつ、この二人の関係を後押しすべく動き回るハメになったのはいい思い出である。
「んで、真由美、いまどこにいんの?」
「別の高校になったからな。知らん」
彼女は俺とはあまり交流が無かったので、コイツが飛行機事故でいなくなったあとはパッタリと話さなくなった。
どこぞの全寮制お嬢様学校にいったとかいかなかったとか、そんなぐらいしか知らない。
学校が変われば交流関係も大きく変わる。小学校の頃によく遊んでいた奴らとも、学校が別になったらパタリと縁が途切れた。
それは少し薄情なようで、当たり前の事なのだろう。
「それで思い出した。そういや、髪染めて先生に怒られて坊主にされた奴いたな。アイツ…誰だったっけ?」
「鹿島な」
「そうそう鹿島。似合わない金髪ロンゲに、日焼けサロンで色黒になったバカ。うん思い出した。真由美と駄弁ってる時、アイツ妙にアタシに絡んできてさー」
「だろうな。アイツ、遠藤に惚れてたし」
「そうなの?」
「んで、遠藤はお前に惚れてたし」
「マジ?」
「マジ」
微妙な空気が漂う。そして一息、ルシアはグラスに入った水をあおる。今明かされる過去の人間関係の真相に気まずい思いになっているらしい。
ちなみに、コイツと佳代子が付き合うことになった後、鹿島は嬉々として遠藤真由美にアタックしたが、あっけなく玉砕していた。
翌日には学校全体にそのことが言いふらされていた。女子って怖い。
「んあーっ、もうちょっと気ぃつければよかった」
「今さらだなヘタレ」
唸りながらテーブルにつっぷすルシア。何気ない過去の愚かさを思い出した途端に後悔と恥ずかしさで悶絶するのはコイツの特徴である。
「つーか、お前もモテてたじゃねーか。バレンタインでチョコ結構もらってただろ」
「まあ、今でもだがな」
「なんでお前モテるの? 変態なのに。ロリペドなのに」
「イケメンだからな」
「自分で言うんじゃねぇよ、爆発しろ今すぐに」
「まあ、ひがむな。お前だって今は美少女じゃないか。リアルTSロリエルフのお前には負ける」
「うわー、なんのフォローにもなってねぇ」
とはいえ、美少女である。この時代の日本なら犯罪だが、中世的な時代背景ならこのぐらいの幼女に集る男はいくらでもいるはずだ。
となれば、向こうの世界でコイツはかなりモテたのではないだろうか。男とはゴメンと言っているが、放っておかれるはずもないだろう。
「んで、お前はファンタジーな世界で浮いた話の一つでもあったのか?」
「無ぇな。全くといっていいほど無ぇ」
しかしルシアは断言する。まったくと言っていいほど表情に変化がなかったので、真実ではありそうだ。あるいは、コイツが気づいていないだけか。
「ツマラナイ奴だな。転生したんだろう? TSしたんだろう? 逆ハーの一つでも作るべきじゃないか?」
「何故、アタシが、そんなモノを作らにゃならん」
「テンプレだろ? イケメンの騎士とかイケメンの王子とか。乙女ゲー的な展開はなかったん?」
「あってたまるか」
「ライバルの悪役令嬢は?」
「金髪縦ロールの?」
「そうそう。ドリル的な髪形の高慢ちきな貴族令嬢」
「最後には没落すると」
「俺はチョロインだったなんていう展開がいいな。いろいろあって孤立した所を主人公がバクリとな」
「百合ものなのか?」
「公式は友情でも可。薄い本でのさらなるハッテンを望む」
「恐るべしマンハッテン計画」
「ホモっぽい計画だなそのネーミングは」
「とにかく、そういう学園ファンタジー系のラブコメを期待してもらっても困る」
曰く、魔法学園とかそういう分かり易い舞台は行かなかったらしい。行かなかっただけで、無いというわけではないらしいのだが。
例えば、王侯貴族の子弟が通うことになる学院。例えば、教会関係の神官や神官戦士を養成するための神学校。
特権階級御用達だが、そういう機関は存在するとのこと。富裕層にある平民などは私塾や家庭教師を用いて教育がなされ、数は少ないが大学に属することもあるらしい。
大学に関しては現代のような立派なキャンパスをもつような機関ではなく、都市の建物を間借りして授業が行われたため、やはり学園ファンタジー物からは程遠いらしい。
「ちっ、使えない奴」
「なんか酷い言われようだな」
舌打ちする。まったく、せっかくファンタジーで美少女のくせにこれだからヘタレは困るのだ。これでは同性愛的なキャッキャウフフも期待は出来まい。
「やっぱヘタレなお前じゃ無理か。しかも萌キャラだし」
「ヘタレ…萌キャラ…」
「水溜りの周りでクルクル回りながらステップを踏むエルフはどう考えても萌キャラだ。保障しよう」
「ぐぬぬ」
悔しがるエルフさん。コイツは普段から迂闊で油断が過ぎるのである。しかし、美少女になると一挙手一投足全部萌えるなコイツ。
「萌えるから唸るな。ところで、ハーレム繋がりで聞くんだけど、向こうでお前の周りに女子とかいるのか」
「まあ、女所帯だしな」
「可愛い子とかいるか?」
自分は男の子なのでそういう話題が好きなのです。ルシアは向こうでの知り合いの面子を思い浮かべたのか、柔らかく苦笑いした。
ちょっとだけドキりとする。おいやめろ、コイツは元男、元男。精神的同性愛とかマジで勘弁だから。セクハラはしたいが、恋愛対象にしたくはない。
「けっこう多いぞ。師匠が面食いだからさ」
「師匠? 男? 女?」
「女。しかも美人」
「マジかよ。すげぇ…」
師匠…というのならば、コイツの魔法の師匠のことだろう。しかも女で美人となれば、想像するのは妖艶な魔女だ。
俺も躾けてもらいたい。
「ちなみに、系統的には咲姉に近い」
「すげぇ、一気に興味なくなったわ」
奴の名前が出てきて頭の中にあの駄姉の顔が思い浮かび、一気にテンションが下がっていく。なんだよ、暴力干物じゃねえか。
とはいえ、話の流れ的には他にも可愛い女子がいる雰囲気。まだだ、まだ焦るような時間じゃない。
「んで、お前の周りの女の子だけど」
「えーと、セティだろ、アネットにステラ、ウィスタ、エミューズとエリンシアは入るのか?」
「説明しろ。みんな可愛いのか? エルフはいるのか?」
ずずいと身を乗り出す。すごいじゃないか、6人も可愛い女の子候補がいるとか。囲まれたい。囲まれてご奉仕されたい。
「アネットはアタシの妹分みたいなもので、お前の期待するエルフだ。巻き毛で目がクリクリしてて可愛いな。うん、可愛い」
「ほう」
同郷の幼馴染で妹分とのことらしい。今では自分よりも背が高くなって、ふわふわした美少女になっているのだとか。可愛い系のエルフか。夢が広がるな。
「ステラはドワーフで、アタシの姉弟子にあたるヒトだ。色黒で、お前の大好きなロリだぜ」
「ドワーフ…。ドワ子キターッ!! 髭はないよな?」
「ねぇよ。あと、メガネかけてるぞ」
「ドワ子っ、メガネ、ロリ、色黒っ! 要素多すぎワロスっ!」
「お前、声大きい」
おっと、紳士である俺としたことが興奮して思わず声を荒げてしまった。ルシアは周りの視線を感じて少しいたたまれない様子で、耳が少しだけしょぼんと垂れた。自重せねば。
「ふう、俺としたことが、スマン。で、猫耳は?」
「まったく懲りてねぇなお前。猫耳さんはそうだな、姉弟子とかにはいないけど、近くに魔女の教会って孤児院やってるとこがあって、そこにいるな」
「猫耳メイドなのか?」
「なんでそうゆー発想しかできねぇんだよ…。今は街の酒場でウェイトレスやってる。将来は自分の店持つんだってさ」
猫耳ウェイトレスさんか…。それも良い。語尾がニャンならなおさら良い。呆れたような目で俺を見るエルフさんには分からないだろうがな。
しかし、女所帯か。全員魔法使いなのだろうが、男がいないというのは不安ではないだろうか?
文明レベルが高くないのなら、治安だって良くないだろうし、女性の人権もそれほど良くないのではないだろうか?
「男はいないのか?」
「魔女の教会…っていうか孤児院にはいるぞ。あと、居候?な感じで、爺さんが一人」
「本当に女ばかりだな。つーか、お前の師匠って孤児院経営してるのか?」
「まあ、うん。ほとんど人任せなんだけどな。ものぐさだし」
「どんなヒトなんだ?」
その師匠とコイツが呼ぶ人物の事を話すとき、コイツの表情がなんというか和らいでいる感じがして、随分な懐きようだと、なんとなくその人物の事が気になる。
「んー、ワガママ、適当、ものぐさ」
「まさに姉貴そのものだな」
「咲姉をもっと砕けた風にした感じかな…。もっと、飄々としてる感じ」
「ふうん。美人なんだよな?」
「まな。灰色っていうか、鉛色に近い感じの髪の色で、巨乳な」
アンニィイな感じの美女だろうか? 残念な美女か。見ている分にはいいんだが、実際に被害を受けるとものすごいムカツクタイプだよな。うん。
「おお。それで、師匠とかお前が呼んでるんだから、さぞ強いんだろ?」
「べらぼうになー。宇宙戦艦とか落とせるぜ、あの人」
「おお、インフレインフレ。じゃあ、お前も結構強かったり?」
その質問にルシアは「ん~」と考え込み、どこを見ているのか遠い目をして、まるで決意表明をするような目をして答える。
「強くなったとは思う。うん、アタシは強くなったんだ」
「ルシア?」
突然表情が変わったルシアに、俺はどうしようもなく危うげなものを見出し不安になって、思わずオウム返しのように彼女の今の名前を声に出した。
まるで、コイツが本当に遠い存在になってしまったような気がして。
「何でもねぇよ」
少女はそう呟いただけで黙りこくってしまう。
何も語ろうとしないし、何も俺に背負わせようともしない。それはある意味においてかつてのコイツとよく似ていたけれど、その悲壮さだけは別物のように思える。
俺は無性に苛立ちを覚えた。
その苛立ちの正体が全部自分で背負いこもうとするコイツへのものか、それともコイツをこんな風に思わせた何かへのものか、あるいは多分、何もできないだろう自分へのものなのかは分からない。
けれども、声を荒げずにはいられなかった。
「何でもねぇって表情じゃないだろ! このヘタレ」
「ヘ、ヘタレ言うなっ!」
「なら、話せ」
「お前はアタシのお母さんかっ」
「え、どっちかというとパパの方がいい。なあ、俺のことパパって呼んで」
「…アホらしくなってきた」
呆れた表情に変わる少女。どうしても茶化す方向に向かってしまう自分に、俺はバカかと自己嫌悪しつつ、もう一度問おうと顔を上げる。
多分、何もできないだろう。コイツの言葉が正しいなら、俺は向こうの世界に行くことはできないし、だとしたら向こうの世界に関わることすらできないのだかから。
それでもきっと、聞かなければならないのだ。きっとそれは自己満足で、偽善で、単にコイツの親友である自分の義務感を晴らすためであっても。
「ネギ醤油ネギ多め、焦がしバター、チャーシューめしお待たせしましたぁ。ご注文は以上でよろしかったですか?」
その声が俺の言葉を遮った。
タイミングは最悪で、店員の女の子は陽気な笑顔でラーメンの入った鉢を配膳していく。
エルフ耳の少女は「お、美味そう」だなんて言いながら箸を手にして、完全にラーメンに意識がいってしまっている。
俺はもう一度話を戻そうと思ったが、無邪気な笑顔で目の前のラーメンに向かう少女の顔を見て思わず躊躇してしまい、そのまま言葉を飲み込んでしまった。
「まったく、ヘタレなんてからかえないな…」
「ネギが…ネギがぁっ!?」
ルシアは目の前のラーメンにうず高く盛られる白髪ネギを見て、そんなバカみたいな言葉を発して喜んでいて、それを壊せない俺は思わず苦笑してしまった。
「いや、警告というか、言おうかどうか迷ってたんだけどさ、お前チャレンジャーな」
「そういうの先に言え。うわ…ネギしか見えねぇじゃねぇか。麺の量より多いんじゃね?」
「つうか、メニューに写真があっただろう」
「いや、イメージ画像かと思って」
ルシアはネギがこぼれない様に慎重にレンゲをスープに沈めていく。俺はやれやれと首を振って、自分のラーメンに向かうことにした。
「んっ…」
「どした?」
唐突に、レンゲでスープを口に運んだエルフが一瞬だけ停止し、何やら気になるような声を上げた。俺は何事かと声をかける。
すると、
「ん~~~っ! うーまーいーぞーっ!!」
「大げさな、お前」
アホがいた。心配して大損だ。さっきまで微妙な雰囲気になっていて、コイツに対してセンシティヴになっていたけど、本当にどうでも良くなってきた。
まったく、本当に、バカな奴だな。
「何コレ、めちゃくちゃ美味いじゃん。うはっ、麺もうまいなっ。ちぢれ麺うまーっ」
ご満悦なエルフさん。ラーメン啜るエルフはウナギを食うエルフよりも希少かもしれんとふと思う。
やはり音を立てて啜るのに抵抗があるのか、ゆっくりと音を控えめにラーメンを食するエルフさんだが―
「おっ、煮卵。 にったまごっ♪ にったまごっ♪」
何が楽しいのか、煮卵を発見すると何故か陽気に歌いだした。変なリズムで体を揺らして踊りながら煮卵を割り、黄身とスープをレンゲで溶かしてスープを一口。
「ん~~っ♪ ん~~♪」
握った拳を上下にシェイクして身悶えるエルフ。あまりの可愛らしさに庇護欲とかもろもろのロリ魂を刺激され、華から父性汁が出てきそうだ。
「すばらしいな」
「だよな。この黄身のコクとスープが混ざったトコが最高なんだよ」
「見事なコラボ」
「判ってるじゃねぇか後藤。やっぱ『にったまご』はラーメンには欠かせないよな」
「不可欠…か。やはり深いな」
「だよなー。家で作るときは煮卵って手間かかるし入れないけどさ」
「他では味わえん」
「そうなのか? そう聞くとなんだかさらに美味しく見えるぜ」
途方も無く噛み合わない会話が続く。良いのである。いまここに、萌神が降りてきているのだ。何を躊躇する必要があるだろうか?
「萌える」
「ああ、燃えるなっ」
「ダメになりそうだな」
「ああ、ダメになりそうなぐらい美味いなっ♪」
どこまでもどこまでもダメな感じの二人だった。