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Phase005『エルフさんは変身しない July 12, 2012』



「な、なんなのこれ!?」


「春奈ちゃん、こっちに!」



2つ上の姉同然のヒトに手を引かれて駆ける。黒く蠢く小さな獣の群れは、酷く興奮してキーキーと金切り声をあげて絨毯を埋め尽くしていく。


それらは天井に埋め込まれたエアコンの隙間から滲み出すように這い出し、ボタボタと粘性の高い液体のごとく床に落ち、シミのように広がる。


ようやく落ち着いた気分は、その不快な獣臭のせいで再び吐き気を催してきた。一匹一匹ならばまだ見られるが、これだけの群れならば醜悪過ぎで虫酸が走る。



「ひっ…」


「こっちは、ダメね」



出口を目指して進んだ先は、既に獣の群れが溢れる海をなしていた。獣臭と排泄物様々が混ざった悪臭に鼻がバカになる。


膝の高さまで折り重なるネズミの群れは、その重みで下層に踏まれる同胞を押し潰し、死骸を重ねる。


建物からは多くの人たちの悲鳴と怒号が木霊し、不安に胸が張り裂けそうになって佳代子おねえちゃんの手を握る力も強くなる。


そして、そんな恐ろしい黒い沼をかき分けて、向こう側から中年の女性が無数のネズミを体中に張り付かせて、ヒステリックな声を上げて駆け寄ってきた。



「た、助けて」


「大丈夫ですか!?」



中年の女性の身体に登り集るネズミを、カバンを使って払い落とす。憔悴した中年女性は体中が傷だらけで、ネズミたちは人間に牙を剥いているようだ。



「あ、ありがとう。助かったわぁ」


「向こうは…」


「ダメよ。ネズミでいっぱいよ」



行動は極めて攻撃的。それらは黒い津波のように押し寄せて、来館者の身体によじ登り、その体に齧りつく。


自分もまたそういった目に、数えきれない不潔なネズミに集られて、体を少しずつ齧られていく未来を想像して背中に冷たいものが流れた。



「大丈夫。私がついているわ」


「おねえちゃん…」


「とにかく、戻りましょう。この通路は進めないわ」



一階は既に黒く埋め尽くされ、来館者は逃れるように階段を登って避難してくる。私たちも中年の女性と共にそれに続こうとするが、



「ひぃっ!?」



その時、唐突に天井に穴が開き、無数のネズミが濁流のごとく落下を始めた。中年の女性はそれを直に浴びて飲み込まれる。


そして私は腰が抜けてしまい、



「春奈ちゃんっ!?」


「だ…だめ、佳代子おねえちゃん、おねえちゃんだけでも…」



情けないことに足がすくんで体が持ち上がらなくて、佳代子おねえちゃんに私なんて放って逃げてと心にも事を声と目で訴えた。


けれど、というか、当たり前のようにおねえちゃんは私を置いては行かない。這いよる黒い群れを追い払おうと、必死になってカバンを振り回して。



「いいよもうっ! お願いだから先に!」


「それは出来ないわっ。貴女だけは絶対にっ!」



その必死な表情に胸がズキリと痛む。ダメだ。このヒトにこれ以上の負担をかけたくない。私はなけなしの勇気を振り絞って立ち上がり、そして、


目の前に山のように膨れ上がった、黒い黒い無数の獣で出来た壁が覆いかぶさってくるのを見た。


佳代子おねえちゃんの顔が引きつるのを見た。私は頭の中が真っ白になって、まぶたを強く閉ざして、



「お兄ちゃんっ!」



もういないはずの誰かに助けを求めた。



「アタシ、参上!」



その時、唐突に、閉ざしたまぶたを貫く光が、視覚を白く塗りつぶした。




Phase005『エルフさんは変身しない July 12, 2012』




闊達さを思わせる勢いのある少女の声が有象無象の金切り声を切り開き、チリリと僅かに頬を焼く熱と轟く雷鳴を伴って、世界を穿った。



「ふえ?」



目の前には佳代子おねえちゃんと同じ制服を身に纏った、私よりも3つは年下に見える金色の髪の少女の背中が私の目の前にあった。


金色の少女は不適な笑みを浮かべながら右腕を前に突き出し、ヴァンデグラフのように青白い電光を腕に走らせていて、まるで少年漫画のヒーローのよう。



「春奈、カヨ、大丈夫か?」


「遅いわ。怪我しちゃうところだったじゃない」


「ヒーローは遅れてやってくるもんなんだぜ」



佳代子おねえちゃんが安心したような笑みを浮かべて少女に話しかける。対する少女は、ルシアちゃんは肩を落としてそれに応じる。


紫電はジージーと低い音をたてて唸り、中年女性を覆っていたネズミたちも一目散に逃げ出すか、手足を痙攣させて横に転がっている。


わたしはホッとすると共に、不思議な気分になりながら二人の遣り取りを見つめた。



「そのせいで私は怖い思いをしたわけね。お仕置きモノだわ」


「そりゃねぇぜカヨ。ここは感涙にむせびながら抱き着いてキスするのがヒロインの仕事だろ?」


「あら、して欲しいの?」


「後藤はむしろ喜ぶと思うぜ。立ったっ、キマシタワーが立ったって叫びながらさ」


「ありえるだけに反論できないわね」


「なあ、お前、なんでアイツと付き合い始めたん?」


「その場のノリ…かしら?」



不思議な気分の正体は、多分、佳代子おねえちゃんがルシアちゃんと、まるでお兄ちゃんとそうするように軽口をたたきあうから。


あまりにもそれが《らしかった》から、3年より前の《あの二人》の遣り取りの場面を幻視してしまうから。


だから、どうして彼女がマンガ染みた《力》を使っているのかなんて言う当たり前の疑問すら一瞬脳裏から消えてしまった。



「え、えっと…」


「ん、おおっ、そうだ。こんなところで油売ってるヒマはねぇな」



私が声をかけようとすると、少女は勝手に自己完結して頷いた後、周囲を見回しだす。すると、後ろから聞きなれた男の人の声が。



「おーい、生きてるかー?」


「役立たずが来たわ」


「酷ぇ言い草だな」


「いいのよ。曲がりなりにもこの私の彼氏やってるくせに、ピンチに駆けつけられないなんて三行半突きつけるレベルだわ」


「なあ、お前らホントに彼氏彼女やってんの?」


「……」


「無言かよ!! 佳代子、俺本気で泣くぞ」


「ふふ、冗談よ」


「カヨ、その良い笑顔は説得力ない。まあ、しょせん後藤だから仕方ねぇけど」



佳代子おねえちゃんは相変わらず綺麗な笑顔で後藤先輩を弄繰り回し、ルシアちゃんは苦笑いしながらそれに乗っかっている。


それはまるで旧年来の付き合いのよう。



「3人とも仲いいね」


「そうかしら?」


「そうだよ。まるで…、お兄ちゃんがいるみたい…」



そう、それはまるであの人がいた頃のような。そんな独り言染みた言葉を思わず声に出すと、急に3人ともがよそよそしい態度になる。



「あー、うん、でも、まあ、アタシ、女の子ですし」


「うん?」


「まあ、あれだ。アタシが春奈の兄貴みたいにイケメン過ぎるからって、惚れるんじゃねぇぜ」


「いや、お兄ちゃんはイケメンっていうより、ヘタレだったから」


「うっせぇっ」



この簡単に調子づいて妄言を吐くところなんて、あまりにもお兄ちゃんにそっくりで私は思わず吹き出してしまう。



「…しかし、酷いな」



しかし、すぐにそんなコントは終わりを告げ、後藤先輩は打って変わって深刻な顔で吹き抜けから階下の惨状を見回し、そうつぶやいた。



「そうだね…」


「一歩間違えば、私たちもあの中だったわね…」



それは想像するだけでぞっとする。あんな風に少しずつ齧られていくのなら、むしろ一思いに一撃で殺された方がましだと思うぐらいに。


階下からはもう悲鳴も上がってこない。むせ返るような刺激臭とキーキーと耳障りな合唱。顔をしかめていると、ルシアちゃんがさも当たり前のように欄干に飛び乗った。



「んじゃ、ちょっくら一掃してくるぜ」


「え、あ、危ないよ!」



まるでヒーローのように登場して私たちを助けてくれた彼女だけれども、私は思わず彼女を引き止める。


あんな恐ろしい場所に、こんな小さな子が飛び込んでいく事に酷い恐れを抱く。


それでも彼女は不敵に笑い返して、



「アタシを誰だと思ってる? 天下のルシア様だぜ! 任しときやがれ」



そんな威勢のいい言葉にあっけにとられて、私は思わず噴き出した。いやだって、私は彼女と今日会ったばかりなのだから。


それでも何故か、その姿に妙な懐かしさを覚えたのは何故だろう。



「「キャー、ルシアサマカッコイー」」



佳代子おねえちゃんと後藤先輩は何の心配もしていないのか、茶化すようにルシアちゃんを囃し立てる。


そんな二人の言葉にルシアちゃんは何故か耳の先まで真っ赤にして「るっせぇっ」と毒づいた。いや、ルシア様って自称したのはルシアちゃん自身なんだけれども。



「大丈夫なの?」


「あたぼうよ。そこで見てな、1分で片づけるぜ」



しかし、次には囃し立てていた佳代子おねえちゃんが一転して真剣に尋ねる。それにルシアちゃんは大言壮語で応えた。そして、おねえちゃんは笑みを浮かべる。



「わかったわ」


「おうよ。じゃあ、ちょっくら、いってくらぁ!!」



黄金の髪の少女は欄干から勢いよく跳躍する。それはまるで陸上選手の幅跳びのよう。後ろのおさげを踊らせて、彼女は蠢く無数の獣の海に紫電を纏って飛び込んだ。


青白い放電と渦巻く烈風が爆心地を切り開く。有象無象は木枯らしに舞う木の葉のように吹き上げられ、閃光と共に黄金の少女は着弾した。


牙を剥くような獰猛な笑みを浮かべ、少女は溢れかえる黒い塊を前に払いのけるように水平に腕をふるう。


振るわれた腕に追随した風雷が荒れ狂い、本棚の中身とともにネズミたちは悲鳴にも似た鳴き声を上げて弾け飛び、群れは粉々になって一掃されていく。


切り開かれた一角にむけて少女は駆け込んだ。疾走と共に風雷は奔り、縦横無尽に建物の中を走り抜ける。


それは蹂躙と表現するのが正しいだろう。



「なに、あの俺TUEEE」


「タカシ君はあの時気絶していたものね」



私が唖然と呆けている横で、二人が安穏と声を交わしている。おねえちゃんたちは彼女が何なのか知っていたのだろう。


それはまるで少年漫画やアニメの世界の住人のよう。気が付けば、いつの間にか階下を埋め尽くしていた小動物の群れは動きを止め、あるいは多くがどこかへ逃げてしまっていた。



「どーよ。流石、アタシってばサイキョーだな!」



揚々とした表情で無い胸をはってVサインを私たちに向けてくるルシアちゃん。そのドヤ顔は、可愛いのだけれどもアホっぽい。



「3分28秒ね」


「お?」



しかし、そんな少女を見下すのが佳代子おねえちゃん。やれやれといった表情でそんなことをおっしゃる。



「1分で片づけるって言ったクセに」


「いや、それは表現の仕方というか、すぐに片づけるって意味で…」


「言い訳は聞き苦しいわ。出来なかったんでしょ、1分」


「う、いや、まあ、そうかも」


「後でお仕置き追加ね」


「ちょ、おい待てよカヨ、待ってくださいっ」



ちょと半泣きっぽい少女と、物凄い虐めっ子な笑顔をしている佳代子おねえちゃん。ああ、おねえちゃんってこれさえなければなあ。


私の友達とか露骨におねえちゃんの事を怖がってるし。うん、まあ、噂の半分ぐらいが真実だから仕方がないけど。


大病院を舞台にしたドラマの教授の回診みたいに、いっぱい取り巻きを引き連れて歩いてるの見たら、流石に下の学年の女の子は怯えちゃうよね。


それにこの前、膝擦りむいた時、優しく消毒してくれたけれども、消毒液がしみて私が顔をしかめた瞬間のおねえちゃんの表情、どう考えても悦んだ顔だったし。


そうして、ネズミたちが一掃された階下へと降りてみる。ネズミたちは既に多くが手足を痙攣させて仰向けになっているか、死んでいるかのどちらか。


だが、臭気はいまだ酷く、そして何よりも逃げ遅れた人たちの状態がひどかった。



「ところで、怪我したヒト、どうするんだ?」


「……そうね。かなり、酷い怪我みたい」



ネズミに襲われた人たちは気を失い、血まみれになりながら呻き声を上げ、咳き込んでいて、とてもじゃないが正視に耐えない。


ほとんどのヒトが体中をネズミに齧られていて、表面の柔らかい部分、まぶたや耳たぶ、鼻なんかが噛み千切られ、生きているのが不思議なぐらい。


私は足がすくんで、いけないとは思いつつも吐き気を止めることが出来ない。胃から込み上げるものをこらえるため、私は座り込んで口を手で押さえる。


遠くでパトカーのサイレンが鳴っているので既に警察は出動しているだろうが、この建物の外にも被害が出ているのか、図書館には未だやってこない。


だけれども、被害者の人たちは出血などがひどくて応急処置でどうにかなるようにも思えず、素人目にも早く専門の医療機関に運んだほうが良さそうに感じる。



「素手で触んなよ。感染症あるかもしんないし」


「え…?」



ルシアちゃんが被害者の一人に近づこうとした佳代子おねえちゃんに注意する。そして、その事にまったく気が回らなかった私たちはすぐに身を引く。


ネズミは伝染病の媒体となる。それは学校でも習ったことだし、例えばペストなどはネズミが広め、過去多くの被害者を出した代表格でもある。


今の衛生的な環境が整った日本じゃそんなことを意識することもないから、完全に失念していたのだ。


ルシアちゃんは足元の大きなネズミを蹴り飛ばす。見たこともない程の大きな、1mはあるかもしれない大ネズミ。



「新種?」


「いや…、こいつはただのドブネズミだろうさ」


「こんなにデカいドブネズミがいるわけない…、いや、アレのせいか」


「第6類型かな…。くそっ、救急車とかは間にあわねぇか…」


「放っておくしかないのか? お前、ケアルとかホイミとか使えないの?」


「そういうのは白魔とか僧侶の仕事だし…。いや、まあ、使えるけどさ」



ルシアちゃんは一瞬だけ私の方を見る。そして、諦めたような表情で息を吐いた。しかし、今の後藤先輩のセリフからして、ルシアちゃんの正体は…。



「まあ、今さらか」


「助けられるの?」


「ああ。まあ、見てろ」



おもむろにルシアちゃんはポシェットからナイフと革製の巾着袋を取り出した。そして、袋の中身を少しだけ手の平にとる。



「それは何?」


「綺麗」


「ピース…。書片(Letter Piece)っていってな。0.1カラット以下の妖精文書の細かな破片…をそう呼ぶんだけど」



色々な色彩のキラキラした砂。宝石を砕いたようなそれはとても綺麗で、不思議な魅力を放っていて、私は目を離せない。


すると、ルシアちゃんはいきなり人差し指の先にナイフで少しだけ傷をつけ、赤い雫を書片に落した。


それが痛そうで、私は自分の痛みでもないのに顔をしかめる。その横でおねえちゃんがイケナイ笑みを浮かべたのは今さらなので無視する。



「うわぁ、光ってる」



ルシアちゃんの血に濡れた宝石の砂は、ぼんやりと光を放ち出す。薄暗い図書館を無数の色の綺羅めきが彩った。



「解凍完了」



そう彼女がつぶやくと、次に少女はそれを宙にむかって撒き散らした。キラキラと舞う宝石の砂。しかしそれはすぐに空中で規則的な形状を形成し始める。


みるみるうちに形状は互いに結合しあい、一つの形を浮かび上がらせる。それは無数の線で編まれた立体的で針金細工の籠のような球状。


それを構成する線は球の表面に複雑な模様を浮かび上がらせ、宙にて静止する。それはまるでイルミネーションのよう。


その美麗に、息をするのも忘れてしまう。



「管理者権限により起動。初期化開始…、完了。記述開始…、完了。文書校正…、完了」



宙に浮く球状の模様に右手をかざし、独り言のような作業。それに伴って模様は万華鏡のように千変万化に変化し、肥大し、縮小し、心臓のように脈動する。



「詠え、唄を、響け、声よ、届け、意志よ」



言霊と共にかざした少女の手の平の前で球状の模様は破裂した。弾ける光は花火のよう。光子が流星のように線条を描いて空間を閃く。


次の瞬間、空間がたわみ、世界が大きく揺らいだ。キンッという音が一度だけ響き渡り、そして再び何事もなかったように静寂が支配した。



「すご…」



気が付けば、周囲に満ちていた悪臭は鳴りを潜め空気は清廉となり、呻き声を上げていた人たちの息も穏やかなリズムに変わっている。


まるで、奇跡を見ているような。



「集え」



言葉と共に少女の手に砂が集まる。まるでこれは、



「魔法…」


「直に見たのは俺も初めてだがな…」


「後藤先輩…、知ってたんですか? いえ、佳代子おねえちゃんも…。ルシアちゃんって…」



向こうでは佳代子おねえちゃんとルシアちゃんが一緒になって怪我をした人たちの様子を見ている。


おねえちゃんは後藤先輩と違って魔法じみた技に呆気にとられていないようで、すぐに彼女と共に行動を始めていた。



「傷は…治ってるみたいね」


「欠損部も修復してる。消毒もしてある。記憶も曖昧にしておいた。まあ、血は消してないけど」


「これがアナタの魔法なの?」


「まあ、魔法っていう括りにはなってるけどな。雷だすのと違って、魔力は使わないんだけど」


「…種類があるのね」


「カヨってさ、滅茶苦茶頭いいな」


「褒めても何も出ないわ」


「雷だす方のは向こうで古代語魔術って呼ばれてる。魔力を対価にいろんな現象を起こす的な、まあ、こっちの世界のゲームとかに良く出てくるような奴だな」


「それともう一つが妖精文書を使った魔法かしら」


「いんや。他に呪術とか精霊魔術、神霊魔術があって、5つ目にお前の言う文書魔術がある」


「ファンタジーねぇ…。精霊と神霊に違いはあるの?」


「精霊は自然発生した霊体で、神霊は妖精文書によって人為的に生み出された霊体だな。いや、まあ、宗教家にこの説明するとぶっ殺されるんだけど」



なんだか難しい話をしている。というか、なんであの二人、あんなに仲がいいのだろうか? そして、なんでこんなにモヤモヤとした気持ちになるのだろうか。


すると、後藤先輩がポンポンと肩を叩いて知ったような顔で励まそうとしてきた。正直ウザイ。そのまま先輩はおねえちゃんたちに話しかける。



「…それよりも、これからどうする?」


「とりあえず、お前らは他のお客と一緒に上に行け。アタシは元凶を潰してくる」


「警察とかに任せた方がよくないか?」


「それじゃあ、間にあわねぇな。殺鼠剤なんかを毒ガスみたいにばらまいて一掃するのが手っ取り早いけど、そんな装備、警察どころか自衛隊も備蓄してねぇだろうし」


「でしょうね。ネズミがこんな大量に溢れて人間を襲うなんて、誰も想定してないでしょうから」


「大丈夫なの? ルシアちゃん」


「さっきの見てただろ。このルシア様にかかればちょちょいのちょいだぜ」


「「キャー、ルシアサマカッコイー」」



先ほどの、私を庇うような背中。網膜に焼きつく青紫の電光。幻想的な不思議な魔法。まるでマンガのヒーローのよう。


いや、容姿だとか魔法からすればむしろ、



「ルシアちゃんって魔法少女みたい」


「アタシは変身したりしないし、魔法の国のプリンセスでもねぇ…」


「え、違うの?」


「そのネタはいい加減にしてくれ…」


「でも、魔法少女って言えば、不思議な怪奇現象を魔法で解決する存在でしょ? で、アナタは魔法を使ってこの変な騒動を解決するんでしょ? だからほら、アナタは魔法少女でしょ?」


「なんだそのぐぅの音も出ねぇ三段論法は」



疲れたような表情で切り返してくるルシアちゃん。なんというか、そういうどこかダウナーな所も今は可愛らしく思える。


なんというか、少しだけ佳代子おねえちゃんの気持ちが分かったような気がする。そうして溜息を吐いてルシアちゃんは呆れかえるような表情をして、



「まあ、そんだけ余裕あれば安心だ。怪我人見てショック受けてるかと思ったんだけどな」


「ルシアちゃんのおかげだよ。そうじゃなきゃ、今も動けなかったと思う」


「そういうもんか」


「そうだよ」



血だらけの怪我をした人たちを見た時、足がすくんで動けなくなった。恐怖、生理的嫌悪といった様々な負の感情が私を縛り付けた。


でも、あの星空のような魔法を見て、そして多くの人たちが癒された時に、私の体を重くするもの全てが吹き飛んだのだ。


私の言葉にルシアちゃんは照れて耳まで赤くして、私から目を逸らす。その仕草に一瞬だけ懐かしい人を幻視する。



「まあ、うん。じゃあ、さっきも言ったけど、お前らは非難しろ。上の階が絶対に安全とは保障できねぇけど、今の所は大丈夫そうだ。林道はネズミがアンブッシュしてる可能性があるから気を付けろ。まあ、あれだ。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に?」


「それは行き当たりばったりって意味じゃないのか?」


「自分の身は自分で守れ。特にお前はカヨと春奈を身を張って守れよ」



後藤先輩のツッコミにルシアちゃんが冷かすように、どこか悪戯好きな男の子のような表情をして返す。そして、



「じゃあ、行ってくる」


「気を付けてね」


「ああ」



そうして、ルシアちゃんは佳代子おねえちゃんに見送られて、軽やかに図書館の入口へと駈け出して行った。







「さてと…」



県立の図書館は街の中心から離れた山の中にあり、そこには博物館や福祉施設といった公共の建物が集まっている。


このため、人口密度が低く大きな人的被害はでていない。それでも、大きな県立の病院などがあり、そちらの方は大変なことになっているようだ。


そしてこの騒動の中心は、その病院に併設されている建物にあるらしく、私の手にあるオレンジ色の小さな宝石板を嵌め込んだ振り子がそちらの方向を指して揺れている。



「バイオハザードかよ…」



大学との共同医療研究施設。シンと静かで騒動とは何の関係もなさそうだけれど、間違いなくここに元凶があるはず。



「ふっ飛ばした方が早いかな…」



電気が通っていないのか、正面のガラスの自動ドアは機能しておらず、私は電撃を当ててこれを粉砕する。


そして屋内に入った瞬間、四方から私を押し潰そう様に黒い津波が金切り声をあげて襲いかかってきた。



「しゃらくせぇな、そいつはもう飽きてんだよ」



<中略>



シュウシュウと黒焦げが散乱する中、私は周囲を注意深く見回しながら研究所内を探索する。そして、すぐに気付く。無数の白骨が転がっていることに。


それらは最早、一片の肉の断片すらなく、一糸の衣服の残骸もない。食い尽くされ、ネズミの糞尿に塗れた、間違いなく成人男性の人骨。


ただ、その近くに落ちているプラスチック製のネームカードだけが、彼が何者であったのかを教えてくれる。



「ここで働いてたヒトのか…。惨いな」



荒れ果てたエントランスには、食い破られた来客用のソファにボロボロに食いちぎられたポスター、無数の書類の残骸が散らばっており、蛍光灯は粉々になって落ちている。


受付のカウンターには座ったまま食い殺されただろう女性の白骨が椅子に腰かけていて、まるでここは何年も放置された廃墟のよう。


そのまま私は研究所の奥の方へと歩く。途中、壊されたバイオハザードマークの付いた重そうな扉を抜け、深部へと。


扉の先は研究区画になっているようで、実験のための机やクリーンルーム、実験器具や薬品ビンが散乱する様を横目に進む。



「雰囲気あるな…」



この区画に入ってから、周囲から私を監視する気配がしはじめた。連中には知性があるのか、先ほどの襲撃で私には通常の手段が通じないことを学んだらしい。


そうして、私は区画の一室にて白骨死体と共にある研究記録を綴ったノートを発見する。



「へんじがない、ただのしかばねのようだ」



私は研究日誌を読み進めていく。どうやら彼はいくつかの免疫機能を欠損させたノックアウトマウスの作成をしていたようだ。




〇月△日

作成したマウスの中に奇妙な形質を発現しだした個体が現れた。この個体は他に比べ明らかに成長が早く、運動能力も高い。

私はこの個体を他とは別に分け、観察を始めることにした。


〇月△日

非常に興味深い! この個体の知性はマウスのそれを明らかに逸脱している。何よりも興味深いのは、この個体がわれわれ人間に対してコミュニケーションを取ろうとしているように見える行動をとっていることだ。

私たちはこの個体にあの小説にちなんでアルジャーノンと名付けることにした。


〇月△日

なんということだろう! なんと、アルジャーノンが文字を覚えたようだ。彼は拙いながらも我々が与えた文字表を使って、文章を作って見せたのだ。

これはノーベル賞ものの成果かもしれない!


〇月△日

最近、私はアルジャーノンに恐怖を覚えるようになった。彼はパソコンを上手く使いこなし始めており、ネットサーフフィンまでするようになった。

彼はどこまで賢くなるのだろうか?


〇月△日

彼に質問された。何故、人間たちは自分たちを使って酷い実験を繰り返し、それでも心を痛めないのかと。

私は君ほど賢ければ同情して実験になんか使えないんだけれどと答えた。彼は何かを考え込むように檻の中に帰って行った。


〇月△日

どうしよう! アルジャーノンが檻から逃げ出してしまった。研究所総出で捜索したが見つからない。

彼がいなくなったら、私たちの研究成果は水の泡だ!


〇月△日

彼が帰ってきた。彼はいつの間にか人語を話すようになっており、そして私に告げた。彼は、これから地球上に住む全ての動物たちの権利を主張し、人類に認めさせたいのだという。

そして私はそれに友人として協力するように求められた。

彼の言いたいことは分からないでもないが、それよりも、私たちは彼のような知能の高いネズミが世に放たれることを恐れた。

私たちは彼を巧妙に言いくるめて彼に睡眠薬入りの餌を食べさせて捕獲した。


〇月△日

所長からアルジャーノン種の繁殖を命じられた。健康体の若いメスをあてがえば彼も喜ぶだろう。

とはいえ、また脱走されても困るし、何よりも彼は賢くなり過ぎた。代わりが生まれたら彼は処分した方がいいかもしれない。


この先は何も書かれていない。





「…かゆ、うま」



日誌を読み終わる。なんというか、物凄く後味の悪い感じ。まあ、文書災害なんてだいたいそんなものなんだろうけれど。



「しかしまあ、自業自得ってことか。分かり易すぎる展開だろう。なあ?」


「その通りでチュね」



背後に声をかける。応じた声はどこか可愛げのある高い声。そうして振り向いた先にいたのは、1mほどの大きさの、赤い瞳をした白いネズミだった。




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