Phase004『エルフさんはシスコンである July 12, 2012』
がやがやと騒がしい朝の教室。大気や建築物などの散乱によって朝の日の光が教室にも入り、外は徐々に気温も上がっているが、空調の入る教室はそこまで暑くない。
男子たちは男子たちで集まり、週刊誌やらを中心に固まって、時折レスリングじみたじゃれ合いをしながら騒ぐ。女子は女子でグループごとに固まり姦しくお喋りだ。
とはいえそれは全員ではなく、中には机につっぷして夢の続きを見る者たちもいる。俺は夢の住人の方で、佳代子は取り巻きの女子どもといっしょに他愛のないお喋りに興じているようだ
そして予鈴がスピーカーから流れ、しばらくして生徒たちは自分の席につく。それでもいくらかは未だ集まって群れを解いていないが、それを注意する者も特にはいない。
そしてガラリと右前の扉が開けられ、我が従姉にして担任である姉貴が藤色のスーツを着こなして入って来た。
学校ではそれなりにキリっとしているが、それは教頭とか学年主任に叱られるかららしい。その自堕落さを知らない男子どもの中にはアイツに懸想する者も多いらしいが、早く目を醒ますべきである。
「おーし、お前らさっさと席に戻れ。ホームルーム始めるぞ」
「平山せんせー、今日のパンツ何色ですかーっ?」
「あ? いきなりご挨拶だな中山? そんなに課題が恋しいか?」
「冗談っすよーっ」
「まあいい。出席とるぞ」
恒例の男子どものセクハラ発言を軽くいなしつつ、出席をとるために名前の点呼が始まる。いつもの朝、いつもの日常。
しかし、そんな日常の中にアイツが帰って来たのだ。学校にはこれないけれども、放課後になればまた馬鹿話をして遊びまわれる。
それはまるで奇跡のようだ。
「あー、それとだ。今日はお前らに紹介したい奴がいる」
「転校生ですか? 聞いてないですけど」
教室がざわつく。1学期も終わるこの時期に転校生? ありえないだろう。俺はふと佳代子の方に目を向けると、佳代子は何か含む様な笑いを俺に返してきた。
そして察する。まさかな。昨日の今日だぞ?
「転校生ってわけじゃないんだが、ちょっとした事情があってな。授業に見学と言う形で参加してもらうことになる。喜べ男子ども、とびきりの美少女だ。入って来い」
美少女という言葉に男子たちのテンションが一気に上昇し、口笛を吹くものまで現れる。俺はもう嫌な予感しかしない。フラグ立て過ぎだろう。
そしてガラリと扉が開き、予想どおりにアイツが現れた。教室の空気がシンと一瞬静まり返る。息をのむほどに、現れた少女が美しかったからだ。
憂いをたたえる蜂蜜のような黄金色の大粒の瞳、一本のおさげに纏められた、腰まで伸びる太陽の光をそのまま糸に凝縮したような金色の髪。
幼いながらも、日本人とは違う、精巧に調整されたような彫が深く形の良い目鼻と口は、それぞれのパーツが奇跡的な数学的調和により一種魔的な美を形作る。
この学校の制服を纏う白い肌は病的のそれではなく、透き通るような印象を与え、その幼さを残す容貌と華奢な身体は、どこかこちらが恥じらいを感じてしまう程の艶やかさ、色気すら感じさせた。
ピンと細長い尖った耳は物語に登場する妖精のようで、現実離れした美貌を持つ少女にさらなる神秘性を与えていた。
そして何よりも、どこか不安そうな所在なさげな表情は男女を問わず庇護欲を掻き立てる。
次の瞬間、教室が騒然となったのは言うまでもない。
男子どもは「すっげー可愛い!」などとボキャブラリーの貧困さをその身を挺して証明し、女子もまた「何この子カワイイ!」なる貧困な表現方法によって頭蓋の中のお花畑をさらけ出した。
そして、奴も顔や細長い耳を真っ赤にしてモジモジと俯いたのだから同罪である。その愛らしい所作はクラスメイトたちを完全に籠絡し、なけなしの理性を崩壊させてしまった。
萌。
女子どもが奴にたかり、写真を撮ったり、ベタベタと触れたりしている。お人形か珍獣扱いである。アイツはアイツで面倒くさそうに、助けを求める視線をこちらに寄越してきた。
そういうのは俺には無理なので、佳代子に視線を移すと、彼女はいつもの笑みを捨て、この世のものとは思えない般若の表情をしていたので、俺はそそくさと視線をそらす。
「おら、後で時間はやるから静かにしろ。…じゃあ、挨拶しろ」
姉貴の一喝の後に促され、金色の少女が黒板に名前を書き始めた。下手な字である。まあ、日本語の読み書きなんて長い間していなかったのだから仕方がないが。
しかし、アイツが学校に来るなんて昨日も、今日の朝も聞かされていない。まあ、聞かされていないのは大方驚かそうとして秘密にしていたのだろうが。
とはいえ、そう簡単に学校の授業に参加なんてできるのだろうか? 手続きとか結構必要じゃないのか? つーか、あのロリエルフはこの世界の戸籍なんて無いだろうに。
「えっと、名前はルシア・リア・ファルといいます。国籍はUSAらしいです。コンゴトモヨロシク」
「歳いくつなのっ?」
「14歳っていう設定になってます」
「日本語上手いね?」
「むかし日本に住んでいましたから」
「好きなタイプは?」
「亭主元気で留守がいい」
「なんで14歳なのにこの学校に来たの?」
「それは大人の都合というヤツで…あ痛っ」
姉貴に二の腕つねられやがった。真面目にやればいいのに。
「えっと、この学校の理事の方が私の父と友人同士だったので…。異文化交流の一環とお考えください」
「耳、長いよね? エルフみたい?」
「遺伝です」
やいのやいのとクラスの連中から質問をされ、猫を被りながら律儀に不真面目に答えていく。表情は完全に外行き用。加えて可愛い美少女という外面のせいで注目の的だ。
男子も女子たちも突然のゲストに興味津々で、そしてヤツの受け答えはそれなりに好評を博している。つーか、エルフ耳を遺伝の一言で受け流しやがった。
「そこまでだ。後は休み時間にしろ。とりあえず、お前は後ろの席に着いておけ。では日直、プリント配るから手を貸せ」
そうしてそわそわした空気を残したままホームルームが続き、金色の珍客が座った席の周りのクラスメイトたちも落ち着かない様子で、少女をちらちらと見たり、小声で話しかけたりする。
ホームルームが終わると、やはりと言うべきか女子を中心にアイツの周りに集まり始めた。案の定質問攻めに遭って目を回しているようだ。
俺は特に助け舟を出すわけでもなく、大変だねぇと眺めるに留まるが、高校でよく一緒につるむ男子3人組が俺の席の周りにやってきて、予想通りの話題を振って来た。
「すごいよねあの子! 金髪外人の女の子なんて初めて見たよ僕!」
「まあ、確かにな」
「なんでこんな学校に来たんだろうね!? 何かアニメみたいな展開じゃない!?」
「華奢だな。筋肉ついてんのか? まあ、可愛いことは認めるが」
「な、なんで、お、お前は、き、筋肉の事しか、あ、頭にないの?」
無駄に高いテンションが高い満井は色白ピザデブ眼鏡オタクという何か典型的な存在だ。見た目は完全に美少女ヒロインな奴の姿に興奮が収まらないらしい。
色黒マッチョ過ぎて頭蓋骨の内部にまで筋肉が詰まっているだろう野島は興味なさげだが、ドモり気味の女みたいな顔のチビである立川はそれなりにアイツの事が気になるらしい。
「しかし、大人気だなアイツも」
「なんだい、タカシ君は奥さんにぞっこんで興味ないって感じかい?」
「き、木之本さんは、び、美人だから。怖いけど」
「彼女は見た目清楚だからな。怖いが。…まあ、羨ましい限りだ」
俺と佳代子の仲はクラス全員に知られている。アイツの事を知る者もいるが、それもすべて過去の話として、おおむね佳代子との関係に文句を言う奴らはいなかった。
まあ、佳代子に逆らう奴は学校にはいないのだけど。
「お前らな…。つーか、満井、お前はヒトを羨む前に少しは痩せろ」
「全くだ。お前には筋肉が足りん」
「うるさいよ。僕だってこれでも少しは努力してるんだよ!」
「例えば?」
「寝る前のポテチ食べないようにしたよ」
「それは当り前だろう…」
Phase004『エルフさんはシスコンである July 12, 2012』
「んで、なんでお前がここにいる?」
「アタシもどうしてこうなったのかさっぱりだぜ」
「私はルシアちゃんと一緒にいられて嬉しいわよ」
休み時間。俺と佳代子はこのお子様エルフを連れ出し、屋上につづく階段の踊り場で3人して状況の確認を行うことに。
ルシアにたかっていた者どもは、佳代子の『お願い』によって空気を読んで退散した。やだ、佳代子さん流石女王様かっこいい。
赤黒い色を基調としたリノリウムの床、幾星霜の日に焼けてくすんだコンクリートの壁、北向きの窓から差し込む弱い光、それを鈍く反射するステンレスの手すり、隅に埃が溜まった階段。
屋上は基本的に立入りが禁じられていて、そこに続く階段はほとんどヒトが寄ってこない。なので、密談するにはうってつけだったりする。
「話せば長い話になるんだが…」
「ふむ」
「咲姉が学校に来いって言った。以上」
「予想通りに短い話だったわね」
「様式美だぜ」
「いや、断らなかったのかお前」
「いやー、一度は断ったけど、風呂から上がったらパジャマの代わりに制服が置かれてた。いつの間にかお前の家のオバサンとオジサンもその気になってて断る雰囲気じゃなかった」
「あの時か」
姉貴に処刑されて簀巻きにされていた俺は、その辺りの遣り取りからは蚊帳の外だったのだとか。ついでに驚かすために先ほどまで秘密だったらしい。
しかし、制服はいつどこから調達したというのか。そもそも学校側との交渉とかはいつ終わらせたのか。
「蛇の道は蛇なんだってさ」
「意味が分からん」
「まあ、またお前らと学校に来れたのは嬉しいんだけどな」
「やれやれだな」
向こうで18年過ごしていたそうだが、デレた相手にこうやって素直に表現できる無邪気さは変わらなかったようだ。たまにその辺りのせいでアホの子に見えてしまうのだけど。
思い出すのは小学生の頃の話。ちょっとした対決。その後に邪気のない爛漫とした笑みで好意を真っ直ぐに伝えられた。男のツンデレなんて美味しくもなんともなかったが。
制服姿の美少女金髪エルフが向けてくる警戒のない無邪気な笑み。うむ。
「うん、あの時お前がこのナリだったら、俺は間違いなく堕ちてたな」
「何の話だ?」
「いや、こっちの話だ」
首を傾げて問うエルフさんに苦笑して誤魔化す。こんなことを表だっていえば、からかわれるに違いないからだ。主にホモとかゲイ的な意味で。ちなみに佳代子は分かったのかニヤニヤ笑っている。
そうして、いつの間にかお喋りに転じて、これからの学校生活をどうするのかなんていう話題が後回しにされていく。まあ、ここで話さなければならない話題ではないが。
さて、ここで今度は佳代子が口を開く。
「ねぇ、ルシアちゃん。携帯買わない?」
「ん、なんで?」
「連絡手段、欲しいのよ」
確かに、今時連絡しあうのに携帯電話がないのは不便だ。SNSを使えば離れていても同時多数で会話できるし、相手の事情を把握するのにも役立つ。
「週末、一緒に買いに行かない?」
「いや、アタシ、戸籍とか残ってないから契約できないだろ」
「何とかしなさい」
「相変わらず無茶言うなお前」
流石、佳代子さんである。まあ、資金的な余裕があれば個人でも複数持てるので、戸籍云々についてはクリアする手段なんていくらでもあるんだろうが。
「週末、どう?」
「まあ、いいけどさ。後藤、お前はどうする?」
さて、どうするか。佳代子はニコニコ笑顔で何を考えているかわからない感じだが、笑顔の裏に「空気嫁」的な威圧を感じる。
まあ、女の買い物とかデートでもない限り一緒するのは俺としても勘弁願いたい。
「俺はパスで」
「ふーん、そっか」
ドライにこの話は終了。佳代子とルシアが互いに予定を確認し合う。まあ、色々と振り回されてくればいい。
そうして佳代子との話が一段落し、次にエルフ幼女が問うてきた。
「そういやさ、この辺りで一番大きな図書館って何処か知ってる?」
「図書館? 学校のじゃだめなの?」
「新聞のバックナンバー見たくてさ」
「なんでだ?」
佳代子と視線を交わしてエルフさんの言葉の意味を考え、分からないと匙を投げて肩をすくめる。この3年間の世情の変化でも知りたいのだろうか?
「仕事だぜ仕事。まあ、お前らみたいに親のスネ齧ってのうのうとしてるのとは違って、アタシは忙しいからなぁ。ふふん」
そう言ってドヤ顔でこちらを小馬鹿にしたように胸を張るエルフさん。なんだかイラっとすると、佳代子が「うふふ」とか笑いながら少女の後ろをとる。
「まあ、お前らはただの学生だし? 今はまだ安穏としとけばいいんじゃね…、アイタタタタ、いひゃいいひゃいっ、ひゃめてぇっ」
後ろから尻をつねられて悶絶するエルフさん。後ろの和風美人はその反応に物凄い悦に入った笑みを浮かべる。
「やめ、止めろカヨっ」
「可愛いわぁ…、うふふふふ」
既に当初の動機を忘れて虐めることに快感を覚えだした佳代子。なんだろーなー。コイツがこういう事するのって、好きな相手だけなんだけど、俺、何でコイツに惚れたのかなー。
「べらぼうめっ、死ねっ、ばーか、ばーかっ!」
「あ、逃げた」
佳代子の手から身動ぎして逃れたエルフさんは、そんな雑魚キャラっぽい捨て台詞を吐いて佳代子から走って逃げだした。
そうして残された俺たち二人は顔を合わせ、そして大笑いした。うん、やっぱりアイツは楽しい。
◆
「お前ら、なんでついて来るん?」
「私たちの仲じゃない」
「そうそう。手伝えることがあれば何でも言ってくれていいぞ」
放課後、俺たちはエルフさんを伴って地元の県立図書館に足を延ばすことに。エルフさんは俺たちの思いやりに満ちた言葉に涙ぐむ。
「お前ら…」
「だいたい、お前だけで行かせたら心配だろう」
「そうよねぇ。迷子になったら困るものねぇ」
「お前らな…」
打って変わってジト目で非難を表すヘタレを無視し、俺たちは少女を手の平で押して、さっさと歩くように促しながらバスに乗り込もうとする。他にも客がいるのだからさっさと歩け。
と、その時唐突に後ろから人が駆け足で近づいてくる気配が。タッタッタッタと小気味よいステップの音。軽い体重の、おそらく小柄な。
それに反応してぴょこんとエルフさんの耳が上を向く。なんだコイツの耳はウサギの耳か何かか? 可愛い。そしてすかさず佳代子がバックステップをして後ろに下がった。
「佳代子おねえちゃん!」
「当たらなければどうということはない」
さて、女子のスキンシップは激しいというのは周知の事実だ。だから後ろから抱き着くなんて日常茶飯事チャメシゴトである。手をつないだり腕を組んだり膝の上に座ったり。
そんなつもりで襲撃をしてきた問題の女子、しかしすげなく佳代子は回避してしまう。彼女の神回避には俺も何度も泣かされた。うん、本当に。
「ひぁっ!?」
「ふがっ!?」
結果として勢いづいて突っ込んできた女子はそのままエルフさんに衝突。背の低いエルフさんは女子の豊満なパイオツに埋もれてしまう。なんてラッキースケベ。その位置変われ。
肩までかからないボブカットの、昔通っていた中学校の制服を着た女子生徒。その見慣れた相貌は、俺たちにとっても親しい間柄の少女のものだった。
「えっと、大丈夫?」
「ふがふが。な、何とか…!?」
そうして見つめあう衝突した2人。苦笑いする快活そうな少女とは対照的に、エルフさんは信じられないものを見たように表情を引き攣らせて凍りつき、巨乳少女を見上げた。
「うわぁ、こいつは何というか…。佳代子、お前、狙ってやったのか?」
「うふふ、さあどうかしら」
実に楽しそうに様子を見守る佳代子に俺は呆れて何も言えず、事態の推移をとにかく見守る。少女はというと、ただ呆けたように口を開いたまま石のように固まっているのだが、それもそのはずだ。
アレの目の前の少女は、前世、コイツが転生する前の前川圭介の妹である、前川春奈その人であったから。
「はる…な?」
「えっと、あの、ごめんなさいエルフさん?」
「あ、ああ」
「ところで、何で私の名前…?」
「はうあっ!?」
俺はアチャーっと右手で顔を覆う。当然の疑問をぶつける巨乳、ビクリと跳ね上がってようやく失態に気付く迂闊エルフ。
「私とどこかで会ったことある?」
「はわわ、えっと、あっと、気のせい、そう、気のせいだ!」
「え、いや、絶対私の名前呼んだし」
「お嬢さん。世の中には人間如きには理解できない不思議なことがいっぱいあるんだぜ」
「無理やり誤魔化そうとしてるよね?」
「例えばあれだ、世の中にはスカイフィッシュってのがいてな…」
「それ、ただの虫だよね」
収拾がつかない状態。意地の悪い佳代子は腹を抱えて笑い、呼吸困難になって咳き込みはじめた。相方がこんなんだと、俺は俺でハッスルできないんだけど。
とりあえず、助け舟でも出しておくか。
「よう巨乳」
「こんちわ後藤先輩。あと、その呼び方どうにかしてください。それで、このすんごく可愛い子誰なんです?」
「ウチの居候だ」
横でホッと一息安心している迂闊エルフに非難の視線を浴びせつつ、コレは姉貴の客分だというテンプレートな説明をする。
前情報が無い以上、特に疑う要素もないので巨乳は素直に俺の話を信じ込んだようだ。情弱め。
「へぇ、後藤先輩の家に居候してるんだ」
「ま、まーな。いちおう咲姉の客って身分になってる」
バスの客に迷惑になるので、俺たちはそのままバスの中へ。巨乳も勝手について来る。
前川春奈。2つ下の後輩であり、前川圭介という名の俺たちの親友の妹。つまり、今はこんな姿になったコイツの家族。
ボブカットの快活そうな少女。顔立ちはそこそこ整っているが、佳代子ほど美少女然としているわけではない。美しいとか美少女というよりは、可愛らしい系。
しかし、それにも増して俺ら男どもの目を引く素晴らしいものを前川春奈は有している。すなわち、同年代と比べると歴然と分かるたわわに実った母性の象徴。
おっぱいは正義である。おっぱいわっしょい。
そんな実の妹を前に明らかに動揺して目線が泳ぐ金色の髪の少女。少女は佳代子の服を掴み、そして出来うる限り目立たないように佳代子の影に隠れようとする。
「ヘタレすぎだろお前」
「う、うっせぇ黙れ」
小さな声での抗議。可愛い。しかし、こんなので隠れた気になっている辺り、相当のアホの子である。何しろ、前の席に座る巨乳の視線はまっすぐにコイツに向けられているのだから。
そして、座席のシートを乗り出してエルフさんに顔を近づける春奈。行儀悪いです。
「でもでも、うわぁ、外人さんだぁ、すっごい可愛い!」
「ほぁっ?」
うん、まあ、人種的な意味でも容姿的な意味でも、お前が隠れられるはずがないという事をそろそろ認識すべきだと思う。
それとも何か? 異世界の女は美人ばかりでお前程度じゃ埋もれちまうってか? 何それすごい行きたい。俺、異世界に行ってケモミミ美少女メイド達に囲まれたい。
「やだー、恥ずかしがってるっ。しかもお人形さんみたいで可愛い! えっと、名前教えて。って、日本語分かる?」
「る、ルシア」
「ルシアちゃんかぁ。日本語上手だねぇ」
ぐいぐいと接近してくる巨乳に押されてたじろぐエルフさん。いや、女になったとはいえお前これの兄貴だろうに。
あきれ返る俺とは対照的に、慈愛に溢れた菩薩の顔となっている佳代子が春奈を宥める。
しかしおかしいなー、両手に花状態からハーレム状態に移行したのに、なんで俺、通路を挟んだ離れた席に一人座ってるんだろう。なんだか蚊帳の外だなー。
「佳代子おねえちゃん、席変わってっ!」
「いいわよ」
「お、おいっ」
佳代子と春奈は姉妹のように仲がいい。というより、ほとんど姉妹のような関係といえる。息もぴったりだ。
そもそも物心つく前からコイツと春奈は一緒にいて、当然、コイツの妹である春奈は赤ん坊の時からこの二人と一緒にいたわけだから、そういった関係になるのは自然だったのだろう。
佳代子と席を代わって、ヤツの隣に座った春奈は少女に過剰なスキンシップ、つまりはハグによる攻勢をかけ始める。まるでぬいぐるみみたいな扱いだな。羨ましい。
「うー」
「でも、咲さんの知り合いなんだ。あのヒト、結構謎の多いヒトだけど」
あの馬鹿姉貴の謎さ(理不尽さともいう)は今に始まったわけではない。たとえば高校を卒業と共にバイクで日本を縦断し、その勢いで南米に渡ったなんていう過去がある。
アマゾンの部族との交流(賭け事)で民芸品を譲ってもらったり(巻き上げたり)、発掘のバイトでインカ文明の土器とかを譲ってもらったり(ちょろまかしたり)、そんなエピソード満載だったりする。
「しかし、アイツもいい感じにトラブル体質だな」
「私もびっくりしたわよ。春奈ちゃんとはいつか会うとは思ってたけれど、学校も違うからこんなに早くとは思わなかったわ」
「でも、お前は結構会ってただろ?」
「放課後とか休みの日だけよ。私が直接あの子の家に行ったり、街で待ち合わせしたりだから、直接会いに来るとは想定外だったわね。まあ、面白いからいいんだけど」
「ですよねー」
他人が困っているのを見るのが大好きな佳代子さんらしい感想である。無理難題を出して相手が右往左往するのを見て楽しんだりするのが趣味というこの女と付き合うのは結構大変だったりする。
「春奈ちゃん、その子、女の子のおっぱいが好きなのよ」
「え、そうなの?」
「カヨっ、てめぇっ!」
「そっかそっかぁ、私のおっぱい、おっきいのよ。うりうり」
「にゃうっ!?」
戯れる少女二人。眼福である。佳代子は弄られるエルフさんを見てご満悦な感じだ。いや、その瞳には優しさも垣間見える。
アイツは会う気はないと言っていたが、佳代子は会わせたかったのだろう。あの日以来、春奈を支えていたのは佳代子だったから。
まあ、そんな姦しい遣り取りは、同乗しているバスの乗客の咳払いでようやく収まる。
「じゃあ、その時に?」
「お、おう」
ニコニコと明るい表情でヘタレに話しかける春奈。そんな彼女をどこか泣きそうな表情で少女は相槌をうつ。
「それでね…、て、え? えっと、ルシアちゃん、私、何か悪い事言っちゃった?」
「ん、いや? 別に…」
「でも、涙が…」
「え?」
本人は気づいていないようだが、少女の目には涙が浮かんでいて、それが春奈を戸惑わせていた。少女は慌てて袖で涙をぬぐう。
まあ、会う気は無いと言っていたが、なんだかんだ言って感極まったのだろう。
そわそわと何とか少女の涙を止めようと焦る春奈と、誤解を解こうと必死になってそわそわするエルフさん。何これほほえましい。
と、
「…あうちっ!? 佳代子、何をするっ!?」
突然隣に座る佳代子に頬をひねられた。
「ごめんなさい。ニヤついた顔があまりにも気持ち悪かったから、引っ張って治してあげたかっただけなの。でも、治らなかったみたい」
「余計なお世話ありがとうございます」
◆
県内で最大の蔵書を誇るらしい広大な図書館は、この国の高度成長期に建てられた4階建ての建物だ。地元の著名な建築家にデザインを依頼したそれは、石でできた方舟を思わせる。
そんな、どこか昭和くさい佇まいの鉄筋コンクリートを剥き出しにしたその建造物には、その地下の階層を含めれば、おそらく一生かかっても読みきれない書物が納められているはず。
ルシアはキョロキョロと吹き抜けのホールを見回しながら先頭を歩いていく。こういう雰囲気は嫌いではない。
建物の中央には1階から3階まで貫く大きな吹き抜け構造があり、蔵書でごった返していながら、それなりの開放感がある。
ワインレッドのカーペット、蔵書の保全のために光が制限された薄暗い静かな大空間。それは心を落ち着かせるものであり、少し薄汚れているのも悪くない。
広すぎて管理が行き届いていないのか、所々においてある観葉植物の葉にはホコリが積もっていて、どこか時間が止まった、取り残されたような雰囲気。
「ねぇねぇ、ルシアちゃんは何を調べに来たの?」
「あー、その、なんだ、雑誌とか新聞のバックナンバー…かな?」
「? 変なもの読むんだね」
不思議そうな表情をする地元の中学の制服を身に纏う美少女、春奈。3年前に比べれば幾分大人びていて、背も高くなって、美人になっていた。あの時はまだ小学生だったはずだ。
春奈とこんなタイミングで出会うとは思わなかった。いや、内心、もしかしたら会ってしまうのではないかという予感はしていた。
妖精文書との親和性は基本的に血縁には依らないから、彼女が私の身の回りで起こるだろう異変に巻き込まれない事を無意識に信じ込もうとしているのかもしれない。
「まずは…パソコンで検索した方が早いんじゃないか?」
「そだな」
「新聞のバックナンバーはこっちで調べられるみたいよ」
「だが、何のとっかかりもないと、探すのはしんどいとおもうぞ?」
「抜かりはないぜ」
ポシェットから一枚のプリントを取り出す。昨日、後藤のパソコンで調べておいたリストだ。
探しているのは、未解決の怪異に関する事件の情報。この世界に紛れ込んだ妖精文書に関わる事件を探し出すのが主な目的だ。
上手くいけば『妖精文書』そのものがどこかに保管されている、なんて情報も見つかるかもしれない。
色々な候補があるけれど、まずはあの事件、自分が転生するきっかけとなった、飛行機事故について。他には、南洋の島の消失事件など未解決の超常現象。
そうして資料の捜索を開始する。少しすると佳代子が最初に動き始め、それに倣うように春奈と後藤も何も言わずに私を手伝い始めてくれた。
おお、持つべきものは友。頼まなくとも手伝いを始めたりとは、空気を読む日本人らしい行動ですな。こんなんだからワーカーホリックになるんだ。
「うさんくさいな」
「なんでこんな事調べてるんだろ?」
そんなエクストラの反応の数々。妖精文書が関わってるっぽい事件というのは概してそういうものだ。
¥
―そして、そんな作業を始めて2時間ちょっと。
「なに…これ?」
「いやいや、おかしいだろ。なんでこんなにわけの分からん事件が起きてるんだよ!?」
佳代子と後藤が顔をしかめる。実際に新聞などの記事になり、原因が良く分からずうやむやになった事件。そんなのが山と出てくる。
3年前の飛行機事故を発端として、国内国外を問わずそういった事件が加速度的に増加していた。街が一つ消失して、数千人が一夜にして跡形もなく消えたなんて事件もある。
「こんなにも色々と起きているのに、マスコミの話題にも上がらないなんて…」
「大体の事件が数日で続報が途絶えてるな。まあ、規模が小さいのも多いんだろうが」
そして、それらの事件を関連づける考察が一つも見当たらない。3年前から増加した傾向についても、それに言及するような意見は一つもないのだ。
それはオカルトを専門に扱う胡散臭い雑誌にしても同じで、そういった事件については思い出したように散発的に触れるだけ。
そしてふと気づく。春奈の顔が真っ青になっていた。思わず声をかける。
「おい、大丈夫か春奈?」
「……ちょっと、気分が悪くなっちゃった」
「向こうに休憩場所があるわ。春奈ちゃん、いきましょ」
「うん…。ごめんね、ルシアちゃん。ちょっと休んでくるね」
佳代子が春奈を連れて休憩所に向かう。残されたアタシの傍に後藤が近づいてくる。
「お前の事件、まだアイツ引き摺ってるみたいだな」
「…そっか」
バツが悪いなと思いつつ、付き添われて出て行った後の誰もいない空間に視線を送る。何でこうなったのかという思いは確かにある。未練も多い。
あの出来事に巻き込まれたことは不幸だった。けれども、今はもう一応は整理はついているつもりだ。後悔後に立たずみたいな。
「それはそうとしてさ、後藤…」
「なんだ?」
「あいつ、デカくなったよな」
「ああ、ぷるんぷるんだな。あの大きさは正直そそる。挟まれたい」
「どのぐらいなんだろ」
「Dは確実に超えているな」
「ほぉ、お前はアタシの妹にそういう視線を送っていたのか。そうかそうか、つまり君はそういう奴だったんだな」
「え、あれ、何この唐突に仕掛けられた地雷?」
「はは、地雷ってそういうもんだろ親友」
私はそう言うとポキポキと指を鳴らして立ち上がり、後藤に向けてかわいらしい笑顔を向けた。後藤は「ご冗談を」「すまんかった、性欲を持て余した」などと見苦しい言い訳を始める。
「お、男なら分かるだろ? 反射だ、反射なんだ! 俺は悪くない」
「さあ、罪を数えろ」
「ちょ、お前、そんなシスコンだったっけ? ちょ、あ、それ電気? やめ、ひゃめて、あががががががががが!?」
◇
「まだ痺れが取れんのだが…」
「妹は至宝」
いろいろこじらせた結果がシスコンかよ…。今や並んでても巨乳の方が年上に見えるのに。
「んで、これも妖精なんとかのせいなのか?」
「これ見てみろよ」
アタシは春奈には隠していた一枚の記事を後藤に見せる。どんな病気でもたちどころに治してしまうという奇跡を起こしたインド人女性の話。
その写真には女性がアクセサリーとして身に着けるのは、見たことのあるような宝石板。記事には、その宝石を手に入れた時から、彼女に奇跡の力が宿ったという。
「…これ、そうなのか?」
「ペリドットの一種って類推されてるから、第7かな。天使か何か呼んだんじゃね?」
黄緑色の、ちょうどペリドットのような色合いを呈する妖精文書は第7類型に分類される。向こうの世界では一つの宗教体系を生み出し、神や悪魔を世界に解き放ったとされるタイプだ。
規模にもよるが、暴走した場合、呪いや悪質な化け物を世に放つなど極めて厄介な影響を後世にまで残し続ける性質がある。まあこれは、大規模な文書災害の共通した傾向だけれども。
「第7?」
「妖精文書ってのは13種類に分類されててな、それぞれ、発現する力の方向性が違ってるんだよ。基本的には、色で分類できる。第7類型ってのは想像上の存在とか出したりできんの」
13色。13種。それぞれが強力で人知の及ばない力を宿した、人類の存続にすら影響を与えかねない最大級に厄介な危険物。
「しかし、こんなに事件が起きてるのによく今まで話題にならなかったな」
「無意識に干渉するタイプってのがあってさ。もしかしたら、そういった事件から目を逸らすように干渉受けてるのかも。もしそうなら、この規模の干渉を考えるとかなりの大物だろうな」
「大物?」
「下手したら第三次世界大戦起こして人類絶滅させるぐらいの干渉規模ってこと。まあ、そこまで行くことはほとんどないんだけど」
第2類型による文書災害は人心を蝕むという意味で最悪だ。一国全ての人々のモラルを破壊した事件では、周辺国を巻き込んで数多の悲劇を生み出した。
強盗、強姦、拉致、詐欺、殺人、紛争が蔓延り、人心を荒廃させ、その影響を受けた人々の地位を暴落させた。今でもその地域の人間は息を吸うように嘘をつくといった差別的な先入観を持たれている。
そんな規模の干渉が、この世界の、例えば核ミサイルを有している強力な軍事力を持つ大国で起こったならば何が起きるだろうか?
きっと、碌な結果にならないだろう。
と、そんなやり取りをしていると、なにやら周囲が騒がしくなる。周りにいた来館者たちが、ガラス窓に集まりだす。
「火事でも起こったのか?」
「警報は鳴ってないな」
騒ぎはどんどんと大きくなり、しまいには図書館の外へ駆け出す者まで現われる。流石に無視を決め込むわけにはいかなくなり、後藤と共に窓へと向かうと、
「なんだ…、コレ?」
それは、黒い何かだった。敷地内を埋め尽くす黒い何か。それが波立つように蠢き、図書館を呑み込もうとしている異様な光景。
「ネズミ?」
何やら全体が生物の内臓のように蠢き不快感を催させるそれは、良く目を凝らせば小さな生物の群集。黒く薄汚れたネズミの集団であった。
「おい、これって…」
「くそっ、このタイミングかよっ!」
毒づくと同時に、後藤が視線を投げかけてくるのに気づく。どうやら同じことを想像したようだ。そしてとっさに、今、ここにいない二人を探すため周囲を見回す。
「とりあえず二人を探すぞ疫病神」
「分かってるよ!」
そしてアタシたちは同時に駆け出した。