(1)
「えーっと、まずは恋愛の件だってことはここに来る途中に分かりましたよね?」
拓斗はそのことを確認するように美雪へ尋ねる。
その質問に美雪は頷く。
「好きな人は幼馴染なんです。よくあるパターンかもしれませんけど、ずっと一緒にいるからこそ、好きになったって感じですかね。そこでちょっとした問題がつい最近、発覚して迷ってるんです」
「口を挟んでごめんね。その幼馴染の名前は?」
「あ、すみません。浅田楓って言います。
「楓ちゃんね、分かった。それで問題って何なの?」
美雪の質問に対し、拓斗は口をいったん閉じる。
相談相手を頼んでおきながら、そのことをあまり口に出したくない。そんな雰囲気が拓斗の身体から溢れ始める。
そのことに美雪も気付いていたが、拓斗の顔をジッと見るだけで何も言おうとはしなかった。
美雪が言わない代わりに「ニャー」と猫が急かす。
「こーら、このタイミングで鳴かないの」
軽くだがスゥの頭をペチッと美雪は戒める。
美雪に怒られ、スゥはスゥなりに反省しているらしく、「ニャー」と鳴いて応える。
「仲良いですね」
そのやりとりを見て、少しだけ和んだ拓斗は弱々しく笑みを溢す。
「ごめんね。拓斗くんのペースで良いから。私は別に焦らせるつもりはないからさ」
「はい。でも大丈夫です」
「そっか」
拓斗は一度ゆっくり息を吐くと、
「最近、気付いたことなんですが、楓の奴部活の先輩と付き合ってるみたいな噂が流れてたんですよ」
信じたくないとでも言いたげな表情と共にその拳を握りしめる。
今まで隠していたショックが溢れ出しそうなぐらい、拓斗の声は自然と震え始めていた。
やばっ!
そう思いながら、拓斗は目尻に浮かんできた涙を腕でゴシゴシと拭き始める。
こうやって誰かに相談すると思っていなかったせいもあり、心の中に溜まっていた悲しさやら怒りなどの負の感情がいきなり爆発したせいだった。一度噴き出した物が簡単に治まるはずもなく、拓斗の意思とは関係なく涙は溢れ続ける。
「そっか、それは辛いね。拓斗くんがそんなに辛くて涙が出ちゃうんなら、私なんてきっと毎晩泣いてるに違いないね」
その様子を見ていた美雪はそう拓斗に言葉をかける。
「な、泣かないでしょ? う、ウソ……吐かないで、くださいよ……」
拓斗は震える声で美雪に反論。
そう思ったのは、少なくとも自分より美雪のほうが精神的に強いと思ったからだった。
「どう、して……そう思うの?」
しかし、その予想を外すように美雪の声は少しだけ震えていた。
ハッとして拓斗は拭っていた腕を放し、歪んだ視界で美雪を見つめる。
そこには同じように涙を流す美雪の姿。
こちらは拭おうとはせず、頬を伝っていた。
「あ、ご、ごめんね! 拓斗くんの、言葉に傷ついたわけじゃ、ないからね」
そのことに一瞬遅れて気付いたのか、美雪は指で涙を拭いながらフォローを入れる。
が、拓斗からすれば自分の何気ない一言で傷付けてしまった、と思い、
「ご、ごめんなさい! 相談、に……のってもらっておきな、がら……傷つけちゃって」
と、ペコリと頭を下げる。
それが原因で拓斗の心はさらに追い詰められ、さっきまでは小粒だった涙が大粒の涙へと変わってしまう。
その時、拓斗の頭にちょっとした刺激が走る。
顔を上げると、テーブルに手を置き、身を乗り出している美雪の姿があった。しかも、空いている手が拓斗の頭より少しだけ上に浮いていた。
叩かれたんだ。
今の刺激の意味を理解した拓斗はどうしていいか分からず、叩かれたことにショックというよりも怒らせてしまったことにショックを受けてしまう。
「バカだね、拓斗くんは……」
そのことさえもフォローするように美雪は口を開く。
「私が拓斗くんの言葉で傷付いたって思ってるんでしょ?」
美雪はそう言いながら、ソファーに座り直す。
「違うよ? 私はあんな言葉で傷付いたりしない。私が泣いてるのは拓斗くんの気持ちに共感しちゃったからだよ」
「きょ、きょうかん……?」
「そうだよ。どれくらいの日々を悩んでいたのか分からないけど、ずっとそのことに頭を悩ませながら過ごしてきたんだ。そう思うと、その気持ちが分かるような気がして悲しくなっただけ。だから、そんなに気にしないでいいんだよ?」
「は、はい……」
「今までよく頑張ったね。偉いよ、拓斗くん。すごいね、拓斗くんは……」
「うっ、そ……そ、そんなこと……ないです」
こんな風に褒められると思っていなかった拓斗は、今まで溢れていた悲しみが嬉しさに変わり、さらに涙を溢す羽目になってしまう。
しかも、駄目押しと言わんばかりに拓斗の膝の上にある重みが走る。
さっき以上に歪んでしまった視界で膝の上を見つめると、白い毛むくじゃら――スゥが拓斗の膝の上で丸まっていた。
すでに泣き止んでいる美雪はクスクスと笑い、
「スゥも慰めてあげるって。その子、人懐っこい子だから時間の問題ではあったけど、もう拓斗くんに心を許したみたいだよ。よかったね、拓斗くん」
この場にいる全員が自分のことを想ってくれている。そう理解した拓斗はスゥの背中を撫でながら声を上げて泣いた。我慢することなんて出来なかった。いや、我慢する必要もないのだろう。そのことが本能的に分かってしまい、泣かざるを得ない状況になってしまっていた。
声を上げて泣く拓斗に美雪もスゥも無言で黙っていた。
拓斗が聞こえなかったわけではない。
本当に何も言わなかったのだ。
拓斗が泣き止む間、ずっと……。
◆◆◆
それから二十分後。
拓斗はお手洗いを借り、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまった顔を洗い、再びこの部屋に戻ってくる。
「情けない姿を見せてしまってすみませんでした」
そう言って頭だけ下げると美雪は首を横に振り、
「ううん、大丈夫だよ。泣きたくなる気持ちは分かるからね」
と、微笑む。
スゥはまだ拓斗のことを気遣っているのか、拓斗がお手洗いから戻って来るなり、拓斗の膝の上に乗り、指定席と言わんばかりに体を丸めている。『猫が膝に乗る=どこかを撫でる』という自然の動作を拓斗が行っても、スゥは嫌がる素振りは見せない。そのため、気持ちを落ち着かせる行為として背中を撫で続けた。
「とにかく拓斗くんの問題は少しだけ分かった。けど、その時の状況を知りたいから教えてくれる? 辛いのは分かるけど……」
そう尋ねてくる美雪に、
「どの時の状況のですか?」
拓斗はそう尋ね返す。
「拓斗くんが、楓ちゃんが付き合っているという噂を知った時の状況だよ。良かったら楓ちゃんの反応も知りたいかな……。知ってたらいいんだけど」
「その時の、状況ですか……」
「うん」
「……分かりました」
美雪の言う通り、その時のことを思い出すのは拓斗からすれば辛い以外何でもなかった。が、ここまで親身になって答えてくれようとしているので、拓斗に話す以外の選択肢もない。
だからこそ、忘れようとしていたその時のことを思い出しながら拓斗は話し始める。