(7)
部屋に残された拓斗は再び部屋を見渡した後、美雪に言われた通り、ソファーの前まで移動。本当に座っていいのか、戸惑った表情を浮かべつつも他に何もすることがないので、
「し、失礼します?」
なんて見えない誰かに質問をしながらソファーの右側に学生鞄を置き、真ん中に身体を預ける。
モフッという何とも表現しにくい音ともに郁人の身体はソファーの沈み込んでしまい、慌てて身体をソファーから引き離す。
「なに、このソファー。マジ、ヤバい」
ソファーに座った経験がないなんて言える時代ではないが、身体が沈み込むような感覚が味わえるソファーに座ったことの経験のない拓斗にとって、十分衝撃的な物だった。
が、今度は覚悟を決めて、ソファーに身体を預ける。
やはりちょうどいいぐらいに沈み込んでくれるソファー。
その感覚に酔いしれるようにぼんやりと天井へと視線を向ける。
「なんか、すっごい落ち着く。なんでだろ?」
他人の家にも関わらず、自分の部屋にいるような居心地の良さを感じながら、拓斗はそう呟いた。
分かるのは、今まで行ったことのある部屋よりも温かみのある部屋であるということだけ。
が、それだけでも拓斗の心は安らいでいき、眠気が襲いかかってきてしまう。
寝ちゃダメだ。
そう思いつつも拓斗は自然と目を閉じかけようとした時――。
「お待たせー。ごめんね、ちょっと時間かかっちゃった!」
美雪の慌てた声と共に開かれたドアの音に拓斗はビクッと身体を跳ね上げさせて、ソファーに預けていた身体に力を入れて背筋を伸ばす。
「だ、大丈夫です! 待ってないです!」
何事もなかったように言う拓斗だったが、拓斗の声は普段よりも動揺から少しだけ上擦ってしまう。
それを美雪が見逃すはずもなく、
「もしかして寝てた?」
反応に困ったような笑いを溢しつつ、紅茶やお菓子がのっているトレイをテーブルの上に置く。
「そ、そんなはずないでしょ!? 嫌だなー!」
「ふーん。別に良いんだけどね。寝ちゃったとしても」
拓斗の反論を全く信じてないような言い方をしながら、トレイに乗っていた紅茶のカップの一つを拓斗の前に置き、美雪はソファーに座る。そして、お菓子の入った器を二人の真ん中に置き、残されたトレイを邪魔にならないようにテーブルの端へ移動させる。
その様子を見ながら、拓斗は美雪の言った言葉の真意を確かめるべく、質問した。
「それ、どういう意味ですか?」
「この部屋にはそういう緊張を取り除くような趣旨の物しか置いてないってこと。物というか部屋そのものがそういう構造にしてるの。あ、紅茶どうぞ」
「ありがとうございます。だから、この部屋は落ち着くんですね」
「それが無事に伝わってくれてるみたいでよかったー」
「今まで感じてくれなかった人はいるんですか?」
「ううん、いないよ」
「……」
即答で否定する美雪の反応に拓斗は思わず無言になってしまう。なんで答えればいいのか、まったく見当がつかなかったからだ。
それを誤魔化すように目の前に置かれたカップを手に取り、口に持っていこうとした拓斗の鼻にオレンジの香りが届く。
「これって」
「あ、気が付いた? オレンジの匂い」
「なんですか、これ? すごく匂いが強いような……」
「アールグレイだからね。匂いが強い紅茶なの」
「へー、詳しくないから分からないけど……こんなのもあるんですね」
紅茶と言えばミルクティーや親が買ってきては適当に入れてくれるインスタントの紅茶しか分からない拓斗にとって、目の前にある紅茶は新鮮であり、ちょっとだけ迷いつつも口に含む。
すると拓斗の口の中には普段から飲んだことのあるミルクティーの味、飲み込むとちょうど良いくらいの熱さが全身を駆け巡ったような気がした。
「これ、ミルクティーなんですか?」
「うん、ミルクで匂いを調整してるの。アールグレイって温度によって匂いが強くなるタイプだから、今みたいにミルク入れたり、アイスで調整したらちょうど良くなるんだよね。時期的に寒いからアイスを除外すると、ミルクを入れるしか選択肢がなかったの。もしかして苦手だった?」
「あ、いや……なんかもっと違う味がするのかと思って……」
「紅茶にも色々種類があるからね。興味を持ったなら、自分で調べるのが一番だと思うよ? 私が今日出したのは今の拓斗くんにふさわしい効果があるものを出したにすぎないから。っていうより、説明が面倒だからパスさせてくれる?」
「はぁ」
自分の分の紅茶を口にしながら美雪は視線をわざとらしく逸らす。
その様子から、本当に面倒なんだな、と察した拓斗はこの件に関して、口にしないことを心の中で決める。
それでなくてもこれから相談することで美雪を大いに悩ませる可能性があるのだから、これ以上迷惑をかけたくなかったのだ。
「じゃあ、そろそろ拓斗くんの――」
「ニャー」
しばらく二人が無言で紅茶の味を楽しんだ後、美雪がそう言いかけようとした時、不意に聞こえる猫の泣き声に美雪は言葉を止める。
「猫?」
拓斗がそう尋ねると、
「うん、猫だね。ちょっと待ってて。あ、苦手?」
「いえ、大丈夫ですけど……」
「アレルギーとかは?」
「ないです」
「じゃあ、大丈夫だね」
そう言って美雪はドアへ近付き、ドアを少し開けると一匹の猫が部屋の中に入ってくる。
全身が真っ白い猫。
すでに成人しているらしく、どこかその猫に優雅さを拓斗は感じる。
その猫は拓斗の存在など関係なしにテーブルの下をくぐると、美雪が座っていたソファーの左側の座へジャンプ。着地すると、一瞬だけ拓斗に視線を向けるも興味がないように毛づくろいをし始める。
「飼ってるんですか?」
「ううん、野良猫だよ。たまにこうやって甘えに来るんだよ。ま、エサとかは用意しなくてもどこかで貰ってきてるみたいだからいいんだけど」
美雪は呆れたようにそう言うもどこか嬉しそうに笑いながら、元居た位置――ソファーの真ん中にもう一度座る。
「ごめんね、スゥのせいで」
「名前あるんですね」
「一応ね。私の家に来た時に呼んでる名前だから本当の名前は知らないの。まー、知った所でスゥって呼ぶと思うけど」
「猫もだけど、お姉さんも自由ですね」
「いいのいいの。猫なんて構ってほしい時にだけ甘えてくるんだから」
「猫全部に対する宣戦布告ですね、それ」
「かもね。でも、スゥは気にしてないみたいだからいいんじゃない?」
美雪の言う通り、スゥはその言葉にあまり関心がなさそうに毛づくろいをしていたかと思うと、美雪の膝の上に無理矢理に乗ると所定位置のように身体を丸める。
そのスゥの行動を美雪は嫌がるわけでもなく、膝の上に乗ってきたことを良いことにスゥの背中の行動を撫で始めた。
もう一連の行動パターンになのか。
違和感のない動作に拓斗はそう思ってしまうほどだった。
「じゃあ、今度こそ拓斗くんの悩みを聞こうかな」
「はい、お願いします」
「うん、こちらこそお願いします」
美雪の返事を皮切りに拓斗の悩み相談が始まる。