(3)
二人がそんな会話をしていると、その十字路から一人の女性が電話をしながら、一人の女性が姿を現す。
「ほら、たっくん。そこは邪魔になるよ!」
「分かってるよ」
道の真ん中あたりで話していた拓斗と楓は、曲がってきた女性に道を譲るように左の方へ少しずれる。
しかし、そこで拓斗は一種の変な感覚に襲われた。
この女性、知ってる?
顔も容姿も見たこともないはずなのに、心がその女性の存在を呼びかけてきたのだ。
が、女性は拓斗のことなど知らない人のように拓斗には目もくれず、楓を通り過ぎ、拓斗の横を通り過ぎようとしていく途中で、
「良かったね、拓斗くん」
と、不意に本当に拓斗がギリギリ聞こえるような範囲の声で耳に届く。
拓斗はその言葉に反応し、通り過ぎた女性の方を見た。
「お姉さん!」
そして、そう叫んだ。
顔も容姿も声も全部覚えていない。覚えていないのに、小さく呟かれた言葉が電話をしている相手ではなく、自分に対して言われたような気がしたからだ。
「え?」
その女性は驚きの声を上げ、拓斗に向かって振り返る。意味が分からないという表情で周囲を確認した後、自分の指差し、
「私、のこと?」
と、拓斗へその言葉が示す自分を確かめる。
「は、はい。すみません、いきなり呼び止めたりして」
拓斗はその女性へ歩み寄ろうとすると、
「ちょっ、たっくん!?」
後ろから楓によって右手を掴まれ、動きを一旦封じられてしまう。
「ごめん。ちょっと確認させて。ナンパとかじゃないから」
「それは分かるけど……。でも、いきなり……。ほら、お姉さんだって困ってるみたいだし……」
「それでも確認したいことがあるんだ」
拓斗はその絶対なる意思を見せるため、楓に掴まれた腕を振り払い、今度こそその女性へと歩み寄る。
そして、ある程度の距離を開けて立ち止まり、
「もしかして、海堂美雪さんじゃないですか?」
と、あの時聞いた名前を尋ねてみた。
拓斗が現在覚えているのは、美雪の名前のみ。他に確認する術がなかったからのだ。
すると、女性は困ったように首を横に振りながら、
「ごめんね、私の名前は海堂美雪って名前じゃないの」
申し訳なさそうに謝られてしまう。
うわっ、やっちゃった!
瞬間、拓斗の心には羞恥心が溢れ、一気に体温が上がったことが分かるほど、ダラダラと汗が出始める。
それだけ、この女性が美雪であるという直感に自信があったからだ。容姿も声も心の中に微かに残っている声に当てはまり、視界に入った瞬間に起きた違和感が美雪であると伝えてきた。そして、ダメ押しと言わんばかりに小声での慶事の挨拶。証拠が十分に揃っていたにも関わらず、外してしまった。
拓斗は少しパニックを起こしてしまい、どういうフォローをしたらいいか困っていると、
「すみません、幼馴染が人間違いしてしまったみたいで」
そう言って、楓が拓斗の横に並んで頭を下げる。
「あ、そうなんだ。ううん、大丈夫だから気にしないで。そういう時もあるよね」
「ありがとうございます。ほら、たっくん。ちゃんと頭を下げて謝って」
楓に制服の袖を引っ張られたため、拓斗はまだ動揺を隠せないまま、楓と同じように頭を下げる。
「す、すみませんでした。電話をしている最中に変なことを尋ねちゃって!」
「あ、頭を上げて、二人とも。電話もちょうど切られたタイミングで呼び止められたし、大丈夫だからね。うん、他の人は知らないけど、私は大丈夫だから安心して!」
一人だけならまだしも、二人に頭を深々と下げられているせいか、女性は慌てたような口調でそう言った。そして、場を紛らわせるように、
「もしかして、二人は付き合ってるの?」
と、二人に尋ねた。
それを聞いた拓斗と楓はちょっとだけ驚き、二人して恥ずかしそうに見つめ合いながら笑ってしまう。そんな雰囲気は見せていないつもりなのに、そのことが言い当てられたことが恥ずかしくなってしまったからだ。
二人が答えずにいると、女性が二人の答えを待たずに口を開く。
「そっかー、羨ましいなー。うんうん、良い恋愛をしてね?」
「「はい」」
「のろけ話の一つや二つ聞いてあげたいけど、ちょっと私にも用事があるから、もう行くね? いつまでも仲良くー!」
女性は足早に会話もほどほどに、足早に二人から離れていく。
逃げ出そうとしているのか、それとも本当に用事があるから離れたのか、拓斗には見当が付かなかった。が、女性を止めることが出来ないことは事実。出来るのは、その遠ざかっていく背中を見つめることだけだった。
「もう……たっくんの、バカ」
拓斗の横にいる楓はホッとしたように息を吐きながら、拓斗を見つめて、ちょっとだけムスッとしていた。
人間違いしたこと、他人に付き合っていることを見破られたことに対して、緊張してしまったらしい。
「ごめん。でも、あの人っぽいような気がするんだよ。根拠ないけど」
「根拠を持ってから、そういうことは言おうねー。ほら、いつまでもあの人の背中を見ててもしょうがないんだから、お家に帰るよー」
そう言って、楓は無理矢理拓斗の腕を掴み、引っ張り始める。
拓斗はもう少しだけ遠ざかる彼女の背中を見ていたかったが、楓の言うことも最もだったため、抵抗することはせず、素直に引っ張られていく。
もう諦めるしか……ないか……。
直感が囁いた人物でさえ間違ってしまったことに、拓斗はもう思い出すことは無理だと悟るには十分な出来事だった。あの女性以上に雰囲気が似ている人はいないと、これもまた直感が囁いているからだ。
「分かったから、もう離してって!」
拓斗はそう言って、楓が掴む手を振り払う。
お礼すること。
お姉さんを見つけること。
その全てを振り払うかのように。
楓は拓斗のその行為にちょっとだけ驚いた表情を浮かべるも、すぐに拓斗がしっかりと手を握ったため、瞬時にその表情がなくなる。怒っているわけではない、とすぐに分かったからだった。
「ごめん、強すぎた。意外に力が……」
「やっぱり男の子ってことだね。じゃあ、帰ろっ」
「うん」
こうして二人はまたどうでもいいような会話をしながら歩き出す。さっき起こったことはなかったかのように。




