（６）
「もう、痛いってば！ 抱きついてくるのは良いけど、もうちょっと優しく抱きしめてよ！」
楓はそう言いながら抱きしめるのではなく、拓斗の背中をペチペチと叩いて、本当に痛いことを知らせる。
その反抗に拓斗は意識を取り戻し、慌てて離れ、
「ご、ごめん！ なんか色々と我慢出来なかった！」
と、自分の行為で楓の顔がまともに見られなくなってしまい、目を逸らしてしまう。
そんな自分の行為に恥じている拓斗を見ながら、楓はクスクスと笑い出す。
「昔と変わってないねー」
「え？」
「今は完全に異性として見られてるから簡単に抱きついてくるとは思わないけど、子供の時は抱きつき癖があったよね？」
「……そうだっけ？」
「覚えてないの？」
「うん、まったく」
「あー、じゃあ、とっくの昔に克服しちゃったのかな？ 昔はよくぬいぐるみを抱きしめて寝てたじゃん」
「……あー、それね。いや、人間に抱きつく癖とは違うじゃん」
「でも、私にはよく抱きついてたよ？」
「いや、それは――あー、もういいから。それは良いから！」
「ふっふーん、恥ずかしがってる」
「うるさいって」
からかい始めていることに気が付いた拓斗はそう言って、これ以上この会話で盛り上がることを拒む。
そんな拓斗を見ながら、楓はクスクスと笑い続けている。
この関係を求めていたことには変わりはなかったが、いきなりからかわれ始めると考えてもみなかったため、拓斗はこの状況をどう打開しようかと髪を掻きながら考えていると、
「えいっ！」
と、いきなり楓が拓斗の腕に抱きついてくる。
「へ？ どうしたのさ？」
楓から抱きついてくると思ってもいなかった拓斗はそう尋ねると、
「さっきのお返し。身体は向けてくれないから、腕に抱きついてみたの」
楓は上目遣いをしながら拓斗の質問に答えた。しかし、楓本人もこの行動が恥ずかしいのか、顔が紅潮していた。
拓斗は楓の様子を口にして、さっきのお返しをしてやろうか、とも考えたが、すぐにその考えを排除した。それだけ今の状況が幸せであり、その妨げになるようなことをしたくなかったからである。
が、同時に会話が途切れてしまう。
それだけ二人が今という時間を大切にしていたからだ。
しばらく、二人は無言でいたが、それを破ったのは楓だった。
「ねー、たっくん」
「ん。何？」
「あの噂の件、本当のこと教えてあげようか？」
「本当のこと？」
「うん。実際、大した話じゃないんだけどね」
「大した話じゃないの？」
「うん、全然大した話じゃないよ。あ、もしかして、興味ない？」
「んー、ないって言ったらウソになるけど、興味ない」
「そうなの？ 夕方までは気になってたのに？」
「いや、ほら、今が幸せだからいいかなって……」
「あ、そういうこと言っちゃう？」
「うん。野暮なことで雰囲気を壊したくないし……」
「そうだよねー。うん、分かった。じゃあ、この話は後日にしよう」
あれ？
拓斗は楓のあっさりとした諦めに心が揺らされてしまう。
本当に大した話じゃないのか、それとも拓斗の今の雰囲気を壊したくないという気持ちを尊重してくれたのかまでは分からなかったが、楓が関わってくるため、もうちょっとだけ粘ってくると思っていたからだ。
そのため、逆にその話が気になってしまった拓斗は、
「や、やっぱり聞きたくなった。教えてほしい」
慌てて、自分の言葉は撤回した。
楓はその言葉を待っていたかのように、「ふふっ」と笑いを溢し、
「そう言うと思った。まったくー、最初から素直に言えばいいのにー」
と、拓斗の言動を見透かしていたらしく、そう返した。
あ、ハメられた。
その発言からそう気付くのに時間は必要なく、ちょっとだけその策略に嵌められてしまったことに悔しい思いをしてしまう拓斗。
「なんで分かるかなー。その相談した人にも心を――あの人は特別だけど……」
そのことが分からなくて、拓斗は髪を一回掻いた後、嘆息を漏らす。
すると、楓も「へー」と興味深そうな声を出した。
「どうしたの？」
「たっくんの性格を分かってる人もいるんだなー、って思って。ほら、私は幼馴染だから分かって当たり前だけど」
「あー、その人はちょっと不思議な人だから」
「ふーん、そっかー」
「気になる？」
「少しね」
「明日、付いて来てもいいよ？」
「そう言われると行きたくなくなるのが私なんだけど、やっぱり付いて行こうかな？ なんか、気になるし」
「うん。紹介したいし」
「そうだね。行くよ」
「というわけで、この話は明日ということで。それで噂の件について教えて貰おうかな？」
「噂の件の真実はねー」
楓は突如としてクスクスとして笑い始める。その様はまるで、簡単に話したくなくて笑うことで焦らしているような溜め。
もちろん、拓斗はその策略に引っ掛かり、余計に気になってしまっていた。
「早く教えてって」
「うん。あれはねー、長谷部先輩の彼女を隠すために私が付き合っているという設定のウソの噂なの」
「うえ!? 彼女いたの!?」
「うん、居たんだよ。これは秘密ね？ 中学校からいる彼女さんらしくて、先輩目立ってるから、変な風に被害に会わないために私が協力してあげてたにすぎないの。けど、もう終わりだね。たっくんと付き合っちゃたし……」
「えへへ」と楓は困ったように頬を掻きながら、苦笑いを浮かべる。
予想してなかった噂の真実に拓斗は呆然としてしまう。
勇が彼女の一人や二人がいることを信じていないわけではなかったが、まさかそれを隠すために楓が協力していたことが信じられなかったのだ。本当の彼女を隠すために楓が被害に合うことを考えなかったのか、とそのことに少しだけ苛立ちさえ覚えてしまう。きっと、それなりに色々と考えていただろうが、それでも危険が伴うことはあったのだから。
