(5)
そのキスが終わったのは勇が自分の意思で楓の唇から自分の唇を放してからだった。
楓は途中で嫌がる素振りを見せたが、キスのせいで力が入らなくなったのか、途中で抵抗することを止め、勇にされるがままの状態になってしまっていた。
拓斗も拓斗でその光景をずっと見ていた。逃げようと思えば逃げられたはずなのに、逃げなかったのは拓斗自身にも分からない。
「これで分かったか! 楓は俺の彼女なんだ! 幼馴染だからってお前には渡さない!」
勇は勝ち誇った顔でもなく、必死の表情で拓斗に言い放つ。
余裕というものは一切なかった。
このことから拓斗は先ほどのキスは拓斗を挑発するために見せつけたものではなく、余裕の無さから精神的に追い詰めるものだと気付く。
「……勇」
楓も勇の必死が伝わったらしく、今度は自分から勇へキスを行う。勇のような大人のキスではなく、一瞬唇が振れたのかさえ疑ってしまう程の短いキス。
勇は楓からキスしてくるとは思っていなかったらしく、楓の唇が離れた後、自分の唇に触れながら驚いていた。
「――バカだなー。私が勇と別れるわけないじゃないですか。ちゃんと最後まで話を聞いてくださいよ」
「え?」
「確かにたっくんの気持ちは確かめました。本当に気持ちを確かめただけですよ。現在の私には勇がいるんですから。幼馴染の好意を知ったからって簡単に昔に戻れないんです。だから、安心してください」
「……本当に大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫ですよ。だから、勇が私を幸せにしてください」
「…………分かった。そこまで言うなら頑張る。だから、俺を見捨てないでくれ。俺には楓しかいないんだ」
「はい。あ、でも先に言っておきますけど、幼馴染としての関係は切れないですよ? たっくんには『私を襲う』なんて勇気なんてないですから。だから、私たちの関係は進展しなかったんです」
「ああ、分かってる」
「なら、良いんです! じゃあ……部活に戻るのも面倒なので遊びに行きませんか?」
楓はそう言いながら、勇の腕を掴んで、無理矢理引っ張るようにして拓斗の横をすり抜けるようにして歩いていく。
「ちょっ、おい!」
勇もそう言いながらもまんざらじゃない様子で歩いていく。
完全に二人の世界に入ってしまっているのか、拓斗にかけられる言葉は何一つない。
が、拓斗はすれ違う一瞬の間に行われた楓とのアイコンタクトを見逃していなかった。
二人の姿が完全に見えなくなってから、拓斗はズボンに付いた埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「――また助けられちゃったか……」
楓とのアイコンタクトの意味、『私が連れて行くから、無事に帰ってね』というもの。
その意味に気付いたからこそ、楓が勇へ行ったキスも拓斗に見せつけるためではなく、助けようとするために行われたものだと拓斗は気付くことが出来た。
しかし、それ以上に拓斗に対する恋愛感情も完全にないことも知らされたようなものだった。
なぜなら、楓は人前であんな風にキスをはずがないからだ。
人間というものはそう簡単に性格が変わるものではない。幼馴染である以上、楓の性格を一番知っているという自負のある拓斗にとって、あんな風に自分に見せる行動=拓斗への興味がないことを知るには十分すぎる行為だったのだ。もちろん、その意味に『勇を安心させる』という想いが強かったのかもしれない。しかし、楓ならばキスなんてしなくても勇の怒りを治めることが出来ると思っていた拓斗は、キスの裏に隠された無意識の本心に気付いてしまったのである。
「情けないよな、本当に」
告白する勇気もない。
奪い取るという勇気もない。
誤解を解く力もない。
そんな状態の中、拓斗は都合の良いことを望むことしか出来なかった。ちゃんと告白しておけばよかった、と。
拓斗がそう望んだ瞬間、景色にピシッ! と亀裂が入る、
「え?」
何が起きているか分からない周囲を確認するも、その亀裂はどんどん広がっていき、瞬く間にパキィン! という盛大なガラス音を立てて砕け散る。
「な、なに!?」と普通ならば声を出してしまうのが人間として当たり前の行動なのだが、そんな言葉すら上げさせてもらえず、拓斗の意識はブラックアウトしてしまう。




