(1)
「おい、拓斗!」
そう自分を呼ぶ声と、右肩辺りを掴まれて、ゆさゆさと身体を揺らされる感覚に拓斗は目を覚ます。が、まだ眠いので、
「んー……」
と、ささやかな抵抗を行う。
しかし、揺らされる行為は止むことなく、拓斗の身体をゆさゆさと揺らし続けられる。それでも無視を続けていたら、拓斗の頭に衝撃が走った。
「いたっ!」
「いつまで寝てるんだよ。早めに学校に来たせいで眠いのは分かるけど、着いてから速攻で寝るってのはなしじゃないか?」
拓斗は寝ぼけ眼で拓斗の方を見ると、正面には田中の顔があった。その表情は言葉に含まれていた通りの呆れた表情。
あ、あれ? いつ学校に来たっけ?
拓斗はその表情を見ながら、ぼんやりと考える。しかし、その経緯を考えようにも寝ぼけた頭では思考が定まらないせいで、拓斗はそれを考えることをあっさりと放棄した。
「ご、ごめん。なんか眠くて眠くてしょうがなくてさ」
「また徹夜でゲームしまくったんだろ?」
「んー、かもしれない」
「かもしれない? どういうことだ?」
「……どういうことだろ?」
「おい! 拓斗が分からないのに俺が分かるはずがないだろッ!」
「うん、それもそうだね。起こしてくれてありがとう」
「どいたま」
田中は起こしたことを気にするな、とでも言いたげに親指を立ててみせる。
その時、教室に入ってくるのは一人の女の子――幼馴染の楓が少しだけ息を切らせた感じで入ってきた。
あー、また朝練かな?
県大会が近いことを知っている拓斗の頭の中ではそのことがあっさりと思い浮かぶ。
「おっはよー、浅田さん!」
田中は右手を上げて、楓に挨拶を行う。
楓もそれにつられるかのように、
「おはよ、田中くん。たっくんもおはよー!」
いつもと変わらない元気だが、朝練のせいで少しだけ疲れた声で挨拶を行ってきた。
「おはよう、楓」
「うん! 朝、眠そうなのは相変わらずだけど、今日はいつになく眠そうな顔してるね?」
「そうかな? なんか、いつも頭がぼんやりしてるだけだと思うけど……」
「だから、『いつもより眠そう』って言うの?」
一時的にその場に止まった楓は再び動き出し、自分の席へと歩き始める。
拓斗と田中は楓を視界に入れるために、自然と身体を楓の方へ向けながら、
「そりゃ眠いだろうぜ? ついさっきまで拓斗の奴、寝てたんだからさ」
「え、そうなの!? 登校してきたのいつ?」
「さあ? 俺が学校に来たときには、すでに熟睡してたけど……。んで、いつ来たんだ?」
楓と田中の視線が拓斗へと集まる。
拓斗は時間を確認するように、黒板の右斜め上にかけてある時計を一度見ながら、
「えーと……」
と、考え込み始める。そして、頭の中に思い浮かんだ時間を答えた。
「七時四十分ぐらいだったかな?」
「はやッ!?」
元からそう答えるつもりだったのか、拓斗の言葉の終わりの「な」と田中の「は」が重なる形で驚きの言葉が発される。が、時間に対して本当に驚いているらしく、田中の目は丸くなっている。
もちろん、それは楓も例外ではない。
目を丸くさせながら、拓斗へと近付き、
「そ、それ、私が朝練のために登校してきた時間と大して変わらないよ? 普段ならもうちょっとゆっくりしてから出るよね? いったい何かあったの? あ、もしかして宿題でもし忘れたから?」
ちょっとだけ失礼な言葉が混ざりつつ、拓斗へと質問を繰り出す。
「宿題はちゃんと終わらせてるって! なんで、そんな失礼な発言が出来るんだよ!?」
ムスッとしながら、それに答える拓斗。
「え、終わってんの!? ちょっ、ノート貸してくれよ!」
それに田中も反応し、そう言い出したため、
「この流れで、なんでそうなったのさ!」
拓斗は即座に田中に突っ込みを入れる。
楓も田中の発言に少しだけ呆れているらしく、情けないようにため息を漏らす。
自分自身でもなんでこんなに早く登校したのか分からない拓斗は、この話を終わらせたくて、
「とにかくさ、遅刻するよりはマシなんだから、これ以上早く登校したことに対するツッコミは禁止ということで」
そう言うと、
「そ、そうだよね。遅刻するよりは良いよね!」
「お、おう。遅刻するよりは数倍マシだな!」
楓と田中はお互いに顔を見合わせながら、「うんうん」と首を縦に振って、拓斗の言葉に賛同した。
「浅田さーん、長谷部先輩が呼んでるよー!」
ちょうど拓斗たちとの会話が終わるタイミングを見計らったかのように、クラスメートの女子が楓に話しかける。
その瞬間、拓斗の心にズキッ! と激痛が走る。
え、何、今の……。
心に痛みが走った理由が分からず、拓斗は首を傾げてしまう。
「あ、ごめんね。ありがとう!」
楓はそのクラスメートの声に導かれるように教室の外に出て行く。「何の用事で来たんだなろう?」という疑問の雰囲気を出しつつも、その表情は少しだけ嬉しそうなものとなっていた。
田中はそんな楓の背中を見ながら、
「やっぱり恋人が来るとあんな表情になるんだなー」
腰に手を置いて、羨ましそうに呟いた。
恋人!?
それはまだ噂の段階だと思っていた拓斗はガタッとイスから立ち上がる。
意図せずに立ち上がったせいでイスは盛大な音を立てて、床に倒れてしまい、自然と周囲の視線が拓斗へ集まってしまう。
「お、おい、どうした?」
そんな拓斗を田中も驚いたような表情で見ていた。
「え……あ、ごめん。ちょっ、ちょっと足に電気が走って……」
「なんだそりゃ?」
「さ、さあ?」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
拓斗へ集まっていた周囲の視線も興味がなくなったように、元向いていた場所へと戻り始める中、拓斗は倒してしまった自分のイスを起こす。そして、何事もなかったかのようにイスに座ると、
「――やっぱり浅田さんが長谷部先輩と付き合ってると実感すると心が痛むのか?」
なんて言いながら、空いている前の席のイスに勝手に座り、顔を近づけてくる田中。
周囲の人間にさっきの行動の理由を悟られないようするために気を使ってくれた、と拓斗は即座に理解する。
「や、やっぱり付き合ってるんだよ、ね……?」
周囲の人間はそれが当たり前のようになっている中、その事実を忘れてしまっている拓斗は、それを確認するように田中へと質問すると、
「当たり前だろ。ショックで忘れちまったのか? あー、それともまだ寝ぼけてるのか?」
田中は拓斗を完全に覚醒させてやろうと手を振り上げようとしたので、
「起きてる。寝ぼけてるわけじゃない」
と、勢いよく下ろしてきた手を手で受け止める。そんなことが出来たのは、田中が寝ぼけている拓斗を起こそうと手加減で手を振り押していたからである。
「ん、これを受け止められるってことはちゃんと起きてるな」
田中は拓斗のガードに満足したらしく、にっこりと笑みを作った。




