(2)
「何か用ですか?」
女性は案の定、拓斗が呼び止めた理由を全然分かっていないらしく、困ったように首を傾げていた。
が、そんな女性の様子を見ながら拓斗はあることに気が付く。
それは、この女性が拓斗に対して何の警戒心も抱いてないことである。
後ろ姿を見ていた時から感じていたことではあったが、性格が穏やかのような気はしていた。しかし、こうやって見知らぬ人が話しかけたにも関わらず、ここまで警戒心を抱かなかったことは予想外過ぎて、拓斗は少しだけ困惑してしまう。
「ナンパ、なの……かな?」
その間に女性は女性なりの解答を導き出してしまったらしく、困った笑いを出し始めていたので、
「いや、違います! 断じてナンパじゃないです!」
勢いよく首を横にブンブンと振りながら、掌を女性へと向かって突き出す。そして、閉じていた手をゆっくりと開き、例のキーホルダーを見せる。
「あ、それって……私の?」
女性はそのキーホルダーを手に取り、マジマジと確認してから、自分の鞄に付いているはずのキーホルダーを確認。しかし、そこにあるはずのキーホルダーは現在女性の手にあるため、当たり前のように鞄には存在しない。
それを確認した後、女性は慌てたように、
「ごめんなさい、なんか変な誤解して!」
と、頭をペコペコと下げ始める。
「ちょっ!? 頭まで下げなくても大丈夫ですから! そこまでしないでください!」
まさか頭を下げてくるとは思ってもいなかった拓斗は動揺を隠せず、少しだけ上ずった声で生死の言葉をかけた。そして、矢継ぎ早にこうも言った。
「ナンパや変な風な誤解で受け止められるのは覚悟して話しかけたんですから、お姉さんは悪くないですから!」
「そ、そうなの? でも、君に悪いことしちゃったから……」
「だ、大丈夫です。気にしてないですから! それよりもそのキーホルダー大事な物なんですよね?」
「え、うん。大事と言えば大事なんだけど……」
「ですよね! うん、僕はそれだけで十分なんで!」
「う、うん。拾ってくれて本当にありがとう。もし、君が拾ってくれてなかったら、夜遅くにここに来て探さないといけなかったかもしれないね」
女性はその人形を両手で胸元に押さえつけるようにして、心底大事にしているように安堵が含まった言葉を拓斗にかける。
それだけで拓斗は他人の役に立ったという実感が湧き、少しだけ嬉しくなってしまう。
同時にこの女性との心の距離が縮まったような気がして拓斗は、
「そのキーホルダーは何の思い出が詰まってるんですか? そのアニメ、僕が幼稚園の頃に見ていたキャラクターのですよね?」
と、思わず口に出してしまい、
「あ、話したくなかったら言わなくても大丈夫ですから! なんとなく気になっちゃっただけですから! いえ、やっぱり今の質問は忘れてください!」
慌ててそう付け加える。
ぼ、僕はいったい何が言いたいんだよッ!
めちゃくちゃになってしまった自分の言葉に、心の中でツッコミを入れながら、女性の反応を伺う。
女性は拓斗の言葉にポカーンとしていたかと思えば、しばらくしてから口元に手を押さえてクスクスと笑いを溢し始める。
「別に大人みたいな反応しなくても大丈夫だよ? 誰でもこんなボロボロになったキーホルダー持ってたら気になるよね。それは分かってるから遠慮しないで」
「いや、でも……見ず知らずの他人が聞くことでもないかなって思って」
「あー、それはそうかも。じゃあ、そういう場合はどうすればいいと思う?」
「え?」
女性の言っている言葉の意味が分からず、拓斗が首を傾げると、その意味を知らせるように、今度は省かずにもう一度同じ言葉を女性は口に出す。
「『見ず知らずの他人』って境界線にこだわるのなら、その境界線を崩せば良いと思うんだけど、君はどうすればいいと思う?」
「きょ、境界線?」
「そう、境界線……。あ、ごめんね。もうちょっと分かりやすく言うね。知り合いになるためにはどうすればいいと思う?」
「知り合いになるためには……自己紹介をするとか?」
『境界線』という単語のせいで拓斗は一瞬頭を悩ませてしまったが、女性の訂正により、女性の言いたいことが分かり、頭の中で思いついた解答を述べる。
女性はその間にキーホルダーを鞄の中に入れ、
「正解。つまり、これも何かの縁だから自己紹介しておこうってことだね」
パチパチと周囲に迷惑にならないように小さな音で拍手を行う。
拓斗の方も分かりやすいヒント――もはや解答に近かったため、分かりやすかったのだが、それでもこうやって正解を貰えることがちょっとだけ嬉しい気持ちになってしまっていた。
「じゃ、改めて自己紹介するね。私の名前は海堂美雪って言うの。キーホルダーを拾ってくれてありがとうね。あ、呼び方はお姉さんでいいから。そっちで呼ばれたい気分だしね」
ちょっとだけ緊張をほぐすかのようにウインクしながら、美雪はそう微笑みかける。
拓斗も美雪の自己紹介に倣い、
「結城拓斗って言います。呼び方は自由で大丈夫です。キーホルダーの件は置いとくとしても、いきなり話しかけてすみませんでした。驚かれましたよね……」
今まで言えずじまいになっていた驚かせてしまったことについて素直に頭を下げる。下げると言ってもペコペコとするわけでもなく、深々とお辞儀するわけでもない。腰を少し曲げて、頭を倒すだけの下げ方で。
「そこまでかしこまらなくて大丈夫だよー。っていうか、このことについて言ってたらキリがなさそうだから……拓斗くんでいいかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「拓斗くんが気になっていたキーホルダーのことについて話すね」
「はい」
「うん。とは言ったものの、たいした話ではないんだよねー。大事に持ってるのは『亡くなったお父さんに買ってもらった最期の物がこのキーホルダー』っていう理由だし」
「……」
本当にたいしたことのないように話す女性。
しかし、拓斗からすれば十分重い話だった。
ひ、拾ってあげてよかったー!!
心の底からそう思うには十分の理由がそこにはあった。
同時にそのキーホルダーを大事にしている理由を聞いてしまったことに対して、罪悪感も生まれてしまっていた。