(8)
楓を呼び止めたのは勇だった。
楓が自分の後を追い、部活をサボってまで一緒に帰ろうとしたことでさえ驚いていた拓斗にとって、これは予想外の展開。開いた口が塞がらない。それを本の中ではなく、現実の行為として拓斗は初めて体験してしまう。
そんな二人とは正反対に勇は学校からずっと走って来たのか、二人の元へと辿り着くと脇腹に手を当てて苦しそうに表情を歪めていた。
「や、やっと……お、追いついた……」
「え、あ、あの……なんで、先輩が?」
「あ、ちょっ、ちょっと待ってくれないか?」
動揺しながら質問する楓に向かって、右手を伸ばして制止の合図を送る勇。そして、ゆっくり深呼吸して、息を整え始める。
「大丈夫ですか?」
「もち。大丈夫に決まってるだろ? さすがにバスケと違って、ずっと全力で走って来たから息は切れたけど、これぐらいならすぐに元に戻る。っと、話を止めてごめんな」
「い、いえ……大丈夫ですけど……。それよりなんで?」
「ほら、浅田の体調が悪いって聞いたからさ。心配になって追いかけてきた」
「あ、ありがとうございます。そ、それより部活はどうしたんですか?」
「ん、休んだ」
「えぇ!?」
さすがに勇が部活を休むとは楓も考えていなかったらしく、また驚いてしまう。
似た者同士かよ。
拓斗に関しては勇の行動そのままの行動を行った人物が目の前にいたため、驚きはしなかった。驚きはしなかったが、二人の行動が以心伝心しているようで面白くない。そんな気持ちが生まれていた。
「や、休んでも大丈夫なんですか!?」
「みんな、普通に送り出してくれたけど? 普段から一生懸命練習してるから、それでじゃないかな? それより大丈夫か? 体調悪いんだろ、浅田」
勇はそう言いながら、楓の顔を覗き込む。
仮病で休んだ楓はその反応に戸惑いを隠せないらしく一歩後退って、わざと距離を作る。
さすがに距離を取られてまで近付くつもりはないのか、勇はその場で立ち止まり、不思議そうに楓を見つめる。
「仮病ですよ。楓が休んだのは仮病です」
だからこそ、拓斗が楓の代わりにそう言った。
「ちょっ、たっくん!」
言われたくなかった楓が拓斗を睨み付けてくるが、拓斗はそんな楓を無視して話を続ける。
「楓――浅田さんは面倒見がいいじゃないですか。だから、本当に体調の悪い僕を、仮病まで使って部活を休んで、家まで送っていこうとしてくれたんです」
「あ、そうなのか。それぐらいなら別に仮病なんて使わなくても良かったのに……。でも、本当に体調が悪くなくて良かったよ。そう言えば君は?」
「幼馴染ってやつです」
「そっか。それじゃあ心配だよな。体調の方は大丈夫かい?」
「大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」
名前や楓からの会話で人となり知っていても、勇と会話することが初めてな拓斗は他人行儀で頭を下げる。
そして頭を上げてから、
「僕はこれで失礼します。浅田さんに風邪移したくないんで先に帰ります」
そう勇に言った後、楓へと視線を向け、
「仮病ってバレたから、これから部活に戻るのか分からないけど、あまり遅くならないようにね。じゃあ、また明日」
そのまま背中を向けて、家に向かって歩き始める。
きっと遊びに行く。
拓斗の中でそういう確信が生まれていたからこその言葉。自分だったら今さら部活に戻ることなんて出来ないからだ。
「たっくん! ちょっと待ってよ!」
しかし、まだ心配しているのか、楓は拓斗の元へ駆け寄ってくる。
が、拓斗は振り返ることもせずに歩き続けた。
「なに? 体調悪いんだから付いて来ないでくれる? 移したら大変だから」
「私はたっくんがしんぱ――」
「うるさい。楓に心配される必要なんてない。こんなのすぐに治るから」
その言葉で楓の足音は止まる。
どんな様子で止まっているのか、拓斗には見なくても分かった。子供の時からこうやって気付かない内に傷つけてしまうことがあったから。いや、付き合いが長いせいでどんな風にショックを受けているのか、手に取るように分かってしまう。それだけ心が近い証拠だと分かっていても、現在の拓斗にはそれを信じることが出来なかった。
「ちょっと待ってくれないか?」
楓の代わりに勇が拓斗を呼び止める。
何がされるのか、何を言いたいのか、それは簡単に予想が付いた。だからこそ、拓斗は止まらずに歩き続ける。
しかし、それも叶わず、右肩を掴まれることで強制的に引き止められてしまう。
「幼馴染だろうと何だろうと、今の発言は男としてどうなんだ?」
「……」
「浅田は君のことを心配してるんだぞ!」
「……だからなんですか?」
「なんですかって」
「僕は別に部活をサボってまで心配されたくないだけです。何かおかしいことを言ってますか?」
「いや、言ってないと思う」
「でしょう?」
「それでも言い方には気を付けろよ。心配してくれてるんだぞ?」
「別にしなくていいんです。さっきも楓には言いましたけど、僕の心配するより長谷部先輩の心配をしてやれって言ったばかりなんです」
「俺、の……?」
「県大会が近いし、何よりも僕はただの風邪か何かです。それに比べたら、長谷部先輩の身体の方が大事じゃないですか。だから、僕のことは放っておいていいんです」
「……そうか」
勇は拓斗の右肩に置いていた手を放す。普通に放すのではなく、押すようにして。
そして、今度は楓の方へ近付き、わざと聞こえるように拓斗の愚痴を溢した。
「浅田の幼馴染は大丈夫だよ。何かに対して拗ねてるみたいだけどね。今はあまり関わらない方がいい。傷付くのは浅田だから。一緒に気分転換に行こう。こんな状態で部活に戻ったってケガするだけだし」
「長谷部先輩。でも……」
「大丈夫だって。男は浅田が思ってるより柔じゃないから」
「……はい。でも、一つだけ言わせてください」
壁のようになってくれている勇から姿を現すように楓は一歩出ると、
「たっくん、今日も冷えるみたいだからちゃんと温かくして寝ないと――」
変わらず拓斗の心配をするが、それを拒むように、
「良いから放っておいてよ。これから遊びに行くのに、僕の心配をしてるとつまらなくなるよ」
ぶっきらぼうに拓斗は言い放つ。
瞬間、楓の目にはうっすらと涙が浮かんでしまう。ここまで拓斗に突き放されると思っていなかったから。
そのことに気が付いた勇は拓斗に駆け寄ると左手で胸倉を掴み、そのまま空いている右手が拓斗の左頬にヒット。パンッ! と軽快な音が住宅街に響き渡る。




