(1)
街灯がすでに灯っている住宅街。
九月だから季節としては秋のはずなのに気温は暑い。しかし、午後六時の現在の空は沈む太陽の光よりも暗闇の割合が多いというちょっと不思議な状態。
その住宅街の道路を一人歩く少年がいた。
少年の名前は結城拓斗。
ブラウンの髪は空が暗くなるにつれて髪の色をどんどん黒く染めていき、その暗闇が良く似合うようにトボトボと住宅街を歩きながら、ため息を一つ漏らす。出したくて出したのではなく、気分が重過ぎて、心に溜まったモヤモヤを肺で作られた二酸化炭素と共に自然と出てしまった感じだった。
そのため息に突っ込むように拓斗は、
「このため息、何回目になるかな」
と、自虐するように言葉にした。
このため息から分かるように拓斗にはある悩みがあった。
その悩みは山より高く谷より深い、そんな悩み。もしかしたら、今後の人生をも巻き込んでしまうかもしれないほど重要なもの。
が、それを友達に相談しようとは思ってもいなかった。いや、相談したとしても下手をすれば、悪い方向にしか進まないと思ってしまっていたからだ。
「なんて皮肉な苗字なんだろ。漢字が変われば、自分に足りない物が出てくる苗字なのに……」
結城なのに勇気がない。
偶然ではあるものの、そんな苗字を持っている自分に突っ込む。
これを聞いてくれた人は何人の人が笑ってくるのかと思いながら。
そして、また口から出てくるのは重いため息。
「誰か親身になって考えてくれる人はいないかな。……親身? なんか違う。励ましてくれる人いないかな……」
ため息に対するツッコミは諦め、今度は理想の相談相手を想像――妄想する。
この悩みを聞いても馬鹿にしない人。
一緒に考えて、一緒に悩んで、精一杯応援してくれる人。
性別は男性だろうが、女性だろうがこだわらない。
どっちでも良いから、そんな人を拓斗は心の底から望んだ。
「分かってるって。そんな人はいないってことは。望むぐらい良いじゃないかよー……」
そして、また繰り返すツッコミ。
友達と遊んでいる時はそっちに夢中になっているため、こんな気持ち悪いことはしていない。が、一人になってしまえば、こんな風に考え込んでしまうのが、現在の拓斗の悪い癖だった。
そこでハッとしたように周囲を確認し始める。
先ほどのツッコミをしている間は世間一般で言う『自分の世界』状態。一瞬でも自分の意識外で口に出してしまったことが他人に知られることで、変な目で見られることが嫌だったのだ。
しかし、偶然にも周囲には人が誰もおらず、ホッと息を吐いた時――目の前にある十字路から一人の女性が姿を現す。そして、拓斗へ背中を見せるように曲がると、そのまま何事もなかったように進み始める。
もしかして聞こえる距離にいたんじゃ……!?
安心したのも束の間、拓斗の心の中に再び緊張が走る。
寒気のようなものが拓斗の背中を駆け抜け、それに応じて心臓の方もバクバクと勢いをつけて動き始めた。
が、女性は振り返ることもなく、スタスタと拓斗には一切の興味も示そうとしないで前を歩いていく。
ここでスピードも落とすのもおかしいと思った拓斗は先ほどと同じスピードで女性の後を付いていく。
そして、独り言を聞かれてしまったという疑心から自然とその女性の後ろ姿を見る羽目になってしまう。
女性らしく胸元近くまである長さの黒髪をユラユラと歩くスピードに合わせて揺らしていた。そして服装は夏から秋への移行をしている最中なのか、半袖と上からカーディガンを着ており、少しだけ暑そうな雰囲気を拓斗は読み取る。
「夜は少しだけ肌寒くなるからなー。そういや、母さんが『今度、雨が降ったら一気に寒くなるかも』って言ってたような気がする」
今度は聞こえないように小さくそう独り言を漏らし、拓斗は腕を組みながら、自分の発言に納得するように頷く。
そして、また彼女の背中を見つめながら人間観察を始める。
拓斗は本来、そんな趣味はない。
こういうことをするのは作家志望の人や漫画家や画家などの人物を相手にする予定のある人のみで、拓斗にはそんな有名な職業に就く予定は一切なかった。むしろ、将来のこともあまり考えておらず、「なるようになるさ」という感じで過ごしている。
そんな趣味のないはずの拓斗が人間観察を行っているのは、憂鬱になりそうな気分を紛らわせるのにはうってつけだったからだ。たったそれだけの理由であり、特に意味はない。
こんな風に人間観察を行っている中、それをされている女性の方は気付く気配もなく、以前変わらないスピードで拓斗の前を歩いていく。逆に向かい風のおかげで、女性がのんきそうに何かのリズムを口ずさんでいるのが拓斗に聞こえるぐらいだった。
そうやってしばらく二人は変わらない距離感を保ちながら歩き続けていると、
「あっ!」
と、拓斗は声を漏らす。
声を漏らしたのは彼女が持っている鞄に付けていたキーホルダーが落ちたからだ。
その声に気付いたらしく、女性は拓斗の方へ顔を向ける。が、すぐに何事もなかったようにまた歩いていく。
どうやら拓斗の声だけに反応したらしく、道路に落ちたキーホルダーまでには気付かなかったらしい。
どうしたものか……。
本当は声をかけてキーホルダーを落としたことを知らせてあげたかったが、最近では男性が女性に声を上げると『事案』と呼ばれる面倒な出来事が起きることを知っていた拓斗は、少しだけ悩み始める。
悩みながらも歩くスピードを変えず、そのキーホルダーの元へと歩み寄っていく。
その流れで拾ったキーホルダーを眺めると、昔のアニメで見たことのあるキャラクターの物だった。昔に買った物を知らせるように、そのキーホルダーは所々色剥げを起こしている。
これ、なんか大事な物っぽいな。
こんな色剥げしてしまっているキャラクターを今でも鞄に付けていることから、そう思わされてしまった拓斗の心の中で声をかけることが決まる。
ほんの少しだけ駆け足をして女性へと近付くと、
「あ、あのー……すみません……」
おそるおそる声をかける。
その間も知らない人に声をかけることにドキドキしており、拾ったキーホルダーを持つ手に自然に握りしめてしまい、ちょっとだけ痛い思いをしてしまっていた。
その痛みが対価になったのか、女性は「へ?」というような表情を浮かべて、後ろを振り向く。
そして、拓斗をさっきの振り返りとは違い、しっかりと拓斗を視界に捉える。