冬雀
翌々日の登城の折、誠吾は各務幕介へ面会を申し出た。
ありのままをそのままに報告し、返答を待たずに辞去した。幕介が誠吾の手際をどう受け取ったのかはよく分からない。
やがて兵馬が若隠居して嫡子の座を弟に譲ったとの噂が聞こえ、そして誠吾は内々に幾許かの金を得た。
言わば汚れた金の類であるが、そうと知るは己のみだ。ならば口を閉じていればいい。金銭そのものに所詮善悪などはない。それで万事丸く収まる。
懐の重みを弄びながら、城からの帰途で誠吾はそう考えている。
風は既に冬を孕んで冷たい。どこからか物売りのするらしいくしゃみが聞こえた。
これで母に、暖かい半纏でも購おう。骨休めの湯治を贈るというのも悪くないかもしれない。
しんと冷えた夜気に体を晒しながら、そしてまたこうも思った。
未だこうして日々の事ばかりに追われる俺を、兵馬は笑うだろうか。
──笑うだろうな。
元より世間の枠に納まらぬ男である。堀家廃嫡の事実すら、兵馬自身は歯牙にもかけていないだろう。
やはりあの男自身に対しては、どうしてか悪い感情を抱けなかった。
家に帰り着くと、耳聡く聞きつけた母が玄関にまで顔を出した。
「やっと戻りましたか」
「申し訳ありません。上役からの呼び出しがありまし、て……」
誠吾の言葉は、中空で途絶えて消えた。
迎えに出た母のその傍ら、影に隠れるようにして立つ女性を見た所為だった。
「先日伝えた住み込みの娘ですよ。どうしました。挨拶をなさい」
絶句したままの誠吾を見て、母は笑いをかみ殺すようだった。
この手際は、おそらく母だけの計らいではあるまい。ふと師の顔が頭を過ぎった。皺数の増えたその面立ちは、やはり笑いをこらえるようだった。
喉の奥で「ああ」とも「うん」ともつかない音を出した誠吾へ、
「今日より、お世話になります」
そのひとは静かなせせらぎの気配で会釈をした。あの時と変わらない、細く美しい指をしていた。
それから、何ということもなくひと月が過ぎた。
骨惜しみしない娘の働きが成した業か、尾津家の中はどこか華やいだようになっている。話し相手を得たお陰か、母はひと回りも若返ったようだった。
けれど非番の折の誠吾にとって、女二人が忙しく立ち働く家の中はどうにも居場所がない。
仕方なく縁側に座り、老人のように日に当たる事が多くなった。趣味遊興に費やす金銭は元よりない。
そのように女たちの立てる物音を聞きながら、誠吾は昼酒をちびりと呷る。
辛うじてのやりくりで買う安酒だが、ひどく旨かった。おそらくは口と身の丈に合っているからだろう。
剣への、今の為に己が犠牲にしたと思い込んでいたものへの未練が、すうと解けていくのを感じた。
このささやかで幸福な一時は、偽物紛い物ならず、確かに己が生きて勝ち得たものである。これだけに満足するではないが、決してこれとて悪いものではない。
いつしか、そんなふうに思えていた。
つまらぬ見栄よ虚飾よと、言えば笑われる感慨やもしれぬ。だがすとんと落ち着いたこの心地は、きっと虚勢でないはずだった。
再び傾けて干した猪口に、横合いからそっと銚子が差し出された。
驚いて目をやれば、そこに冬が端座していた。
物思いに耽っていた所為だろう。一体いつから彼女が側に居たのか、まるで見当がつかなかった。
動揺を押し隠しつつ目礼で酌を受け、けれど続けて向けられた微笑までは受け止め切れずに目を逸す。
隣の気配を意識したまま、見るともなしに庭を見た。
師走の好日の下、そこには丸く冬毛にふくれた雀の番が降り立って、仲睦まじく跳ねている。