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――舞踏会から数日。
辺境の領地にも、第二王子の成人の儀がつつがなくとり行われたことと、花嫁の該当者はいなかったという報せが届いた。
わたしたち親子は蟄居を命じられているので、屋敷で引きこもり生活を送っていた。
ジメジメと落ち込む父には髪のかわりにキノコが生えてきそうだ。かくいうわたしも以前なら没頭していた庭仕事に身が入らなくなった。
草むしりをしていると、汗をふいた手拭いで帽子のことを思い出す。
ベンチで一休みをしていると、隣が気になる。
採れたハーブを仕分けしていると、無意識に彼の好きなハーブを選っている。
お茶の時間にはクッキーを前に赤くなり、風邪でもひいたのかと母に心配される始末。
王宮にいた期間は一月にも満たないのに、殿下やペコとすごした時間はあまりに鮮やかだった。思い出すまいと記憶の底に押しこめても、ふとした拍子にあふれてしまう。
生殺しの生活が終わりを告げたのは一週間を数えたときだった。
日暮れも間近になって、王宮からの使者が来た。
てっきり陛下からの処罰が告げられるものと思いきや、使者は先触れだという。父と顔を見合わせ、先触れを出すほどの人物は誰かと目と目で会話していると、半分パニックの母から答えがもたらされた。
「あなた! アネッサ! イクタ殿下がおみえになりましたよ!」
「なんだとっ!? 使者が来たのはたった今だぞ!」
「そうは言っても窓の外をご覧になって! もう門の前に馬車が停まっているでしょう!?」
ふたりして駆け寄った窓辺から、門の前で家令が応対している様子が見えた。金と純白をあしらった拵えも立派な馬車の扉が開き、用意した踏み台に磨かれた革靴が乗ったところで窓から飛びすさる。
でっ、殿下だ……!
自らお出ましということは、直々に言いたいことがあるのだろう。これ以上逃げることはできない。
わたしは腹をくくり、父とともに殿下を迎えに出た。
夕日の下で金の髪は赤がねに輝いていた。よほど成人の儀が忙しかったのか少し痩せたようだ。頬がシャープに削られ幼さが抜けている。目元の陰りは疲労か、夕暮れのせいか。髪を後ろに撫でつけたイクタ殿下は大人びた青年の顔をしていた。
父と話す彼をまともに見ることができず、視線を下げる。白い立襟を地に眼を射る純金の宝首環。肩章から手の込んだ刺繍をほどこされた剣帯。柄頭に目を剥くような宝石が象嵌してある剣。装飾的な剣だが、これでズバッと斬られるのだろうか。
ぎくしゃくしながら父が屋敷へと案内する。
応接間のソファーに腰を下ろした煌びやかな貴賓を前に、我々は床でいいのだろうかとまごついていると、殿下は向かいのソファーに座るよう促した。
お茶が運ばれてくると、殿下は彼の騎士も含めて人払いを命じた。
「このような辺境へ足をお運びいただき申し訳ありません。お召しとあればただちに王宮へ参上いたしましたものを」
「王都の外を見て回るのも楽しいものでしたよ。ダルトン男爵、あなたの領地も一度見てみたいと思っていましたから」
「わたくしの領地をでございますか? お恥ずかしながら、特産品など珍しいものはなにもございませんが」
「自然が豊かではありませんか。村よりも、街や人の多い都市の方が魔族の被害が大きかったですからね。まだリオニア全体の復興は遠いですが、ここは民に活気がある。治める人間の人柄でしょうか」
「~~畏れ多いことでございますっ。陛下からお任せいただいた土地と民を健やかにと、ただそれだけを願って働いていたにすぎませんっ」
「そのことですが、陛下があなたの処遇を決定されました」
両親ともども固唾を呑む。王族を謀った罰が、蟄居ですむはずはない。
殿下直々に伝えられる沙汰とは……青ざめるわたしたちの顔を順繰りに見て、彼は微かに微笑んだ。
「男爵、陛下はあなたの今までの忠誠と手腕を買っておられます。財産の半分を献上することで此度の件を不問に処す、そう決定を下されました」
「ざっ財産と仰られましても、我が家にはろくにものがございません。目録をお見せしますが、とてもとてもご所望の額までご用意できません!」
「もちろん目録は見せていただきます。ですが、献上は半分でよい、陛下のお言葉は絶対です。――おわかりいただけましたか?」
ありえないほどの温情だ。貧乏貴族の財産を半分捧げたとしても、王族の指輪ひとつ買えはすまい。
年貢や税収を上げなくても我が家のみで賄えること、これも陛下の温情だ。領地まで同行した騎士は今回の件を公にしないように言ってきた。第二王子の花嫁選びにとんだ醜聞だからだと理解していたが、公にならなかったことで我が男爵家は逆賊と呼ばれずにすんでいるのだ。
感極まった父はソファーから飛び降りて絨毯に額をこすりつけた。私も熱くなる目をぎゅっと瞑り、母と一緒に父にならいひれ伏した。
「ありがとうございますっ! ありがとうございますっ……!」
「顔を上げて下さい。私は陛下のお言葉を伝えたにすぎません。男爵の蟄居もとかれましたから、礼ならば直接陛下に申し上げて下さい」
困っているような殿下の声を聞きながら、わたしたち家族は長い間顔を上げられずにいた。
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辺境の地に王族が泊まるような宿はない。
必然的に領主である我が男爵邸にて殿下一行をもてなすこととなった。
客人が殿下一人のわけがなく、騎士に侍従に御者に馬。
料理長は泡を吹いて卒倒しそうだったが、妻であるメイド頭のビンタ一発で目を覚まし、食材調達と料理に駆けずり回っている。メイド以下使用人たちも準備に大わらわで、屋敷は押し殺した悲鳴と怒号が飛び交う上を下への大騒ぎだ。応接間と居間に押し込め、もといお待ちいただいている客人に騒音が聞こえていないことを願うばかり。
わたしも料理長に求められるままフレッシュハーブの採取に庭へ向かい、黄昏の中、時間と戦いながらメイドとリネン交換に回った。ふっ、シーツをシワなくかけることなど造作もない。身の回りのことがこなせる貧乏貴族でよかった。
使っていないからベッドがカビ臭い? 日に当てる時刻でもない。ええい、匂い袋を放り込んでよしとしよう! 燭台が剥げている? 後ろを向けて置けばいい! 絨毯に染み? 家具を配置し直して隠そう! 床の真ん中に花瓶は不自然? かまうものか辺境ではこれがトレンド!
最低限の体裁を整えたころにはクタクタだった。晩餐の接待は父に任せたいところだが、許されないだろう。
自室に戻り、ワードローブの中からドレスを選ぶ。テレサのように流行のドレスはない。地味な茶色のドレスは汚れが目立たないから好きだった。髪を結いあげ、軽く化粧をする。
鏡の中から冴えない女がこちらを見つめていた。同じ顔をしていても妹のような明るさがないのは性格の違いだろうが……。苦笑いすると、冴えない女がそっくり同じ表情を浮かべた。
よくもまあ、若く美しい王子の花嫁候補として王宮に出向けたものだ。厚顔無恥にもほどがある。
王族とお近づきになりたいと思ったことはない。お城での生活に憧れたこともない。上位貴族と繋がりをもちたかったわけでもない。わたしにはすべて不要で、無縁のもの。
けれどなぜか、殿下にまるで似つかわしくない自分が悲しかった。
酒は飲んでも呑まれるな。
陛下の温情でこの十数日の不安が去った父はワインを飲みすぎたようで、殿下の前だというのに醜態をさらしていた。絡み酒の泣き上戸とは始末におえないものだ。たしなめる母の眼が据わっている。これは一生禁酒令が出そうだ。
頭を抱えたいのは酔っ払いが父以外にもいることだった。ジャック隊長の前にはすでにボトルですらない樽。隊長がコレなら部下である騎士もアレだ。グラスからジョッキに持ち替えている。長旅でお疲れでしょうとメイドは侍従や御者にもワインやビールを注いで回っているし、我が家の酒蔵はすっからかんだな。
もはや呑めや歌えのドンチャン騒ぎに、わたしは事態収拾をあきらめて退散した。
殿下と個人的な話をしなくてよかったことにホッとしながら。
部屋に帰ると、カーテンを閉め忘れていた窓から明るい月明かりが差し込んでいた。
月は煌々と中天に坐し、夜逃げには絶好の……逃げてなんになる。合わせる顔がないなんて卑怯者の言いわけで、わたしはまだ殿下に直接謝罪していない。
明日、彼らは王宮へ戻る。それまでには勇気が欲しい。
ベッドに入ったものの眠ることができず、わたしはこっそり部屋を出た。
心が落ち着くのはいつだって大好きな庭にいるときだ。
ベンチに腰かけ、寝巻きのポケットから小さな栞を取り出した。監禁生活の間は肌身離さずにいたから紙がよれてしまっている。折れた角を伸ばしながら、一輪の押し花を眺めた。
屋敷の庭でもリロットを育てており、ベンチの足元で花を咲かせている。青く小さな花弁をもつリロットは、月光を浴びてその青さを深めているようだ。夜風にのって涼やかな香りがとどく。
「――こんばんは。月が綺麗ですね」
ギクリと固まったわたしは、背後をふり返ることができなかった。
ざくざくと土を踏む音が近づいてくる。
「薄着だと身体を冷やしますよ」
肩にかけられた体温の残る上着。
隣に座ったイクタ殿下は、白いシャツに黒いズボンという格好だった。一度部屋へ戻り着替えてきたのだろう。王族の服はどれも金銀刺繍なのかと思ったが、簡素な服もあるらしい。宝首環だけが輝かしい出自を主張していた。
前髪を下ろした殿下は少年っぽく、王宮ではいつもこの髪型だったから少しだけ緊張がほぐれる。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。殿下はどうしてこちらへ? 行き届かぬ点がございましたか?」
「いえ、ワインも料理も堪能しましたよ。僕が居ると邪魔になるようなので、先に引き上げてきました。今ごろ酒宴は盛り上がっているでしょう」
さらなる無礼講か。明日の惨状を想像すると気が滅入る。げんなりしたわたしの気配を察したのか、「暴れたのは僕の部下ですからね、片付けは彼らにさせますよ」と慰めるように言われた。
それは追い討ちだ、殿下。騎士連中は暴れたのか、このツケは労働で払っていただこう。
「それより、あなたは? 庭へ向かう人影が見えたので後を追ってきましたが、こんな夜更けにどうしたのですか」
ダークブルーの瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
……これはきっと、殿下に謝るためにミア神が下さった機会なのだろう。