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二回目のお茶会で決戦の火蓋が切られた。
「キャアァァッ!! 見た!? いいえ見たわよ! 殿下がわたしを見てるわ!」
「そうね……」
「テレサったら! もっと嬉しそうな顔しなさいよっ! これはチャンスよチャンス!!」
「~~そうよねー!! ほんっとに殿下が見てますバッチリ間違いなくあなたを!!」
ユリアナ嬢、きみだ。殿下はきみを見てるんだから、わたしがきみを盾にして隠れてもかまわないだろう?
ふんだんにあしらわれたピンクのフリルにまぎれ、こっそり殿下を窺うと……それはもう楽しそうな顔でこっちを見ていた。
高みの見物か? 口元にそえた拳にムギュッと力がこもる。
うすうすわたしの地の性格に勘づいているらしい殿下は、少女の群れにまぎれようと必死なわたしの姿を悠然と眺めていた。初日は早々に退散したというのに、今日は紅茶のおかわりまでしているのだからさぞ愉快な見世物なのだろう。
ユリアナ嬢直伝の小悪魔☆スマイルが引きつって、魔王★スマイルにクラスチェンジしそうだ。
……いい気になるなよ若造め。こちらの醜態を笑っていられるのも今の内だけだ。
わたしはそっとユリアナ嬢に耳打ちした。そう、小悪魔☆のように。
「……ねえ、殿下はあなたに近づきたいけど、遠慮されてるんじゃないの? 思い切ってお傍に行ってもいいんじゃないかしら。機会はたった四回に限られているんだもの」
「ほんとっ? わたしもそう思ってたの。でも、はしたないと思われない?」
「まさか! 好意を寄せられて気を悪くする人がいるかしら? わたしたち花嫁候補なのよ?」
「……そうよね! ありがとうテレサ、行ってみるわ!」
可憐な弾丸発射、着弾を確認。
先陣につづけとばかりに、他の少女がわらわら殿下に群がっていった。さながら花に集まる蝶々。一瞬ダークブルーの視線が非難を投げてよこしたが、嫌がることはないだろう? ユリアナ嬢は明るく愛らしい娘さんだ。歳も釣り合う。
家柄を抜きにすれば、このグループの少女たちは誰が殿下の花嫁になってもおかしくない。なによりほとんどの少女が一回目のお茶会で殿下に一目惚れしてしまったのだ。わたしよりもはるかに花嫁にふさわしい。
――「家柄なんて関係ないわよ。愛さえあれば数々の困難に打ち勝つことができるんですもの!」という、ご近所のお見合いおばさ…もとい夫人の至言を思い出して悦に入っていると、すがる細腕をやんわり退けながら殿下が立ち上がった。
「もうお帰りですか?」と少女たちが悲嘆にくれる。よし、最後ぐらいは愁嘆場に参加するか……と重い腰を上げたのが失敗だった。
「本当に名残惜しいのですが、公務に戻らなくてはなりません。――そうだ、テレサさん」
蝶々たちの視線がいっせいにわたしに突き刺さる。その鋭いことといったら、蜜蜂の針のようだ。
ポケットから件のリボンを取り出した殿下は無邪気な笑みでやって来ると、親しげに顔を寄せた。途端にキャアッと上がった悲鳴にもかき消されない至近距離の囁き。
「忘れ物をお返ししておきますね」
「………………あっ、ありがとうございます、殿下……」
やられた。
颯爽と立ち去る後ろ姿を苦々しく見送り、すぐに「殿下とどういう関係なのよっ!?」と息巻く少女たちへの言い訳に追われた。
そのリボンはなんだ?
落としたところを偶然通りかかった殿下が拾って下さったようだ、おかしなことなどなにもない。
どうしてわたしの名前を知っているのか?
参加者名簿があるんだろう、不思議なことなどなにもない。
顔が近い?
パーソナルスペースが狭い方なのだろう、甘いロマンスなどなにもない。
頼むからお嬢さん方、その「抜け駆け許すまじ!」という目をやめていただけないだろうか……。
非常に遺憾ながらこの一件で、わたしは所属グループから浮いてしまった。
殿下、許すまじ。
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疲労困憊のお茶会から一夜、わたしはささくれた心を癒すために薬草園を訪れていた。
草花を眺めているだけでこんなにも心安らぐのはなぜだろう。前世は草だったのかもしれないな。
まったりと青い香りをかいで和んでいると、「テレサ!」とペコの声が聞こえた。
「よかった、ここにくればあなたに会えると思ってた」
今日は兜をかぶっておらず、まっとうな貴族女性の格好だった。
白い帽子は日除け防止に流行っている広いつばがあるもので、黄色い薔薇のコサージュがついている。白を基調としたドレスは裾と袖口を水色に染めてあり、薄霞む夏空のような印象。誰が選んでいるのか知らないが、からっと爽やかな少女の人柄を表すようなチョイスだ。
ペコはわたしを見つけて笑顔になり、ベンチまでやってくると後ろ手に持っていたものを「はいっ」と差し出した。
淡いクリーム色の帽子。リボンやコサージュのないシンプルな作りだが、つばにはぐるりと繊細なレースが縫いつけられている。つばの表は白、裏は淡い緑のレースが洒落ていて、派手な装いが苦手なわたしでも心惹かれるものがあった。
「これ、テレサに。この前帽子をかぶってなかったでしょう? 受け取ってくれると嬉しいんだけど」
迷惑だったかな……?、と語調を弱めた少女に慌てて首を振る。
伸ばした手にふわりと置かれた帽子は、わたしが持っているどの帽子よりも軽くて手触りが良かった。真新しい生地は染みひとつなく、わたしのために用意されたものだと教えてくれていた。
「……いいのか?」
「もちろん。私たち、もう友達でしょう? プレゼントしたいの。だめ?」
「ありがとう……とても、嬉しい」
掠れてしまった礼にペコは黒い瞳を瞬かせ、なにも言わずに微笑んだ。
本当に驚いた。社交的な妹と異なり、庭に半引きこもり状態のわたしは同世代の女性と交流がない。なにかをあげたりもらったりする機会もなく、当然こんなプレゼントは初めてだった。
少し気恥ずかしくて、嬉しい。誰かが自分のことを気遣ってくれるというのは、胸がくすぐったくなるようなあたたかさで、自然と頬がゆるんでしまう。
「かぶってみて」とうながされ、手にした帽子をかぶるとあつらえたようにぴったりだった。
「よくサイズがわかったな」
「えっ!? それはあの、ほら、女同士だからっ! ……どうしてだろう?」
「すごいな。わたしにはペコの帽子のサイズなんてわからない」
「あー……あははっ」
さすが王太子の婚約者ともなると見る目も鍛えられるのだろう。ペコはことさら誇る様子もないが、着飾る方面にうといわたしはその眼力に感心していた。
なにか返せるものはないかと懐を探り、匂い袋の存在を思いだした。
ドレスの隠しポケット(女性はいろいろ持ちものがあるのだ)から取り出す。
「帽子のお礼になるかわからないが、リロットの匂い袋だ。よかったらもらってくれないか?」
リロットは十二花弁の青い花だ。どこにでも咲く雑草チックな花だが甘くて涼やかな香りが好まれ、乾燥させて匂い袋に用いられる。匂い袋には自分好みにわずかにハーブを混ぜてある。それほど癖はないと思うのだが、他人も好む調合であるか自信がない。
小さな匂い袋に顔を寄せたペコは大きく息を吸い、「――いい匂い。ありがとうテレサ」とポケットにしまってくれたので、見守っていたわたしはほっとした。
「……ね、あのあとイクタ殿下になにか言われた?」
不安げに眉を寄せ、ためらいながらペコが尋ねてきたのは殿下のことだった。
「なにか? ……ああ、変わっているとは言われたな」
思い出した殿下の言葉を伝えると、ペコは焦ったように手を振り勢いよく言葉をつむいだ。
「あの子悪気はないんだよっ? たまに悪戯するけど、根はいい子なの。私がこっちの世界に来たときからなぜか慕ってくれてて、勇者をやめた今でも変わらず接してくれて……なんていうか、おこがましいけど、弟みたいに思ってるの」
誰一人自分を知る者のいない地で、突然押しつけられた「勇者」という役目。世界に吹き荒れた絶望の嵐の中で、誰かこの少女の孤独を、悲しみをすくい上げただろうか。魔族の影に怯える日々、ただ生き抜くことが難しかった。皆が身を守ることに必死になった時代は簡単に思い出にできるほど遠いものではない。
暗天に輝く明けの明星。勇者を夜明けの光と見たわたしも、他人を思いやる余裕を失っていた。
ペコにとってイクタ殿下は大切な存在なのだろう。弟のようだという少年が同じように彼女を姉として慕っているのは間違いない。案外「義姉上」と呼ぶのは彼のわかりやすい主張なのではないだろうか。
「リオニアに残ると決めてから変な人が近づいて来たことがあって、それで心配してくれてるみたいなの。テレサに変なこと言ってたらごめんね。あの子を悪く思わないでいてあげて」
「大丈夫だ。ペコが気にするようなことは、なにも言われていない」
うなづいて答えると、目に見えて表情を明るくした元勇者の少女。彼女の功績がどれほど偉大であるか、本人だけがわかっていないようだ。その証拠に発想がズレている。
「だいたい私はもう勇者じゃないのに近づいてくるのがおかしいよね。あの呪い、じゃなかった伝説の鎧が着たいなら貸してあげるのに。あっご当地顔だしボードみたいに登城記念に鎧を着て写真、はこの世界にないから絵に描いたりすれば稼げそうなのになぁ。兜にリオノスの羽根さしてレア感で押せばいけるかも……?」
「罰が当たるぞ」
正直にいえばわたしもいけると思ったが、ここはしかつめらしくたしなめる。
「はぁい」と肩をすくめた異界の商人はペロっと舌を出した。
「テレサって年上のせいかな、友達っていうよりなんかお姉ちゃんみたい」
「わたしはアネッ……姉、のような気持ちだ。……それこそおこがましいようだが、本当にそう思っている」
「そんな風に言ってもらえて嬉しい! ありがとうっ!」
お互い照れくささを隠しきれずに微笑みあう。
心配になる、守ってやりたいという感情は、妹のテレサに抱くものと共通していた。出逢って数日しか経っていないが、不思議と放っておけない存在。わたしはすっかりペコが好きになっていた。
ペコに逢えただけでも王宮に来た甲斐があったな。
さあっと強い風が吹いた。まだ顎の下でリボンを結んでいなかったわたしは、飛ばされないように帽子を押さえた。ペコはこちらを見てむずむずとなにか言いたそうにしている。
「……あとね、その帽子、実は」
「――ペコ」
低い美声。深みがあって思わず聞き惚れ、はっと我にかえって膝をついた。
敬称をつけずに元勇者の名を呼ぶ人など限られているだろう。罰が悪そうにペコが呟いたのは、彼女の愚痴の大半を占めていた名前だった。
「ダルトン男爵の娘というのはお前か? 顔を上げろ」
「……テレサ・ルフ・ダルトンと申します」
王太子であるアトレン殿下は逞しい青年だった。政治の才とは別に剣術にも長けており、魔王討伐の旅では三合交えた相手はいなかったとヨルンが歌っている。下手な真似をすれば腰に佩いた剣でズバッと斬られそうだ。
あまり表情を変えないことから「氷の王子」と一部で囁かれる顔は、怖いぐらい整っているが硬質だった。噂通り二コリともしない。
初めて傍近くで見た世継ぎの王子。彼の発する威にわたしは知らず固まっていた。
ところがはぁっと溜息を吐いたペコは王太子の顔の前で手を振り、冷たい視線をひらりとさえぎった。
「殿下、こちらがテレサ、私のお友達だから睨むの禁止。テレサ、こちらがアトレン殿下」
「ペコ?」
「…………婚約者の、アトレンです」
赤い頬を隠すようにうつむいた帽子の少女に一瞬アイスブルーの瞳が氷解したが、再びわたしに向けられたときには青く凍っていた。予想に違わず弟以上にやっかいな相手のようだ。
しかし謎だ。
いつの間にか元勇者に二人の殿下、そうそうたる顔ぶれと面識を持ってしまっている。
目立たず風のように立ち去るわたしの計画は、どこでこんなに破綻したんだ……?