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 男性用の宝首環は環の幅が広く、雄々しく咆える獅子がわたしを睥睨していた。

 白い上着によく映える紺と金の重厚な刺繍。殿下の目の色に合わせた紺糸で王家の紋様を地に、舞い落ちる羽を金糸の線画で描いたもの。羽のモチーフは言わずもがなリオノスの翼だ。金の御使いを正装に取り入れられるのは神殿関係者か王族のみ。服装から磨かれた皮靴の先にいたるまで、王族の威圧感たっぷりで畏れ入る。


「隣に失礼してかまいませんか」


 淑女の横に断りもせず座る紳士はいないが……形式上尋ねた感ありありの殿下はこちらの許可を待たず、ペコの去ったベンチへ腰を下ろした。

 ――チェンジで。兜の少女に戻してくれ。

 不躾な視線が真横から突き刺さり、尻の座りが悪い。下位貴族の娘がこれほど間近で殿下に拝する機会はないだろう。しかも一対一。

 ……出だしのテンションを間違ってしまったな。喜びに卒倒するという演技の道は断たれた。この冷静な空気の中、唐突にキャーキャー騒いではそれこそ人を呼ばれてしまう。薬草きみたちにラリッたなどと不名誉な噂を立てられたくない。


「……わたしはもう失礼いたします。殿下はどうぞごゆっくりなさって下さい」

「そう急がなくてもよいではありませんか」


 おい、ドレスの裾を押さえつけるなんて王子様キャラにそぐわない振る舞いだぞ! 歩く葦ことセシル嬢に言いつけてやろうか。根と葉と尾びれフカヒレで、「殿下の耳はネコのミミー!」ぐらいに発展すればおもしろい。


「手をよけて下さいませんか」

「失礼、ドレスにゴミがついていたものですから」


 …………疑ってすまない、殿下。枯れ草と泥汚れはトモダチだから、素で気づかなかった。

 つまみあげられた葉に所在なく明後日の方向を見ていると、「帽子をかぶらないのですか?」と尋ねられた。ほっかむりが気になるのか、顔を見せないのを不審がられているのか。うむ、後者だな。


「はいまぁ……頭が大きいもので、サイズの合う帽子が少なくて」


 こう見えて仮にも女性、返しに困る理由だろうと内心にんまりしていたら、殿下の手がすべるように側頭部に当てられた。


「そうでしょうか? 僕の手と比べても、ほら、小さいのに」


 ヒッと喉を鳴らしただけで叫び出さずにいたわたしを誰か褒めてくれないか。挨拶がせいぜいな下位貴族が王族に触れられるシチュエーションなどまずもってない。

 手拭いごしに軽く撫でられる感触に固まっていると、えいっとほっかむりが首の後ろへとずり落とされた。素顔を暴いた手はすぐに引かれ、食えない少年は無邪気に微笑んでいるが、ペコと似て非なる笑み。

 ~~このっ、絶対狙ってやっているな!?


「テレサさんはどちらの家の方ですか」


 家名を問われ、貴族の端っこにぶら下がっているわたしも遅まきながら名乗った。


「――失礼をいたしました。わたしはテレサ・ルフ・ダルトンと申します、イクタ殿下」


 胸の真ん中に掌を重ねて当て、頭を垂れる。両手を使うのは敬愛を表し二心のないことを相手に示す証だ。


「ダルトン……ダルトン男爵家の?」

「はい。殿下の候補者のひとりとしてお招きにあずかりました。身に余る光栄にございます」

「では一度は会っているんですね」

「三日前にお目にかかりました」


 顔を上げるんじゃなかった。

 第二王子は自らの記憶を掘り起こそうというのか、じっとわたしを凝視していた。

 ……ここで額にコツンと拳を当てて「テヘ☆」と舌を出せば思い出してもらえるのかもしれないが、あのお茶会は灰色を通り越した黒い歴史だから底に埋めっぱなしで頼む。


「義姉上とは以前からの知り合いですか?」

「いいえ、今日初めてお会いしました」

「……それにしてはずいぶん親しく話されていたようですが」


 そらきたぞ。元勇者のペコとわたし、二人を結ぶ接点はない。フランクな会話に怪しまれるのも仕方ないが、そんな目で見られるのは不本意だ。分を弁えているのか、と無言で問う視線にうなづいて答えた。


「わたしが庭師に頼みこの薬草園の手入れを手伝わせていただいていたところ、勇者様がいらっしゃったのです。勇者様はとてもおやさしい方ですね。わたしのような者にも気さくに話しかけてくださいました」

「ええ。義姉上はやさしい方です」


 ……おやおや。

 王族の威圧感はどこへやら、抑えきれない様子で誇らしげに口元を緩ませた少年は、純粋に義姉を慕う弟の顔を見せた。探りと牽制は心配のあまりというわけか。


 勇者、というのは特別だ。民にとって、国にとって、世界にとって、かけがえのない存在。 

 海のない地にも山のない地にも空は広がっている。あまねく人々を見守る天空神、ミア。至高神の使いたる聖獣が導いた勇者は、伝説通りに魔王を倒し世に平和をもたらした。

 そして魔王を倒した後も、勇者は異界に還らなかった。

 結果なにが起こるか? あらゆる国が勇者を求め、欲し、奪おうとした。今でこそリオニアの独占状態だが、聞いた話によると勇者を我が国に招かんと沿岸四国をはじめとした各国の使節団が王宮に溢れ、港には贈り物を積んだ船が押し寄せて海面が見えなかったという。

 また使節の見目麗しいこと煌びやかなこと、眼福を通り越して目の毒だったなぁ……と当時を思い返し庭師は目を細めていた。

 下は可愛い美少年から上は渋い中年まで、あげく美少女美女と、年齢性別おかまいなく勇者のドストライクを狙って選りすぐりの美形が使節として派遣されてきたらしい。真っ先に勇者を囲いこんでいた王太子は突っぱねるかと思いきや、笑顔で謁見の場に同席していたというのだから……相当な自惚れ屋だ。

 現王直系にしか許されない《陽光石》の宝首環。ペコは勇者の功績に与えられたと思っているようだが、違うだろう。

 ――すでに“義理の娘”であり、王太子と揃いの色が将来“王妃”となるであろうことを暗示する環。

 謁見した使節は一目で気づく。恣意的な古国の振る舞いに気づいていないのは当の本人だけか。

 不愉快なやり方だ。

 だけどペコが嬉しそうに王太子のことを話していたから……宝首環が彼女をこの国に繋ぐ鎖ではなく、悪しき思惑から護るための環であることを願う。

 王太子の人となりは知らないが、クールな二枚目という噂と違って腹黒で自信家なことだけは確かだな。

 目の前の弟は、さて、どうだろう?

 こっそり横目で窺った殿下はわたしの手を見ていた。ああ、爪の間に泥が入りこんでしまっているな。


「……庭の手入れを手伝われていたそうですが、あなたは薬草に興味があるんですか?」


 自分の相好が光の速さで崩れるのを自覚した。

 聞いたな? 聞きたいんだな? 薬草のことをわたしから聞きたいかそうかっ、ならば聞け!!


「ええハイそれはもうっ! 庭仕事はわたしの趣味っ、いいえ生きがいです! さすが王宮、ここは素晴らしい薬草園ですね! ビンズサーダ、ゴンドルト、グシュテブ……どれも育てるのが難しい貴重な種ですよ!」

「テレサさん」

「それに土を変えねばなりません。栄養豊富だから“太っちゃって困るのよウフ☆”と茂る種と、栄養に乏しいから“ただで死ねるかコノヤロー!”と良質の実をつける種がありますからね! だからあちらとそちらは区画分けされているのです。水やりも重要です。水をやりすぎるとよくなかったり、虫がつきやすい種もあります。言うまでもない常識ですが、虫にも益虫と害虫がおり安易に駆除すればいいというわけではありません! 同じ場所で様々な種を育てるというのはどれほど卓越した技術と知識がいることかっ」

「テレサさん」

「ああどんな肥料を使っているのでしょうかっ、種類は? 配合は? 帰るまでにぜひ聞いておかなくてはっ!」


 パンッ、と両手が打ち合わされた音で、わたしは肥料の脳内リストアップを中止した。

 一拍で注意を引いた殿下は呆れたような顔でこちらを見ていた。

 ……お茶会とは別の意味で引かせてしまった気がするが、思いすごしだろう。


「あなたが薬草に興味を持っていることは充分わかりました」

「すみません、つい興奮してしまいました……」


 充分? 全然語り足りないぞ。

 あの子たちへの愛を千分の一も表しきれていないものの、楚々と頭を下げておく。


「それで、さきほど肥料のことを尋ねるといっていた相手はブルーノですか?」

「はい。薬草園を見れば一目でおわかりになりましょうが、彼はとても博識で植物への愛情も深いのです。残りの時間は彼に教えを請うことができればと願っています」

「残りの時間?」

「もちろん彼の仕事を邪魔するつもりはありません。空き時間を見はからって、という意味です」

「そうではなくて……」


 殿下は言葉を切り、なぜかずいっと顔を近づけてきた。

 なんだなんだ? 殿下は近眼か?

 視力はすこぶる良いわたしは鼻先のご尊顔を見つめ、う~ん睫が長いな、とか、ひょっとして顔に泥でもついているんだろうか? とか考えていた。


「――ここは目を閉じる場面でしょう?」

「……瞼に泥がついているんですか?」


 比較的きれいな手の甲でゴシゴシ目をこすると、ぶはっと噴き出した殿下が体を二つに折りベンチを叩いて笑っていた。鏡を見てみないとわからないが、大方こすったせいで泥が広がりパンダ顔になっているのだろう。

 ……しかし、こうまで爆笑されると女として面白いはずがない。

 紳士らしくハンカチを寄こすとか、見て見ぬふりをするとかないのか? 冷たく殿下を見やると、少年は笑いの発作で切れ切れの謝罪を呟くと上体を起した。

 ダークブルーの瞳はキラキラと煌いており……涙が出るほど笑ったのか、こいつめ!


「あなたは、変わった人ですね」

「そう言われるのは今日二回目です」

「ははっ、一回目は義姉上? でも本当に変わっている。花嫁候補なのに、帰る気でいるでしょう? 王宮へはご両親に言われて来たんですか? それとも僕が嫌い?」


 選びにくい二択だな。黙秘権を行使しようにもじっと返事を待たれている。


「……前者です」

「正直ですね。だけど口にしないこともある。あなたは僕に興味がない、そうでしょう?」


 ここで素直に「少年趣味はありません」と答えれば正真正銘の間抜けだ。

 賢明にも黙っていたわたしに、またも殿下はクスッと笑った。


「雄弁な沈黙は答えたも同じですよ、テレサさん」


 ――わたしは正真正銘の間抜けだ。

 殿下の目、若葉を見つけた青虫のようじゃないかっ……!

 嬉々とした視線にわたしの薔薇色庭園ライフに暗雲が立ちこめるのが見えた。

 百万が一にも殿下の目に留まることのないよう、目立たず騒がず空気化計画? 誰の描いたパーフェクトプランだ一体! 名前も顔も認識されないよう没個性を目指した計画はもろくも崩れてしまった。

 とりあえず一時撤退だ。

 早口言葉もかくやと先に去る許しを請い、殿下を見習って許可は待たずに戦線ベンチを離脱した。


「テレサさんっ、忘れものですよ!」


 振り返ると殿下の手にひらりと揺れる細い布。ドレスの裾を足首にくくるときに使ったリボンだ。礼をとるときベンチに置いて、そのまま忘れていた。

 立ち上がりもしない殿下はわたしを再びベンチに戻らせたいようだが、そうはいかないぞ。のこのこ蟻地獄へはまりにいく人間はいない。


「いりません」

「――では僕に預けると? 追って来いという意味ですか?」


 ~~そんなわけがあるかっ!!

 悪戯っ子のような笑顔が憎たらしい。歯ぎしりで霧散してしまった年上の落ち着きを深呼吸で取り戻し、かろうじて唇の端を吊り上げることに成功した。


「捨て置いてください。殿下にはご不要でしょう?」


 わたしは今度こそ悪魔のいる薬草園からスタコラと逃げ出した。

 …………この忘れものがあとでどんな結果をまねくかも知らず。

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