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おかしい。
人生のすべては庭にある!と豪語してはばからないわたしが、どうして王宮に赴かねばならないのか。殿下がハーブティーになるなら考えよう、殿下の頭に雑草が生えるなら手入れもしよう。なんの面白味もない人間の顔を見に、最愛の庭から引き離され、窮屈なドレスで馬車に押し込められるこの理不尽さ!
さて、呪うべきは誰だ? 父か妹か。マンドラゴラならツテがある。
「どうして父の顔を呪い殺したそうに見つめるのだ、テレサよ」
「わたしはアネッサです。幻覚ですよお父様、疲れ目にはルーディの膏薬が効きますよ。はい」
「毒草をすすめるのはやめなさい。これは没収しておくぞ。……まったく、おまえは王宮になんという危険物を持ち込むつもりだったのだ。王族の暗殺でも謀るつもりか」
「ルーディは血のめぐりを良くするんですよ。でも、そうですね、わたしみたいな娘は王宮に行っても問題を起こすでしょう。家名に傷をつける事態になりかねません。ここで引き返しましょう」
バンッと馬車の小窓を開き、御者に「さ、家に戻りますよ! 馬首を反しなさい!」と叫んだ。
ところがすぐさま父に押し退けられる。
「嘘だぞ! 予定通りクースを目指せ! ~~おまえという娘はっ……」
深々と溜息を吐かれた。溜息を吐きたいのはわたしの方だ。
あきらめがよくては植物を愛でることなどできない。雑草や害虫との戦いは砂の城、根性あるのみ。たくましい雑草はか弱い薬草を日陰の身に追いやり、しなりと項垂れた肢体に悪い虫が襲いかかる! 嗚呼っ、パラダイスガーデンを守れるのはわたししかいない!
「殿下の花嫁探しなど、末席で没落寸前の我が家には縁遠い話でしょう。この際、辞退されてはいかがですか? 肝心の妹はトンズラしたんですから」
「王命に背くことなどできるわけがなかろう」
はた迷惑な王妃様のお触れが出たのは先月だった。十五の成人を迎える第二王子、イクタ殿下の花嫁探しを行うため貴族の娘は王宮に集うように――、と。
対象となるのは、下は十から上は二十の娘さん。ストライクゾーン広いな殿下。二十一のわたしはギリギリセーフでまぬがれて、一つ下の妹はバッチリ範囲内だった。
ところが、だ。
いよいよ首都クースへ発つという朝、書置き一枚残して妹はドロンしていた。
――駆け落ちするから、あとは姉さんヨロシクね!
父が握りつぶした書置きを暖炉にくべたのはわたしだ。使っていない暖炉で紙切れは一塊の灰になった。肩を落とし燃えつきたのは父だったが。
そのまま灰になっていればよかったものを、二つ返事で参加の旨を届けていたらしい父が愚案を思いついたのは、妹の余計なひと言があったからだろう。
わたしと妹のテレサはご近所でも評判のそっくり姉妹だ。年子なのに顔も身体つきもほぼ同じ。違うのは声の高さぐらいで、双子のように見分けがつかないといわれている。
抗議もむなしく妹のドレスに着替えさせられ、馬車に揺られている。
「下手な権力欲は身を滅ぼしますよ」
「おまえが殿下の心を射止めることは百万が一にも期待しておらん! だが我が家の体裁がある。市井の若者と駆け落ちしたなど、どの面下げて言えようか……」
「その顔でよいのでは。整形しますか?」
情けない表情に殿下も同情してくれるだろうと思って言ったが、父はギロッと睨んできた。
「王族と平民を秤にかけ、殿下を蹴ったことが問題なのだ」
「家は“ここもリオニアなのか!?”と驚かれるド田舎ですからね。王子なんて天上人より、身近な若者に惹かれるのは仕方がないでしょう。貧乏名ばかり貴族で暮らしも平民と変わりません。あの子は強かですから、駆け落ち先でもしっかりやると思いますよ」
「ふん、心配なぞする必要もなかろう。おまえたちは姉妹そろって図太いからな」
「ええ、お母様も同じことをおっしゃいました。だから心配なのはお父様の生え際だけだ、と」
苦虫を噛み潰した父の顔から目をそらし、窓の外を眺めた。
渋々ながらも引き受けた以上、身代わりは遂行するつもりだった。
……結局家族に甘いのだ、父もわたしも。
妹を連れ戻すことはしたくない、父の顔を潰すこともしたくない。嘘も吐き通せば事実に変えられる、誰にも正体がバレなければいい。不敬な親子だ。
ゴトゴトと馬車の揺れが眠気を誘う。
ベッドの柔らかさに遠く及ばないまでも、朝一で叩き起こされ駆け落ち騒動に巻き込まれて寝不足の身体に、規則的な振動は心地よく――。
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「……なさい。起きなさい、テレサ」
「わたしはアネッサです」
よく妹に間違えられるので、条件反射で名乗ってしまう。「しっ」と声を潜めた父は、「王宮に着いたぞ」と告げた。突きつけられたハンカチを寝起きの半目でぼうっと見ていたら、「ヨダレを拭きなさいヨダレを!」と叱られた。爆睡していたようだ。
父に伴われ王宮に、いや権謀術数渦巻く魔窟へと乗り込む。
「いいかテレサ、花嫁選びの期間は一月だ。一月我慢すればおまえの好きな庭仕事を好きなだけさせてやろう」
「新しいクワとスキと種苗と支柱と鳥除けネットと肥料の約束も、忘れないで下さいね?」
「増えているだろう! 約束はクワとスキと種苗だけのはずだっ」
「嫌ですわお父様、大きな声をお出しになったりして。……あとは成功報酬でかまいません」
「…………わかった。くれぐれも問題を起してくれるなよ。一月後に迎えに来る」
「おまかせ下さい。騒がず目立たず空気のように、百万が一にも殿下の目に留まることのないよう気をつけます。わたしが留守の間、庭の手入れをお願いしますね?」
「ああ、庭師を雇っておく」
言質をとったことに満足し、「陛下のもとへご挨拶に伺う」といった父と別れた。
すっと寄ってきたメイドが「案内いたします」と頭を下げる。
さすが王宮、働いている人間も美人揃いだ。絢爛な城の内部に感心半分、眠気半分で通り過ぎ、花嫁候補が集められた広間へと向かった。
いやあ、騒がしいものだな……。
大広間に入った途端喧騒につつまれ、わたしはへきえきしながら隅っこに退避した。
女三人寄ればかしましいというが、一体何百人集まっているのやら。下は十歳、泣いている子もいるし、おしゃべりに興じる少女たちの声は超音波の域だ。
むせかえりそうな白粉と香水の臭い。人いきれにあおぐ扇子の陰で溜息がとまらない。
始まる前から挫けそうだ。
だが考えようによっては、これだけ集まっているのだから目立つことの方が難しい。よほど突拍子もない行動をとらないかぎり、注目されはしないだろう。
ドーン!と銅鑼が打ち鳴らされ、広間に静寂が戻った。
現れた宰相が今回の花嫁選びについて概要を説明するらしい。
…………聞こえない。遠すぎて。
少女たちの間を光速で駆ける伝言ゲームを繋ぎ合わせ、なんとか宰相の言葉を知ることができた。
ひとつ、わたしたちは少人数にグループ分けされる。
まあ、侯爵の姫君とわたしのような下位貴族の娘が同じでは具合が悪いだろう。当然だな。
ひとつ、殿下は毎日グループを訪ねられ、そこで親交を深められる。
人数の多さから殿下に会えるのは週一回と知った少女たちに落胆が走った。
ふっふっふ、予想よりも少ない。
一月で四回。四回だけ殿下をやり過ごせば、薔薇色の未来が待っている。
ひとつ、期間は一月と定める。決定した花嫁の発表は最終日の翌朝に行われ、選ばれなかった者は王宮を去ること。
ゴネて居座られてもかなわないだろうし、後は用無しということか。絶対そちら側に入るぞ。まかせなさい、風のように立ち去ってあげよう。
妹の名前を呼び上げる声に、わたしは少女たちの群れに分け入った――。
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あと三回だ。
「キャーっ!! 殿下っ! 殿下あぁっ!!」
我ながら寒い。
鳥肌を我慢しつつ、わたしは裏返った歓声をあげ、ミランダ嬢の隣に腰かけた。
美味しそうなお茶菓子も目に入らないという態度で、入れたての紅茶より熱い視線を殿下に注ぐ。
完璧な擬態だ。
グループ分けされたメンバーの顔を見た時にはあきらめかけたが、この七日間観察に観察を重ね、見事平均年齢十四歳という彼女たちのテンションをモノにした!
愛らしい少女に交じる二十一のオバサン、でも同じテンション……。マイハートが魔族の精神攻撃なみにガリガリ傷めつけられているが、仕方がない。遠巻きに眺めているのは三流の仕事よ、ここはあえて取り巻きの少女たちにまぎれこむのが上策。
あと三回。
わたしはテレサ、テレサといったらテレサ。演じているのも妹だと自己暗示をかければこの羞恥にも耐えられる、……はずだっ!
ははっ。若干引いているな殿下? 身体を張っている甲斐がある。
イクタ殿下は大人びた少年だった。
なるほど、少女たちが騒ぐのも頷ける整った容姿だ。金髪にダークブルーの瞳。兄王子に似てすらりと背が高い。護衛のいかつい騎士に比べると横に薄っぺらいが、これからの成長に期待だな。落ち着いた物腰は王族の責任感で培われたものなのか、年の変わらないミランダ嬢たちがひどく子どもっぽく見える。
当たりさわりない会話をいくつか交わし、殿下は帰って行った。
ぜんぜんアピールできなかった!と唇を尖らせる彼女たちを「大丈夫。次があるわよ」と慰めながら、皆の熱意はしっかり届いているだろうと確信していた。
殿下との親睦会は、お茶会二回、食事会一回、舞踏会一回で予定されている。第四週の舞踏会だけはいくつかのグループをまとめて行うらしい。
公爵、侯爵といった上位貴族から先に回り、後回しのグループほど爵位が低くなる。
休みなしで一月。毎日お茶会や食事会に呼ばれる殿下もご苦労なことだ。
聞くところによると一巡目のお茶会は、最終組だったわたしたちのグループが殿下の滞在最短記録を打ち立てたようだ。
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わたしたちは比較的自由な行動を許されていた。
殿下が来ない日はサロンで情報交換に励む、城下で最新のドレスを見繕うなどなど、恋に燃える少女たちは殿下ゲットを目標に自分磨きをしていた。
ま、わたしには関係のない話だ。
「ふんふふん♪ 晴天が続くと気持ちいいが、きみたちは少しおしめりが欲しいところだな」
王宮で見つけた心のオアシス。
城の裏手にある薬草園を見つけたときは胸がときめいた。王宮庭師に頼みこんで、土いじりをさせてもらっている。当初面喰っていた老人もわたしの類まれなる薬草愛に胸を打たれたらしく、引きつり笑いで柄杓を渡してくれた。
本当に素晴らしい薬草園だ。王宮も捨てたもんじゃないな。
「ああ、ビンズサーダ! つんとすました緑のかんばせ。きみに棘がなかったら抱きしめているところだ! おお、わたしの愛しいゴンドルト! 青々とふくよかに茂る葉。くっ、かぶれさえしなければ頬ずりするものを……! 忘れてはいないよグシュテブ! 悩ましい蔓で誘惑しないでくれっ、きみの香りに蕁麻疹が出る我が身が憎い!」
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん。声高に癖のある品種ばかり列挙しないでくれねえか。誤解をまねく」
「恋人たちの名前しか呼んでおりませんが」
「おいおい、それじゃお嬢ちゃんが誤解されるぞ。第二王子の花嫁候補なんだろう? こんな場所で油売ってねえで、髪のひとつも結いあげちゃどうだい?」
ここ数日で親しくなった老人は日に焼けた赤ら顔をしかめ、心配そうにわたしのほっかむりを見やった。
わたしだって貴族の娘が薬草園で水やりをしているのはマズイと自覚はあるので、日よけ兼顔隠しに手拭いをかぶっているのだ。ふふ、一石二鳥で実用的。
「殿下のご予定は、今日は伯爵令嬢グループですから、心配いりません。当日になればわたしも髪を結いますよ」
「いや、そういうことじゃなくてだな。はぁ……わしは庭を回ってくるから、お嬢ちゃんは適当なところで帰るんだぞ」
「了解です」
「水やりはいいが、青虫取りはわしの仕事だから残しておいてくれよ」
「うっ……」
「水やりもわしの仕事なんだが?」
「りょっ了解です」
くまでと剪定バサミを持った老人を見送り、キョロキョロと周囲を窺う。
……害虫駆除は止められたが、草むしりは止められなかった、な?
いそいそと袖口のリボンを引き抜き、腕まくりをした。ふんわり広がった邪魔なドレスの裾を左右の足首にそれぞれまとめて寄せ、取っておいたリボンでくくる。不格好だが格段に動きやすくなった。
庭仕事をするときはズボンの作業着がベストだが、王宮で必要になるとは思わなかったので、家に置いてきてしまった。
手袋がないが、ゴンドルトや数種に触れないよう気をつければ、素手でもかまわない。
わたしは草むしりに没頭した。