ナンパですか?
ぼうっと流れて行く景色を見ていた。
いや、流れていくのは、止めどなく流れ続ける人の歩み。
あ~。何で、私、こんなとこに座り込んでるかな~~。
待ち合わせにもよく使われている、駅の前にある植え込み隣のベンチ。
私はぼんやりと目の前の人の流れを見ていた。
「わるい、待った?」
目の前で声がして、けれど私は視線を人の流れに向けたまま、座っている。
何、この人。
私は誰とも待ち合わせなどしていないし、人と目を合わせるのも、間違いを正すのも面倒だし。
人違いなら自分で気付いて欲しくて無視した。
「ったく、もう、遅れたからって、そんなに怒るなよ」
という事は、先に帰ったのか。ていうか、気付け。自分の彼女ぐらい、気付け。
「ほら」
手を差し出されて、無視するのも面倒になってきた私は、とうとうこらえきれずに顔を上げる。
「行くぞ」
目の前の顔がにやりと笑う。
見知らぬ顔。
少し長めの髪、整った鼻梁、少し薄めの唇……イケメンさんだね。
うむ。と、私はこの人間違いしたお間抜けさんを観察する。
さあ、気付け。と、彼をまっすぐに見つめた私は、彼の次の行動に、言葉を失った。
「約束してた映画、行くんだろ?」
差し出された手が私の腕をつかみ、問答無用でぐいっと引っ張られる。
「……ちょっ」
笑って私を見ている顔……これは、思いっきり、楽しんでる。
このヤロウ。最初から人違いなの分かって声をかけてきたな? にっこりと笑う顔はあんまりにも綺麗でひるみそうになるけど、この笑顔の裏でおもしろがっているのかと思うと見とれる気にはなれなかった。
思いっきり、私好みなのに。惜しい。惜しすぎる。ていうか、もし素でこう近くで見てたら、照れて見えないかな。という事は、このイラッと具合で睨み付けられるくらいが、よく観察できて、ほどよいかもしれない。
などと、状況について行けずに混乱した頭は、変なところにだけ冷静に考えたりしている。
何にせよ、この展開は、斜め上すぎでしょ。神様! 私、平々凡々に生きてきて、ナンパも経験したことのないので、対処しきれません!
「じゃあ、そういうことだから」
無理矢理彼の隣に立たされて、図々しくもこのヤロウ肩なんて抱きやがって、その上ぐっと引き寄せられて、あの、頬があなたの胸に当たるんですが、っていうか、良い体してますね。私は、マッチョはイマイチ好みませんが、筋肉質な体は大好物です!
と、とてつもなく動揺しながら、このイケメンの胸元に頭を預けた形で、私は彼の視線の方向に目をやる。
おお。美人さんではありませんか。
何ですか、ナンパヤローのくせに、こんな美人さんを振っても良いんですか。むしろ私よりこっちですよね。ていうか、私ならこの美人さんを選ぶね……あ、嘘です、ごめんなさい。私の考えが足りませんでした、私もこの人は無理です。
目の前の美人さんは私を見て、ふふんと勝ち誇ったように笑ったのだ。
ああ。無理。こういう人を見下した人。人として無理。思っても表に出す人は無理。
まあ、現実、私はこの人みたいに美人じゃないけどね。
で、じゃあ、こんなバカにされて、私はどうしようかな。
バカにされるのは気分の良い物じゃない。しかも、ホントに容姿では間違いなく劣っている。劣等感刺激されるし。
……やり返したいよね?
私はにやりと笑った。
そして肩に回された男の手を取る。
おお。大きくて、骨張ってて、………良いよね、男の人の手! しかもイケメン! なおかつ私好み!
大興奮を隠して、その手を頬に触れされる。
男を見上げると、ちょっと驚いた顔をしていたが、すぐににやりと笑った。
おお。さすが私を問答無用で巻き込んだお兄さん、ノリが良いじゃないの。
私は彼をナンパヤローからお兄さんにランクを上げてやった。
私はおにーさんに更に体を密着させるようにすると、彼が優しい手つきで、もう片方の手を私の背に回した。
私は、勝ち誇ったように目の前の美人さんにほほえみかける。
ランク下に負けた気分は……いかが?
そして、彼女の反応は完全に無視して、イケメンのお兄さんに笑いかける。
「映画、早くいこ?」
甘えるように言った私に、彼は、にこりと笑って、私をエスコートした。
そう、エスコートした!
なんて動きがなめらかなの! 私、こんな扱いされたのは初めてです、神様!
これは、まさしく、エスコート!
良い響きだ、もう一度言おう、エスコート!
私は自分好みのイケメンのお兄さんにエスコートされる気分の良さを味わいながらも、さっきのようなことに巻き込まれたって言うか、こんな事に巻き込むぐらい調子の良いお兄さん相手にどうした物かと、真剣に悩む。
まあ、でも、ナンパと考えたらいいか。見知らぬ人について行ったらいけないんだけど、まあ、見た目だけはいい男だし、こんなステキな大きな手が私の肩を抱くとか、幸せすぎて声も出ないし(出るけど)、ここは、ありがたく、ナンパをされたと言うことにして、ついて行ってしまおうではないですか。こんなイケメンにナンパされるとか、ないですよね。私の平凡な人生ではありませんとも。
「……で、映画は何にしますか?」
私は彼を見上げてにっこり笑った。
「マジで行く気か」
「自分で言ったんですよ。自分の言葉には責任持ちましょう」
白々しく笑いながら私はうんうん、とうなずく。
「見たい映画があるんですよ、約束してたんですもんね?」
彼はくっと吹き出した。
「あんた、絶対逃げると思ったのになぁ」
「……逃げる? なんでですか」
「こういうのに慣れてなさそうだから」
しらっとして言った言葉に、かちんと来る。男に誘われ慣れてなさそうって事か? そうだな? そうなんだな?
「まあ、自分でまいた種ですから。しっかりと責任を取ってもらいますよ」
「責任、ねぇ?」
彼はにやにやと私を見下ろす。
「なんですか」
「キス、ぐらいは、経験ある?」
「いえ、男性経験は、さっぱりで」
「にしては、動じないな」
「緊張して、パニックになっているせいです。こういう時って、肝が据わりませんか?」
「なるほど、そういうタイプね」
「そういうタイプです」
「で、俺、そんなに時間ないから、映画とかはホント無理なんだけど、なんか別のお詫びにしようか」
「別のですか?」
「キスで口止め料とか、どう?」
にやりと笑うその顔に、私はケッと思わず口に出して息を吐いてしまった。
「ケッて……」
「キスで口止め料って、どんだけ、あなたのキスは価値があるんですか」
吐き捨てた私に、男がぶっと吹き出した。
「あんた、おもしろいな、そういう受け答えは初めてだ」
「私も、そんな事言われたのは初めてですよ」
私と彼は、がっちりと見つめ合う。
目をそらすんじゃない、私。これは戦いだ。映画とプライドを掛けた戦いなのだ。目をそらした方が、負けだ!!
まじまじと見つめてくるおにーさんを見ながら、目元すっきりで綺麗だなーとか、この顔のライン好みだな、とか。近くで見ると、ひげのそり跡も見えるな、ちょっと触ってみたいな、あこがれのジョリジョリ。とか思っているうちに、お兄さんの顔が近づいてくる。
ちゅっ
んが?!
今、何か、目の前で音がしましたよ? ていうか、唇にふにゅって、なんか柔らかい感触がありましたよ? て、そうじゃなくて、お兄さん、顔が近いんですが?!!
………きーすーさーれーたぁぁぁぁっぁあぁぁ!!
私の、ファーストキス!! あこがれのレモン味のファーストキスが!!!!
レモン味、しなかったしぃぃぃ!!
無味無臭なキスに、私は絶望した。したっていいよね、夢ぐらい見ていたかったの!
相手は名前も知らない、見知らぬおにーさんなんて! 私好みだけど、イケメンだけど!! ちょっと、ふにゅって感触が気持ちよかったけど!
え、じゃあ、それはそれでアリか……って、アリじゃないし!
脳内パニック中につき固まった私を、どあっぷで見えるおにーさんがにこにこと私を見ている。
「なにするんですか」
「キス」
「お断りしたはずですが」
「断られた覚えはないな」
「 断 り ま し た !」
「俺のキスにどれだけの価値があるのかとは聞き返されたけど、断られてはない」
「普通、それを断ったと言うんです」
「残念だが、俺の辞書にはないな」
「私の辞書にはあります。ていうか、ここ、往来ですよね。……見られた!!」
私は、はっと気付いて周りを見渡すと、人々は、普通に流れて行く。
……ああ、そうね。こういうのって、みんな横目で見て「うわー」とか思って、何もなかったフリして通り過ぎて行く物よね。
「……自意識過剰」
「ちょ、言わないで、それはちょっと恥ずかしいから!」
て、ちょっと待って。自意識過剰云々よりも、そもそも、人のいるところでやる物ではないという感覚の、日本人な私の方が、正しいよね?
「……日本人たる物、人前でキスする物ではありません!」
どうだと言い切った私に、彼は「なるほど」とつぶやいて、私の肩を抱いたまま、進路変更をした。
「ちょ、どこ行くんですか……」
「ん? 人気の、ないところ?」
綺麗な顔でにこっと笑って、小首かしげても、かわいくなんか、かわいくなんか……萌えきゅううううーんん!
卑怯だ、卑怯すぎるよ、このおにーさん。この顔は反則ですよ。
神様、このお兄さん、私の好みすぎます(顔が)。
あれよと抵抗する間もなく、建物の陰に入られる。
連 れ 込 ま れ た ……!!
そして私はお兄さんに壁際に追い込まれる。
えええ。ちょっとまって。何でこんな事に。お兄さん、私に興味なかったよね? キス価値ないとか、そんなにダメだった?
お兄さん、ちょっと、本気で、恐いです……。