モフ犬ですが、あざと女を撃退したらなぜか王子様から溺愛されて
あたくしはご主人様が大好き。だって、とってもかっこいい。背が高くて、髪はヒヨコみたいで、目は焼き鳥みたい。どこをとってもおいしそう。あ、もちろん、ご主人様のことは食べないけど。
一番好きなのは、手。指が長くて爪がきれいで、なにより撫でるのが上手。
「マール、おいで」
優しくて甘い声でそう呼ばれると、思わずしっぽがちぎれちゃいそうになる。ブンブンブン。
「お前はいつもモフモフだなあ」
そうです。あたくしはいつもモフモフです。ほら、ほらほらほら。撫でてください。
待ってられなくて、ご主人様の大きな手に頭をこすりつける。ごしごしごし。
ああ、ああ、ああ。至福。
ご主人様がモフモフわしわししてくれる。力強くて、温かくて、完璧な手。この時間、永遠に続け。
だけど、もちろんずっとわしわしはしてもらえない。だって、ご主人様は忙しい。ご主人様は王都の治安を守る衛兵なの。
パリッと素敵な赤い上着を着て、剣を腰にさし、長い斧を持って、街を歩くの。
夜警と違って、日中に働く衛兵は見た目が命なんだって。美男子が颯爽と街を歩いているのが大事なんだって。わかるー。
あたくしもね、お供につくのです。ふっふっふ。
モフモフで柔らかくて卵みたいに真っ白な毛並みのあたくし、首には赤いリボンをつけています。赤い上着のご主人様と並ぶと、一幅の絵見たいって言われます。絵になるふたりです。ええ。
いえ、ひとりと一匹です。失礼しました。つい。
とにかく、街を練り歩くときのあたくしは、きりっとしております。デレデレした姿を見せて、あたくしのせいでご主人様の評判を落としてはなりませんからね。
ご主人様の隣で歩調を合わせて歩くのは楽しいなー。らんらんらん。
ふんふんふんふん。うむ、悪い匂いはしません。今日の王都も平和なようです。
うぬっ、なにやら叫び声が。
「キャー、誰かー、スリよー」
スリとな。ならばあたくしめが。
駆けて来る薄汚い男。ご主人様を見上げると、頷いたので、あたくし行きます。
えーい、どーん。男に体当たりすると、あっさりと跳ね飛んでいきました。男がどさりと落ちて来る地点に先回りし、落ちて来たところで男の背中にどっしりと座ります。
「ぐえっ」
男がカエルみたいな声を出します。カエル、おいしいですよね。あら、そういえばお腹がすいたような。この男、妙な匂いがしますが、まあ肉付きはそれほど悪くありません。
どうでしょう、ちょっと味見など。
あーんと口を開けたら、頭をポンポンと叩かれた。
ご主人様ー、見てください、あたくし見事にスリをつかまえましたよ。見てください。褒めてください。よーしよしよしってしてください。
「マール、よくやった。よーしよしよし」
ふああああ、素敵。ご主人のよーしよしよし、最高。大好き。
「あの、ありがとうございました」
ぜいぜいと荒い息遣いの女が現れた。先ほど叫んでいた人だ。
女、ご主人様から財布を返してもらって、何度も頭を下げている。
女、ご主人様がもういいって言ってるのに、なかなか立ち去らない。
女、ご主人様をうっとりみつめてトローンとしている。
女、それ以上見るな。減る。ご主人様はあたくしだけのご主人様。無礼だぞ。食べちゃうぞ。
ふむ、この女。痩せてはいるが、まあ。ほっぺたぐらいなら食べてもよさそうか。
あーん。口を開けると、口の中にカリカリとしたものが入った。
おやつです! ご主人様、おやつですね!!! かりかりかりかり。ああおいしい。
はっ、おやつに夢中になっていたら、いつの間にやら女がいなくなってる。そして、小汚い男が涙を流している。なにが起こったの? はれ?
「そうか、理由は分かった。急に大工の仕事をクビになって、家賃を払うために突発的にスリをしたと」
「お許しください。乳飲み子がいるんです。見逃してください。お願いします」
男はおいおい泣きながらご主人様の足にすがりつく。
きっ、そこはあたくしがスリスリするところ。妙な匂いをつけるでない。
いらいらっときて口を開けると、鼻の上をご主人様が抑えた。なんですか、ご主人様。ご主人様の手はいい匂いがします。くんくんくんくん。あ、なーんだ、かりかりの匂いだー。たはー。
「そう言えば、屋敷の塀が少しがたついていた。修理してくれるか」
「へ」
「前金として家賃を払いに行こう。大家のところに案内してくれ」
「はひ」
「腕がよければ引き続きうちで雇う」
「はへー。旦那様、ありがとうございます」
あたくしの足の下で男が泣いている。おい、やめろ。ご主人様のズボンの裾が濡れるじゃないか。
「その代わり、もし次にスリをしたら」
「しませんしません。二度といたしません」
「マールがお前の腕を食べる」
やったー、おいしそう! あっ、よだれが。ぼたぼたって落ちちゃった。
「ひー」
男はよだれと涙でベトベトになりながら、腕をなんとか隠そうとじたばたしている。
かじりごたえのありそうな腕。ごくり。
「マール、食べてはいけないよ」
ご主人様に言われたので口を閉じる。
マールはいい子です。ご主人様がいいよって言うまで、食べませーん。
それにしても、ご主人様ったら、あたくしのごはん候補をどんどん雇っちゃうんだから。優しいんだから。
でも、みんな悪いことしなくなっちゃうから、誰も食べられてない。ぐぬぬ。
ご主人様とまたひとつ、王都の問題を片付けて、治安を守りました。だからいいってことにしましょう。
ご主人様がスリ男を連れて帰ると、屋敷の人たちは、ああいつものあれね、ああまたですか、みたいな反応でテキパキとスリ男を受け入れる。
あたくしも、いざというときのおやつが増えるのは大歓迎です、はい。男ですしね。ええ、はい。この屋敷に女はあたくしだけでいいのです。子どもも不要です。女と子どもがいたら、ご主人様の寵愛をあたくしが独り占めできなくなってしまうかもしれませんからね。
あたくしとご主人様の愛の城にいてもいいのは、非常食である男の使用人だけです。ごはん候補たちは、今のところ真面目に働いております。よき。食べられないけれども。よき。
そんなこんなで、あたくしとご主人の愛の城は完璧なパラダイスなのです。
それなのに、たまーにやってくるんですよね、厄介者が。
ぎゃわん、またきたー。あたくしの大嫌いなあいつー。
「コリン」
「アメリア・クルーガー伯爵夫人」
アポなしでまたきやがったー。この、厚化粧で香水つけすぎで高慢なビッチ夫人―。がるるるる。食べたくないけど、食べてやってもいいぞ、ご主人様。
いけ、を期待してご主人様を見上げるけど、ご主人様は言ってくれない。しょんぼりぼりぼりぼりぼり。仕方がないので絨毯の端っこをぼりぼりかみかみします。
「そろそろ心は決まったかしら?」
「あのお話なら、既にお断りしたはずですが」
「まあ、コリン。わたくしの末娘、アンの何が気に入らないの? わたくしに似てかわいらしいし、身分的にも釣り合うではありませんか」
きー、また縁談もってきた、このビッチー。わからんか、ご主人様はお前の娘と結婚したくないって。わからんか、ご主人様から出る匂い。これは、ご主人様がストレスを感じて、困っていて、いやーな気持ちになっているときに出る匂い。あたくしにはわかりますよ。
ああ、ご主人様、今すぐべろべろ舐めて慰めてあげたい。でも、お客様が来てるときは、伏せをしてなきゃいけないの。お行儀が悪いと、ご主人様の評判が悪くなっちゃうの。辛い、悔しい、歯がゆい。食べてしまいたい。がるるるるる。
声に出してがるるるするとご主人様に怒られるので、心の中でがるるるする。
「私は誰とも結婚するつもりはありません。衛兵の仕事をして、この屋敷で穏やかに過ごせればそれでいいのです」
「んまあ、子爵貴族ともあろうあなたが、そのような発言。許されませんわよ。子をなしてこそ貴族でしょう」
ご主人様は穏やかな微笑みを浮かべてやり過ごしている。くっ、この腐れ女、ご主人様を困らせるなんてええええ。
「それにね、コリン。わたくし心配よ。あなた、規則を破っているでしょう」
「規則、とは?」
ご主人様の匂いが少し変わった。緊張している時の匂い。街で悪者と対峙した時に出るやつ。
こんの、悪党め。ご主人様を緊張させるなんて、何様。許すまじ。
「コリン、あなた。初犯の悪人をこっそり屋敷で雇っているでしょう」
ご主人様のピカピカの額からに汗が少しにじんでいる。
「それは、規則違反ではありませんが」
「そうねえ。でも、あなた、罰金を肩代わりしているみたいではないの」
「それも、規則違反ではありませんが。給料の前渡しです」
「まあねえ、物は言いようよねえ。でもね、こうも考えられない。犯罪者をたくさん雇って、何をしているのかしら。国家の安全を脅かしているのではないかしら。まさか、傭兵化して王家に盾つこうとしている、そう受け取る人もいるかもれないわ」
ご主人様の額から落ちた汗が、白いシャツにしみを作った。
くううう、難しいことはよく分からないけど、なんだかご主人様が窮地に立たされてない? ご主人様が危ない? 食べていい?
「コリン、あなたがアンと結婚すれば、そのような言いがかりはわたくしの力で一掃させてあげるわよ。ね、考えておいて」
憎たらしい女は、ほほほほと笑いながら出ていった。
ご主人様――。
一足飛びでご主人様の膝にのり、汗がにじんでいる額を清めてあげる。べろべろべろ。
「マール、心配しなくても大丈夫だ」
「ぐるるるる」
「大丈夫だ。規則は破っていない。上司も知っている」
「ううううう、わん?」
「お前は何も心配しなくていい。よーしよし」
そうですか? 本当にそうですか? 大丈夫ですか? よーしよしよしは、あたくしがしてあげましょうか? ご主人様の顔にあたくしのモフモフ頭をこすりつける。ご主人様はこうされるのが大好き。ほら、ほらほらほら。ね、ご主人様から心配、緊張、不安の匂いが消えて、安心、穏やか、幸せのいい匂いがする。
あたくしのモフモフ癒し効果でご主人様にいつもの笑顔が戻った後、あたくしは屋敷の庭に出た。あたくしは難しいことがよくわからないので、こういう時は誰かに助けてもらわなければならない。
「よう、カラスどん」
「なんだい、犬ころ」
「厚化粧女が、ご主人様を脅した。どうしたらいい?」
「なにくれる?」
「この、欲深腹黒まっくろカラスめ」
「否定はしない」
「ちっ、仕方がない。裏庭に埋めている宝を譲ってやろう。ついてきな」
「うえーい」
あたくしの縄張りである、誰も手が出せない聖域をほりほりして、カラスどんが好きそうなキラキラを投げてやる。
「こ、これは。王族の専用馬車についている金色の飾り房。い、いいのか、こんな素敵なものを」
「いいのだ。カラスどんの知恵をもらえるなら、キラキラの飾り房なんて」
ううう、血涙。キラキラでふさふさしていたお気に入りだけども。でもいいの。
ご主人様と街を巡回中に拾ったの。犬界の掟では、落ちているものは見つけた犬の物なの。大事にしてたけど、いいの、いいのよ。
「犬ころ、がんばれよ」
「ありがとう、カラスどん」
大切な宝物と引き換えに、いい考えを教えてもらって、あたくしはこっそりと屋敷の外に出た。
ふんふんふん。うん、大丈夫、香水の匂いが強いから、跡はたどれる。
ゆったりと、のんびりと優雅に歩く。
決して走ってはダメってカラスどんに言われた。巨犬が全速力で駆けていたら、善良な市民がびびっちゃって、衛兵を呼ばれるからだって。うん、それは確かに困る。
白くてフワフワのモフモフ犬がお散歩してるだけですよー。ご主人様はすぐそこにいますよー。決してひとりじゃないですよー。そういうフリをするのが大事なんだって。
カラスどんのアドバイスのおかげで、誰かに叫ばれることなく、厚化粧女の家にたどり着いた。
さあ、ここからが本番です。ご主人様が脅されたときに、返り討ちにするためのなにかが必要です。脱税の証拠が書かれた帳簿とか、今まで脅した貴族の名前が書かれた黒革の手帳とかがあるといいんですって。
忍び込んで盗むことに、なんのためらいもありません。ご主人様のためならたとえ火の中水の中。
でもねえ、大きな問題が。あたくし、巨体なんですの。くすん。
でも、カラスどん、すごい。あたくしの知らないあたくしの密かな才能を見つけ出してくれました。
「ぶるぶるぶるぶる、気合じゃー。ねこー」
まあ、なんということでしょう。巨大な白モフ犬が、小さくて愛くるしい白モフ猫になりました。
「ふっふっふ。まさかあたくしにこんな変身能力があるなんて」
猫は、あやつら猫は、どこにだって忍び込んで傍若無人にくつろぐ無礼が許されておりますからな。犬にはできない所業。ぐぬぬ。
「ぶぎゃわにゃー。ぐるぐるわぎゃー。わんにゃー」
猫らしい鳴き声を練習し、わにゃーなら恥ずかしくなく言えることがわかった。
わにゃーわにゃーと何度か鳴いて、口を慣らす。
やってやる、やってやりますわ。猫のあの、あざといぶりっこかわいい仕草をやってみせますわ。恥ずかしいけど。恥ずかしいけどもっ。
誰にも見られませんように。誇り高い巨犬が、あざとかわいい子猫に化けてるなんて。はずか、はずかしぬっ。
羞恥にもだえながら屋敷に忍び込む。カラスどんが言うには、本がたくさんある部屋にたいがいの秘密があるらしい。
こそこそと探索し、無事に本がたくさんある部屋に忍び込めた。ふんふんふん。
ホコリやインク、古い紙の匂いの中に、なんだか怪しい匂いがある。
おおっ、分厚い本を引っ張り出して中をのぞくと、中身がくりぬかれてそこに黒光りする黒革の手帳があるではありませんか。
「早速、はっけーん」
さすが、カラスどん。すごい。
あれ、でもこれどうやって持って帰ろうかな。
「カー、間抜け。投げてよこしやがれ」
「カラスどん」
カラスどんが窓の外の木に止まっている。
黒革の手帳をくわえて、えいっと投げると、カラスどんがうまい具合に受け止めてくれた。
よかった。じゃあ、そろそろ撤収するか。あれ、他にもなんだか怪しい匂いが。ふんふんふん。
机の引き出しを開けてみると、引き出しの下側に紙の束があるではありませんか。
「こ、これはきっと裏帳簿。やったー」
よいしょっと紙束を取り出し、口にくわえる。あごがプルプルするけど、これぐらいなら運べそう。
よたよたしながら扉の方に向かうと、急に扉が開いた。厚化粧女と目が合った。
「このっ、ドロボウ猫めっ」
「んぐー」
裏帳簿をくわえたままピョーンと跳ね飛んで窓に向かう。いくしかない、いっけー。
何もない空中に飛び出したら、体に何かがかかった。ぎゃっ。バランスを崩したけど、なんとか地面ギリギリでクルリと回転し、四つ足で着地する。体中がぬめぬめして、気持ち悪い。
必死に走って、屋敷から遠ざかってから元の犬の姿に戻る。いつの間にか夜になっていた。月明かりで見ると、自慢の真っ白な毛が黒くなっている。
「インクをかけられたんだ」
くすん。白雪犬と呼ばれたあたくしが、牛みたいなまだら模様に。くすん。
しくしく泣きながら屋敷に帰って、カラスどんから慰められて、黒革の手帳と裏帳簿をご主人様の枕元に置いて、疲れて寝た。ヘトヘトだ。
「マール、マール、大丈夫か? 朝だぞ」
「ぎゃわにゃん」
「なんだ、そのおもしろい鳴き声は。それに、何があった? 毛が白黒になってるが」
「ぎゃふん」
しまったー。川で水浴びしてインクを落とそうと思ってたのに。
「あと、ひょっとして、これはマールが盗ってきてくれたのかい?」
「ぎゃわん」
黒革の手帳と裏帳簿を持ったご主人様の顔がなんだかくもっている。え、もしかして、ご主人様ってば怒ってる? どうして?
「マール、ありがとう。これがあれば、アメリア夫人と戦える。ありがとう」
ご主人様があたくしのことをぎゅーって。ぎゅぎゅぎゅーって。
「でも、もう危ないことはしてはいけない。マールがつかまってしまったら、もしかしたら二度と会えないかもしれない。マールがいない人生なんて、考えられない。考えたくない」
「ぎゃおーんおーんおんおん」
あたくしもですー、あたくしもです、ご主人様。ご主人様のいない犬生なんて、考えられません。あたくしたち、やっぱり相思相愛だったんですね。知ってたー。
しばらくしっかり抱き合ってから、ご主人様があたくしめを浴室に運んでくださいました。
「汚れが落ちるか試してみよう」
「わう」
ご主人様に湯船でわしゃわしゃーっと洗われました。素晴らしい時間でした。
「ダメだ。まったく落ちない。切るしかないか」
「いやわんいやじゃわん」
「そうだな、いやだよな。女の子だもんな。まあ、そのうち徐々に抜け変わるだろう」
「わう」
そうですね、換毛期になればごっそり生え変わりますもんね。はっ、ということは次の換毛期まで牛のままってことー? いやじゃわんー。ひんひんひん。
鳴いてもわめいても、どうしようもなく、あたくしめは栄えあるご主人様との街歩きも牛歩でございます。くっ。
子どもたちは大はしゃぎ、ご婦人がたはクスクス笑い、酔っ払いには「う、牛がいる」って叫ばれます。なんたる辱め。
でも、いいの。厚化粧女からご主人様を守れたんだもの。
そう思ってたら、なんと、ご主人様に厚化粧女からパーティーの招待状が届いちゃった。
どういうことー。
「イヤな予感しかしないが。しかし断るのも角が立つ。仕方がない、いざとなったら黒革の手帳と裏帳簿のことを匂わせるか」
ダメじゃダメじゃダメじゃわん。そういうの、あれです。飛んで火にいる虫って言うんじゃなかったでしたっけ。バチバチって燃えちゃいます。ううーぐるぐるぐる。
「マール、大丈夫だから。私だってもう大人だ。対処できるよ」
そんなことを言われたら、どうしようもないじゃないですか。あたくしは、ご主人様が立派な大人だって知ってますもん。
「マール、行ってくる。すぐに帰ってくるから、いい子で待っているんだよ」
いやじゃわん。でも、ご主人様の言いつけは守らなきゃいけないんだわん。ぎゃおーん。
髪をかっこよくなでつけて、白黒の燕尾服を着たご主人様は、しっぽがちぎれ飛んでしまいそうになるぐらいかっこいいけれど、やっぱり心配。心配―。
どうしようどうしようどうしよう。
「思い出した。カラスどーん、たすけてー」
困ったときのカラスどん。すっかり忘れてたけども。
カラスどんに、またひとつ貢ぎ物をしました。ええ。
「ほ、ほんまにええのんか。こ、これは由緒正しき、王族のネクタイピン」
「いいんじゃわん」
庭に落ちていたから、いいのだ。ご主人様に一応聞いたら、いいよって言ったから、いいのだ。
あたくしだって、勝手に猫ばばしたわけじゃありません。ええ、ドロボウ猫は厚化粧女のときの一回こっきり。清く正しい白犬ですから。今は牛ですけど。ひーん。
「じゃあ、行ってこい」
「わう」
優雅に厚化粧女の屋敷まで歩いて行って、こっそり会場の裏口まで入り込んで、いざっ。
「ぶるぶるぶるぶる、気合じゃー。美少女―」
まあ、なんということでしょう。巨大な牛犬が、誰もが見ほれる美少女になりました。
こっそりとバルコニーから中の様子を伺います。むむっ、ご主人様が厚化粧女とあざと系女に囲まれておる。
ああっ、あざと女がご主人様の腕に手をかけた。きー。
ああっ、あざと女がご主人様のほっぺにチュってした。ぎゃおーん。それは、それはあたくしだけがしていいことー。
我慢できなくて部屋の中に足を踏み入れたとき、厚化粧女の声が聞こえた。
「うれしいわ、コリンがやっとアンと結婚してくれる気になったなんて」
「いや、それは──」
「おめでとうございますっ」
周りの人たちが拍手喝采している。
あざと女は照れ笑いをし、ご主人様は固まっている。
ゆ、許せない。これはあれじゃない。この木はあたくしのものってマーキングするときの匂いじゃない。きいぃぃぃー。あの女、あたくしのご主人様を自分のもの宣言しちょるー。
ご主人様は、あたくしのものなのにー。
食べてやるっ。
猛ダッシュで走り、人ごみをかきわけ、ご主人様の前に立った。
「き、君は──」
「あたくしというものがありながら。どういうこと」
わなわなとしながら、あざと女の手をご主人様の腕からはたき落とす。
「いたっ」
切り落とさなかっただけ幸運だったと思え、小娘。
どこから食ってやろうか。頭か、首か、胸か、お腹か。ん? お腹? ん? あれれ?
「お腹の中に赤ちゃんがいるー」
あたくしは犬。新しい生命の存在はすぐ分かる。
「でも、ごしゅ、ごほっ、コリン様はずっとあたくしと一緒だった。絶対にコリン様の赤ちゃんじゃないー」
「私ではない、誓ってそのようなことはない」
ご主人様がものすごい早口で否定した。
「分かった。あなた、あれでしょう。カッコウ鳥でしょう」
「カッコウ鳥?」
「どういうこと?」
周りの人たちがざわめいている。
「別の男との子を、コリン様との子どもと偽るつもりでしょう。赤ちゃんの本当の父親とは結婚できないから、コリン様を利用する気なんでしょう。許せない」
「ええっ、托卵妻ってこと?」
「ひえー、スキャンダルー」
「すごい、本当にあるんだ」
「てことはなに、不倫とか?」
「うわー、最低」
女性たちが悲鳴のような声をあげる。声は非難がましいけど、顔は楽しそうに輝いてる。人の不幸は蜜の味。人のスキャンダルは極上の酒。そう言いますもんねー。
「あたくしの大事な、愛するコリン様をそのようなことに使おうとするなんて。許せない。コリン様を返して」
ご主人様の腕を引っ張って、あたくしの隣まで引き寄せる。ぐっ、あざと女の匂いがご主人様についちゃってる。
消さなきゃ。
ごしごしごしごし。いつものように頬や頭をご主人様にこすりつける。
「きゃー」
「すごいもの見ちゃった」
「美少女がイケメンにスリスリしてる」
「猫みたい」
「どっちかってーと犬っぽい」
「俺もされてみたい」
はっ、しまった。あたくし、今、美少女に化けているんでした。しまった。
「ごしゅ、コリン様?」
「マールか?」
ご主人様が耳元でささやく。周りの、キャーが更に大きくなる。
「はい、あなたのマールです」
ご主人様、さすが。あたくしってすぐにわかってくれる。
ご主人様はしばらく固まっていたけど、笑いがこらえられなくなったみたいに吹き出す。
「マール、君は最高だ」
「はい、知ってます」
ご主人様があたくしの髪の毛をわしわしって撫でてくれます。落ち着きます。
「帰ろう、マール」
「はい、コリン様」
ご主人様があたくしの手をぎゅって握ってくれます。こういうのは、初めてです。
はわわー、あたくしの頭のすぐそばにご主人様の顔があります。すごいです。舐め放題です。べろべろしたいです。
「マール、その姿でいつものように甘えられると困る。屋敷に戻るまで自重できるか?」
「はい、コリン様」
あたくしはいい子です。我慢できます。
あの女からご主人様を取り返せて、幸せです。
***
怒涛のパーティーが終わり、マールからひと通り事情を聞いて、朝が来たわけだが。
いつものようにベッドの隣にふさふさのマールがいる。穏やかな寝息を立てて、大きなベッドの半分を占領している。
「さすがに少女姿のマールと添い寝するのはためらわれたので、別の部屋に連れていったはずなのだが」
いつの間に侵入したのか。まあ、犬の姿に戻っているから、問題ないと言えばないが。ないよな。ああ、ないとも。
「いや、問題だらけだ」
社交界は大騒ぎになっているだろう。
ほとんど知られてはいないが、私はまがりなりにも王族の末端だ。
母は貧しい男爵家の出身で、私が五歳の時に亡くなった。後ろ盾のない王子など、誰も顧みない。
小さな離宮で、ほぼほったらかしにされた。いや、いやがらせはされたな。父のたくさんいる妃が、気晴らしにいじめをしてきた。
「あの人たちは直接手をくだすことなく、配下の者をそれとなく動かすからたちが悪い」
母が恋しくて、ひとりぼっちが寂しくて、でも人間不信で。
ボロボロだったとき、マールが来た。父が贈ってくれたらしい。
フワフワの小さな雪玉のようだったマールは、私の唯一の家族、癒し、心の支えになった。
マールがそばにいるようになってから、いやがらせはピタリと止まった。
悪意を持って近づく人間にマールが見せるすごみはすさまじく。マールが口を開くだけで、やつらは腰を抜かして這う這うの体で逃げ出していったものだ。
ふくふくとしたウサギのようだったマールは、あっという間に大きくなり、牛のような巨体になった。体は大きくても、中身は変わらずいたずら者で、お調子者で、かわいらしい。
父に頼み込み、十五歳になってからは離宮を離れ、衛兵として働いている。
育ちが育ちなので、人を信用することが難しく、屋敷の使用人は犯罪者になりかけだった者を雇っている。
弱みを握り、恩を売ることで、裏切れないようにしているのだ。
我ながら器が小さいが、仕方がない。
マールがいればいい。マールさえいてくれればいい。それが唯一の望み。
マールがいなくなったら? 犬の寿命は人よりも短い。マールは本来ならとっくに老犬のはず。そのことを考えると、足元から地面が消えてしまったような感覚になる。
考えたくない。マールがいなくなる日がくるなんて、想像するだけで吐きそうだ。
幸いにもマールは健康そのもので、いつも元気いっぱいに跳ねまわっている。
いつでもお腹をすかせていて、ふとしたときに口を開けるから、おやつは常に持ち歩いている。
犯罪者や、若い女性が近づいてくると口を開けることが多いが、気のせいだろうか。
よだれをダラダラだして、まるで食べたそうにしている。まさかな。
マール、人間なんて、食べてもおいしくないぞ。いや、食べたことはないから知らないが。
人間を食べるマールは、見たくない。もっと他においしいものはたくさんあるのだから。
マールが食べている姿を見ると、しみじみと幸せを感じる。
マールが楽しそうにしっぽを振っていると、心が温まる。
マールが私の全て。マールがいれば、他はなにひとつなくてもいい。
たまに来る、有象無象など、心底どうでもいい。ハエのようなものだ。
叩き潰せるならそうしたいのだが、なにせ力がない。
相手が気のすむまでやり過ごしていたのだが、あのアメリア夫人はなかなかにしつこい。
私がいらだっていると、マールが心配そうにするので、なんとかしないとなと思いあぐねていた。
気は進まないが、夜間に忍び込んで亡き者にすることも考えてはいた。
衛兵という職を失うかもしれないので、最後の手段ではあるが。
職を失ったら、マールと共に冒険者になるしかない。
そうすると、マールに今のように不自由なくおいしいごはんを食べさせることができなくなる。
さて、どうするか。悩んでいたら、白黒になったマールがアメリア夫人の弱みを盗んできてくれた。
ああ、マール。こんなことは二度としないでくれ。あんな虫けらのような女のせいで、お前が身を危険にさらしたなどと、あってはならない。
私が不甲斐ないばかりに、お前に無理をさせてしまった。すまない。
その上、パーティーに登場して、無茶苦茶な状態から私を救ってくれた。
白黒のフワフワのドレスを着たマールは、信じられないくらいに愛らしかった。
スリスリされたときの毛並みと動きがマールそのものだから、すぐに分かった。
人間の女になど興味を持ったことはなかったが、それがマールであれば話は別だ。
犬であっても、少女であっても、私の心をかき乱すのは、マールだけ。
マールがピクリと起き上がる。誰か来たようだな。
手早く身支度を整え、外に出ると配達屋が来ていた。
「調べました」
「それで?」
「少女になったマール様がつけていた首飾り。目ざとい者が陛下の紋章であることに気づいたようです」
マールがきょとんと首を傾げている。そういえば、父からもらった首飾りをマールはいつもかけていたのだった。フワフワの毛に埋もれて、犬の姿のときは見えないが。
「マール様は陛下ゆかりの方であると。触れるな危険の少女であると。広く社交界に認知されました」
「ははは、そうか」
「陛下から、必要な物があれば言うようにとのご伝言です」
「なにも。なにも必要ない。今まで通り、この屋敷でマールと穏やかに過ごせればそれで」
「承知いたしました。では、これにて失礼いたします」
手紙を届けたフリをして、王家の影は去って行った。
「マール、お前はすごいな」
「わう?」
「今まで通り、マールと過ごせるぞ」
「おおーん」
マールが喜びの遠吠えをする。なんてかわいいのだろう。
急にマールが水浴びをした後のように体を震わせ、「ぶるぶるぶるぶる、気合。美少女―」と叫びながら美少女に変身した。
「ご主人様、たまにこうやって美少女になってもいいですか?」
「あ、ああ」
「やったー、ご主人様、大好きです」
「私もマールが大好きだ」
マールは気が向くと美少女になるようになった。
私の理性の限界が試されている。
どうしたものか。
お読みいただきありがとうございます。
ポイントいいねブクマを入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




