8 『覚醒の兆し』
レイドが暴漢たちを追い払ったあと、路地にはしばしの静寂が訪れた。
稲妻の余韻がまだ空気に残り、焦げた鉄の匂いが鼻を刺す。
シュカはその場に立ち尽くしながら、胸の鼓動がようやく落ち着いていくのを感じていた。
怖かった。けれどそれ以上に、胸の奥が熱くなるような感情があった。
――自分も、誰かを守れるようになりたい。
✻✻✻
シュカは、ゲヘナ西三区の路地をレイドと並んで歩いていた。
道すがら、露店の老婆が声をかけてくる。
「おや、アステリアのレイド坊じゃないかい。いつも助かってるよ」
隣の店主も、手を振って笑った。
「前にあんたたちが取り締まってくれたおかげで、最近は街が静かなんだ」
レイドは照れくさそうに笑いながら、手を振り返す。
「へへっ、まぁ当然の仕事っすよ!」
そんな彼の姿を見ながら、シュカは小さく息をついた。
――アステリア旅団。
ゲヘナで最も厄介なお騒がせ問題児集団と言われる組織。
シュカ自身、その評判には納得していた。だがこうして街を歩いてみると、違った一面が見えてくる。
エデンでは“悪”と呼ばれ、世界から追放された者たち。
けれどここでは、彼らが“秩序”を守っている。
子供が安心して笑い、老人が暮らしていける。
それを支えているのは、彼らの力――特殊能力。
「……レイド」
「ん?」
「みんな、アステリア旅団を信じてるんだね」
「そりゃそうだ。力があるから守れる。力があるから話を聞いてもらえる」
そう言って、レイドは笑った。
「でも、力ってのは、持つだけじゃ意味がねえ。何のために使うか、それを見失ったら、それこそただの烙禍だ」
その言葉に、シュカは目を伏せた。
“力”。
あの日、自分の中から溢れたあの炎。
――あれが、自分の特殊能力なのだろうか。
けれど、あれを使えば何かが壊れてしまう気がした。
もう、幸せな日常には戻れなくなるのではないかと。
✻✻✻
古びた路地の先で、ひとりの老人が手を振っていた。
背は曲がり、顔は皺だらけだが、目にはまだ光がある。
「レイド坊、ちょうどよかった。椅子の脚が折れちまってな……」
「おう、任せろ!ちょっと見せてくんねーか」
レイドは軽く手を振り、シュカに言った。
「少し外で待ってろ。すぐ終わる」
扉が閉まり、静けさが戻る。
古びた街灯がきしみ、遠くから子供の笑い声が響いていた。
シュカは壁にもたれながら、ゲヘナの街を眺める。
煙を上げる煙突、壊れた看板、傾いた家。
それでも――人々は生きている。
笑い合い、助け合って。
エデンで教えられてきた“悪”の姿とはまるで違っていた。
ふと、胸の奥が熱くなる。
その時、炎が――ゆらりと、揺らめいた。
「……また、これ」
掌を見つめると、そこに一瞬だけ橙の光が灯った。
熱くはない。
ただ、何かを“示そう”としているように感じた。
――呼ばれている。
そう感じたシュカは顔を上げた。
辺りを見渡した時、通りの先、壁の陰に奇妙な歪みが見えた。
直感的に分かった。
あそこには何か“特殊能力”が使われている。
その先で、先程の男たちが子供たちを引きずるようにして歩いていた。
子供たちはテープで口を塞がれ、助けを求める声さえ出せずにいる。
シュカの心臓が跳ねた。
――あの子たちだ。
先ほどレイドが助けた、あの子供たち。
「レイドを呼ばなきゃ……」
しかしその時、その中のひとりと目が合った。
涙で濡れた瞳が、必死に助けを求めている。
それを見た瞬間、足が勝手に動いていた。
声を上げるよりも早く、体が走り出していた。
男たちが入っていった扉に触れた瞬間、視界がぐにゃりと歪む。
空気が変わった。
重く湿った、鉄の匂い。
足元が硬い金属の床に変わっていた。
見上げると、錆びた鉄骨と吊り下げられたランプ。
どこまでも広がる、薄暗い地下工場。
通路の先で、男たちが子供たちを連れて歩いている。
口をテープで塞がれた子供たちが、怯えた顔で足を引きずる。
(――ここは……何?)
隠れて様子をうかがうと、機械の音が低く響いた。
ベルトコンベア、薬品の瓶、組み立てられた銃の部品。
目の前に広がっていたのは――
子供たちを使って武器や薬を作らせる、闇の工場だった。
息を呑んだその瞬間、背後で金属が軋む音がした。
「……誰だァ?」
声がした。
シュカの心臓が、一気に跳ね上がる。
金属音と同時に、背中を蹴り上げられたような衝撃が走った。
「――ゔっ!」
視界が跳ねる。
次の瞬間、シュカの体は壁に叩きつけられ、鈍い音とともに鉄粉が舞った。
肺の奥の空気が一気に押し出され、息が詰まる。
「誰だと思ったら……さっきのチビじゃねぇか」
声の主は、先程の男たちの中でも、ひと際体格のいい大男だった。
顔中に古傷が走り、片目が白く濁っている。
シュカのそばには、連れ去られた子供たちと、驚いたように振り向く手下たちの姿。
「なに勝手に入り込んでやがる。……ああ?」
ざわ、と空気が変わる。
他の男たちも一斉に顔を見合わせた。
「マジかよ。あのアステリアの狂犬と一緒にいた奴だろ」
「だがこいつ、どう見てもヒヨッコじゃねぇか」
「ったく、アステリアも人材不足か?」
笑い声が狭い工場に響いた。
鉄と油の匂いに混じって、嘲りの熱が空気を焦がす。
男の親玉がゆっくりと歩み寄ってくる。
重い靴音が、ひとつひとつ地面を叩くたびに、心臓が縮むようだった。
「……新入りか。へぇ、狂犬の腰巾着にしては弱そうだな」
「……!」
シュカは拳を握り締めた。
だが腕が震える。恐怖で、そして悔しさで。
「アステリアも堕ちたな。……こんなガキまで拾うとは。空なんてほざいて、弱っちくなっちまったのかねぇ」
その言葉に、胸の奥がかっと燃え上がる。
「……あの人たちを侮辱するな!」
気づけば叫んでいた。
声が震えているのが分かった。
それでも止まらなかった。
「アステリアの人たちは、誰かを傷つけるために力を使ってない!守るために――この街を、ここにいる人たちを守るために戦ってるんだ!」
笑いが起きた。
「守る?ははっ、いい台詞だ。だがな坊主、このゲヘナじゃ、守るも奪うも結局“力”の強い方が決めるんだよ!」
親玉が腕を振るった。
鋭い拳が風を裂き、シュカの頬を打ち抜く。
「……ッ!」
鈍い痛み。床に倒れ、視界が白く霞む。
口の中に血の味が広がった。
子供たちのすすり泣く声が聞こえる。
その音に、飛びかけた意識が少しだけ戻ってきた。
――やめろ。泣くな。
立ち上がらなければ。
ここで、倒れてなんかいられない。
(今、僕にできることはなんだ)
震える膝を押さえながら、壁に手をつき、立ち上がる。
「……まだやる気か?」
親玉が笑う。
「やらなきゃいけないんだ」
唇の血を拭い、シュカは睨み返した。
(僕にできるのは、諦めないことだ)
その目の奥に、確かな光が宿っている。
「僕は……アステリア旅団の一員なんだ」
それだけ言って、子供たちの前に立った。
拳を握る手が痛い。けれど、それでいい。
痛みが、恐怖を押し流してくれる。
――守りたい。
たとえこの身が砕けても。
あの人たちみたいに、誰かの笑顔を守りたい。
ゲヘナが、本当は温かい場所なんだと、知らせたい。
「チッ、ガキが粋がりやがって」
男が舌打ちし、棍棒を振り上げる。
シュカは咄嗟に両腕で子供たちを庇った。
――次の瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
どろり、とした熱が血管を逆流するように全身を駆け巡る。
耳の奥で、炎のような音が轟いた。
――燃えろ。
誰かが囁いた。
いや、違う。自分の中の“何か”が目を覚ました。
腕の先に、橙の光が迸る。
それはやがて、空気を焦がすほどの熱を帯びて――
工場の床を、赤く染め上げた。




