表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
烙禍ノ彗星  作者: 雨宮麗
エデン追放編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/13

13 『正義の鳥籠の中』

 

 縋り付こうとするカインを拒絶し、離れたあと。

 レイドはシュカを連れて、西三区の路地裏にある小さな飯屋へと入った。


 レイドが見つけた、お気に入りの場所だそうだ。


 古ぼけた木の扉。

 壁には無数の傷跡が残り、椅子も机も年季が入っている。

 だが、長く使われ、大事にされてきたことが一目で分かる、妙にあたたかみのある店だった。


「……ここが、レイドのお気に入りの場所?」


「ああ。静かだし、飯もうまい」


 店主が無言で頷き、湯気の立つ器を用意し始める。


 レイドは奥のテーブル席まで行くと、シュカが席に着くのを確認してから腰を下ろした。

 そして、シュカの顔色を伺うように口を開く。


「大丈夫か?悪いな、勝手に連れ出して」


 シュカは首を振る。


「大丈夫だよ。僕こそ……巻き込んでごめんね」


「そんなこと気にすんなよ。俺らはバディだぜ」


 軽く笑ってから、レイドはメニューも見ずに店主に声をかける。


「いつもの二つ、頼んます!」


「はいはい、いつものね」


 短いやり取りのあと、再び沈黙が落ちた。


 レイドは机に肘をつき、シュカを見る。


「……でも、よかったのか?」


「え?」


「さっきのことだ。エデンから来てた男のこと」


 シュカは視線を伏せた。


「……わからない。どうすればよかったのかな」


 正直な言葉だった。


「僕にとって、カインは……友達だったから」


 湯気が、二人の間を漂う。


「助けに来てくれたのは……嬉しかった」


 ぽつりと、零れる。


「本当は、まだ友達だと思ってるし……手を取りたかった」


 一緒に帰れば、きっと楽だった。

 守られる場所。決められた正しさ。何も考えなくていい日々。


「でも……」


 シュカは、ゆっくりと首を振る。


「実際のゲヘナが、どんな場所かを知ったから」


 その言葉に、レイドは何も言わず、ただ聞いている。


「ここで生きてる人たちを見て、守ろうとしてるのを見て……それで、初めて“本当のゲヘナ”を知った気がする」


 胸の奥が、じわりと痛む。


「でも、そうしたら今度は、エデンのことが……分からなくなった」


 その言葉と同時に、料理が運ばれてくる。

 湯気と匂いが、二人を現実へと引き戻した。


「……分からなくなった、か」


 レイドが低く呟く。


「でもな、それは悪い意味じゃねぇ」


 シュカは顔を上げた。


「見える世界が増えただけだ」


 レイドの声は、淡々としている。


「あの男も悪くねぇ。ただ、まだ“外”しか知らないだけだ」


「……うん」


「だから、分かり合えなかった。それだけだ。ほら、食おうぜ。ここのポテト、うめーから元気出るぞ」


「あ、うん!」


 シュカは、ポテトという料理に目を向けた。

 エデンには、なかったものだ。


「ところで、これは何?食べ物なんだよね?」


「は?ポテトだが?」


 レイドは当然のように言い、一本つまみ上げる。


「……ぽてと?」


 聞き慣れない音を、シュカはゆっくりと口の中で転がした。


「その……どういう料理?」


「どういうって……」


 一瞬言葉に詰まり、レイドは改めて皿を見る。


「芋を切って、油で揚げたやつだ」


「芋……」


「じゃがいもな」


「……じゃが、いも……?」


 シュカは、少し困ったように首を傾げた。


「エデンでは……見たこと、ないかも」


 その瞬間。


「…………は?」


 今度はレイドが固まった。


「待て。エデンにポテトがない?そもそも芋がない!?」


「少なくとも、僕は見たことも、聞いたこともなかったよ」


「揚げ物も?」


「あぁ。油は下等なものだって言われて、使用は禁止されてるから。基本は、野菜とか魚をそのまま焼いたりとか」


 レイドは、ゆっくりと椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。


「……マジか」


 小さく、しかし心底ショックを受けた声だった。


「宗教観とか文化の違いは分かるが……ポテトなしで生きてきたって、それ……」


「そんなに?」


「そんなにだ」


 真顔で断言され、シュカは戸惑う。


「じゃあ……どうやって食べるの?」


「普通にだ」


 レイドは一本、口に放り込む。


「ほら」


「……」


 しばらく観察してから、シュカも恐る恐る一本手に取った。


「あつ……」


 指先を引っ込め、少し冷ましてから口に運ぶ。


「……!」


 一瞬、言葉を失ったように目を見開く。


「……おいしい……!」


 ぽつりと零れたその一言に、レイドは満足そうに頷いた。


「だろ。人生、損してたな。てか、アステリアの食堂でナヴァルさんの飯、食ってただろ。あれは大丈夫だったのか?」


「あ、あれもね、実は……」


 続けられたシュカの言葉を聞いたレイドは、堪えきれずに驚きを顕にした。


「は、はぁ!?全部見たことなくて、ゲテモノ料理だと思ってたのか!?」


「パンとかはエデンにもあったけど、お肉とかは穢れのもとだって言われてて、食べたことなくて。でも……すごく美味しかったから、禁止とか無視して食べてた」


「マジかよ……」


 シュカはもう一本、今度は少し慣れた手つきで口に運ぶ。

 外はさくっと、中はほくほくしている。

 噛むたびに、じんわりとした甘さが広がった。


「……あったかい」


「だろ?腹に溜まるもん食うと、頭も落ち着く」


 そう言ってから、レイドはふと視線を落とす。


「……さっきのこと、まだ引きずってるか?」


「……少しだけ」


 正直に答える。

 言葉を探すように、シュカはポテトを見つめた。


「今の僕は、エデンにいた頃の僕じゃない」


「……ああ」


「ここで生きてる人たちを知った。レイドや、旅団のみんなに会って……」


 一息つく。


「ここにいたいって、思ってる」


 レイドは、何も言わずに聞いていた。


「それはな」


 低い声で、静かに言う。


「逃げじゃねぇ」


 シュカは顔を上げる。


「選んだってことだ」


「……」


「自分で選んで立つ道をな」


 レイドはポテトを一本つまみ上げる。


「ほら、冷めるぞ。人生初ポテトなんだから、ちゃんと味わえ」


「……うん」


 シュカは小さく笑い、また一本口に運んだ。


 エデンには、なかった味。

 ゲヘナで初めて知った、あたたかさ。


 それはきっと、

 失ったものの代わりに得たものだった。


 ✼✼✼


 カインは、シュカがレイドと共に去ったあと、彼らを追うことができなかった。

 シュカに拒まれた瞬間の感触が、まだ腕に残っている。

 縋りついたはずの手は空を掴み、代わりに残ったのは、冷たい距離だけだった。


 ――違う。


 胸の奥で、何度もそう言い聞かせる。


 あれは拒絶じゃない。

 シュカは、惑わされているだけだ。

 あの男に、ゲヘナという場所に。


 だからこそ、自分はここにはいられない。


 カインはフードを深く被り、人目を避けながら裏道を進んだ。

 正門を使わず、巡回路を避け、影に紛れるように。


 エデンへ戻る。それが正しい。

 それが――正義のはずだった。


(……なのに)


 胸の奥に、言葉にできない苛立ちが渦巻く。

 シュカを奪われたような感覚。

 理解されなかった悔しさ。

 そして、レイドという存在への、どうしようもなく複雑な怒り。


(あいつが……シュカを惑わせてる)


 考えを振り払うように歩いていた、その時だった。


「……だから、次の投与は予定通りでいい」


 ひそひそとした声が、路地の先から聞こえてくる。

 カインは反射的に足を止め、物陰に身を潜めた。


 二人組。

 政府関係者だと、一目で分かる服装。


 一人が、低く笑った。


「どうせ、連中は疑わない。あれが本当に殺人欲を抑える薬だと。薬を与えられてる限り、自分たちが“守られてる”って信じる」


「……まあ、それで従順になるわけだ」


 その言葉を聞いた瞬間、カインの背中を冷たいものが走った。


(……従順?)


 喉が、ひくりと鳴る。


「このまま続ければ、いずれ完全に――になる」


「それ以上はいい。誰が聞いてるか分からない」


 カインだけだった。

 その言葉を、最後まで聞いていたのは。


 会話は途切れ、足音が遠ざかっていく。

 カインは、しばらくその場から動けなかった。

 胸が、嫌な音を立てて締め付けられる。


(……どういうことだ?烙禍(らっか)は、殺人欲を抑える薬を飲んでるんじゃなかったのか?)


 あれは――

 守るためのものじゃない。

 抑えるためですら、ない。


(このままだと……)


 脳裏に浮かんだのは、薬を飲む烙禍(らっか)たちの姿。

 疑いもせず、従って。


「……シュカ……!」


 気づけば、カインは走り出していた。


 伝えなければならない。シュカに。


 もう元の関係になんて戻れなくてもいい。

 怒られてもいい。

 嫌われたままでもいい。


 エデンとゲヘナの真実を知ったまま、黙っているなんてできなかった。


 だが――


「止まれ」


 氷のように冷たい声が、背後から響いた。

 カインは、はっとして振り返る。


 白銀の鎧。

 凍てついた刃のような気配。


 王国騎士団団長――《聖氷の騎士・ルミナス》


 その視線が、カインを射抜く。


「お前、エデンの人間だな?ゲヘナに侵入して、何を企んでいたのかは知らないが、大罪人を前に理由など必要ない」


 逃げようとした瞬間、足元が凍りついた。


「今、何を聞いた?」


「……っ」


 答えない。

 答えられるはずがない。


 ルミナスは、静かに剣を抜いた。


「せめてもの慈悲だ。今ここで、俺がお前を処刑してやろう」


 淡々とした声。

 そこに迷いはない。


「待って……!俺は、シュカに…………」


 シュカの顔が浮かぶ。


 伝えなければならないこと。

 あの日、伝えなければならなかった言葉を。


「謝りたかっただけなんだ……。ずっと、友達でいたかった…………」


(シュカ……)


 剣が、振り下ろされた。


 冷気が、視界を覆う。

 痛みは、一瞬だった。


 音もなく崩れ落ちながら、

 カインの意識は、闇に沈んでいく。


(……頼む……信じてくれ……)


 最後に浮かんだのは、

 拒絶されたはずの、その背中だった。


『シュカ……?あぁ、あの突然変異体か。見せしめには丁度いい』


 そして、世界は凍りついたまま、静寂に閉ざされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ