12 『後悔と罪と咎』
装備を整え、慌ただしく食堂を出ていく団員たちの背中を、シュカは黙って見送っていた。
金属の擦れる音と、遠ざかる足音。
その一つひとつが、自分だけが取り残されていく合図のように胸に残る。
――待つだけでいいのか。
そんな考えが浮かんだ瞬間、シュカの足は、意識するより先に一歩前へ踏み出していた。
「あの……!」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
ルーガンが振り返る。
「僕も、行きます。役に立てるかは分からないけど……じっと待っているより、何かしたいです」
一瞬だけ、食堂の空気が止まった。
シェリンは眉をひそめ、シンディは心配そうにシュカを見る。
ナヴァルは何も言わず、調理の手を止めて、ただ静かに様子を窺っていた。
ルーガンは少しの間シュカを見つめてから、低く息を吐いた。
「シュカのその気持ちは買う。だが、今回はダメだ」
「……っ」
シュカの胸に、ちくりとした痛みが走る。
「まだ、今のお前には危険だ。聞いた通り、今の東一区は荒れてる。エデン絡みなら尚更だ」
そう言ってから、続けざまに指示を出す。
「シュカ。お前は昨日と同じだ。レイドを叩き起こして、西三区と四区の巡回。異常があれば、すぐ報告しろ」
それは、明確な“留守番”だった。
「……はい」
返事はできたが、声は少しだけ小さくなってしまう。
(やっぱり……まだまだ僕は、戦力として足りてないんだ)
シュカにも特殊能力はある。
それでも、すぐに実戦で使えるかは別だ。
まだ、使いこなせるという確かな自信があるわけでもない。
自分は――守られる側のままなのか。
団員たちが次々に出て行き、食堂に残ったのはシュカとルーガンだけになった。
シュカは俯いたまま、拳をぎゅっと握る。
「……ごめんなさい。出しゃばりました」
その声に、ルーガンは少しだけ目を細めた。
「あー、悪い。違ぇよ。そうじゃねぇ」
「え……?」
ルーガンはシュカの前まで歩み寄ると、腰を落として視線を合わせた。
「いいか、シュカ。巡回任務はな、ただの便利屋ごっこじゃねえ」
その声は低く、だが不思議と柔らかい。
「俺たちが歩いて、顔を見せて、声を掛ける。それだけで、街の連中は思うんだ。“今日もまだ大丈夫だ”ってな。俺たちは、誰かの心を守るためにある」
シュカは顔を上げる。
「……心、ですか」
「そうだ。力がなくてもできることはある。いや、力があるからこそ、やっちゃいけねぇ仕事もある」
ルーガンは軽く、シュカの肩を叩いた。
「お前はまだ、自分の力の重さを知らねぇ。だから今は、守る側じゃなく、見て、感じて、知る時間だ」
一拍置いてから、にやりと笑う。
「それに、街の連中にとっちゃ、お前みたいなガキが真面目に巡回してる方が、よっぽど効く」
「……え?」
「ああ、ここにはちゃんと未来があるんだってな」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
(未来……)
ゲヘナに、そんな言葉が似合うなんて思ってもみなかった。
「だから胸張れ。今のお前は、立派なアステリア旅団の一員だ。俺は、お前と、レイドに期待してんだ」
ルーガンは立ち上がり、背を向ける。
「気張ってけよ、シュカ。街を頼んだ」
その背中を見送りながら、シュカは小さく、でも確かに頷いた。
(……任されたんだ)
悔しさはある。
だが、それ以上に、役目を与えられたことが嬉しかった。
「……よし」
気合を入れ直し、シュカは自分とレイドの部屋へ向かう。
✻✻✼
扉を開けると、案の定、布団と一体化したレイドの姿があった。
「レイド、起きて!」
「ん゛……無理だ……世界が回ってる……」
「巡回だよ!はやく行こう!」
「……あの世の?」
「違うよ!?」
シュカはベッドの脇に立ち、レイドの顔を覗き込む。
「西三区と四区。今日も、僕たちの担当だって」
「……今日は……無理だ……」
レイドは弱々しく、布団に顔を埋める。
その様子を見て、シュカは一瞬だけ言葉に詰まった。
――でも、すぐに首を振る。
「だめだよ」
「……うぇぇ?」
シュカは、はっきりと言った。
「ルーガンさんが、僕たちに期待してるから、任せてくれたんだよ」
レイドの動きが、ぴたりと止まる。
「留守の間、街を任せるって……それ、僕やレイドを信頼してなきゃできないことでしょ?」
沈黙。
「……」
「だから、僕は行く。自分にできることなら、なんだってやりたい」
シュカはそう言って、レイドの腕を取った。
「ちょ、待て……!」
肩に回そうとした瞬間、二人揃ってよろける。
「……レイド、重い」
「ギャー!!重いとか言うな!この子、か弱い男の子の心をへし折りに来たぞ!!」
結局、完全に支えるのは諦め、レイドの腕を肩に預けたまま、ゆっくり歩き出した。
「……なあ、シュカ」
「なに?」
「お前さ……ずるいな」
「え?」
「そういうこと、真っ直ぐ言うの」
レイドは天井を見上げ、短く息を吐く。
「……ルーガンさんに“任せる”って言われて、布団で寝てるのは……」
少しだけ顔を歪めて、
「……確かに、ダサい」
そう言って、レイドは自分の足で一歩を踏み出した。
「歩けたじゃん」
「ルーガンさんに頼まれたのに、二日酔いで動けないなんて言ってられねぇよ」
ぎこちないが、確かに並んだ足取り。
ゲヘナに空はない。
それでも――確かに今、一日が動き出していた。
✼✼✼
巡回は、いつも通りだった。
崩れかけた屋根の補修を手伝い、揉めていた住人の仲裁に入り、迷子の子どもを家まで送り届ける。
武器も、能力も使わない。
ただ歩いて、話を聞いて、手を貸す。
「……ほんと、便利屋だな、俺たち」
レイドが肩をすくめる。
「でも、今日はやけに静かじゃない?」
シュカがそう言うと、レイドは周囲を見回してから頷いた。
「ああ。今日は三ヶ月に一度の食糧支給日だ。エデンの連中が来てる。政府役員に執行官、騎士団まで揃ってるから、皆ピリついてんだよ」
「だから、今日は前みたいに柄の悪い人が少ないんだ」
「普通にしてりゃ大丈夫、ってな。まぁ、ゲヘナの“普通”は普通とは言えねぇか」
レイドは軽く言うが、シュカの胸には、どこか引っかかるものが残った。
(……普通、か)
その言葉が、妙に遠く感じる。
巡回の終わり際、路地を抜けた先――
西四区の外れから見える東区方面の通りに、重厚な馬車の列が見えた。
紋章入りの車体。
整えられた護衛の列。
一目で分かる。
エデンのものだ。
今までなら、自分もあの紋章の名のもとに生き、守られていた。
今では、冷たく突き放されたような圧を感じる。
シュカの胸の奥が、きゅっと縮む。
石畳、白い建物、規律正しい生活。
そして――
(カイン……)
かつての友人の顔が脳裏をよぎった、その瞬間。
「シュカ!」
聞き覚えのある声が、すぐ後ろからした。
振り返った先にいたのは、見慣れた青髪と、少し疲れたような青い瞳。
「カイン?……なんで……」
互いに、言葉を失う。
カインは信じられないものを見るようにシュカを見つめてから、次の瞬間、強く歯を噛みしめた。
「……やっと、見つけた」
一歩、また一歩と距離を詰め、そのままシュカの腕を掴む。
「……っ」
「ごめん。あの時……本当に、ひどいこと言った」
カインの声は、震えていた。
「助けられなかったこと、ずっと後悔してた。エデンとゲヘナの移動が重罪だって分かってる。それでも……お前を探しに来た」
周囲の目も気にせず、必死に言葉を重ねる。
「俺は今でも、シュカのことを友達だと思ってる。だから、一緒に帰ろう」
その言葉に、シュカは静かに首を振った。
「嫌だ」
「俺がシュカを守る。今度は、絶対に一人にしない」
「……離して」
小さく言っても、カインは手を緩めない。
「エデンに戻れば、全部元に戻る。間違いだったって、俺が証明する」
シュカの胸が、痛む。
(元に……戻る?)
「……元に戻るって、なに?間違いだったって、なに?」
「シュカ?」
カインは困惑したように、隣に立つレイドを見る。
「おい……そいつ、烙禍だろ。殺人欲を持つ連中と一緒にいたら、お前まで壊れるぞ!戻れなくなる……!」
その瞬間、シュカは、カインの手を振り払った。
「違う。皆壊れたりなんてしないし、僕も壊れたりしない。ここにいる人たちは、皆ちゃんと前を見てる。僕も、カインも、エデンから見下すだけで、ゲヘナがどういう場所か、何も見てなかったんだよ」
はっきりとした声だった。
「それに、僕が一番、助けてほしかったのは……今じゃない」
カインの表情が、凍りつく。
「あの時だよ。ただ助けたかっただけなのに、皆に責められて、居場所がなくなって、一人で立ってた、あの時」
拳を握りしめ、シュカは続ける。
レイドは、ただ二人の様子を見ていた。
「もう、僕はエデンには戻らない」
「……シュカ」
「エデンのシュカは、あの時死んだんだよ。誰かが言ってたでしょ。『それはもうシュカじゃない』って」
「なぁ、シュカ……!」
ゆっくりと、だが確かに言い切る。
「今の僕は、ゲヘナの……アステリア旅団のシュカだから」
その瞬間、カインは、まるで溺れる人間のように縋った。
「待てよ!」
カインがシュカの肩を掴んだ。
「置いていかないでくれ……!お前を失ったら……俺、どうすればいいんだよ!」
呼吸が、苦しくなる。
(……やめて)
頭の奥で、昔の光景がフラッシュバックする。
冷たい視線。
誰も手を伸ばさなかった、あの場所。
「僕はもう……全部失ったよ……っ」
シュカの指先が、震えた。
その異変に、レイドが気付く。
「――おい」
低く、鋭い声。
次の瞬間、レイドはカインの腕を掴み、力任せに引き剥がした。
「離せ」
「な……!」
「聞こえなかったか。離せって言ってんだ」
レイドは、シュカを背中に庇う。
「シュカが嫌がってるのが、分からねぇのか」
カインは、悔しそうに歯を噛みしめる。
「お前には関係ない!」
「ある」
即答だった。
「シュカの傷に触ってるのは、お前だ」
一拍。
「後悔で縋るな。それは救いじゃねぇ。ただの自己満足だ」
カインの顔が、歪む。
シュカは、レイドの背中越しに、静かに言った。
「……さよなら、カイン」
その声には、もう迷いはなかった。
踵を返し、歩き出す。
カインは、追ってこなかった。
ゲヘナに空はない。
それでも、ここには傷ついたままでも、守ってくれる背中があった。




