既知との遭遇
結局あの日。
私との『友達宣言』をとりつけた柊生さんは、満足するまでぎゅうぎゅうと私をハグして、嬉しそうに帰っていった。
その際、きっちりと個人携帯の連絡先を交換するのも忘れなかった。
◇
今朝も、ちょうど家を出る頃の時間に、ピロンとスマホの通知音が鳴る。
――毎日柊生さんが『おはよう』と『おやすみ』のメッセージを送ってくれる音だ。
私はそれに、朝の通勤電車の中で「おはようございます」と送り返すのが日課になりつつあった。
………………。
この人、マメマメしいなあ……!
朝から電車内で吐血しそうになるよ!
柊生さんの意外な可愛さにツボをえぐられすぎて!
この人、『好きな女の子にはこんなにマメなんだあ!』ってなるじゃんか!
見た目クールドライで、氷のイケメンみたいな顔したお兄さんがだよ!?
言うてまだ、お友達ですけど! 健全なお友達ですけど!
あああああ……!
ぐぐぐっ……、と気持ちがぶれそうになるのを、鉄の自制心で抑え込む。
ダメ……! ダメよ藍……!
私はあくまで、柊生さんのスキャンダルを阻止しつつ、彼のモチベーションを上げるために友達になると決めた黒子!
最後の一線は絶対に流されないって心に決めたじゃない! 藍!
電車に揺られ、柊生さんから送られたメッセージ画面が映るスマホを握りしめながら、私は自分をそう叱咤する。
しかし同時に、そうなると別のところで弊害も出るんだよなあ、ということも思い出す。
それはつまり、当初の目的だった婚活ができないということだ。
『失恋の傷心を埋めるために友達になる』と言ったのに、婚活をするのって不誠実だよね……。
せっかく柊生さんがやる気を取り戻して『仕事頑張る!』と言ったのに、これで私がパートナーを見つけてしまっては、埋める穴も埋められなくなる。
だからつまり――しばらくは婚活ができない、ということで。
なので私は、婚活をするために転職したくせに、結局また転職先で、バリバリと仕事に生きることになったのだった。
◇
「山敷。そろそろ出るぞ」
「あ、はい」
そう言って私に声をかけてきたのは、転職先で私が配属された第二営業チームのチームリーダーであり、部長でもある砥川さんだ。
確か、34歳くらいって言っていたと思う。
前世で大手で働いていた感覚からすると「34歳で部長!?」と思うのだが、若手が多いベンチャーだとこんな感じらしい。
そんな砥川さんが私の教育係もやってくれているので、最近はずっと砥川さんと一緒に客先への営業に同行させてもらっている。
「山敷は、前職で全然違う業種にいた割には、いろいろ知ってるよなあ」
外回りの合間、砥川さんと出先で昼食を取っていると、ふと砥川さんが私に向かってそんなことを言い出す。
「いや、全然ですよ。必死で勉強しているだけです」
と。
謙遜はしたし、それも確かに真実ではあったけれど。
正直言うと、今いる業界、前世の業種とちょっと被ってるんだよね。
もちろん、砥川さんは私の前世のキャリアなど知るわけもなく。
芸能マネージャーから転身した割には、馴染むの早いなあということを褒めてくれているんですね。
ありがとうございます! 多少チートしてますけどね!
とはいえ、業界に対する基本的な知識は備えてはいたが、どんな業界であってもトレンドは移り変わるし、会社によって特色も変わる。
そういうことを知識として蓄えていくことが大事だと知っているので、そこに関しては日々真面目に勉強しているのだよ!
そういう点では真実必死にやってます!
と、一応自己弁護もしておく。
「――みんな感心してたよ。山敷はやる気もあるし、吸収率やばいって」
「ほんとですか? そう言って、辞めさせないためのヨイショじゃないんですか?」
「そんなことないって。まあでも、辞めてほしくないと思ってるのは事実だけどな」
そう言いながら、食事を終えた砥川さんは、会計のために立ち上がりがてら、二人分の伝票をひょいっと持ち上げた。
「え、砥川さん……」
「いいって。今日は俺の奢り」
素直に奢られとけ、と爽やかに笑うと、ぱちりとこちらに向かってウインクしてみせた。
――この人、こういうところ本当スマートだし、かっこいいんだよなあ……。
上司部下関係なく、相手の話をちゃんと聞いて真摯に受け止めることのできる砥川さんは、会社の中でもとっても人望が厚かった。
柊生さんの、芸能人でいう大人の雰囲気とはまた違う、社会人の大人、って感じ。
そりゃあ社内で慕われるしファンもできますよねー、と思いながら、ありがたく昼食をご馳走になった。
そうして砥川さんが会計を済ませるのを待ちながら、今回ご馳走になった分は今度お礼にコーヒーでも差し入れるか、と思っていた時だ。
「なんか人多いな」
「……そうですね」
オフィスビルのテナントとして入っていたお店から出て、次の営業先に向かおうと動き出した際に。
ふと、近くに人だかりができているのを見て砥川さんが足を止めた。
……この人だかりのでき方にはなんだか既視感がある。
そう、撮影ロケだ。
時折、企業のオフィスフロアの一角を借りて収録する時に、こんな人だかりができるのを見ることがある。
それにしたって、大体早朝とか午前中の人のいない時間でやることが多いのになー、と思いながら、ふと現場に目を向けると。
――いました。
柊生さんが。
あ、という顔をして。
なんの偶然か、バッチリ目が合いました――。
「山敷?」
「あ、はい!」
先に進んだ砥川さんから「どうした?」と声をかけられたことで、私は慌てて砥川さんの後を追いかける。
――まさか、こんなところでバッタリとかある!?
漫画やドラマじゃあるまいし、と思いながらエレベーターホールまでたどり着くと。
「まさか、知り合いでもいた?」
「いやあ……」
はははと軽くごまかしながら「知り合いどころか、元担当アイドルですけどね!」と心の中で返しておいた。
――幸いにも、砥川さんからはそれ以上突っ込まれることもなく、その後ちゃんと営業先に到着し、無事商談を終えて帰ることができたわけなのだが。
◇
むしろ、事件はその夜。
ピンポーン、と。
我が家の玄関のドアチャイムが鳴ったところから始まるのだった。