やらかした夜、からの朝
「――なあヤマ。なんで会社辞めんだよ」
――と。
玄関に押し入れられ、そのまますぐ玄関横の壁に両手をついた柊生さんに閉じ込められた私は、眼前に迫った彼にそう問い詰められる。
「なんで……、って……」
――その時、私が正しい答えを口にすることができなかったのは。
間違いなく酔っ払っていたせいだ。
通常なら取り繕うための言葉をいくつも用意できていたであろう私は、愚かにも柊生さんの問いにその時、思っていたことを素直に口に出してしまったのだ。
「けっこんしたいから――、ですかね」
「――は?」
私の答えに、柊生さんが想定外だと言わんばかりの声をあげる。
「だって、マネージャーやってたらぜったい婚期のがすし……」
と。お酒のせいでつらつらと思ったことを口にする私に、柊生さんが「……マジか」と小さくつぶやく。
そのまま、落ち込んだようにがくりと俯き、私の肩口で「はあ……」と大きくため息を吐いた柊生さんは、私に向かって再び「あのさ」と言葉を続けてくる。
「――俺。お前のことずっと好きだったんだけど」
と。
抱かれたい男ナンバーワンが、私に向かってそう告げてきた。
………………………………。
……え?
「マネージャーだと思ってたからずっと言わなかったけど。マネージャーじゃなくなるんなら、もういいよな……?」
そう言いながら柊生さんは、私のすぐ目の前まで顔を近づけてきて――。
「嫌だったら、言えよ?」
そう言って。遠慮がちに。
柊生さんはそっと、私の唇に自分の唇を重ねて来た。
「んっ……」
ぎゅっ、と体を抱きしめられながら、スカートの隙間から太ももに手を伸ばされる。
さらに、柊生さんがキスをしやすいように顔を仰向けにさせられ、息苦しくなったタイミングで舌を絡め取られて――。
――私が覚えていられたのは、そこまでだった。
◇
そこから先は、例の朝チュンした朝の話だ。
――ああ、やっちまった――。
いや、待て待て。やっちまってはいない。……多分。
非難されることは何もなかったのだということにしたい。
思いたい!
既成事実はない!
た、多分……!
でも――。
告白されてしまった。
我が社の売れっ子アイドルに。
抱かれたい男ナンバーワンの男に――。
……………………。
……え、どうする?
いやだめでしょ。
柊生さんは現在29歳。
これからがアイドルとしての勝負どころだぞ?
スキャンダルなんかでぴーちくぱーちくしてる場合じゃないでしょうよ!
まして、その相手が私だなんて――!
脳内でひとり、あーでもこーでもと騒ぎながら「何でこんなことになってしまったんだ……」という思いでぐぬぬと苦悩する。
もちろん、柊生さんのことは嫌いではない。
いやどっちかと言うと好きだよ!
だって最推しだったし!
ゲームでプレイしていた時は!
でも、自分が担当マネージャーになった瞬間、アイドルたちを恋愛対象として見る機能をシャットダウンし、長らくずっとそのままでここまで来てしまったため、異性として好きかと言われるとちょっとわからない。
人としてはとても尊敬できるし、間違いなく好きだと言えるけど。
――そうだ。
だからこそ、私のせいで人生を踏み外して欲しくなんてなかった。
せっかくここまで、タレントとして売れていけるレールを敷いて来たのに。
柊生さんには、このまま売れ続けて行ってほしい。
そう、だからこそ――。
――逃げよう。
と、心に決めたのだ。
昨日の告白は、酔っ払っていたせいで覚えていないことにして。
最終出勤日の今日は、体調不良で在宅仕事にさせてもらって。
――このまま逃げる。
事務所のデスク周りの片付けは、最悪叔父に頼んでやってもらおう。
そうして、きれいに柊生さんの前からフェードアウトして。
時の流れと共に懐かしい思い出として忘れ去ってもらおう。
――せっかくの告白を、無かったことにしてごめんなさい、柊生さん。
でも、なによりも柊生さんにタレントとして売れてほしい一心なんです――。
そうと決めたら、やるべきことが決まってなんだかすっきりした。
そうして、物語は私が逃げた後。
普通の女の子に戻ったところから――、再び話は始まるのである。