覆水は盆に返らない、しかしそこから出る芽も存在する
それにしても――。
朔くんと礼央のふたりと別れ、とぼとぼと家路につきながら。
今日はなんだか本当に色々ありすぎた1日だったな、と思う。
朝から柊生さんにお出かけのハグを求められ、自分の気持ちに自覚したかと思えば、砥川さんから告白され。
さらに夕方は叔父に事務所に呼び出され、柊生さんが事前に叔父に『私にアプローチしていいか』と承諾を得ていたことを聞かされ。
そうして、とどめとばかりに、『ユナイト!!』のメンバーからは他のメンバーも柊生さんの気持ちには気づいていたという事実を知らされて。
……私は、どうしたいのだろう。
……どうすればいいのだろう?
叔父や『ユナイト!』の二人から聞かされた話で、ますます足元が揺らぐ。
みんな、柊生さんの想いをわかっていたのに、私一人だけが意固地になって頑なに拒んでいたのだ。
悶々と答えの出ない問いかけを繰り返しているうちに、いつの間にか柊生さんの家まで辿り着いてしまった。
ガチャ、と玄関のドアを開けると、いつもなら真っ暗なはずの室内が珍しく明るく照らされていることに驚いた。
「――ヤマ」
おかえり、と。
柊生さんが玄関まで出迎えにきて、私を抱きしめる。
「……今日は、早かったんですね」
「早いって言ってももう22時過ぎだけどな」
むしろヤマの方が遅かったじゃないか、と柊生さんにぐりぐりと頭を撫でられながら苦笑される。
――あ、だめだ。
柊生さんに会って――、今になって。
それまで抱え込んでいた胸の中のぐちゃぐちゃが、抑えきれずに飽和した。
いつもと変わらない、どこか余裕を感じさせる、柊生さんの優しい笑顔。
その笑顔が、私の最後の牙城を突き崩したのだ。
「ごめ……、なさい……」
「――ヤマ?」
突然言葉を詰まらせる私に、「……どうした?」と困惑した様子で柊生さんが私に声をかける。
ダメだ。
言っちゃダメ。
言っちゃダメなんだ、って、心のどこかで別の私が叫んでる。
でも――。
抑えようのない想いが。
柊生さんからの優しさを受け入れることで得られる、喜びの秤にかけられ揺れて。
言ってはダメだとわかっているのに、震える私の口から溢れて出てきてしまった。
ついでとばかりに――、ぽろりと涙もこぼれ落ちる。
「…………きなんです」
「………………え?」
私の、聞こえるか聞こえないかの微かな囁きに、柊生さんが小さく聞き返す。
これを口にしてしまえば、もう引き返せない。
それをわかっていても。
言わずにはいられなかったのだ。
「私……、柊生さんが、好きです」
俯いた先で、はたりと涙がひとしずく足下に染みを残す。
そうして、それを見つめる私の視線に、割り込むように柊生さんが覗き込んでくる。
「…………ヤマ」
今の――? と。
驚愕に目を開いたような柊生さんの瞳とかち合って、どくんと私の心臓が大きく跳ねた。
同時に、激しい後悔に苛まれる。
――だめだ。
やっぱりだめ。
だって、ここで私が気持ちを伝えることは、今この世界にいるユナイトファンを裏切るだけじゃなく、前世でこのゲームを愛していた他のゲームプレイヤーたちも裏切ることになるのだ。
アイドル育成乙女ゲームだと思ってプレイし始めたのに、結局乙女ゲーム要素なんてなくても『ユナイト!!』が大好きで追いかけ続けた、前世の私と同じ、プレイヤーの女の子たち。
そんな、彼女たちの想いを、こんな、たまたましてしまったゲーム転生なんかで裏切っちゃいけない。
一番裏切ってはいけない私が、その橋を渡りかけようとしたことに深く後悔をしながら、逃げ場を求めて私が玄関の外へと一歩後ずさろうと瞬間。
いち早く察知した柊生さんが「待て!」と言って、引きかけた私の腕をぐいっと掴んできた。
そのまま、逃げ出せないよう柊生さんの腕の中に抱き込まれる。
「は、離してください……!」
「離したら逃げるだろ」
「でも……、ごめんなさい……! 私、間違えました……!」
「なにがだ」
「なにも……、ううん。全部です。今言ったこと、全部、忘れてください」
「忘れられるわけないだろ。どう考えても」
逃げようとする私を、柊生さんが力づくで逃さないように閉じ込めてくる。
なんとか逃れようとじたばたともがいても、男の人の腕力でさらに力強く抱きしめられるだけで。
「柊生さん、離して……」
「嫌だ」
「柊生さん……!」
「嫌だったら嫌だ」
私と柊生さんの押し問答が続く中、「嫌だ」とはっきりとそう言いきった柊生さんは、私を逃がさないよう、より一層ぎゅっと強く私を抱きしめた。
そうして――私を強く抱きしめたまま、私の耳元で切なく「ヤマ……」と声を漏らすので。
その声に全部持って行かれてしまった私は、溢れ出す涙を堪えきれなかった。
なんで…………。
なんでですか、柊生さん。
なんでここで、そんな熱のこもった声で、私の名前を呼ぶんですか……!
柊生さんの、その短いたった一言だけで。
柊生さんがどれだけ私のことを思ってくれているかが、伝わってきてしまったから。
とうとう私は観念して、抱きしめられた柊生さんの腕の中で、逃れようと暴れるのを諦めた。
我慢できなかった後悔と、吐き出した安堵感と、抱きしめられている多幸感で、気持ちがぐちゃぐちゃだ。
そうして私は、柊生さんの腕の中で、そのぐちゃぐちゃな気持ちのまま、「柊生さんに売れてほしいから、付き合いたくなかったのに」とか、「ファンのみんなを裏切りたくなかったから、このままでいたかったのに」とか、嗚咽しながら言いたい放題言いたいことをぶちまけていた。
柊生さんはそんな私の文句に「うん、そうだな」とか、「ごめんな、わかってたよ」と言いながら、優しく一つ一つ答えてくれた。
やがて、泣き疲れた私に気づいたのか、柊生さんが私を抱きしめる腕を緩めると、涙を拭うように頬を優しく撫でてくれた。
私がその手の温もりに思わず顔を上げると、柊生さんがそのまま濡れた頬に唇を寄せてきた。
――こんなの、だめですよ――と、怒るべきところなのだろう。でも。
泣き疲れてぼうっとしたまま、まだうまく働かない頭は『これくらいならいいじゃないか』と怒ることを放棄する。
これじゃあほとんど、キスされているのと変わらないな。
ふと、そんなことを思って、つい口元を綻ばせた瞬間。
柊生さんから、最後に唇に軽くキスを落とされた。
「……………………」
「……なんだよ」
私がキスされた唇を押さえながら柊生さんを抗議するように見つめると、どこか拗ねたような様子で柊生さんもそう言って言い返してくる。
「これはまだ……、協定外です」
「なんだよ協定外って」
ぎゃあぎゃあ言うならもう一回するぞ、という柊生さんの口元を押さえてキスを塞ぐと、少し目元を柔らかくした柊生さんがそのまま私の手を取り「ほら、いつまでここにいんだよ」と言って、私をリビングに引っ張っていく。
私の手を引いて、私を引っ張っていく柊生さんの背中は、今更だけどちゃんと男の人の背中なんだなと思った。
そうして、リビングに手を引かれて連れてこられた私は、ソファに座らされたかと思うと、そのまま柊生さんにソファに押し倒された。
「わ……、ちょっ……」
驚いた私が抗議の声を上げたが、それよりも柊生さんが縋り付くように私を抱きしめてくるので、それ以上何を言うこともできず。
「ヤマ……、好きだ」
そう言って、柊生さんが私の耳元で耳元で小さく囁いてくるのを、私は黙って抱きしめ返した。




