繕うトリにイヌと鳴く
「じゃあ、行ってきます」
「ん」
連休も終わり、朝の出勤時刻。
私が家を出る前に玄関で声をかけると、柊生さんが両手を広げてハグを求めてくる。
「…………なんですかこれ」
「見りゃわかるだろ」
見てもわからないから聞いてるんだけどなあ……。
「私たち、友達ですよね?」
「ああ。だから、大事な友達が職場で頑張れるようにエールを送るんだろ?」
あくまでも――、友達、という名目で乗り切るつもりらしい。
果たして、柊生さんが『エールを送られる』対象として言っているのは、私なのか柊生さん自身なのか。
今ひとつ釈然としない気持ちを抱きながらも、
「……あくまでも、友達の、ですからね」
と私が念を押すと、
「ああ」
と柊生さんも余裕の笑みを浮かべながら返してくるので。
はあ、と諦めと戸惑いの入り混じったため息をつきながら、にこにこと両手を広げたままの柊生さんの腕の中にそっと潜り込む。
「……気をつけてな」
抱きしめられた瞬間、そう言って、柊生さんが私を案じる声が耳元で温かく響いた。
――気をつけて。
そう言われて家を出るのは、いったいいつぶりだろう?
私は、柊生さんのこういうところに弱いのだ。
固く決意した気持ちが揺らいでしまう前に、「……遅刻しちゃうから、もう行きますね」と言って、柊生さんの胸を押して温かな場所から抜け出した。
わかってる。
わかってます。
認めますよ、もう。
柊生さんの部屋から足速に離れ、なんとか意識を会社に向けようと思いながらも、自分の中でドキドキと高鳴る鼓動が抑えられない。
ああーーーー。
どう考えたってあんな甘い声、友達に向けるものじゃないよ。
それに気づかないフリをするのは、簡単だ。
でも、そうしたって結局、それはただの『フリ』に過ぎなくて。
『フリ』をしている人は、その時点で本心が別にあると自覚しているのだ。
……わかってる。
――――好きだよ。
私も。
柊生さんを。
そりゃあそうでしょう。
あんなに前面に好きを押し出されて、ぐいぐい迫られて。
私だって、溢れ出てきそうな気持ちを必死で抑え込んでたけどさあ。
……ああ。
考えれば考えるほど、なんだか泣きたくなってきた。
……私、なんでこんなにめんどくさいんだろう?
好きなら好きってまっすぐ向かって行けばいいだけなのに。
一周回って何故だか落ち込みながら会社に向かう。
柊生さんのため、と言いながら、結局は自分のエゴを捨てきれない。
いっそ、柊生さんにしかるべきお相手が見つかってくれたら、私も諦めがつくのに。
私なんかよりも柊生さんのキャリアのためになって、彼を支えてくれる素敵な女性が。
彼の隣に立つにふさわしい女性が。
寂しいけど、それならそれできっぱりと気持ちを切り替えて応援できる、と、思う。
……多分。
そんなモヤモヤを抱えながら出勤し。
そうして、この週末にも色々ありすぎたことで、私は忘れていたのだ。
「山敷、週末大丈夫だったか?」
金曜の夜に砥川さんにタクシーで送ってもらった後、彼に柊生さんといるところを見られてしまっていたということを。
出勤して早々に心配そうに私に声をかけてきてくれる砥川さんに、慌ててぺこりと頭を下げる。
「あっ……はい。なんとか……」
「今、ちょっとだけいいか」
「……はい」
そのまま、砥川さんから呼ばれるままに、空いている会議室へと向かう。
なんだろう?
男にうつつを抜かしてないで仕事しろ、とか?
お前はもう、飲み会で酒飲まなくていいから、とか?
あっ……!
もしかしてあの時、一緒にいた相手がタレントの『滝本柊生』だって砥川さんに気付かれちゃった……!?
さっきまでの落ち込みもあって、考えが段々とネガティブな方向に傾く。
そんなこんなで、悶々としながら砥川さんの後に続いて会議室に入ると――。
「山敷……。この間ごめんな、彼氏の前で」
「えっ」
砥川さんから切り出されたのは仕事の話じゃなかった。
しかも結構、真っ向からぶっこんでこられた。
「あ、いや。あの人は彼氏じゃなくて……」
彼氏じゃなくて…………。
………………………………。
…………え、なんて言えばいいんだ?
友達?
確かに、そういう名目で会ったりはしているけれど。
「彼氏じゃないのか? でも、付き合ってるって言ってたけど」
――そうだ。
確かあの時、柊生さんは砥川さんに向かって、『付き合ってる者です』って言ってた。
柊生さんがあえて、あの場で『友達です』と言わずに、ああいう言い方をしたというのは――。
私がよっぽど思い違いをしているのでなければ、柊生さんは砥川さんを牽制した、ということだ。
そんな、今更ながらの小さな気づきで、また柊生さんの気持ちを思い知って、きゅっと胸が痛くなる。
「……彼はその、友達なんです。それで……、私のことを心配して『付き合ってる』って言ってくれたんだと思います」
砥川さんに言い訳するように――、いや実際に言い訳なのだけど、もたもたと言葉を紡ぎ出す。
そうして、そんな言い訳を自分で言って、なぜだか自分で胸が苦しくなる。
なんでだろう?
柊生さんを守るつもりでやっていることが、全て空回りしてしまっているようような気がするのは。
彼のためにと思って始めたことなのに、行動すればするほど、口にすればするほど、なんだか彼を蔑ろにしているような気がするのは、気のせいだろうか?
「……じゃあつまり、彼氏じゃない、ってこと?」
「……ええ、はい……」
「それって……、俺にもワンチャンあるって思っていいのかな?」
「え?」
段々と気持ちが暗く沈んでいこうとする私に、突然、砥川さんが神妙な面持ちで私に向かってそう言い出してきたので、私は一瞬それを新手のジョークかと思ってしまった。
「山敷、そういうの鈍そうだからはっきり言うな。まだ彼氏彼女の関係じゃないなら――、俺にも割って入る余地はあるのかって話。つまりは――、俺と恋人として付き合わないかって話だ。」
真剣な表情で、砥川さんが私に向かって告白してくる。
思いがけない告白に、私は頭が真っ白になった。
え――――――。
砥川さんが、私を――――?
「……ごめん。突然すぎて、びっくりさせたよな」
「いえ……」
俺としては、それなりにアピールしてるつもりだったんだけど、ともさりげなく言われた。
……砥川さんが、私を?
そう言われて見て改めて、目の前の男の人をまじまじと捉えた。
……砥川さんはいい人だ。
鷹揚としていて懐も深いし、情も厚いからたくさんの人から好かれる、いい上司だ。
きっと、こんな人と付き合って結婚したら、幸せになれるのだろうなと思う。
――そうだ。
私だって、もともとこうやって、会社で普通に好きになれる人と出会って、結婚して幸せになろうって、思っていたんじゃないか。
……………………。
………………そうだ。
……これで、私が砥川さんの話に乗って、お付き合いを始めたら。
柊生さんは諦めて、仕事に専念してくれるかな……?
そうじゃなくて、前言ってたみたいに本当に、傷心でどこか他の女の人のところに行っちゃうかな?
柊生さんは格好いいし優しいし、女の人からは引く手数多だろうから、私のことなんかすぐに忘れちゃうかもしれないな。
それならそれで、柊生さんが他の女の人と幸せになってくれるなら、私はそれで幸せかもな……。
柊生さんが私の知らない女の人と幸せそうに並んで歩いている姿を想像して、なんだかやたらと胸が痛んだ。
「……山敷」
「……あれ」
自分でも、涙を流していたことに気付くのに一瞬遅れ、砥川さんに指摘をされて初めて自覚する。
「悪い、そんなに嫌だったか?」
「ちが……、違うんです」
そうだ。
悪いのは砥川さんじゃない。
私だ。
馬鹿なのも私。
こんなにも好きで、他の女の人と幸せそうにしている姿を想像するだけで泣いちゃうくらい好きなのに。
ずっとずっと蓋をし続けて、正直に向き合わなかったのは、他でもない私だ。
「ご……、ごめんなさい……」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を拭いながら、ここで謝るのもひどいな、と思いながらも、砥川さんに向かって言葉を紡ぐ。
「砥川さんのことは、好きです。上司として尊敬してます。でも」
覚悟を決めて、すうっと大きく息を吸う。
「あの人は――、恋人になっちゃいけないってわかってるのに、どうしても『好き』って気持ちが消えない人なんです」
そう言って吐き出したら。
嗚咽と共に溢れ出した涙が止まらなくなってしまった。
私の中で。
子供のままの私が、わんわんと大声をあげて泣いていた。
柊生さんのことが大好きなのに、なんで応えちゃダメなの?
好きって言われたから好きって言い返したいのに、なんでダメなの?
わかってる。
そうだよね。
ごめんね。
溢れ出す感情と共に、次から次に流れてくる涙を手のひらで必死に拭っていたら、砥川さんがハンカチを差し出してくれた。
それを、遠慮するだけの余裕もなくて。
素直に受け取って、気が済むまで泣いた。
砥川さんは、何も言わずにずっと黙って隣にいてくれた。




