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「それお兄ちゃんのなんだから食べないで!」

 中学三年生の頃、朝食に用意されたトーストを食べようとしたら、母さんがかなぎり声を上げた。バターを付けすぎな位、たっぷりと塗ったトーストを齧ったまま固まる父さん。今日の天気予報を明るい口調で告げるニュースキャスター。テレビの後ろの白いレースのカーテンに遮られ、滲むように入ってくる朝日。通学路ではしゃぐ子供の声。普段通りの穏やかな朝のワンシーンは、母親の訴えと共に一時停止していた。

この空気が醸し出すものを上手く理解できない僕と父さんを、母さんは侮蔑を込めた眼差しで睨み据えてから、僕の目の前にあるトーストと目玉焼きを奪い去った。逃げるように台所へと駆け込む母さんの小さな背中を視線で追いかけてから、僕は空になった目の前のテーブルを見つめる。

「お、おい。お前何してるんだ」

 事態を飲み込めないまま、白い皿にトーストを放ると、父さんは台所へと隠れた母さんを追いかけた。暫くすると母さんの嗚咽が途切れ途切れに聞こえて来た。

 テレビでは政治家の金銭問題と、芸能人の不倫問題が、延々と議論されている。僕が生まれた頃より騒がれ議論され続けているので、この問題は一生解決できないだろうなと思いながら、僕はぼんやりとテレビを見ていた。ひどく冷静で、落ち着いた心地で、愛について酷く真面目に語る、頭の禿げたコメンテーターと、母さんの嗚咽が絡み合いながら、僕の鼓膜を塞ぐ。

「あの子が代わりに死ねば良かったのよ」

「何を言うんだ!」

「二枚目ですし、おモテになるんでしょうけれど、どう考えても裏切り行為ですからねぇ」

「どうして、瑠偉が死ななきゃならないのよ! あんな出来損ないのせいで!」

「いい加減にしろ!」

「やはり夫婦間で大事なのは、誠実さではないですかねえ」

 ――誠実さ、か。

 背後から聞こえてくる二人のやりとりに、僕には生きている限り、誠実さがないのかもしれないと、ぼんやり考えていた。

 コメンテーターが、黄色い歯を見せながら、つまらないギャグを言っては、新人女アナウンサーに同意を求めている。

 誠実さ、なァ。


「私みたいなおじさんでも良いんでしょうか」

 午後九時、有楽町で待ち合わせをした男は、何とも聞き取りにくい小さな声で、開口一番にそう告げて来た。草臥れた張のない少し大きめのグレーのスーツがやぼったい男は、身なりはきちんと整っているはずなのに、どこか気が抜けたような淡い存在感を持って、夜の人混みに紛れていた。僕が到着する十五分ほど前から連絡をくれていた、ここ最近では一番律儀な人間だ。

「別に募集要項におじさんダメって書きませんでしたけど」

「いやぁ、こういうのって若い者同士かなって、ダメ元だったんです」

 自信を探すように、俯きながら男は呟いた。同じように視線を落とせば、少し白く汚れた革靴が街頭に照らされていた。

「選んで下って有り難うございます」

「……いえ、先着順なので」

 深々と頭を下げる彼に短く告げてから、MAIさんにも渡したヘルメットを、彼――おにぎりさんに差し出す。

一番最初にDMをくれた時に覗いた、彼のプロフィールは簡素なものだった。名前はおにぎり。アイコンはコンビニの梅おにぎりのパッケージで、プロフィールには「週三回梅おにぎりを食べています。」以外は何も書かれていないし、ツイートも殆どなかった。おそらく情報収集アカウント、みたいなものだろう。

「乗って下さい。乗る時、僕の肩に掴まってステップを踏み台にして下さい」

 男はヘルメットを深く被ると、ベルトに苦戦してから、失礼します、と呟いた。律儀な人だ、おにぎりさん。僕の肩に手をかけて、バイクを跨ぐと、おにぎりさんは「ほっほう……」と少しだけはしゃぐ様な声を上げた。

「いや、すみません。初めてなもので」

 振り返った僕にバツの悪そうな顔で苦笑いを浮かべると、おにぎりさんは薄い背中を丸めた。

「いえ。走ってる時僕の身体に掴まってもいいので、とりあえず落ちないように、危険な行為だけは止めてください」

「はい、わかりました」

「今日は晴海ふ頭の方を回って、また有楽町駅か東京駅に戻る予定です。三十分くらいだと思います」

「いやぁ、こんなにわくわくするのは何年ぶりですかね。楽しみです」

 ヘルメットの奥で、目元の皺が深く刻まれると、男は後部座席の後ろに取り付けた、タンデムバーを見つけ、そこをぐっと片手で握り込んだ。

「じゃあ行きます」

「はい、宜しくお願い致します」

 エンジンを唸らせて、俺はアクセルを回した。



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