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 僕の後ろに乗る人は、大体何かを抱えてそれを持ってきては、夜風に散らすように語り出す。

 それはMAIさんも例外ではなく、満ち足りたあの笑顔の裏側に、そんなものを抱えているようだった。背後にいるMAIさんの声は、信号の明かりや、街路樹の影や、広告塔の隅や、街頭の裏側にひっそりと隠れるように、密やかなものだった。

「私ね、上司の人と入社当時から不倫関係なの」

 切り出しは多分そんなものだった。

「もうね、五年になるの。私もう二十七なのに、未だに抜け出せなくて」

 信号の赤で捕まる時、ようやく聞こえる彼女の声音から、大体の想像を頭の中に浮かべては、すぐに追い出した。全ては彼女の独り言で、僕にとってはどうでも良い事だからだ。

 僕はグリップを握り締めて、エンジンを上げる。身体で感じるスピードとエンジンの唸り声の調和を過不足なくフラットにしていく。するとこの獰猛な生き物は、驚く程従順になる。滑らかに地面をなぞり、何処までも果てしなく、何処かへ連れて行ってくれるのだ。

「私、結構尽くした方だと思うんだ」

 広い国道二十号線を真っ直ぐと走っていると、皇居が見えてくる。僕はそれを左手に走りながら、手首がひんやりと冷やされていくのを感じていた。服の隙間を探しては、風が服の中に潜り込み、ゆっくりと身体の熱を奪おうとしてくる。

 けれど、いつの間にか僕の腰に細い二本の腕を巻きつけ、背中にぴったりと身を寄せているMAIさんと重ねた背中だけは温かい。

 ぬくもり。

 無意識に重なっていた場所を意識すると、そんな言葉が思い浮かんでは消えていく。世界のどこから響いてくるのかと分からない、色々なものが混じった雑音と、僕のバイクの声が耳を塞いでいた。

 皇居を囲うようにできたお堀の池は暗く、その周りを周回するランニング走者の黒い影が見える。

「最初の二年間は楽しかった。最近じゃ二人きりになればセックスするばかりなの」

 信号に掴まって停車する。真っ直ぐと続く道路に沿って、首都高も同じように頭上にずっと遠くまで伸びている。

 右折していく車のライトや、ビルにちらほらと残る白い光。明る過ぎてほんのりと藍色に淡く発光する夜空。音は常に耳を塞ぐのに、随所に静寂が満ちている。今日は猫の爪のように細い三日月だった。

 ちかちかと、歩道の青信号が明滅を繰り返している。

「ねえ、私どうしたら良いと思う?」

 不意にMAIさんが、僕に質問を投げかけて来た。

 真っ直ぐに新宿へと伸びる道の先で、車やビルや街頭の明かりが、漣みたいにちかちかと白く揺れていた。まるで地平線みたいだと思った。それと同時に、地平線なんて蜃気楼のようなものだとも思った。

 信号が青に変わると同時に、猛スピードで隣を赤い車が通り過ぎて行った。何かに怒っているみたいに、乱暴な運転だと思いながら、僕もグリップを握り締める。

 等間隔に並び、地面をオレンジ色に照らし出す街頭に、首都高の黒い影が、何処までも、何とも交わる事のないまま伸びている。

 僕はMAIさんの問いかけを少しだけ考えた。

 いや、考えると言うには、あまりにも無愛想で、他人事な心地だった。

 だから僕は「ごめんなさい」と、グリップを握り直しながら、彼女に聞こえる位の声量で答えた。

 僕は少しだけスピードを上げて、青から黄色へと変化したばかりの信号を、少し無理矢理駆け抜ける。風が身体を、身体が風を、空気を切り裂いていた。鋭利な角度で、音もなく。

 バイクが非難にも似た、エンジン音を上げると、目の前の景色が光の筋を残しながら背後へと飛び去って行く。

 身体が自由と不安を同時に手に入れて、戸惑うような、そんなふわりとした感覚が、身体を包み込む。僕はゆっくりとスピードを落とした。光が小さな弾のまま、背後へと流れていく。車の影を踏みながら、僕はMAIさんに聞こえるような声量で、応えた。

「ごめんなさい。話、聞いてませんでした」

 僕がそう言うと、彼女は息を飲み込むような仕草をした気がした。僕はただ真っ直ぐと新宿へと続いて行く道を見つめる。

「そっか、……そうだよね!」

 MAIさんは少しだけ、無理矢理明るくするみたいな声音で、そう言うと、僕の腰を抱く手に力を込めた。

 僕とMAIさんはそれ以上何も言葉を交わすことなく、ただ夜の街の雑音に耳を傾けていた。

 ただ、MAIさんと重なる背中と腹の少しの部分だけは、いつまでも温かいままだった。



『ルイさん

 先日はありがとうございました。初めて大型のバイクに乗りましたが、風を全身で受けるというのは、ああいう事なんですね。初めて実感しました。

 それから、私のつたない話を聞かせた上に、答えにくい質問までしてごめんなさい。でも、あの時ルイさんが、「ごめんなさい、話聞いてませんでした」って言ってくれて、私すごく安心しました。

 誰かに聞いて欲しいって思っていたのに。

 でも私、ルイさんにそう言われて、あの時こんな自分を誰にも見せたくないって、気付いたんです。私まだまだ強がっていたいって。

 弱さを認めるって、大事な事だけど、同じくらい認めたくないっていう、自分も大事にしたいって思ったんです。

 だから、聞いてないって言われて、ほっとしました。なんだか、前を向ける気がしました。

 ルイさん、本当にありがとうございました。

 また、募集があったら応募させてください。今度はもっと、走った時に受けた風や、見逃してしまった景色を見たいので。

 それでは、また。MAI』


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