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こぼれ落ちた種は  作者: いりこ
8/23

孫への思い

 千夏は自宅で空き瓶に貯めていた五百円玉と百円玉をザラーっと出して数えてみた。

 家賃1ヶ月分は有る。お金を瓶に戻して大家の玄関の扉をノックした。

「はーい」

いつもと違う沈んだ声だった。

「細谷です。滞納家賃の一ヶ月分持ってきました」

と声をかけた。きっと『こんな小銭ばかりで』と文句位言われるだろうと千夏は予測していた。

 大家は覇気のない顔で出てきた。

「小銭ばかりで済みません」

と瓶を渡すと、大家の目は潤み涙を堪えている様に見えた。そして静かに

「今数えてみるわね」

と受け取り、新聞紙を持ってきて広げザラっと小銭を広げた。

「ひ、ふ、み、よ、…」

「ひ、ふ、み、よ、…」

大家は千円分ずつ小銭を積み重ねて、シッカリ数え始めた。

「はい、一ヶ月分ちゃんと有るわ。領収書今書くわね」

とサラサラ書き印鑑を押して千夏に渡した。

「確かに受け取ったわよ」

と言って静かに部屋の中に大家は戻った。

 千夏は玄関扉を閉めながら、いつもの嫌味がない事や涙を堪えている事に違和感を感じつつも、自宅へ戻り引き出しに領収書を入れた。


 先日の給食の騒ぎの日から、扉への落書きは酷さをました。扉にビッシリと罵倒する言葉が書かれていた。

 こんなに増えたら大家もカッカして文句が増えるだろうと千夏は思っていた。

 しかしいつもの様に、ひまわりの病室に寄った後に新聞配達をして帰って来ても、大家は仁王立ちして待ってる事は無かった。千夏は静かに扉の落書きを消してから家事を進める日が数日続いて居た。


 この日も千夏は帰宅後に扉の落書きを拭き取って居ると、大家もバケツと雑巾を持って来て手伝い始めた。

 千夏は正直驚いたが、

「済みません。ありがとうございます」

と礼を言って扉を拭き続けた。

 暫く無言だった大家が

「あんた偉いね。これクラスメイトが書いてるのでしょう?こんな酷いことされても学校行って。働いて、家の事やって、お母さんの面倒見て」

と話しかけて来た。初めて大家から褒められる言葉を聞いて、内心『どうしたのだろう…』と驚いたが、

「私が学ぶ権利は誰も奪えないので」

とだけ応えた。

「ウチの孫ね、酷く虐められて…学校行けないって言い出してね…。怖がって家から出ないのよ」

大家は涙が溢れない様に必死で顔を隠しながら扉を拭いた。

「あんたみたいに頑張って学校行ってくれたら良いんだけどね」

と更に声の震えを抑えながら付け加えた。

千夏は

「学校が怖くて行けないって言ったのは、本当は隠しておきたい事な筈…、勇気を振り絞って言ったのだと思います。お孫さんは死ぬ気で今迄頑張って我慢してたのでしょう。自分が悪くないのに自信も砕かれて精魂尽き果てた筈です。これ以上頑張ったら本当に死んじゃいます」

と答えた。

 その言葉は大家の胸に深く刺さり、目から鱗が落ちた様な目をした。そして自分は大切な孫を追い詰めてたと初めて自覚した。

 良かれと思って何度も学校行く様に説得してしまった事を振り返ると、孫に背負わせてしまった負担がズシリと自分にのしかかって来た。そして雑巾を持った手は止まり、涙を堪え切れずに身体は震えた。泣いている事を隠す為に扉を拭くのを止めて、千夏から顔を隠す様に背中を向けた。

「家賃、後1ヶ月分払えば滞納は無くなるから。待ってるから頑張ってね」

そう言って部屋に戻った。

 滞納は後二ヶ月分の筈…。千夏は何かの間違いではと大家に声を掛けようと思った。しかしやめた。大家のせめてもの優しさの言葉だと伝わって来たからだ。何より、涙を隠している中で振り向かせてはいけない様な気がした。

 

 数日後、大家がヒソヒソと誰かに声を掛けながらアパートへ入って行った。きっと孫だったのだと千夏は察した。

 孫を思い、誰にも会う事無く家に入れたかったのだろう。不安を癒す為に寄り添って居るのが伝わってくる。

 母の嗚咽をいつもの様に聞きながら、千夏はこのアパートに訪れた優しさを大切に吟味した。

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