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権左衛門は体の変調をきたしてもエッチだった

午後九時を回った頃、俺のスマートフォンの着信音が鳴った。俺は美月が淹れてくれたコーヒーを飲んでいる途中だった。スマートフォンの画面を見ると発信者はジョージだった。

俺は例によって嫌な予感がした。

「ハーイ、ハセガワサン、お元気デスカーッ」相変わらず能天気な声だ。

「何だよジョージ、俺は今日は休みだ!」

「オーウ、ハセガワサン、どうせ今までキュートでビューティフルなミツキチャンにコーヒーとか入れてモラッテ、くつろいでイタンデショ?」怖っ! こいつ、やはり千里眼の持ち主か?

「うるさいな。要件は何だよ」

「アハッ、忘れてマシターッ」忘れていたのか?

「ハセガワサン、今日もあの権左衛門サンがお店にキタノデスガ、彼がスコシ変デス」

「権左衛門は元々変だろ」

「ソー言う変ジャナクテ、カラダのチョウシが悪いのデス」

「権左衛門は八十八歳だから疲れやすいだろ」

「ソージャナクテ、ハセガワサン、あのシロと似ているのデス。体に黒っぽいシミがヒロガッテいるんデス」堀内公園北の森の主、大蛇のシロは妖刀「黒蛇」に切られて黒いシミが広がり弱ってしまったことがある。

「権左衛門は老人だからシミは多いだろ?」

「ボクモ最初はソウ思いマシタ。それでジャスミンチャンに見てモラッタラ、こんなシミはなかったソウデス。それに権左衛門サン、元気なくてヘロヘロデス」

「それで俺に『店に来い』ってことか?」

「オーッ! ハセガワサン、オヤスミだと冴えてマスネ。それからミツキチャンも一緒に連れて来てクダサイネ」ジョージの奴、嬉しそうだ。

「美月は研究で忙しいんだ! 俺も今日は大切な休みだし。ジョージ、お前が何とかしろよ」

「オーッ、ボクはハセガワサンみたいな化け物・・・オット優秀じゃナイカラ無理デース」

「ジョージ、お前、化け物って言っただろ!」するとスマートフォンの向こう側で何かムニョムニョ言っている。

「アッ、長谷川サン、ジャスミンです。お休みのところゴメンナサイ」

「アッ、ジャスミンさん、ご苦労様。権左衛門さんの調子が悪いのかな?」

「ハイ、権左衛門サンはかなり辛そうデス。長谷川サンはユーレイの病気も治すことがデキルとジョージさんが言っていました。長谷川サン、申し訳ナイデスガ、こちらに来てくれませんか?」

「うーん・・・・・・、分かった。あと三十分後にそちらに行くよ」俺はジョージから電話がかかってきたときから、そんな気がしていた。

「ありがとうございます。長谷川サン、気をつけて来てクダサイ」

「うん・・・」俺はそう言ってスマートフォンの通話を切った。そして大きく息をついた。

「お兄ちゃん、今からお店に行くの?」美月は少しだけ淋しそうな表情を浮かべた。

「ああ・・・、権左衛門の調子が悪いようだから見てくる」俺はそれだけ言った。

「そう・・・・・・。気をつけて行ってきてね」美月はそう言うと、いつものように俺をギュッと抱きしめた。



 俺が三丁目のコンビニエンスストアに着いたのは午後十時五分前だった。レジにいたジャスミンは俺の姿を見ると安堵したかのように微笑んだ。土曜日の夜なので客はチラホラいてジョージもさすがにレジにいる。

 ジャスミンはレジで客の対応をしながら黒い瞳で権左衛門の居る場所を俺に教えてくれた。イートインスペースの一番奥で権左衛門がカウンターに突っ伏している姿が見える。ヨーコが権左衛門の背中に左手を置き、坂下が心配そうに老人幽霊の傍に立っていた。柴丸も坂下の足元で大人しくしている。

ヨーコは俺に気づいてフワーッと飛んできた。

「クモちゃん、権ちゃんがヘロヘロのヨボヨボだ、ワン。クモちゃん、権ちゃんを治してくれるのか、ワン?」ヨボヨボは元からだと思うが確かにあの変態老人幽霊、昨日の様子とはえらい違いだ。

「ああ、ジョージから聞いた。ヨーコ、今の時間帯はあそこのスペースは人が来るから、権左衛門を後ろのスタッフルームに運んでくれないか」

「わかった、ワン」

 ヨーコと坂下はヘロヘロの権左衛門に肩を貸して歩いて来た。ダウンしている幽霊は重いのか、ヨーコと坂下は浮遊できないでいる。

「キャー! 権ちゃんのエッチィ!」見ると権左衛門の左手がヨーコの豊かな左胸を揉みしだいている。

(エロ爺さんとはよく言ったものだ・・・・・・)俺は何故この場にいるのだろうかと空しく感じ、そして権左衛門のエロパワーを別な意味で感心してしまった。

ヨーコは権左衛門の左手を払いのけるかと思ったが、彼女は困った顔をしたまま自分の左手を老人幽霊の左手にそっと重ねた。偉い! ヨーコはおバカで能天気だが、とても優しい。これで権左衛門は不謹慎な行為を止めるだろうと思ったが、あやつは呆けた笑みを浮かべ相変わらず女子高生幽霊の豊かで柔らかい胸を揉んでいる。(死んだらいいのに!)俺は一瞬ホントにそう思ったが、権左衛門は既に死んでいるし・・・。

 ふとジャスミンの方を見ると彼女は困ったような恥ずかしそうな顔をしていた。ジャスミンはおれの視線に気づくと頬を紅く染めた。

「スミマセン、長谷川サン。権左衛門サンがとてもツラソウにしていたので・・・」真面目なフィリピン人は俺を呼んだことを後悔しているらしい。

「オーッ、ジャスミンチャンが謝るコトないデース。ワルイのはエッチな権左衛門サンです。男ハ女性にヤサシクナイト、生きるカチがありまセーン」ふーん、ジョージはジャスミンの前ではホントにジェントルマンだな。

「ジャスミンチャン、ハセガワサンには気をつけてクダサイネ。コノ人、不愛想ですがカラダに触るコトがダイスキですカラ」ジョージが澄ました表情でそう言った。俺はムカッときて反論しようとしたが、ジャスミンが驚いて、そして何故か微笑んだ。意外なジャスミンの反応に俺とジョージは顔を見合わせ首を捻った。

「クモちゃん、権ちゃんは重いよーっ」近くに来たヨーコが悲鳴を上げたので、おれは彼女と交代して権左衛門の幽体の片方を支えた。

(ん?)俺は違和感を覚え反対側を支えている坂下を見ると、ナルシスト幽霊は眉間に皺を寄せ小さく頷いた。俺は幽霊に触ることができる。これまでヨーコやシロを触って治療したこともある。だが彼らの感触と権左衛門に接した感触は明らかに違っていた。

 スタッフルームの畳に権左衛門をゴロッと寝かせた。コンビニオーナーの増田店長が「日本人は畳部屋!」と言ってスタッフルームは何故か和室である。助平老人幽霊はヨーコに不埒なことをしていた間は呆けた笑みを浮かべていたが今は辛そうだ。この爺さん幽霊、助平パワーで元気になるのはジョージと一緒だ。

「お兄様、ここです」坂下はそう言いながら仰向けの権左衛門をゆっくりとうつ伏せにし、クリーム色のパジャマの上着をめくった。たるんだ背中一面に灰色のシミが広がっている。

「アレッ、さっき見た時より、シミが広がっているのだ、ワン?」

「そうですねぇ、一時間前は背中の半分くらいまででしたし」

「クモちゃん、早く権ちゃんを治してほしいのだ、ワン」

「ヨーコ、権左衛門には傷とかなかったか?」俺がヨーコとシロを治した時、切られた跡があったのだ。

「うーん、ひょっとしたらここでしょうか」坂下は権左衛門のズボンとパンツをずり下げた。

「キャー、嫌だぁ、ワン」と言いながらヨーコは権左衛門のたるんだ尻を見ている。

「アッ、お兄様、ヨーコさん、ここにあります」坂下は権左衛門の右の尻の真ん中を指差した。そこには×しるしの小さな裂傷があった。

「シロは真っ直ぐな傷でしたが、権左衛門さんは×なのですね」坂下の言いたいことは分かる。たるんだ尻の男は不埒な行為ばかりするので×の傷をつけられても仕方ないのだ。

「権ちゃんはエッチなことするから、×なのか、ワン」ヨーコも先ほどの権左衛門の行為には怒っているようだ。だけど俺たちはシロと同じように権左衛門も傷口からシミが広がったことを確認してしまった。それは全く良くないことだった。俺たちは妖刀「黒蛇」と同じモノが存在すると思わざるを得なかった。

 俺は右手を権左衛門の右尻の傷口に当てた。乾いた肌の感触があった。それとともに何かがうねっている感覚を覚えた。

「ううっ」俺は反射的に手を離してしまった。

「クモちゃん。権ちゃんのお尻がガサガサでたるんでいるからって手を離したらダメだ、ワン! あたしのスベスベプリプリお肌と違うのだ、ワンワン」

「いや、ヨーコさん。そういうことではないようですよ。お兄様、何か感じましたか?」坂下は緊張した面持ちで訊いた。

「何か・・・・・・」俺は右手を見ながら思い出そうとした。

「何かって・・・、権ちゃんのカラダに何かいたのか、ワン?」ヨーコも真面目な顔をしている。

「よく分からないが変な感じだ」俺は再び権左衛門のたるんだ尻に右手を当てた。また何かがうねっているような、細かなものが蠢いているような感じがする。妖刀「黒蛇」に傷つけられたシロはすえたような匂いがした。「黒蛇」の毒がシロの幽体を蝕んだのだが、よく考えるとシロは北の森の守り神のような存在だ。だから「黒蛇」の毒に対してかなりの免疫があったのではないか。もし普通の人間である権左衛門が同じような妖刀に切られたとしたら、その毒のまわりは早いのではないか? 

 俺は幽霊が昇天するのは何となく納得できる。だけど幽霊になってまで、こんなに毒のようなもので苦しんでいるのは良くないことだと感じる。

「権ちゃん、大丈夫か、ワン。今、クモちゃんが治してくれるだ、ワン」ヨーコはそう言いながら権左衛門の背中を左手でそっと触った。

「ヒャッ!」ヨーコは慌てて手を離した。ワンワンモードの能天気幽霊がワンを言い忘れている。

「どうしました? ヨーコさん」

「ノボル君、権ちゃんのシミのところ触ってみるだ、ワン。さっきと違うワン」

「どれどれ」坂下も権左衛門の灰色のシミが広がっている左肩甲骨辺りを右手で触った。

「ワッ!」坂下は素早く右手をもどした。

「権ちゃんのシミの下で何か不気味なものが動いているだ、ワン?」

「そうですね。さっき彼に肩を貸したときには、そんなことはなかったですが・・・」坂下はそう言いながら名探偵のポーズをした。

「ノボル君、どうしたんだ、ワン?」

「いや、先ほどイートインスペースで権左衛門さんに肩を貸した時なのですが、何か違和感を覚えましてね」

 坂下は真面目な顔をして何かを思い出そうとしている。

「それにしてもクモちゃんはこんな気持ち悪いものに、よく触っていられるだ、ワン」

「お前たちが頼んだんだろ」おれはヨーコをキッと睨んだ。

「ヨーコさん、お兄様は臀部愛好家なのです。つまりお尻も大好きなのでしょう? 権左衛門さんのたるんだシミのお尻も大好きなのですよ」もう―っ、迷探偵坂下はくだらない推理をする。さっきの権左衛門の違和感の話はどうしたんだ?

「きゃー! じゃあ、あたしのおっぱいだけじゃなくて、お尻も危険なのねー。ワンワン」

「うるさいな!」俺は能天気幽霊コンビに軽蔑の眼差しを向けた。だがこいつらは「クモちゃんはお尻の大ファンだ、ワンワン」とか「お兄様、エッチはあちらも好きなのでは?」とかわけのわからないことを言って騒いでいる。俺はおバカ幽霊たちを無視して、右手のミミズが蠢くような感触を何とか我慢していた。

「ワシもぉ、男のゴツゴツした手よりヨーコちゃんのスベスベしたお手々でお尻を触ってもらいたいのう」いきなり権左衛門が喋った。

「権ちゃん! 調子、良くなったか、ワン」

「いや、ワシはもう駄目じゃ。うううー、もう目の前が暗くなっておる。ゲホゲホ。じゃから死ぬ前にヨーコちゃんにワシの可哀そうなお尻を触ってもらいたいのじゃ」何言ってんだ、この助平爺さん幽霊は。

「エーッ、だってぇ、権ちゃんの治療はクモちゃんじゃないとできないのだ、ワン」

「そうか。そうか・・・。じゃがワシはもうすぐ死ぬのじゃ。ヨーコちゃん、どうかこの手を・・・」握ってほしのか? それにもう死んでいるのだけど?

「死ぬ前におぬしのおっぱいの谷間にこの手を挟んでほしいのじゃ。モミモミしたいのじゃ」(この爺さん幽霊、死んでしまえ!)と俺は強く思ってしまった、死んでいるけど。

「アレッ、お兄様」坂下が俺を見た。

「シミが薄くなっていますよ」坂下が言う様に権左衛門の背中の灰色のシミが薄くなっている。そういえば俺の右手の蠢く不気味な感触もなくなっている。

「ヨーコちゃん、ワシの最後の頼みじゃ。おっぱいが無理ならお尻でもいいのじゃ。どうかこの右手を・・・」まだ言っている。こいつ、ホントにひどい幽霊だな。

 柴丸がトコトコ歩いてきて権左衛門の横に座った。どうやら権左衛門の変調も治ったようだ。

「すみません、長谷川サン。権左衛門サンをお任せして」ジャスミンが心配そうに部屋に入ってきた。淀んだ空気の中に爽やかな一陣の風が吹いて来たようだ。

「ああ、ジャスミンさん。権左衛門さんはだいぶ良くなったよ」

「エッ、本当デスカ。ありがとうございます」ジャスミンはとても嬉しそうに笑った。破顔一笑とは彼女の笑顔のことを言うのかな。

「うううー、ヨーコちゃん、最後のお願いじゃ。ゲホゲホゲホ、ヨーコちゃんのそのおっぱいを触ることができたら、ワシは成仏できるのじゃ。一生に一度のお願いじゃ。」絶対、成仏できないだろう、権左衛門は。

「アラッ、権左衛門サンはまたあんなこと言っているノデスネ。デモ元気な証拠デス」

「エッ、じゃあ権左衛門さんは施設でもやはりあんな感じだったの?」

「フフフッ、そうデスネーッ」

「ジャスミンさんも大変だね」

「そんなことはないデス。権左衛門サンはこれまで辛いこととか悲しいことがイロイロあったみたいデス」ジャスミンは声を落として囁くように言った。俺は目の前の小柄な女性を見て、彼女の前では優しい口調になることが何となく分かったような気がした。

「エーッ、もう駄目だったらぁー。やめてよぅ権チャン」ヨーコの甘ったるい声が聞こえる。

「お願いじゃ、ワシの最後のお願いじゃ。お頼み申します、ヨーコ殿」

「権左衛門さん、男は僕みたいに紳士でなければ生きる価値はありませんよ」

「ワシもおぬしももう死んでおるのじゃ、ひゃはっはーっ」

「あっ、そうですね」相変わらずバカバカしい会話だ。

「権左衛門サン、元気になったみたいデス。長谷川サン、ありがとうございました。それから急に呼び出してスミマセンデシタ」俺の右手にジャスミンの冷たくて柔らかい両手の感触があった。

「ワタシ、今日は二時までのお勤めデス。それまでに権左衛門サンの死んだトキのことや幽霊になったトキのことを訊いてミマス」ジャスミンの両手に少し力がこもり、そして手が離れた。彼女はドアを開けて店の方へもどって行った。

 俺は不器用な自分の両手をじっと見ていた。そこにはジャスミンの手の冷たいけど爽やかな感触が残っていた。


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