柳生権左衛門は幽霊になってもエッチだった
ジャスミンが霊を見ることができるようになった四日後の二十二時四十五分、俺が店に入るとイートインスペースが騒がしい。
「ハセガワサン、メズラシイお客さんが来てマスヨ。ちょっとボク、ジャスミンチャンが心配だからミンナのところにイキマスネ」ジョージは俺の返事も聞かずに一瞬の間にレジを離れた。呆れた俺はレジからイートインスペースを覗くと、いつものようにヨーコ、坂下、そしてジョージの能天気三人組がいる。それからジャスミと柴丸と・・・・・・んん? 初めて見る小柄な老人がいる。その爺さんはクリーム色のパジャマ姿で、体全体が透けて見えるので幽霊だ。膝から下は形が曖昧だし。
ジャスミンは俺に気づくと、ジョージたちにひとこと言って急いで俺の方にやって来た。
「お疲れ様デス、長谷川サン・・・」ジャスミンは安心したように言った。
「お疲れ様、ジャスミさん。どうしたの?」いくら鈍い俺でもいつも明るいジャスミンが困っていることは、その声の響きで分かるのだ。
「あの、相談したいコトがあります。長谷川サン、スミマセンが時間をつくってくれませんか?」
「幽霊関係のことかな?」
「アッ、ハイ」ジャスミンはコクンと頷いて俺を見つめた。俺は彼女の視線を受け止めて、早急に時間をつくった方がいいと判断した。
「じゃあ、今日の、いや明日の午前二時とかどうかな? その時間はこの店もお客さんはほとんど来ないし。あっ、でもジャスミンさん、施設の仕事に差し支えるかな?」優しいジャスミンは昼間、老人介護施設で働いている。
「いえ、大丈夫デス。明日は施設のお仕事はお休みデス」ジャスミンの顔はパァーと明るくなり美しさも増した。んん・・・?
「それじゃあ、私、ひとまずアガリマス。長谷川サン、お疲れ様デシタ」頑張り屋の同僚は俺にペコリと頭を下げ、イートインスペースに軽く手を振った。
「ワーッ、ジャスミンチャン、お帰りデスカ?」また瞬間移動したようにジョージがジャスミンの傍に来た。こいつは超能力者か?
「ハセガワサン、ジャスミンチャン、アノことで困ってますよ」ジョージが珍しくヒソヒソと話してきた。こいつは好きな女性のこととなると異常に勘がいいのだ。
「ああ、だからジャスミンさんは二時くらいにまたここに来て俺と相談するんだ。ジョージ、お前も相談に加われよ」俺も何故かヒソヒソ声になっている。
「イエス、イエス、もちろんデース。ジャスミンチャン、この不愛想なハセガワサンでも幽霊のことだけは頼りにナリマスカラ」失礼な評価だな・・・当たってるけど。
「じゃあ、また来マス」ジャスミンもヒソヒソ声でそう言い店を出て行った。
「ジャスミンチャンのヒソヒソ声は可愛いデスネーッ。ソーセクシィ! ハセガワサンのヒソヒソ声は悪だくみをシテイル悪い人みたいデス」うるさいな! そもそも悪だくみしている人間は悪人だろ。俺はキッとジョージを睨んだが、こいつはヘラヘラしながらジャスミンが出て行った方を見ている。
「おい、ジョージ。それよりもまだお客さんが来るんだから、ちゃんとレジに入れよ」
「オーッ、分かりました。ヨーコチャンが淋しがるけど、僕はプロフェッショナルなのでオシゴトに頑張りマース」プロフェッショナル? お前は何のプロフェッショナルだ。エッチな妄想をしてヘラヘラ笑うプロフェッショナルか、と言いそうになったが、不毛の会話になりそうなので俺はその言葉を飲み込んだ。
「ところでジョージ、なぜジャスミンさんは困っているんだ? あの爺さん幽霊と関係あるのか」
「オー! ハセガワサン、今日はメズラシク冴えてマスネーッ」
「うるさいな。俺はいつもお前みたいにヘラヘラ笑ってないぞ。それよりもジャスミンさんとあの爺さん幽霊はどういう関係だ?」
「ハイハイ、ソウ急かさないでクダサイヨ。急いては事を仕損じるデショ」ジョージ、お前は急かさないと仕事しないだろ。それにすぐ脱線するし。
「アノお爺さんハ柳生権左衛門トイウ名前デス。強いお侍サンみたいデショ」うーん、柳生は強そうだけど、権左衛門はそうでもないような・・・。俺の偏見だろうか?
「ハセガワサン、新米幽霊の権左衛門サンはジャスミンチャンがハタライテいる施設に居たんデスゥ」ジョージはまた声をひそめて言った。
「エッ、あの爺さんはジャスミンさんが勤めている老人介護施設の入所者か」俺も何故か声をひそめて言った。
「ソーです。権左衛門サンは三日前にナクナッタとジャスミンチャンは言ってマシタ」
「ふーん」俺は少しの間、考え込んでしまった。この店には幽霊がよく来るけど、老人の幽霊はほとんど姿を現さない。俺が思うには老人は死ぬことの覚悟があるので幽霊にはならないのではないか。どうなのかなぁ?
「ハセガワサン、やっぱりお年寄りのユーレイは珍しいデスヨネー」ジョージはまだヒソヒソ声で話している。その時、入口の自動ドアが開き灰色のスーツを着た男が入って来た。
「いらっしゃいませ」俺は声をひそめて挨拶してしまった。入って来たスーツ男は俺をチラッと見て奥の方へ行ってしまった。
「グフフフーッ。ハセガワサン、ソンナ小さな声でアイサツしたらダメですよ」ジョージは笑いをかみ殺しながら言った。
「グッ・・・・・・」俺は他人の口調に影響しやすいのだ。
「ジョージ、ジャスミンさんは自分が知っている人が幽霊になって、この店に現れたから動揺したのか?」俺は平静を装いつつ訊いた。
「ソレもありマス。権左衛門サンが亡くなってからユーレイが見えるようにナツタとイッテマシタカラ。ボクタチの努力がそのトキ、花開いたのデス。霊的カクセーですネ」
「ふーん、奇妙な偶然だな」ジョージ達の低劣な働きかけはジャスミンには関係ないと思うが、俺の胸の奥に何か不快なものが引っかかっている感じがした。
「ビール二つとバターピーナツ一つデスネ?」ジョージが灰色のスーツ男の持ってきた商品をレジ台で確認している。灰色のスーツ男は黙ったまま支払いパネルを捜査して現金を投入口に入れた。
「アリガトーゴザイマシタ―ッ」
「ありがとうございました」俺はそのスーツ男が出て行くのを何気なく見送った。
「ハセガワサン、権左衛門サンはジャスミンチャンのコトが大好きだったミタイデスヨ」
「まあ、ジャスミンさんは優しいし可愛いから施設でも人気があるだろうな」
「ソーデスネーッ。でもジャスミンさんハ権衛門サンがユーレイになったコトよりも違うコトで悩んでいるミタイデス」
入口の自動ドアが開き若い男女のカップルが入って来た。阪神タイガースの帽子を被った坊主頭の小太りの男がアイスコーヒーを二杯注文した。俺は紙コップを二個その男の子に渡すと、彼はパネルで清算した。そのカップルはイートインスペースに移動して窓際のカウンター席に座った。ポニーテールの女の子の黄色いミニスカートから健康的な小麦色の太腿が露わになった。すると爺さん幽霊は嬉しそうに彼女に近づきスカートの奥を覗き込もうとした。
「ヤダーァー、権左衛門さんのエッチ―!」ヨーコの黄色い声が聞こえた。坂下が慌てて権左衛門を女の子の傍から引き離した。
「またヘンテコな幽霊が来たな・・・」俺は脱力してしまった。
「ホントですネー。ユーレイになってもエッチナコトするとは情けないデスヨ」ジョージはそう言いながらヘラヘラ笑っている。お前も幽霊になると絶対に権左衛門と同じことをするだろ!
「ところでジョージ、ジャスミンさんは何を悩んでいるんだ? あの権左衛門が生きているときに彼女にセクハラとかストーカーみたいなことをしていて、幽霊になってもつきまとわれると心配になったとか?」
「ソンナコト言ってないデスヨ、ジャスミンチャンは。それにユーレイになって女の子のパンツ見ただけでヘンタイ扱いしたら、権左衛門サンがカワイソウデショ」十分変態だろ! 権左衛門とジョージは変態同士だから気が合うのか。
「ジャスミンチャンは権左衛門サンが急に亡くなったコトをフシンニ思っているのデス。権左衛門サンがヨーコチャンと夢中でハナシているトキ、ジャスミンチャンがその場をハナレテ、ボクダケニこっそりとオシエテクレマシタ。グフフフッ」
「確かにさっきしたことを見ると、権左衛門は元気そうだな」
「ハセガワサン、ヤケニ女の子のパンツを見ることにこだわりマスネーッ」
「違う!」俺は隣のレジのアホなアメリカ人を睨んだが、百九十センチの巨体はまたもヘラヘラと笑っている。
「お兄様は生殖器だけでなく女性の下着にもとても興味があるのですね」またややこしい奴が俺とジョージの間に現れた。それから何度も言うが、俺は血は繋がってないけど美月の兄であって、坂下お前の兄では断じてない。
「ジャスミンさんは権左衛門さんのことで何か悩んでいるのでしょう?」坂下は異常なナルシストだけど、意外と頭が切れる。
「坂下クン、コッチに来ていいのデスカ?」
「権左衛門さんはヨーコさんの巨乳に夢中です! ボインボイン」坂下は胸に手を当てて腰を振った。
「ナルホドーッ、デヘヘ、ブルンブルン」ジョージも逞しい胸に当てた両手をブルブル震わせた。チーム・ジョージのメンバーは真面目な話ができないのか? 俺は美月に言われたことを思い出しながら深呼吸を数回した。(お兄ちゃん、ジョージさんたちが少し困ったことをしたら、怒る前に数回深呼吸したらいいよ。それにジョージさんたちはお兄ちゃんのことが好きだからそんなことをするんじゃないかな?)俺はやや落ち着いて腰振り幽霊に言ってやった。
「ジャスミンさんは権左衛門が急に亡くなったことを不審に思っているんだ」
「ヘェー・・・」坂下は真顔になった。こいつもヨーコと同じく北山大悟に操られて殺されたが、意外と精神的にタフなので人間の死に関する話も大丈夫なのだ。
「坂下クン、ジャスミンチャンが午前二時ころにまたココに来て僕タチとお話シマス。その時、権左衛門サンがいない方が良いとオモイマス」
「分かりました。大丈夫です。権左衛門さんはもう疲れています。帰って眠るでしょう。彼は八十八歳ですから」老人は幽霊でも体力がないのか?
「ワオ! 八十八歳でも女の子のパンツに興味アルノデスネーッ」変なところで喜ぶ奴だな、ジョージは。
坂下の言うとおり柳生権左衛門は午前零時過ぎると帰って行った。ヨーコは権左衛門が高齢なので? 「心配だ、ワン」と言って、彼の休むべき場所まで柴丸と一緒について行った。