美月との朝食、そして七海さんからの電話
「お兄ちゃん、本当に体は大丈夫? どこか痛くない?」美月は俺に二杯目のモーニングコーヒーを入れながら、心配そうに訊いた。
「ああ、前みたいに吹っ飛ばされたりしなかったし、化け虎になった権左衛門に少し掴まれただけだからな」俺は妹の真っ直ぐな視線を少しだけ躱しながら黒いコーヒーカップに唇をつけた。
「本当かなぁ?」
「ああ、大丈夫だ・・・」俺は昨夜起こった事件を大まかに美月に話した。美月は何も言わずに静かに俺の話を聞いてくれた。
「そう、だったら良かった」美月はそう言うと優しく微笑んだ。
昨夜のドタバタ劇は怖いことも不思議なことも沢山あり過ぎた。小心者でビビりの俺は心身ともに疲れ果てて家に帰って来た。俺の良くない状態を勘の良い妹はすぐに気づいたはずだ。だけど美月はいつもと同じように朝食を準備して、いつもと同じように二人でトーストを齧りサラダを食べホットコーヒーを飲んだ。そうしているうちに俺の疲れた心と体は軽くなり頭の中にかかっていた靄も晴れていた。するとなぜか俺は昨夜のことを思い出し始めた。
あの狂暴な灰虎との戦いが終わった後、袴田さんは俺たちに権左衛門について話してくれた。
「柳生権左衛門の経歴は不思議なのです。大学の教授をしたこともあるし占い師や新興宗教の教祖、そして不動産会社の経営をしたことがあるのです。彼の就いた仕事は十以上あります」
「権左衛門ハ口だけニンゲンデスカラネーッ。イイカゲンなコトヲシテ、すぐダメ二ナッテ転職シタノデショウ」ジョージの未来みたいだな。
「権チャンはエッチなことをして仕事が長続きしなかったんだ、ワン!」そうかもしれない。
「でも大学教授もしていたのでしょう? 彼は何を教えていたのでしょうか?」坂下は時折真面目になる。
「どうも日本の宗教史を教えていたみたいです。それから彼は転職を繰り返していましたが、実は全ての仕事が上手くいっていたようです。新興宗教の会員も多くて不動産会社も儲かっていました。意外に思われるかもしれませんが、彼は成功者なのです」袴田刑事も不思議そうに答えた。
「アノ・・・私が権左衛門さんから聞いた話では家は貧乏で学校もマトモに行けなかったと言っていました。仕事を変わったのは職場で虐められて長続きしなかったからだと淋しそうに言っていました。その日暮らしの生活でホームレスの期間も長かったと・・・」ジャスミンは自信なさそうに言った。権左衛門のここでやっていた数々のコトはジャスミンが話したことの方が信じられるけど。
「ただ一つハッキリしていることは、柳生権左衛門は北山大悟と古くから繋がりがあったことです。柳生権左衛門は北山大悟のゼミナールの参加者でもあります」俺たちは霊感刑事の言葉に少しの間、「ウーン」と考え込んでしまった。
しばらくして「ハッ」と気づいた坂下が俺に訊いた。
「ところでお兄様が手にした妖刀『黒蛇』は、どうしてあんなに美しい銀色の光を放ったのでしょうか? ヨーコさんやジョージさんから聞いたところによると不気味なナイフだったんでしょう」権左衛門のことはもういいのか、坂下?
「そうだ、ニャン! そのヨートーがあたしを切ったときはヘンテコな黒―い煙を出してた、ニャン。そしてあたしを操ったのに・・・。変だワン」
「ウーン、ソレハアノ妖刀『黒蛇』ガ純真なヨーコチャンや聖職者タルボクノ神聖な血ヲスッテ聖剣『黒蛇』二ウマレカワッタノダト思いマスヨ」
「なるほど」
「ソウだ、ワンワン」絶対違うと思う。袴田さんも首を捻っているし。
「お兄ちゃん、どうしたの? 難しい顔をして」美月の銀色の瞳が目の前にあることに気づき俺は動揺し昨夜の回想は途切れた。それから美しい妹の顔を見ているとあることに思い当たった。袴田刑事に権左衛門のことを調べてほしいと依頼したのは美月だったのではないかと。
そして推理の天才でもある美月は今回の事件のことも全て分かっていたのではないか? だから俺は無事にここに居るのかもしれない。
「美月・・・、美月は権左衛門がこの不可解な事件の犯人だと分かっていたのか?」
「フフフッ、さあどうかなぁ」ミステリアスな妹は悪戯っぽく笑った。そしていつものように俺をギュッと抱きしめた。
午後四時過ぎ、俺は軽い昼食をとってコーヒーを飲んでいた。俺のスマートフォンが震えながら着信音を響かせた。スマートフォンの画面には「七海」の文字があった。
「ウェーイ、雲海ちゃん、元気ィ?」また酔っ払っている・・・。
「七海さん、ご機嫌ですね。でもまだ昼の四時ですよ」
「よじーっ? うーん・・・私もぉこの時間は素面でいようと思ったんだぁーっ。でもぉ、懐かしいお友達とぉ、ぐーぜん会っちゃったからぁ、コレは酒でも飲まんとイカン!
と思ったわけでありんす」何言ってんの、このヒト?
「はあ、そうですか。ところで七海さん、今日はライブの仕事はないのですか?」
「ない! 今日は仕事はオフ! オフオフオフーッ。雲海くん、君と同じだぁ」なぜ俺の休日を知っている?
「じゃあ、良かったです。安心してお酒を飲めますね」
「ウム、そういうコトだ。まぁー、私くらいに成ぁると一、二杯引っかけてステージに上がるほうがいいがにゃー」
「確かに」
「それんでぇ、雲海くーん。今回もーっ、幽霊のお化けの事件があったんだってぇ、ぐぐふぅ、そりゃあ大変だにゃあ」
「そうですよ。もういい加減にしてほしいですけど・・・」
「まぁー、諦めろ雲海少年! 君は幽霊の救世主だからにゃー。ンン? 幽霊界のアイドルかもぅ。大丈夫、私の美月がついておるのでぇー、だいじょーぶだぁ」相変わらずの七海節だ。
「そうですか・・・」
「ところでぇ、雲海ちゃんは幽霊以外でもモテるんじゃなーいのかニャ?」親子そろって酔うと猫語になるのか?
「えーっと、そうですね。昔から蛇とかカラスとか狐とかヒキガエルとかには付きまとわれた記憶があります」
「ナーハハハ―ッ、ヒック。蛇とかヒキガエルとかに好かれとったんかにゃー。面白いのうー。パチパチパチパチ」拍手してんの?
「雲海クン、動物に好かれてる話じゃないじょー。人間の女の子から好かれているってハナシなの! 美月以外にィーッ」
「女の子から好かれる? 今ですか」
「うん、そーだ、今だぁ。誰かから好きって言われていにゃいかニャ」確かに美月は俺を好いてくれてる。だけど血が繋がってなくても妹だし。早川さんは北山大悟が嘘ついてたと思うし。ジャスミン・・・・・・? ムムムッ、ジャスミンの笑顔が浮かぶ。アッ! 美月の微笑みも浮かんできた。
「うーん・・・」返答不能である。
「フフフッ、ヒック。雲海ちゃん、青年は恋をしなちゃい! そして悩みなちゃい。美月もいい経験じゃー」
「エッ?」
「雲海ちゃん、私はぁ、ほんに、いろんな経験をしてでちゅなぁ、ナントカ大人になったでちゅ」大人になったわりには赤ちゃん言葉だけど・・・。
「そしてぇ、今はァ、すんばらしい相手に巡り逢ったのだ!」あのオトボケ親父がそうなのか?
「はあ」
「まあ、君の想いのままに進むがよろしいーっ。ンン? 何か大事なコトを忘れているような気がするじょ。エッ! 今日夕方からライブだった? あーっ、だからアンタに会ったのねェーッ。ヒック、雲海ちゃん、またねーっ」プツッと通話は切れた。何なん、この人?
だけど俺は七海さんの声を聞くと、世の中は何とかなるんじゃないかなぁといつも感じるのだ。何故だか、よく分からないけど。