権左衛門が妖刀『灰虎』の術者だったのだ、ニャン!
「桃子婆ちゃん、やっぱり悲しいのか、ワン?」ヨーコはイートインスペースでメソメソ泣いている林桃子という新米幽霊を慰めている。ヨーコの足元には心配そうな顔をした柴丸がいる。
水曜日の午後十時過ぎに権左衛門がイートインスペースに現れた後、桃子婆さん幽霊がぼんやりと空間から浮き出たとジャスミンが俺に告げた。
「長谷川さん、私も桃子サンのところに行って、お話をした方がいいのでしょうカ?」ジャスミンは辛そうに俺を見つめている。
「うーん・・・、今ジャスミンさんは行かない方がいいと思うよ」
「オー、ソーデスネ。ユーレイに成りたてのアノオバーサンハ、ヨーコチャンがオハナシスル方がオチツクト思いマス。同じユーレイダカラネ。ムム、ハセガワサン、珍しくマトモなコトヲ言ったケド、ドーシタノデスカ?」ジョージの奴、真剣に驚いている。失礼な奴だ。
「何が、どーしたのですか? だ。俺はいつもマトモだぞ」
「ハセガワサン、ジャスミンチャンの前デハ、良いカッコシテマスネ」
「それはお前だろ!」
「エーッ、ボクハ、イツモ自然体デスヨ。ネェ、ジャスミンチャン」
「フフフッ」ジャスミンは目を落として微笑んでいる。ジャスミンの視線の先にはニャン太郎が座っていた。
「お兄様、ジョージさん、少しの間ここにいていいですか?」ナルシー坂下がレジの後ろに現れた。
「オー、坂下クン、ドーシタノデスカ?」
「ジョージさん、あの桃子お婆さんはなかなか大変ですよ」
「ナニガ大変ナノカナ?」
「愚痴というか不満というか後悔というか他人の悪口というか、そんなことばかり話すのです。それに毒が凄いです」女性には優しい坂下が疲れている。
「マア、イロイロ未練がアルカラ幽霊二ナッタンデショ。デモフックラシテ愛嬌アル顔ジャナイデスカ」ジョージはお婆さん幽霊でもチェックしている。
「ジャスミンさん、あのお婆さんとは仲が良かったんでしょう。施設ではどんな話をしてたのかな」俺は坂下の言葉が気になった。
「そうですね。ウーン・・・自分は一人ぼっちで淋しいってよく言ってマシタ。だから早く死にたいと言ってマシタ。それから家族に恵まれないとか、良い男性に出会えなかったとか。あと食事が不味いとかお酒を飲みたいとかデス・・・」
「ウーン、ソウデスカ・・・」珍しくジョージがジャスミンの言ったことに納得していない。
「何だよジョージ、そのスッキリしない変な顔は」
「オー、変なカオトハ酷いデスネーッ。コノ表情ハ憂いヲフクンダオトナの顔デスヨ、ネーッ坂下クン」
「ウー、マンダム」坂下は右手で顎を触りながら渋い表情をつくった。するとジョージも同じ動作をして「男のセカイ」と応えると二人して手を叩いて喜んでいる。こいつら何やってんだ?
「ジョージ、真面目に答えろよ!」
「マアマア、イイジャナイデスカ。ハセガワサン、ソンナニ怒ったらジャスミンチャン二嫌われマスヨ」
「グッ」俺はジャスミンをチラッと見ると何故か彼女はニコニコ笑っている。
「ハセガワサン、アノオバーサン幽霊ノ桃子サンハ、早くシニタイッテイッテタデショ。ソレナノニ未練ガマシク幽霊二ナルナンテ、オカシイジャナイデスカ」
「早く死にたいって言っても、人間そんな単純なものじゃないだろ。ねえジャスミンさん」
「アッ、ハイ。桃子サンは旅行に行きたいとか、素敵なボーイフレンドとデートがしたいとか、やりたいことも沢山ありマシタ」
「フーン、桃子サンハ一貫性ガナイデスネェ」そりゃお前だろ。
「マアイイデス」もういいのか?
「ソレカラ、ハセガワサン。コノ二週間デ、三井ハルサン。武吉サン、そして桃子サンと亡くなってユーレイ二ナッテ、コノお店二クルナンテ異常デスヨ」
「ジョージさん、権左衛門さんもそうですよ」
「アッ、ワスレテマシタ」やっぱりジョージも権左衛門に対しては扱いが雑だな。
「アノ・・・、私の勤めている施設では、ちょっと前のウイルス感染でかなりの人が亡くなりマシタ」ジャスミンの声は俺の胸に沁みる。
「アーッ、ソウデシタカ。ウーン・・・、ハセガワサン。アノウイルスガ大流行シタトキ、老人ユーレイハコノお店二キマシタカ?」
「いや、その時期は俺も覚えているけど、今回みたいに老人幽霊は現れなかったな」
「デショーッ。ヤッパリコンカイノ事件はアヤシイカタナがヒキオコシタモノデスヨ。ホラ北山大悟ガ妖刀『黒蛇』デヘビのバケモノ二ナッタトキト似てるデショ。三井ハルサンモ武吉サンモ化け猫二変化シタデショウ」
「確かに北山大悟は妖刀のおかげでトカゲみたいな蛇みたいな黒いバケモノに変化しましたね」北山大悟の幽体がおぞましいバケモノに変化したことをジョージも坂下も平気で話している。そのおぞましい幽体が俺に憑依しようとした感覚を俺は思い出し、背筋に悪寒が走った。ジャスミンの心配そうな視線を感じる。
「ダトシタラ、桃子サンもお化け猫になってしまうのでしょうか?」ジャスミンは悲しそうに俺を見た。確かに今までの流れだとその可能性が高い。
「うーん・・・」こういう時、俺は機転が利かないのだ。
「アーッ、ジャスミンチャン。大丈夫でデスヨ。タトエ化け猫二ナッテモ、チャントあの世二イッテ、桃子お婆さんは楽しくクラセマスヨ、ネッ坂下クン」そうなのか?
「エッ、そうでしょうか? 僕は幽霊だけど、あんな化け猫になったら地獄に落ちちゃいそうな気がしますよ」また坂下はデリカシーのないことを言う!
「ホー、ナルホドーッ、タシカニ」ジョージも納得するな! 俺がアホコンビに文句を言おうとした時だった。
「もーっ、権ちゃんはそんなこと言わないのだ、ワンワン! 桃子婆ちゃんが可哀そうだ、ワン!」ヨーコが丸い頬を赤く染めて怒っている。
「ヒヒヒーッ、ワシはホントのことを言っているだけじゃ」権左衛門はヨーコと桃子婆さん幽霊の周囲をフラフラと飛び回っている。
「アッ、そう言えば、権左衛門さんがハルさんや武吉さんを挑発した後に二人が怒って化け猫に変化したのでは?」坂下はまれに鋭いことを言う。
「ジャア、権左衛門サンヲトメナケレバ!」俺たちが数秒後イートインスペースに着いたとき、桃子婆さん幽霊の髪は逆立っていた。既に彼女の丸い頬から灰色の硬い髭が生え、口が耳元まで裂けてしまっていた。そして黄色い犬歯が伸び、小さな瞳も灰色の強い光を放っている。
「遅かったですか・・・」そう呟いた坂下はヨーコと、変化しつつある桃子婆さん幽霊から距離をとって浮遊していた。
「ヒャヒャヒャー、化け猫三匹目じゃ」権左衛門はヨーコの隣で嬉しそうに桃子婆さん幽霊の変化を見ている。
「権チャンはどーして新米ユーレイさんを怒らすのだ、ワンワン!」ヨーコは怒りで蒼さを増した瞳で権左衛門を睨んだ。
「ヒャヒャヒャー、ヨーコちゃんは怒っても可愛いのう。あいつらと大違いじゃ」
「ソー言うことじゃないんだ、ワン。アッ!」ヨーコの視線の先には全身から灰色の炎を吹き出しているぽっちゃりした化け猫の姿があった。
「化け猫に変化した馬鹿どもは、みんな自分の中に激しいネジくれた憎しみを持っておったんじゃ。勝手に自分を不幸と思い込み、その原因を全部他人のせいにしてのぉ。あの武吉も武術でいったいどれくらいの人間を虐めたか。ヒャヒャヒャー、己の悪行が全部自分自身に跳ね返ってくることさえ分からんアホばかりじゃ、ヒヒヒーッ。ヨーコちゃん、あ奴らは自分自身に呪いをかけとったんじぁぞ」
「じゃあ、権チャンはわざとハル婆ちゃんたちを怒らせたのか、ワン? 呪いで化け猫にさせるために嫌なコトを言ったのか、ニャン?」おおっ! ヨーコが論理的な話をしてる。初めて聞いたぞ。
「ヒャー、それはどうかのぉ」権左衛門は灰色の歯を剥きだし小さな目を最大限見開いて仁王のような表情になった。すると桃子婆さん化け猫の灰色の炎が大きく渦巻いて火柱のようになった。その火柱が天井に届く瞬間、化け猫にもどり、いきなり俺に向かって襲いかかってきた。
「長谷川さん!」ジャスミンが叫んだ。俺は反射的に顔の前に左腕を上げた。
「グッ」左腕前腕に桃子婆さん化け猫の牙が食い込んでいた。冷たくて熱いような鈍く重い痛みが左腕から全身に駆け巡った。
「ハセガワサン!」
「お兄様!」ジョージも坂下もビックリしている。
「ヒャヒャヒャー、やっぱりその兄ちゃんは幽霊の世界にも属しているんじゃなぁ。面白い男じゃ、ありゃ?」
「ハセガワサン、ソノ化け猫ノ牙ハ皮膚ヲ喰い破ッテイマセンヨ。ハセガワサンノ皮膚はブアツイデスネーッ」ジョージ、感心している場合か!
「坂下、どうにかしてくれ」
「僕は猫が苦手ですー」いつの間にか坂下はヨーコの隣に逃げている。ヨーコも獰猛な化け猫の姿に怯えているし・・・。そんな中ジョージは何とか桃子化け猫に接しようとするが、奴の手は化け猫の体をすり抜けてしまう。
「ううっ」俺の左腕を噛んでいる化け猫の力が増しているのか、骨がギシギシきしんでひび割れるような痛みがひどくなった。それに化け猫の息が瘴気を含んでいて吐き気を催してきた。
「長谷川さん、大丈夫ですか!」ジャスミンは「ハア」と息を吸い込むと俺の噛まれているところを両手で包んでくれた。彼女はいくら化け猫に接しなくても、獰猛な唸り声や瘴気を含んだ息は感じているはずだ。
「ジャスミンさん・・・・・・、ありがとう」俺は痛みと恐怖と吐き気で気を失いそうになりながら、何とかそれだけは言うことができた。
「長谷川さん・・・ウウッ」ジャスミンは桃子化け猫が噛んでいるところを両手に全ての意識を集中しているように見えた。すると徐々に噛まれている痛みが薄らいできた。そして彼女の両手がいきなり赤い光を放った。その赤い閃光を受け桃子化け猫は「ギャー!」と叫びながら入口近くのレジの天井まで飛び跳ねた。
「バウバウ!」柴丸が激しく吠えたてた。桃子化け猫の隣に権左衛門が現れた。
「ほう―っ、その冴えない兄ちゃんは何かに守られておるのおぅ」権左衛門はニタニタ笑いながら右の尻に右手を当てた。「ブーン」という細かな振動音と共に灰色の小刀が浮き出てきた。俺が『黒蛇』の霊体を現出させた同じ技か?
「ヒャヒャヒャー、これが霊剣『灰虎』じゃ。今夜も『灰虎』に美味しい食事をさせてもらおうかのぉ」
権左衛門は妖刀『灰虎』を右手で垂直に掲げた。すると隣にいた桃子化け猫が苦しそうに身もだえし始め、全身から出ている灰色の炎が妖刀『灰虎』に吸い寄せられた。
「グエーッ、体が引きちぎられるーぅ、ガァー! ギャー! 権左衛門―っ、やめろーっ」灰色の炎に包まれた桃子化け猫が部屋を震わすほどの断末魔の叫びを上げた。その体は縮みながら妖刀『灰虎』の剣先に吸い込まれていった。
「ヒヒヒーッ、『灰虎』はまた力を増したのう、ほらこの小柄のところに虎がクッキリと出てきたじゃろ」権左衛門は刀を持つところ(小柄というのか?)を俺たちに見せびらかした。そこには口を開けて牙を剥き出した凶悪な虎の顔があった。
俺はその小刀を見て、先ほど桃子化け猫に噛まれたところの痛みがぶり返してきた。せっかくジャスミンが癒しの手で俺の噛まれた左腕を優しく介抱してくれているのに・・・。
「じゃあ、権チャンがその変なカタナでみんなを殺したのか、ウー、ワンワン」ヨーコは怒りで顔が真っ赤だ。
「ヨーコちゃん、この『灰虎』の物質界の持ち主は西田夕子じゃ。ヒャヒャヒャー、それからジャスミンちゃん、お主は西田夕子の性格がとんでもなく歪んでいることに気がついとったじゃろぅ。ヒヒヒーッ、あの女はええカッコしとるが、この『灰虎』が選んだほどのとんでもない偽善者じゃ」
「夕子サンは介護施設デモホームレスノ人たちノボランティアデモ、人ヲタスケルタメニ頑張ってイマスヨ!」ジョージはカチンときたみたいだ。
「ヒヒッヒー、ジョージ・アブラハムは見てくれのいい姉ちゃんに弱いのう。どうせ、あの女のピチッとしたスーツ姿に参ったのじゃろう?」
「ググッ」ジョージは口ごもった。当たってるからな。
「ジョージ・アブラハムよ。あの西田夕子はやっていることと全く反対のことを思いながら生きながらえているぞ。化け猫に変化した老人や殺されたホームレスを助けてはいたが、心の底ではこいつら早く死んでしまえと願っていたんじゃぞ。ヒャヒャヒャー、あやつは妬みや憎しみで毒を吐くことしかできん馬鹿者を、殺したくて仕方がなかった傲慢な変態女じゃ。だからワシがあの女の代わりに霊剣『灰虎』でゴミみたいな輩を慈悲深く昇天させてあげたのじゃ。ワシのやっていることはこの穢れた世界をキレイに掃除していることなのじゃよ」
「それって北山大悟と同じ言い分じゃないですか!」坂下もビビりながら怒っている。
「フフーン、まあ大悟の言うてることは一理あるがなぁ。この物質界を救うにはワシのような霊性の高い人物が必要じゃからのう。じゃが、あいつは『黒蛇』を扱う力がなかった未熟者じゃ。自分の眼を差し出して『黒蛇』の術者になるなど、考えが甘いわ! ワシのように力のある霊性の高い人間が命を差し出せないと霊剣は扱えないのじゃ! まあワシも『灰虎』の毒がまわってしんどかったがのう。そこの冴えない兄ちゃんが助けてくれて、ワシはピンときたんじゃ。その地味顔の兄ちゃんを喰らえば、ワシが世界の帝王いや永遠の救世主となることが出来るとな」俺は権左衛門を治療したことを激しく後悔した。だけど権左衛門は何を言ってるんだ?
「ヒヒヒッ、ワシを心底嫌っておる西田夕子が『灰虎』の本体を持っていると分かったときに気づいたんじゃ。霊剣『灰虎』の本当の術者はワシだということに。『灰虎』はワシに全てを差し出せばお前のものとなろうと言ったのじゃ」この爺さんもやはり北山大悟と同じで、アタマのネジが外れているな。
「それで西田夕子さんを操って、自分のお尻に『灰虎』で傷をつけさせたのですね」ナルシー坂下はビビっているわりに頭がマトモに働く。だけど、自分の尻に妖刀で×印をつけるのはやはり変態だな、権左衛門は。
「ワシくらいの霊能力者だと、西田夕子ごときの憎しみを利用することは簡単じゃ。まあここまでワシの話を聞いたからにはお礼がほしいのう。おぬしらはワシの邪魔をしそうなので、ヨーコちゃんを残して死んでもらおうかのう」二人と二匹は既に死んでるぞ。
「エーッ、権チャン、あたしがナイスバディで権チャンがメロメロなのは分かるけどぅ、それはひどいニャン」ヨーコの能天気さもひどい。
「ヒッヒッヒッ、ヨーコちゃんの魅力はそれだけではないんじゃ! まあ今はその地味顔の兄ちゃんを最初に片付けなければな」権左衛門はそう言うと皺々の口を大きく開けて『灰虎』を飲み込んだ。すると俺たちが予想した通り権左衛門の顔は猫に変化した・・・、いや猫ではなく獰猛で凶悪な虎だった。体も急にデカくなり体長は三メートル以上ありそうだ。ヒーッ怖っ! その巨大な虎は灰色の炎を纏いながら俺を睨めつけた。
「ハセガワサン、権左衛門サンヲイジメタノデスカ?」ジョージ、そんな問題じゃないだろ。
「ガルルーッ!」腹の底に響くような唸り声と共に権左衛門が変化した灰虎は、信じられない速さで俺に襲いかかった。俺は恐怖のため体が硬直して動けない。灰虎の前足は俺の肩をがっちりと掴んで大きな顔が俺の目の前にあった。痛っ! 重っ! その顔は俺をどう料理しようか思案しているのか舌なめずりしている。止めてくれ―っ! 灰虎の圧倒的迫力は北山大悟が変化したヘンテコなトカゲ蛇お化けと全然違う。俺はその迫力にビビッて体が一ミリも動かない。だけど口だけは池の鯉のようにパクパク動いている。
「グァー!」灰虎が俺の顔を食いちぎろうとした瞬間、ジャスミンが俺に覆いかぶさった。すると彼女の体から先ほどよりも更に強い赤い光が放たれた。「グアッ」灰虎がその赤い光に気圧された瞬間「シャー」という呼気と共にジョージの左回し蹴りが灰虎の胴体に飛んできた。ジョージの左足は灰虎の腹を抉ると「ドンッ!」という黄金の衝撃波が周囲の空気を激しく震わせた。
「ググッ」灰虎はまた唸ると俺の体から離れ、俺が担当しているレジの上の空間に浮かんだ。
「ハセガワサン、ボクノキック、手応えガアリマシタ! ナントカナルかもシレマセン」見るとジョージの両足から金色のオーラが陽炎のようにユラユラと立ち昇っている。
「ほうー、やっぱりその冴えない兄ちゃんの周りには守る奴がおるのう。ヒヒヒーッ、おまけに霊性が覚醒しよるし。ジャスミンちゃんもジョージ・アブラハムもこっちの世界に半分足を突っ込んできたんじゃな。ヒヒヒーッ、それじゃあワシも本気を出さにゃーいけんのう、ヒャヒャヒャー」虎顔なのに喋れるのか?
「ハセガワサン、アノ虎シャベッテマスヨ」ジョージもそう思ったのか。
「権チャン、止めるんだ、ワン。そんなことしたら地獄に落ちるんだ、ワン」
「ヒヒヒーッ、ヨーコちゃんがいればワシは地獄に落ちんのじゃ」どういう意味だ?
「そろそろ冴えない兄ちゃんの美味しい魂を頂こうかのぉ」
灰虎の凶悪な容姿に不似合いな権左衛門の声が途切れると一瞬静寂が訪れた。そして灰虎の眼が紅く光ると体を纏っている灰色の炎が渦を巻き膨れ上がった。「グググッ」という唸り声で空気が振動しているように感じる。
「ジャスミンチャン、ハセガワサン、気を付けてクダサイ」ジョージがこれまでに見せたことのない真剣な表情を浮かべた。
「キャンキャンキャン!」柴丸が叫んだ。
その瞬間、灰虎が俺の目の前に現れた。ジャスミンが紅い光を発しながら俺を抱きしめた。「バオッ」灰虎の渦巻く灰色の炎が赤い光を跳ね返し太い左前足でジャスミンを薙ぎ払った。小柄なジャスミンは俺から五メートル吹っ飛んで床に打ちつけられ気を失ってしまった。俺はあっけにとられて横たわっているジャスミンを見ることしかできない。
次の瞬間「ホッ!」という呼気とともに黄金のオーラに包まれたジョージの左足が灰虎の顔面に飛んできた。灰虎をもノックアウトするような暴風のような左回し蹴りが凶悪な顔に当たると見えた刹那、ジョージの左足は背弧の口に挟まれていた。「アウチ」と顔を歪めたジョージの巨体は灰虎の首の一振りで天井に激突した。幽霊なのにバカげた力だ・・・。ジョージの体は二秒ほど天井に留まり、そして落下した、床に激突したジョージは「ウウッ」と唸りながら立ち上がれない。
「ヒャヒャヒャー、人の憎しみの力は無尽蔵じゃー」虎顔なのに笑っている。
「クモちゃーん。逃げるんだ、ニャン!」灰虎の太い前足に捕まれて、どうして逃げれるのか? 俺はヨーコたちみたいな幽霊じゃないからパッと消えたりできないんだぞ。
「お兄様、美月さんのことは僕に任せてください」坂下の別れの言葉がコレなのか! 美月・・・美月・・・・・・、ンン? 聡明で優しい美月の顔が浮かんだ。(お兄ちゃん、お兄ちゃんが幽霊さんと話したり接したりする世界は思念の世界かもしれないね。だからこっちの世界の時間とか空間の制約がないのかもしれないよ)俺は閃いた。そして何故か体の緊張が少しだけ解けた。俺は急いで右手に意識を集中して、あるものを呼び出そうとした。けれども灰虎の牙の生えた大きな口が目の前に迫ってきた。
「シャー」突然、白く光る小さな物体が灰虎の顔にへばりついた。
「ニャン太郎!」ヨーコが叫んだ。
灰虎は左頬にしがみついているニャン太郎を振り放そうと顔をブルブルと振っているが、ニャン太郎は爪を立てて落ちない。ニャン太郎が頑張っている間に俺の右手にはあの刀の霊体が徐々に姿を現し始めた。俺は『黒蛇』の手ごたえを感じると、すぐさまその妖刀を灰虎の太い喉に突き刺した。
「ギャオーッ、ヴヴゥ―・・・、苦しい・・・・・・、と言うと思ったか? 長谷川雲海。ヒャーヒャヒャー。その『黒蛇』はワシらのお仲間じゃ。ンン・・・、何じゃその光は?」俺の握っている『黒蛇』は以前のような黒煙を湧き出しているのではなく銀色の光を発していた。そしてその銀色の光がニャン太郎に届くと小猫が纏っている白い光は白銀となって強く大きくなった。
「何じゃーぁ、その光は! ギャー、グェー・・・オオッ・・・・・・」灰虎は激しく巨体を痙攣させた。その血走った眼球はグルグル回り、巨大な口からだらしなく唾液を落としている。そして美しい白銀の光に包まれたニャン太郎の体は徐々に大きくなった。
「ニャン太郎がカッコいい化け猫になった、ニャン!」
「ヨーコさん、ニャン太郎は化け猫じゃなくて白い虎ですよ」
灰虎と同じ大きさになったニャン太郎は脱力した灰虎の首を咥えて天井まで浮き上がった。灰虎の喉元には『黒蛇』が突き刺さっている。灰虎は全身を纏っていた炎が消え狂暴な覇気もなくなって失神していた。
白い虎となったニャン太郎がジャスミンとジョージを見た。すると二人はゆっくりと眼を覚ました。
「ジャスミンさん!」俺は体力バカのアメリカ人は無視し、横たわっていたジャスミンを急いで抱きかかえた。
「長谷川さん、無事だったのですネーッ」ジャスミンは俺に気づき抱きついてきた。意外と力が強い。やはりジャスミンはタフなのか?
「ウウッ・・・イテテ、ンン、アノ白い虎ハ?」案の定、体力バカは大丈夫そうだ。
「ジョージ、あの白い虎ちゃんはニャン太郎だ、ニャニャニャン。ニャン太郎がビビりのクモちゃんを助けてくれたんだ、ニャンニャンニャーン!」ビビりは余計だ、当たっているけど。それに「ニャン」がやたら多いぞ。
「ニャン太郎はシロと同じ神獣だったのですね」遠い眼をした坂下は白蛇のシロを思い出しているみたいだ。
灰虎を咥えているニャン太郎は青い瞳で俺たちを見た。しばらくしてニャン太郎の体を纏っている白銀の光が輝きを増してきた。その白銀の光はどんどん強くなり俺たちが眼を開けることができない程眩しくなった瞬間「ニャーン」というニャン太郎の声が響いた。そして白い虎のニャン太郎も灰虎もいなくなった。
俺たちが呆然とニャン太郎の消えた空間を見つめていると、入り口の自動ドアが開いた。
「ハアハア、皆さん、大丈夫ですか? ハアッ」息せき切って走って来たらしい袴田さんは、俺たちのいつもと違う様子に驚いた。霊感刑事はどうせジョージから緊急事態発生の連絡を受けたのだろう。
「ボスゥ、遅かったニャン。今まで大変だったんだ、ニャン。敬礼だニャン」
「そうですよ。ボス、アッ、それからですね、おそらく例の不可解な事件は解決したと思われます、敬礼」能天気なミーハー幽霊コンビが敬礼をして、霊感刑事に先ほどの出来事をうるさく話し始めた。
俺は立ち上がると座り込んでいるジャスミンの手を握った。タフでキュートな同僚は俺の右手を両手で握り微笑みながら立ち上がった。
「ジャスミンさん、大丈夫? 体のどこか、痛くない?」
「ええ、大丈夫デス。ちょっと腰のあたりが痛いけど大したことないと思いマス」
「それは良かった・・・」俺は心底安堵した。
「ソーデスか? ジャスミンチャン、お尻ノアタリガ痛いノデスネーッ。ボクが診てアゲマショウ」ジョージがヘラヘラ笑いながら俺たちの傍に来た。こいつ、やっぱり不死身か?
「ジョージ、ジャスミンさんは大丈夫って言ってるだろ。お前はどうせ頑丈だから平気だろ、早く仕事しろよ」
「アタタ・・・、ウウッ。ボクハ天井二タタキツケラレテ、床ニモ激突シタノデスヨ。イタタタ。カラダジュウガ痛いデス。ジャスミンチャンノ癒しオテテデ、治してクダサイ」カポエラの達人は大げさに痛そうな表情をした。
「ジョージ、お前、天井にぶつかった時も床に落ちた時もちゃんと受け身していただろ」
「アーッ、分かりマシタ? ハセガワサン、変なトコロハ鋭いデスネ―ッ。ミツキチャン二受け身ヲオソワッタノカナ?」こいつ、悪びれもせずにまたヘラヘラ笑っているが、言ってることは当たっていた。運動神経の無い俺を心配して美月は受け身を教えてくれたのだ。でも未だに上手くできないけど。
「アノ・・・長谷川さん」ジャスミンが俺の制服の袖を引っ張った。
「桃子サンは化け猫になってしまいましたけど、アッ、それからハルサンや武吉サンもそうデス。みんな、ちゃんと天国に行けたのでしょうカ?」
「あーっ・・・、うーん、多分行けたと思うよ。こっちの世界で悪いことしても天国で修行して、また生まれ変わるって坊主の親父が言ってたし」俺もそう思っている。でも権左衛門は天国じゃなくて地獄に行くのかな?
「そうですか・・・」ジャスミンは少しホッとしたようだ。
「ハセガワサン、コレデユーレイガ化け猫二ナル事件モオワリマシタネ」
「ああ、そうだな」俺はそう答えるとニャン太郎が灰虎を連れて消え去ったレジの上の空間を見た。ジャスミンも俺の視線に気づき顔を上げてニャン太郎が消え去った場所を見つめた。そこには愛らしい白い小猫がいるような気がした。