「私が世界を救うはずだった・・・」と北山大悟の生首幽霊は言った
日曜日の深夜はコンビニも静かだ。今夜はあのおバカトリオの二人、ヨーコとナルシー坂下も姿を現していない。権左衛門も柴丸もいない。
「ハセガワサン、キョウはオトナシイですネーッ。ミツキチャンと何かアリマシタカ?」
ジョージは相変わらずヘラヘラ顔なのに、こういう事だけは脳がよく働き、勘が鋭い。
「別に何もないよ」
「ホントデスカァーッ?」
「ホントだ!」そう言いながら俺は美月のことを考えた。昨夜は結局ボウモアの瓶を空けてしまった。大部分は美月が飲んだのだが、俺も妹ばかり飲ませるわけにはいかないと頑張って飲んだ。酒が分からない俺には苦行である。いつもクールな美月が昨夜は「暑いーっ!」とか言って白いTシャツを脱ごうとしたり、「お兄ちゃーん、一緒にぃ寝ようよぅ」と甘えて抱きついてきたり大変だった。あんな妹を見たのは初めてだったけど、俺は何処か安堵した部分もあった。
「今日はヨーコも坂下も来てないな」俺は無人のイートインスペースを見た。
「ソリャア、ヨーコチャンたちもマイニチ出勤シテイタラ、タイヘンデショ」あのおバカ幽霊たちはこの店に来ることが仕事なのか? 俺は首を捻りながらヨーコたちがいつもお喋りしているイートインスペース眺めた。するとその場所には例の雰囲気が漂い始めた。
「んん?」
「ドーシマシタ、ハセガワサン」ジョージも何か感づいたのかイートインスペースを覗き込んだ。その場所には首から上だけの幽霊が現れた。
「ヒッ・・・」俺はこんな不気味な幽霊を見たことがなかった。
「ハセガワサン、アノ首ダケノユーレイは北山大悟デスヨ」ジョージの声も硬かった。
「エッ!」確かにあの初老の穏やかそうな顔は北山大悟だった。
「ハセガワサン、アッチにイキマショウ」ジョージが真面目モードになっている。俺はあんな不気味な幽霊の近くに行きたくなかったが、大股で歩いて行くジョージの後ろに仕方なくついて行った。
床から百六十センチぐらいの所にある北山大悟の生首幽霊はぼんやりした表情だった。俺たちの気配を感じたのか、生首幽霊はゆっくりと回転した。そしてあの黒く光る眼で俺とジョージを見た。
「世界の行く末を見たいのだ・・・」生首幽霊は力なくそう言った。さすがに北山大悟の幽霊といえども生首だけではエネルギー不足なのか、声が弱々しい。生首もかなり透けているし。
「私が世界を救うはずだった・・・」まだ、そんなこと言ってる。
「ハセガワサン、北山大悟モ顔ダケダト、ハクリョクがナイですネェ」ジョージは少しにやけている。確かに以前、俺に憑依しようとしてトカゲの化け物に変化したときとは大違いだ。
「そうだなぁ」俺も笑ってしまった。
「・・・私には同志がいる」北山は俺たちが緊張感を持っていないのにイラついたのか、声に力を込めた。
「長谷川君、ジョージ君。いずれ君たちも理解するだろう。壊れゆくこの星を救うのは私の理論と私の同志たちだということを・・・・・・」北山大悟の視力のない眼が一瞬赤黒く光ると、生首の輪郭がぼやけ始め数秒後には消えてしまった。
「ハセガワサン、北山大悟ハ何しにココニキタノデショウカ?」
「さぁー?」俺も首を捻った。
「デモ・・・、ハセガワサン、北山大悟ハサイゴマデ、自分ノオカシタ罪ヲ反省シマセンデシタネ」ジョージはそう言うと大きなため息をついた。
「ああ、奴はホントに狂っていたのかな・・・」俺たちはやはり北山大悟の後悔と償いの言葉が聞きたかったのだろうか。俺の胸の内には変なわだかまりが残っていた。
「ヒャヒャヒャー、ここは化け猫が出たと思ったら、今度は生首幽霊かい。お化け屋敷じゃのう」幽霊の権左衛門がニタニタ笑いながら天井から降りてきた。
「権左衛門サン、何時カラココニ、イタノデスカ?」
「ニャヒャヒャ、ワシくらいになると気配を消すのは簡単なのじゃ」
「だからヨーコチャンのオッパイをいつもサワルコトがデキルノですネェ」
「偉いじゃろ」偉いのか? しかし権左衛門は認知症だったとは思えないくらい、変に知恵が回るような気がする。三井ハルが言ったように、呆けた振りをしてエッチなことをしていたのだろうか?
「オーノー、ボクハソンナ卑怯なコトハ、シナイデス。ボクハ断固トシタ決意ヲモッテ正々堂々トオンナノ人のオッパイをサワリマス!」何言ってんだ、こいつ。
「アーッ、あたしのナイスバディはいろんな人を悩ませるのだ、ワン。あたしはやっぱりぃ罪な女だ、ワンワン」またややこしい幽霊が現れた。柴丸もジョージの足元にいる。
「ヨーコさんのその胸は男性にとっては悩ましい凶器ですからね。んん? アレッ」ナルシー坂下が異変に気づいたらしい。
「お兄様、ジョージさん、先ほどまでこの場所で誰かいたのですか?」さすが、北山大悟に殺された被害者ではある。
「数分前マデ、アノ北山大悟ガ、ココニイマシタ」
「生首だけじゃったけどのぉ。あやつ、偉そうなことをほざいておったわい」権左衛門は嬉しそうにニタニタしている。
「やはり北山大悟は死んだのですね」坂下は複雑な表情を浮かべた。
「エーッ、北山がここの来たのか、ワン! もう少し早く来てたら、あたしが奴をボコボコにしてたのに、ワンワン!」ヨーコはそう言ったが、俺は北山大悟がここに現れたから、被害者の二人はここに来ることができなかったんじゃないかと思う。
「北山大悟ハ、アイカワラズ『世界ヲスクウ』トカ『ワタシの同志ガ壊れユクコノ星ヲスクウ』トカイッテマシタ。ジブンのオカシタ罪ノコトハ何もイイマセンデシタ。ソシテ消滅シテあの世にイッタト思いマスガ・・・・・・」ジョージは言いにくそうに言った。俺は奴のこういうところは偉いと思う。
「そうですか」坂下は先ほどよりは少しスッキリした顔になった。
「モー、ホントに変な奴だった、ワン。天罰だ、ワン。でもあいつが言ったドウシがまたヘンテコなコトをしている? ワンワン。んん? ・・・キャー!」権左衛門がヨーコの背後から豊かな胸を触ってニタニタしている。
「ヘンテコなコトとはこういうことかな、ヨーコチャーン」坂下が慌てて権左衛門をヨーコから引き離した。定番の面白くないコントみたいだ。
「モー、どーして権チャンはそんなにエッチなのか、ワン? いくらあたしがセクシィでチャーミングナでもほどがあるんだ、ワン」
「ヒャヒャヒャー、ワシはヨーコチャンの大ファンじゃからのう。一番の大ファンはオッパイを触っても許されるんじゃ」そうなのか?
「それにワシはエッチだから触っていると思ったら大間違いじゃ! これには深―いわけがあるんじゃ」権左衛門はこの世の理を知っている老師のように眼を半眼に閉じ、左掌を体の中央で垂直に立てた。おお! 気品のある仏像みたいだ。俺たちは権左衛門が徳の高いお坊さんに見えてしまったのだ。
「キャー!」ヨーコは後ろを振り返り、自分のお尻を触っている権左衛門の右手を掴んだ。
「権チャーン・・・」能天気な女子高生幽霊が低く唸りキッと権左衛門を睨んだ。その瞬間、助平老人幽霊はシュッと消えて天井に張りついた。俺たちは権左衛門のエッチな振舞に呆れたが、ヨボヨボだった老人幽霊の素早い動きに驚いた。天井に張りついた権左衛門はニヤッと笑い消えて行った。俺もジョージもヨーコも坂下も権左衛門の瞬間的な動きに呆然としていた。
「アレッ、お兄様、あの人は誰ですか?」坂下が出入り口前を指差した。そこには足元が見えない薄汚れた中年男が立っていた。七月でも黒いコートを着たその男に俺は見覚えがあった。
「赤城さん?」俺は赤城史郎の幽体に向かって歩き出した。しかしその薄汚れた男の幽体はすぐに消えてしまった。俺は意外な男に出現にあっけにとられて立ちすくんでいるとジョージが言った。
「ハセガワサン、アノ幽霊ヲ知ってイルノデスカ?」
「ああ、少し前に北の森で会った」
「北の森デスカ・・・。ハセガワサン、キョウハ変なコトガ多いデス。ボクハ嫌なヨカンガシマス」
「・・・・・・俺もだ」俺はヘンテコな同僚のマトモな言葉に同意した。