武吉爺さん幽霊の発勁に俺は吹っ飛ばされたのだ、ワン
「アーッ、ヤッパリ、ハセガワサン来ましたヨーッ、ジャスミンチャン!」レジにいるジョージがイートインスペースに向かって叫んだ。
「オイ、ジョージ。俺は休みだし、お客さんかもしれないだろ。イラッシャイマセはどうした?」俺はこの店に着いてホッとしたのか細かいことを言ってしまった。
「オーッ。ハセガワサンとボクハ美月チャンを介してキョウダイドウゼンの仲デショ」
「違う!」相変わらずヘラヘラ顔で下らないことを言う奴だ。
「ンン? ジョージ、どうしてジャスミンさんがここにいるんだ」ジャスミンにとって今日は貴重な休みのはずだが。
「フフーン、ハセガワサン、相変わらずニブイデスネ。サクヤのハルオバアサン化け猫事件をボクがジャスミンチャンにオシラセシタノですヨ。三井ハルさんのコト、ジャスミンチャンハ心配シテタデショ?」こういう事だけは頭が回るな、ジョージは。
「それで俺も来ると思ったのか?」
「イエス、ハセガワサンもユーレイのコトだけハ関心ガアリ、ソシテアタマガ回りマスカラネーッ」
「うるさいな! お前が女の子のことだけ考えているのと一緒にするな!」
「オーノー、ボクハお仕事のコトモ一生懸命カンガエテイマスヨーッ」ジョージが大げさに両手を広げて不満そうな表情を見せた。
「ジョージ、お前はいつも女の子のことばかり考えているから、その締まりのないヘラヘラ顔になるんじゃないのか?」
「ノーノー、ハセガワサンはボクを誤解シテマスネーッ」誤解していないぞ。
「フフフッ」俺の後ろからジャスミンの柔らかい笑い声がした。デニムのミニスカートとオレンジのTシャツが健康的でよく似合う。
「コンバンハ、長谷川さん。今晩はお休みなのに・・・・・・」ジャスミンは微笑みながら少し首を傾げた。
「あーっ、まあ、ちょっと気になることがあって・・・。昨日、ほら、えーっと三井の婆さん幽霊が燃えていなくなったことをジャスミンさん、ジョージから聞いたでしょ?」
「ハイ、今日のお昼にジョージさんから連絡があって知りマシタ。だから今日はお休みの日だけど、詳しいコトを知りたくてお店に来マシタ・・・」
「三井ハルサンのコトはボクやヨーコチャンたちがジャスミンチャンにチャントお話シマシタ。ホントはジャスミンチャンを悲しませるノデお話シタクハナカッタケド。デモ、ジャスミンチャンはチーム・ジョージの一員ダカラ、ツライダロウケド聞いてモライマシタ」
「オイ、ジョージ。何だよ、そのチーム・ジョージの一員ってのは? ジャスミンさんは介護の仕事の関係でハル婆さん幽霊のことが心配だったんだぞ。それにジャスミンさんはお前たちのおバカなチームになんか入ってないだろ」
「エーッ、ソウデスカぁ? ソンナコトナイデスよねーッ、ジャスミンチャン?」ジョージの奴、自信満々でほざいている。
「あっ、あのぅ、私もチーム・ジョージのメンバーになりまシタ。長谷川さんもメンバーだってジョージさんやヨーコさんが言っていましたから・・・。えっと・・・、長谷川さんはチームでは、あのぅ一番下っ端なのですか? 長谷川さんは超ビビりでドンくさいからって皆さん言っていましたケド・・・本当デスカ?」ジャスミンは不思議そうに俺の方を見た。まったくチーム・ジョージの奴らは俺を何だと思っているんだ。
「マァマァ、入るトカ入ったトカ、超ビビりとか下っ端トカ超ドンくさいトカ、ドーデモイイジャナイデスカ。ンン・・・、入ル入ラナイ、入ル入ラナイ? 入ッタ入ッチャッタァー? フフフッ、ハセガワサンはアイカワラズ、エッチですネーッ」何言ってんだ、こいつ?
「ソレよりもジャスミンチャンはハセガワサンに訊きたいコトがアルノデスヨ。ハルオバアサンユーレイが炎にツツマレテ消えたデショ。コレはフシギナ消え方ジャナイデスカ? ボクもソンナ消え方ミタことナイデス。ホラ、ユーレイのコトダケハ、ハセガワサンはビビりダケド詳しいデスカラ」
「うるさいな!」俺は例によってジョージをキッと睨んだ。だが能天気な同僚は相変わらずヘラヘラ顔でジャスミンに「ハセガワサンも取り柄ガアッテヨカッタですネーッ」とか言っている。
入口の自動ドアが開いて灰色のスラックスと白いカッターシャツの男が入って来た。
「ジャスミンさん、ここだとジョージの仕事の邪魔になるので、イートインスペースに行こうか?」
「アッ、ハイ、あそこで先ほどまでヨーコさんや坂下サンのお話を聞いてマシタ。ジョージさんにはアイスコーヒーをプレゼントしてもらいましたし」
「フフフッ、ジャスミンチャンは特別デスカラ。セコいハセガワサンは自分でコーヒーを買ってクダサイネ」ジョージの奴、いつも俺にコーヒーをねだるくせに! と言いたかったが俺は言葉を飲み込んだ。そしてジョージに「ホットコーヒーのSサイズ」と言ってコーヒーカップを要求した。
「アリガトーゴザイマスゥー。ハセガワサン、こんなムシムシする晩ナノ二、よくホットコーヒーノメマスネ? アーッ、何かイヤなコトかコワいコトガあったデショ。コワイよーコワイよー、ブルブルブルブルってカラダが冷えたノカナァ」怖っ、こいつ、やはり千里眼の持ち主か?
「フン」俺はジョージを無視してホットコーヒーを手にイートインスペースのカウンターに腰を下ろした。
「あっ、クモちゃん、待っていた、ワン。あたし達にもアイスコーヒー欲しいんだ、ワンワン」またこいつらか・・・。
「お兄様、僕とヨーコさんがジャスミンさんに昨夜の事件を懇切丁寧にお話しました」あんな不気味で恐ろしいことを優しいジャスミンに懇切丁寧に話さなくてもいいだろ! ホントにチーム・ジョージの奴らはデリカシーがないな。
「よって、僕とヨーコさんは喉がカラカラです」幽霊でも喉が渇くのか。
「もぉークモちゃん、自分だけコーヒーを持ってくるとはひどいワン。そーゆートコロが鈍いとかデリカシーがないと無表情だか愛想がないとか言われる原因なのだ、ワン。アイスコーヒーLサイズ二つお願いだ、ワンワン」Lサイズなのか。それに無表情、愛想がないって何だ? 俺は力なくレジの支払機でお金を払いコーヒーメーカーでアイスコーヒーを二つ作った。
「長谷川さん、ひとつ持ちますヨ」ジャスミンはニッコリと微笑みながらLサイズのコーヒーカップ一個を持ってくれた。地獄に仏、砂漠にオアシス、おバカ集団チーム・ジョージの中にマトモな人間とはジャスミンのことだ。
「オイ、ヨーコ。今日は権左衛門来ていないのか?」
「そうなのだ、ワン。権ちゃんは来ていないのだ、ワン」ヨーコは立ったまま俺が霊化したアイスコーヒーを飲んでいる。
「やはり昨夜、ハルさんが炎に巻かれて消えたのがショックなのでしょう」坂下迷探偵がカウンターの椅子に座って眉間に人差し指を当てて難しそうな顔をして言った。言ったことは誰でも分かることだが。
「アレッ、アッ、ウッフン」ヨーコが急にセクシィな声を出した。
「アーッ、権ちゃん、止めるんだ、ワン」
「ニャー!」俺の足元でニャン太郎が鳴いた。
「ヨーコちゃん、ヒヒヒーッ。動くとコーヒーがこぼれるぞぃ、ホレホレ」後ろからヨーコの胸に手を当てた権左衛門が現れた。この男、ホントにどうしようもないセクハラ幽霊だな。
「ヨーコさん、僕にお兄様コーヒーを渡してくだい」何だ、そのお兄様コーヒーって思いながら見ていると、手が自由になったヨーコがパチンと権左衛門にビンタをかました。
「もーっ、権ちゃん、いい加減にするんだ、ニャン! 権ちゃんのこと心配してたのに、ワンワン」おお! 能天気幽霊ヨーコにも我慢の限界があるのか? ピンクの頬を膨らませてプンプン怒っている。これで少しは権左衛門も反省しただろう。
「ウウウウウーッ。痛―いイ、ヨーコちゃんがぶったぁ。頬がジンジンするのじゃ。アーッ、でも何だか気持ちが良いじょい。ヨーコちゃん、今度はワシのセクシィなお尻をぶってほしいのじゃ」アホな権左衛門はヨーコにお尻を突き出した。
「ヤダ、そんなことしない、ワン!」能天気なヨーコを怒らせるとは、ある意味、権左衛門は大したものではある、くだらないけど。
「相変わらず不埒なことをしとるのう」権左衛門の後ろから小ざっぱりとした身なりの老人幽霊が現れた。白髪に達観したような面持ち、厚い生地のTシャツ、色褪せたストレートジーンズの容姿は権左衛門とは雰囲気が全く違う。
「ふん、やっぱりお前もこの世に未練があるのか、ぶぅーきち」権左衛門は苦々し気に言った。
「宮本さん・・・・・・」ジャスミンは呆然としていた。
「ジャスミンさん、この人もみどり苑関係の人なの?」
「ハイ、ハルさんと同じです。宮本武吉さんも訪問介護を利用されていて、時々デイサービスで施設にも来ていまシタ」この新米爺さん幽霊も秋彦が言っていた孤独死した老人なのか。しかしどうしてややこしそうな幽霊がこの店に現れるのだろうか? やはり俺の存在と関係あるのか。それともこの場所が幽霊出現スポットなのか。
「おお! ジャスミンさんじゃないですかぁ。んん、その様子だと幽霊になったこの宮本武吉が見えるのじゃな。やはりおぬしとこのワシは深い契りで結ばれておるのじゃなぁ」
「フン、何を言うか、このエロ爺い。ジャスミンちゃんは幽霊になって落ち込んでいたこのワシを心配してくれてのぅ、この店に連れてきてアレコレと優しく尽くしてくれたんじゃ。ヒヒッ羨ましかろう。死んでもジャスミンちゃんに色目を使うとは。この煩悩の塊め!」煩悩の塊は権左衛門だと思うが・・・。
「お主、それほどジャスミンちゃんに優しくしてもらっているのならば、先ほどのこのエッチな体の女人の乳を触るとはどういうことじゃ! ハアハアハアハア、ムムムッ」アレッ、この新米爺さん幽霊、悔しがっている?
「ワシは幽霊になる前もモテモテ男じゃったんじゃ」ジャスミンは首を捻っているぞ。「シャー」とニャン太郎も怒っているし。
「それにワシは仏陀やジーザス・クライストのように無限に心が広くて誰でも愛することが出来るんじゃ」仏陀もジーザス・クライストもいい迷惑だな。
「お、お、おのれー。この腐れ外道!」武吉爺さんの顔が険しくなってきた。会話の内容はくだらないけど何か変だ。
「宮本さん、どうされたのデスカ?」ジャスミンは心配そうに武吉幽霊を見た。
「うるさい! お前はこの馬鹿な権左衛門に騙されおって、この売女!」
「バイタ?」ジャスミンは初めて聞く言葉だろうけど、武吉は顔が赤黒くなっていて眉間の皺も異様に深い。
「売女も知らんのか。お前のように男なら誰でも受け入れる、だらしない女のことじゃあ!」
「ちょっと武吉爺ちゃん、そんな言い方はないんだ、ワン。ジャスミンちゃんは武吉爺ちゃんのことも心配しているだ、ワン」
「そうですよ。男は女性に優しくないと生きている価値はないですよ」言ってることは良いけど、坂下お前は既に死んでるし・・・。
「なぁ、なぁ、なにおー、若造幽霊が偉そうに言うな。早くおっ死んだくせに。この世でワシに意見していいのは西田夕子さんだけじゃ」
「夕子さん?」ジャスミンが怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたの? ジャスミンさん」俺の頭の隅で何かが引っかかっていた。
「夕子さんは宮本さんとは関りがないと思うのデスガ」
「やかましい! この淫乱女が。夕子さんはお前と違ってワシにそれはそれは優しくしてくれたんじゃ。ワシの言うことは何でもきいてくれたわい」
「ヒヒヒーッ武ぅ吉、お前はあの性悪女に騙された大バカ者じゃ」権左衛門は灰色の歯を剝きだして笑った。
「な、な、なにーぃ」武吉幽霊の白髪が揺らいで少しずつ逆立ち始めている。
「お兄様、これは・・・」坂下が不安そうに俺に目配せした。
「ちょっと二人とも落ち着いてくださいよ。僕がコーヒーを淹れますから」俺は権左衛門と武吉の間に入っていた。
「うるさい、邪魔じゃ、どけ! 若造」武吉の左手が俺の胸に当たったと思ったら、俺は五メートル先まで吹っ飛ばされた。
「長谷川さん!」ジャスミンの心配そうな顔が眼前にあったが、俺の体はバラバラになったような衝撃を受け、激痛に顔をしかめることしかできなかった。
「ドーしましたァ、ハセガワサン」ジョージが急いで俺の傍まで来た。
「ジョージさん、権左衛門さんと武吉さんの喧嘩を止めてクダサイ!」ジャスミンは俺を抱きかかえながら叫んだ。
「ブキチサン?」ジョージは新米幽霊を見た。ヨーコと坂下が二人の喧嘩を止めようしている。
「武吉ぃ、お前は良いように、あの女に弄ばれたのじゃ、ヒヒヒーッ。あの女のやったことをよーく思い出してみい」
「ワシが夕子さんに弄ばれた? そ、そ、そんなことは、だ、だ、断じてない・・・」武吉は混乱していた。そして人相が変わっていた。眼がつり上がり針金のような白い髭が数本左右に飛び出している。耳先が尖がり犬歯が牙のようだ。
「アレハッ」ジョージは慌ててヨーコたちの傍に行った。
「薬・・・・・・注射・・・」武吉の口は大きく裂け、手の爪は鋭く尖っていた。
「ヨーコチャン、坂下クン、ソコカラ離れて!」
「シャー!」ニャン太郎が武吉に向かって吠えた。
「おのれぇ、あの女―っ。どいつもこいつも、ワシを馬鹿にしおってぇ。許さん、許さんぞぅ」武吉は裂けた口を大きく開けると灰色の炎をニャン太郎に向かって吐き出した。
「ニャン太郎!」ヨーコが悲鳴を上げた。武吉は火竜のように全身から灰色の炎をまき散らし始めた。
「ガーッ! 熱い熱い、ギャー! 誰か消してくれ!」武吉の幽体は自分の発した灰色の炎に包まれて激しくのた打ち回っていた。それでも武吉の裂けた口から灰色の炎が吐き出されている。
「ギャー! 地獄じゃーっ! 畜生―っ!」という断末魔の叫びと共に灰色の炎は消え、そして武吉もいなくなった。