「ジャスミンさん、ひょっとして権左衛門をこの店に連れて来たのはあなたかな?」
秋彦たちと別れて俺は午後十時四十分に店に入った。
「お疲れ様です。長谷川サン」ジャスミンはいつも明るく振舞っているのかなぁと彼女の笑顔を見て、そのとき俺はそう思った。
「ハセガワサン、今日はイツモよりスコシ早いデスネーッ。何かアリマシタカ?」ジョージはヘラヘラしているわりには勘が鋭いのだ。
「いや、まあジャスミンさんから権左衛門のことを訊こうと思って早めに来たんだよ」
「権左衛門サンがシンデ幽霊にナッタトキの話デスネーッ。ボクは先ほどジャスミンチャンからキキマシタ。ハセガワサン、チョット商品をセイリしてキマス」ジョージはそう言うと何故かヨーコたちがいるイートインスペースの方に行った。あいつはアリバイ的に少しだけ商品整理してヨーコたちとお喋りするつもりだ。相変わらずサボる理由付けは上手い。
「ジャスミンさん、権左衛門は死んだとき、それから幽霊になったときのことを覚えていたかな?」
「ハイ、長谷川サン。それが死んだトキも幽霊になったトキも眠っていたそうデス」ジャスミンは潤んだ瞳で俺を少し見上げながら答えた。
「うーん、やっぱりそうか」
「権左衛門サン、起きてみたら自分のオソーシキだったらしくて、ビックリしたそうデス」
「ええっ、そうなの」不謹慎だが思わず吹き出しそうになってしまった。
「ジャスミンさん、彼のお葬式は家で行ったのかな?」
「いえ、お家じゃないデス。ワタシの勤めている施設で行いマシタ」
「ふーん、そう・・・」
「ケアマネージャーさんの話では、最近は死んだヒトを引き取ってもらう家族サンや親戚のヒトがいないケースが増えていると・・・」ジャスミンは納得できない顔をした。
「それで施設で葬式をするのか」
「ハイ・・・」
「ねえ、ジャスミンさん。権左衛門は自分の葬式を見て、自分が幽霊だと分かったのかな」
「ハイ、そうだと思いマス」
「ふむ・・・」俺はジャスミンの話を聞いて彼女が幽霊を見ることができるようになった日のことを思い出した。その日は東川准教授が初めて講義をした日でもあった。権左衛門が新たな妖刀で殺されたのなら、ヨーコたちと同じように殺された場所にしばらく留まったのだろう。幽霊となった権左衛門はジャスミンが勤めているみどり苑に居て、何をしていたのだろうか?
「ジャスミンさん、ひょっとして権左衛門をこの店に連れて来たのはあなたかな?」俺は咄嗟に訊いてしまった。
「アッ、ハイ、そうデス。ハセガワサンにいろいろ迷惑かけて、スミマセンデシタ・・・・・・」真面目な同僚は突然泣き出しそうな表情で答えた。
「いや、全然そんなことないよ、全然!」俺は慌てた。
「権左衛門サン、幽霊になってからは、みどり苑にいても淋しそうデシタ。このお店にはヨーコさんたちがイマス。それに長谷川サンやジョージさんもイマス。権左衛門サンとお話できるヒトがたくさんイマス」
「確かにそうだなぁ」俺の経験としていえることは、幽霊はそんなに長くこの世にはいない。大体、数週間でこの世からいなくなる。ジョージも同じことを言っていた。そういう意味では半年もいるヨーコは非常に特異な存在だ。あいつは何故この世に六ヶ月以上も居座っているのかという疑問が頭の中を掠めた。
「権左衛門サン、みどり苑に入るまで、いろんなコトがあって大変だったそうデス。みどり苑ではチョット困ったヒトでしたが、楽しそうデシタ」ちょっと困ったヒトだったのかな。俺は「ちょっと」ではないと思ったが、ジャスミンがそう言うのならばそれでいい。
「あの・・・、長谷川サン」
「んん、何かな、ジャスミンさん?」
「権左衛門サンはやはり殺されたのでショウカ?」消え入るような声だった。
「分からない。そうじゃないといいけど」
「そうデスネ」彼女はそう答えると帰り支度を始めた。レジ奥の壁に掛かっている丸い時計の針は十一時を回っていた。
「どうしたの、ジャスミンさん?」ジャスミンは帰り渋っているようだった。
「あの・・・長谷川サン。権左衛門サンのような死に方は良かったのデショウカ?」
「エッ、どういうことかな?」
「施設のケアマネージャーさんが言ってマシタ。権左衛門サンは苦しまなくて死んだからヨカッタと・・・・・・」
「うーん、確かに苦しまなくて死ぬのは理想だけど、権左衛門は幽霊になっているし」
「アノ・・・、ワタシの勤めている施設、最近チョット変な感じがシマス・・・」
「ジャスミンさんが勤めてる施設は確か・・・みどり苑だよね」
「あっ、ハイ、そうです」
「雰囲気が変わったみたいな感じかな?」その時、レジに灰色のスーツを着た男が缶ビール二個とチョコレート一袋持ってきた。俺はそれらのバーコードをバーコードリーダーで読み込むと、スーツ男はパネルを押して、支払いのためスマートフォンをレジカウンターに置いた。俺はそのスマートフォンを再びバーコードリーダーで読み込んだ。スーツ男を俺に目を合わせることなく店から出て行った。
「あの、長谷川サン、ゴメンナサイ。お仕事の邪魔をして・・・」
「いや、いいよ。今日は月曜で、そんなに客来ないし。それよりジャスミンさん、さっきの話だけど、みどり苑の雰囲気が悪くなったのかな」
「エーッと、そうですね。雰囲気が悪いというより、雰囲気が以前と変わってしまった感じデス」ジャスミンは眉間に小さな皺をつくり、言葉を一生懸命探していた。
「長谷川サン、介護施設ではお年寄りのヒトは亡くなりマス。それは仕方ないことデス」
「うん・・・」
「最近、施設の中で話される言葉が軽くなっている気がシマス」
「言葉が軽くなる? 例えばどんなことかな?」
「例えば『権左衛門サンは眠っていて死んだので楽でイイね』とか『三井サンがポックリ逝った』とか、そんな話デス」
「うーん・・・・・・」そういう会話は介護施設ではよくあるのではと俺は思った。
「アッ、すみません。やっぱりワタシの考え過ぎかもしれません。幽霊を見るコトができるようになったから、少し神経質になったみたいデス」
「でも、ジャスミンさんの日本語はすごく丁寧で分かりやすいから・・・。俺はジャスミンさんは日本語をとても上手に話していると思っている。だからあなたが感じたことは正しいんじゃないかな。ねえジャスミンさん、さっき言葉が軽く感じたって人は何人ぐらい居るの?」
「アッ、ハイ」ジャスミンの顔がパァーと明るくなった。
「ワタシの尊敬しているケアマネージャーさんが最近そんな感じデス。西田夕子サンといって、とてもお世話になってイマス」キュートな同僚の顔が一瞬曇った。
「夕子サン、みんなから尊敬されているから、影響が大きいデス・・・・・・」
「その人の言葉のニュアンスが変わったの?」
「ハイ、以前は言葉の重みっていうのデスカ? 以前はそれがありました」うーん、ジャスミンの言葉をジョージやヨーコたちに聞かせたいものだ。あいつらは「アヘアへ」とか「ドッピュン」とか変な擬音ばかり発しているし・・・。
「どうしましたか? 長谷川さん」気がつくとジャスミンの黒い瞳が俺の小さな目を見つめていた。
「いや、何でもないよ」俺は脳裏に浮かんだジョージのヘラヘラ顔やヨーコのクネクネボディを首で振って追い払った。
「長谷川サン、疲れているのデスカ?」
「いや、大丈夫、大丈夫だよ」ジャスミンと話して疲れたわけではないのだ。
「そうデスカ。それなら安心デス。あの、あともう一つ気になっているこがアリマス。最近訪問介護サービスを受けている人が二人ほど突然亡くなったと聞きマシタ」俺は背中の辺りに冷たい空気が入って来たような気がした。
「たぶん、偶然だと思いマス」ジャスミンは俺の変化に気づいたのだろうか?
「そうだね」俺は努めて平静を装った。
「長谷川サン、最近、ワタシの話をたくさん聞いてもらって、ありがとうございます。デモ、長谷川サン、迷惑じゃないデスカ?」目の前の黒い瞳には、すがるような、訴えるような光を湛えていた。
「そんなことはないよ。俺もジャスミンさんの話をいろいろ聞けて嬉しいし」俺はまた自分の言葉にビックリしてしまった。そして異国の女性が微笑むのを見ると、自分が驚いたことに納得したのだ。