子猫目線の王子様
グストーシュ王国には深い森に縁取られた広大な湖がある。
この美しい湖は国に多くの恵みをもたらす。今日も湖面には大小様々な漁船が浮かび、多くの漁師達が投網を投げ込む姿が見える。
しかしもうじき冬が来る。冷たい風が湖を凍らせ、雪が湖面を白く染める。
日々の糧を得られなくなる民は、遠い春まで貧しい暮らしを強いられる。
それを何とか改善したい。
湖を見下ろす小高い丘に築かれた王城・自室の窓から湖を眺める第二王子・ラチェットは、苛立つ思いを持て余していた。
「かの国の大魔女からはまだ返事が来ない。
こちらとしては一刻も早く良い返答を聞きたいのだが・・・。」
「・・・そうね。少し遅いわね。」
背後から聞こえる深みのある女性の声に、まだ若い王子は振り向こうともしなかった。
そんな態度は本来ならば、淑女に対して不敬な行為。しかし、気心知れた「友」であるなら許される。
エルクレイ男爵令嬢・ルミナ。彼女とは幼なじみでもう13年近くも親交がある、何でも話せる「親友」だった。
「この縁組みは非常に有益だ。
かの国の大魔女と婚姻関係を結べば我が国は大きく発展できる。」
「そう・・・そうね。でも、ね?ラチェット。」
ゆったりと腰掛けていた寝椅子から、ルミナが静かに立ち上がり、テーブルに置かれた手袋を取った。
「この国の者はみんな、貴方に期待しているのよ?大臣も国民も。
かの国を頼らなくたって、貴方なら・・・。」
「俺を国王に、かい?バカな事を!
嫡子たる兄を差し置いて弟の俺が玉座に就けるわけがない。
マーダル兄上は気の弱い方だが非常に聡明だ。
今は子爵家の娘に熱を上げておいでのようだが、即位されればもっとしっかりして下さるだろう。」
「・・・。」
ルミナの口元に笑みが浮かんだ。
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(やれやれ、とんだカタブツだこと。)
真っ赤なビロードの台座に置かれる水晶玉。自室のソファに深々座りそれを眺める大魔女は、呆れて吐息を一つ付いた。
(国を思う気持ちはご立派だけど、周りがちっとも見えていない。
コイツの頭は岩塩ででも出来てんのかしらね。こんな男は願い下げ!
・・・でも、このまま捨て置くのも面白くないわね。)
大魔女の水晶玉には、優雅な礼を一つ残して部屋から退出するルミナが映る。
窓辺に立つラチェットの背中に微笑む瞳がどこか儚く、哀しげだった。
大魔女は首に掛けている首飾りに手を当てた。
その美しい首飾りは、国を治める大魔女の魔力を象徴する証。色とりどりに散りばめられた宝石の一つを、指でそっと優しく撫でる。
(3番目と7番目の妹がこうだったわ。
恋や結婚をカチカチの頭で考えるから、近くの幸せに気付けない。
目線を変えるのも時には大事。少しは勉強しなさいな、岩塩頭の王子様!)
キィン!
指先で弾かれた宝石が、高く美しい音を立てた。
水晶玉のなかで、ラチェットの姿がぼやけて消えた。
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「え? えぇ?! えええぇぇ!!?」
突然の目眩と共に起った異変。
驚愕したラチェットは思わず叫んだ、つもりだった。
しかし、口から飛び出してきた絶叫は。
「にゃ? にゃにゃ?! ふにゃああぁ!!?」
それはそれは愛らしい、可愛い声が響き渡った!
「あの、ラチェット、ごめんなさい?私、手袋忘れちゃって。
部屋を出るとき確かに持ったはずなんだけど・・・って、え???」
遠慮がちなノックの後で扉が開き、ルミアが部屋に戻って。
彼女の目が丸くなる。窓辺にラチェット王子の姿が、ない。
その代わり、窓辺いたのは 小さな子猫 。
フワフワした白い毛並みの子猫が一匹、呆然と蹲っていた。
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子猫=ラチェットはルミナに部屋から連れ出された。
「見つけたのが私でよかったわ。ダメよ?王宮に入り込んじゃ。
特にラチェットの侍女達は厳しいの。見つかったら酷い目に遭わされちゃう。」
(厳しい?王宮の侍女は皆、柔和なはずだが・・・?)
ネコのラチェットは小さな首を傾げる。
侍女達は良家の子女だ。彼女達が小動物に乱暴するなど、想像も出来ない事だった。
「・・・まぁ!何をしていらっしゃるの、貴女方!」
回廊を進むルミアが急に立ち止まった。
声が険しい。驚き見ると、回廊の先で侍女達が一人の娘を取り囲んでいた。
娘は回廊の床にへたり込み、唇を引き結んで項垂れている。
突き飛ばされたようだ。しかも侍女の1人が娘のスカートの裾を意地悪げに踏みつけていた!
「まぁ、これは某・男爵令嬢様。ご機嫌麗しゅう!」
「いい気でいらっしゃいます事ね。第二王子様に取り入って!」
「王太子様に媚びを売るこの方とご同類です事!浅ましい!」
「参りましょ、皆様。気分が悪くなりますわ!」
ツンッと顔を背けて去って行く侍女達を尻目に、ルミアが娘に駆寄った。
「怪我はありませんか?ホーネット嬢。なんて酷い事を!」
「・・・大丈夫ですわ。お目汚し申し訳ありません・・・。」
娘が力無く微笑んだ。
(ベルノウィース子爵令嬢?兄上が執着する娘じゃないか!)
ルミアの腕に抱かれた子猫に気付く余裕はないようだ。ホーネット嬢は泣き出した。
「私、もうダメですわ・・・。」
「しっかりなさって!そんな事ではこの先、マーダル様をお支えする事なんてできませんよ?」
「あの方はいずれ玉座に就んですもの、私など釣り合いませんわ。
私にはお妃になるだけの、相応の 後ろ盾 がないんですから!」
「・・・。」
ルミアは沈黙した。
むせび泣くホーネット嬢の背中を、ただ優しく撫で続けた。
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(なんて事だ!侍女達が影であんな卑劣なマネをしているなんて!
立場の弱い娘を集団でいたぶるなど・・・!)
ラチェットはイライラ尻尾を振り回した。
しかしハッと気が付き、ルミアを見上げる。
(君もなのか、ルミア?
君もあんな卑怯な者達に、酷い事をされているのか?)
ルミアは男爵令嬢。本来ならば王家の者とはほとんど目通り出来ない下級貴族のはずだった。
もしも、影で嫌がらせなどされていたのなら・・・。
「そう。ホーネット嬢もお気の毒ね。」
上品な貴婦人がふぅ、と小さくため息ついた。ルミアの母である。
エルクレイ男爵の屋敷に連れてこられたラチェットは、ルミアの家族と一緒に居間でお茶をいただいているところだった。
と、いっても、子猫のラチェットは小さな器に入れられたミルクを舐めているだけなのだが。
「えぇ。私、見ていられなくて。お二人はあんなに愛し合っていらっしゃるのに。」
「仕方ない事だが、やりきれないな。
マーダル様が国王に即位された時、名実共にお支えできる伴侶でないと皆が納得しないだろう。」
「後ろ盾が、必要なのね・・・。」
哀しげな父の言葉にルミアが項垂れ、紅茶のカップに目を落とす。
ふと、母の手が伸びルミアに触れた。
「ルミア。ホーネット嬢も気がかりだけど、私は貴女の事が心配なのよ?
貴女だって、小さい頃からずっとラチェット様を・・・。」
「・・・。」
押し黙るルミアに、父が静かに語りかける。
「そろそろ縁談を考えないか、ルミア。
私の力ではお前を王子と娶せてやる事はできない。
かの国の大魔女との縁談が調えば、お会いする事すら叶わなくなる。そうなればお前も辛いだろう?
この際だ。お前をちゃんと1人の淑女として見てくれる紳士との出会いを考えてはどうかな?」
「!? いいえ、お父様!」
ルミアの返答は、即刻だった。
「私はあの方と一緒に居たいのです。せめてお目にかかれる間だけでも!
あの方が必要として下さるのなら、ただの『友人』で構いませんわ!」
( ルミア ・・・!)
彼女の名を呼んだ、つもりだった。
しかし口から飛び出したのは、「ミャー」という、可愛い鳴き声だけだった。
「まぁ、ゴメンね、ビックリしたわね。」
ルミアが子猫を抱き上げる。
「この子のベッドを作ってあげなきゃ。失礼しますわ、お父様、お母様!」
居間から逃げ出すルミアの目には微かに涙がにじんでいた。
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ルミアが自室に造ってくれた子猫のベッドはとても気持ちのいいものだった。
ふかふかクッションと毛布に埋もれ、ラチェットはしょんぼり項垂れていた。
夜も更け、家人が眠りに就いたエルクレイの屋敷はとても静かで、時が止ったかのようだった。
そんな中、聞こえてくる密かな嗚咽。
窓辺の椅子に腰掛けて、ルミアが涙を流しているのだ。
ラチェットの耳が横に寝る。ネコは悲しい事があると両耳が真横に倒れてしまう。
「あら、ごめんなさいね。心配してくれてるの?」
ようやく顔を上げたルミアは泣きはらした目で微笑んだ。
「私ったらバカね。泣いたって仕方ないのに。
でも時々我慢できなくなっちゃうの。ダメね、もっと強くならなきゃ。」
(・・・謝らないでくれ、ルミア。)
子猫のベットにそっと近づき、跪く彼女が差し出す繊手にラチェットは小さな顔を押しつけた。
(俺は何も見えていなかったんだな。
王宮内の事も、兄上が愛した女性の事も、何もかも知ってるはずの、君の事も。
俺の事で君がこんなに苦しんでいるなんて思いもしなかった。
すまなかった。許しを乞うのは俺の方だ。)
「ニャー、ニャニャニャ、ミャー。」
口から出てくる子猫の声が、愛らしい分腹立たしい。ラチェットは尻尾を振り回した。
「落ち着かないのね、どうしたの?
・・・そっか、お母さんが恋しいのね?」
何かを勘違いしたルミアが優しく子猫を撫でる。
「大丈夫よ。私が一緒にいてあげる。」
それは、突然の事だった。
ルミアがスッと立ち上がり、ナイトガウンをハラリと脱いだ!
(!?!?!?)
キトン・ブルーの目を見張り、ラチェットは思わず息を飲む。
窓に引かれたカーテンの隙間から差し込む月光。それに照らされたルミアの姿。
洗い立ての髪が黒銀に輝き、豊かに流れて素肌に映える。
ゆったりとした寝間着の薄絹をとおして優美な曲線が見て取れた。
こんなに美しい 女性 は、今まで一度も見た事が無い!
ラチェットは心を奪われ、ただ呆然と見つめていた。
次の瞬間耳にする 誘いの言葉 を聞くまでは。
「さ、おいで。一緒に寝ましょ♡」
(・・・は???)
すぐには意味がわからなかった。
わかってからが大変だった。ラチェットは激しく混乱し、我を忘れて狼狽えた!
(寝る?一緒に?俺と!!?
ダメだろそれは!いくら幼なじみでも、妙齢の男女が同衾するなど・・・!
イヤ待てよ?今、俺はネコだからもしかしたらいいのか?
って、違う! 断じて違うぞ、落ち着け、俺っっっ!!!)
瞳孔を細め毛を逆立てて、尻尾をブンブン振り回す。
そんな子猫に何を思ったか、一層優しくルミアが微笑む。
「初めてこのお家に来た夜だものね。こんなに怯えるのも無理もないわ。
いらっしゃいな、抱っこしてあげる♡」
(それはマズい!マズいぞルミア!ちょ、待っ、あ"あぁぁぁ!!?)
舞い降りてくるルミアの繊手に、ラチェットは思わず絶叫した!
---=^_^=---=^_^=---=^_^=---♡♡♡
「あの、ラチェット、ごめんなさい?私、手袋忘れちゃって。
部屋を出るとき確かに持ったはずなんだけど・・・って、ひっ?!」
「 え ???」
我に返ったラチェットは、振り向きルミアの姿を見た。
「ど、どうしたの?!何があったのラチェット!」
「えっ・・・あ!?」
血相変えて詰め寄るルミアに狼狽え周りを見回した。
王宮にある自室で窓辺に立ってる自分に気付く。ついでに壁の大鏡を見て吐息が漏れた。
人間に戻っている。子猫の姿じゃ、ない。
ルミアの姿にも安堵した。ちゃんとドレスを着用している。ほんのちょっぴり残念なのだが。
「貴方、汗だくよ?!目も血走ってるし顔色も悪いわ!
私が部屋を出て、忘れ物に気付いて帰って来るまでの間に一体何があったというの?!」
「・・・。」
とても言えない。言えるはずがない。
言ったとしても信じないだろう。まさか子猫になってたなんて!
(いや、一つだけ言える事がある。)
ラチェットは大きく息を吸い、先ず自分の心を落ち着かせた。
「ルミア、結婚 してくれないか?」
「・・・は?」
ルミアの目が丸くなる。
突然の事に驚く余り、口をポカンと開けたまま茫然自失で立ち尽くす。
ラチェットはニッコリ微笑んだ。
大人になって美しくなった淑女に深い愛情を感じながら。
「愛してる。いつまでも側にいてくれ、ルミア・・・!」
ルミアの瞳が大きく揺れた。
泣き出す彼女を優しく抱きしめ、ラチェットは静かに目を閉じる。
窓の外ではチラチラと真っ白な雪が舞い始めていた。
(大魔女への求婚を取り下げないといけないな。
早急に父上や兄上とも話をしなければ。もちろん、ベルノウィース子爵家とも。
この国の玉座には俺が座ろう。兄上が王太子でなくなるのならホーネット嬢とも一緒になれる。
男爵令嬢のルミアが王妃になれば、心無い者がこれまで以上に騒ぐだろう。
だが、これからは俺がルミアを護って行く。
他国の力を頼るのではなく、この女性と一緒に見つけていこう。
この国の冬を乗り越える術を・・・。)
グストーシュの国に、冬が来る。
この淑女とならばいつの日か、厳しい寒さに凍える季節を笑顔で過ごせる時が来る。
未来の「王」は確信を抱き、腕の中の温もりを一層大事に慈しんだ。
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自室のソファでくつろいで、台座で輝く水晶玉を眺める大魔女がすぃ、と右手を軽く振った。
水晶玉の色が変り、どこかの窓辺で抱き合う男女の画像が初老の大臣の顔になる。
「グストーシュ王国に魔法支援を申し出てちょうだい。」
開口一番、大魔女は言った。
「早急に腕のいい魔道士を何人か送り込んで。ったく、冬が来たくらいで国民が飢えるなんて、魔法不足にもほどがあるわ!
あぁ後ね、城の女官の中から猛者を選んで一緒に放り込んどいて。
・・・えぇ、猛者よ!エゲツないほどの強者がいいわ。
あの国はね、近々若い王妃が起つの。その前に王宮でデカイ顔する侍女どもの性根、たたき直しとかなきゃね!
そうそう、『後ろ盾』とやらが必要だったわね。コレだからお貴族様がいる国は!
エルクレイ男爵とか言ったかしら?支援の窓口にはそこン家指名してちょうだい!
あの娘の後ろ盾はこのアタシ。
魔法大国の大魔女が後ろ盾になるのよ!文句言うヤツは許さないって、魔法支援の書状にきっちりそう書いといて!!!」
水晶玉の大臣が黙って静かに頭を下げる。
大魔女は再び右手を振って大臣の姿をプツリと消した。
「さて、お次はっと♪」
水晶玉の色が変り、次なる求婚者の顔が映し出された。