リッド、地上に立つ
「えっと、地上に戻ってこれたのかな」
牢宮【ダンジョン】でフェイが床に作り出した黒渦の中に足を踏み入れて間もなく、頬に当たる空気の冷たさが変わった。
薄暗い中で周囲を見渡せば、見覚えのある内装や簡易家具が置いてある。
どうやら、牢宮に引きずり込まれる直前にいた天幕の中らしい。
「そのはずだよ。時間としてはおそらく早朝かな。君たちは牢宮で約三日過ごしたけど、地上では六時間程度しか経過していないはずだから」
僕の肩にちょこんと乗ったフェイがこくりと頷いた。
彼は今、全長二十cm前後の大きさで、背中に生えた蝶の羽と相まって妖精のような容姿をしている。
それにしても、牢宮で約三日。地上で六時間程度ということは、やっぱり牢宮で流れる時間は地上の十二分の一ぐらいになるということだろう。
もし、時間経過が逆だったら僕は『浦島太郎』になっていたということだ。考えるだけでぞっとする。
さらっと恐ろしい発言に「そ、そうなんだ」と若干口元をひきつらせつつも、僕は「ところで……」と彼を見やった。
「牢宮から出てきて体調は大丈夫なの。動悸がするとか、苦しい感覚はない?」
「うん、大丈夫みたい。リッドを通じて牢宮核の魔力が問題なく供給されているよ。離れ過ぎたらよくないと思うけど、それはおいおい調べてみるつもりさ」
「そっか。でも、君は目立つし、残念ながらよからぬことを考える人達も多いから、暫くは僕の傍にいてもらうからね」
「わかった。じゃあ、対策にこういうのはどう?」
フェイはにこりと目を細めると、宙に浮いて僕の前でくるりと回った。
何をするつもりだろうと僕が首をかしげたところ、彼の身体がみるみる透けていく。
「どうだい。供給元のリッドには薄っすら見えるだろうけど、他の人にはこれで僕の姿は見えないはずだよ」
「へぇ、面白い魔法だね」
僕の目にはフェイの姿は半透明に見えるけど、気配は感じられる。
どうした仕組みの魔法なのか、とても気になるところだ。
好奇心を刺激され、目を皿のようにしてフェイを見つめていると、天幕の外から激しい足音が聞こえてきた。
「リッド、いるのか⁉」
天幕の出入口が勢いよく開かれ、僕は振り返って目を丸くした。
「父上⁉」
「……⁉」
今回実施された山岳地帯での訓練に同行していないはずなのに、どうして父上がここにいるんだろう。
驚きで呆気に取られていると、父上は眉間に皺を寄せ、すごい剣幕で傍にやってきた。
これ、もしかしなくても怒られる。
そう思って身構えた瞬間、僕は父上の胸の中に抱きしめられていた。
きょとんとしていると、父上が耳元で大きなため息を吐いた。
「馬鹿者め、いつもいつも皆に心配かけおって」
「あ……⁉」
そっか、僕は誰にも知られることなく牢宮に引きずり込まれてしまったんだ。
六時間も行方不明になっていたわけだから、きっとここでは大騒ぎになっていたはず。
僕は恐る恐る「父上、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」と答え、軽く頭を下げた。
「リッドが無事なら良い。それよりも何があったんだ」
「えっと、何の脈絡もなく突然、牢宮に誘われてしまったんです。でも、何とか攻略して地上に戻ってこられました」
「牢宮、だと? まさか、最近冒険者の間で噂されていた牢宮のことか」
「はい、おそらくその牢宮で間違いないかと存じます」
僕がこくりと頷き、父上が目を瞬いたその時、天幕の外から切羽詰まった声が聞こえてきた。
「ライナー様、どうされましたか⁉」
「リッド様が見つかったのでしょうか⁉」
声からしてティンクとカペラだ。
「あぁ、そうだ」
父上が返事をすると、天幕の出入口が開かれてティンクとカペラが勢いよく入ってきた。
二人は僕の姿を見るなり、目をみるみる潤ませていく。
「ごめん、心配かけたね」
僕が頭を下げると、ティンクは涙を流しながら口元を両手で覆い、カペラは力が抜けたように息を震わせた。
「リッド様……⁉」
「ご無事で……ご無事で本当に良かったです」
「二人とも、泣くのは後にしろ。今は、皆にリッドの無事を伝えるのが先だ」
父上が冷静に告げると、二人はハッとして畏まった。
「承知しました」
「すぐにルーベンス様、カーティス様、団員達に伝えて参ります」
ティンクとカペラはそう答えると、足早に天幕の外に出て「リッド様が見つかりました」と大声をあげはじめる。
二人と父上の様子から、どれだけ大事になってしまったんだろうと戦々恐々としながら、僕は父上を見上げた。
「あの、父上はどうしてこちらにいらっしゃったのでしょうか」
「……リッドが行方不明になったと通信魔法で報告を受けたのだ」
父上は目を細めて僕の頭に手を優しく置くと、そのまま撫でながら状況を説明してくれた。
僕が牢宮に誘われて地上から姿を消して間もなく、ティンクとカペラが異変に気づいて訓練地の周囲を探すも痕跡が何一つ見つからない。
これはただ事ではない、と二人は判断して訓練参加者を総動員して僕の探索を開始。
同時に通信魔法を用いて父上にも報告したそうだ。
報告を受けた父上は、領内で大騒ぎにならないようルーベンスを始めとした精鋭だけを引き連れ、すぐさまこの山岳地帯にやってきたらしい。
日が昇りきるまでに僕を見つけられなかった場合、バルディア騎士団を総動員する予定だったそうだ。
やっぱり、想像以上の大事になっていたらしい。
僕は喉を鳴らしてごくりと息をのみ、ちらっと開いている天幕の出入口から外を見やった。
幸い、周囲は薄暗くて日が昇りきる前である。
あと二、三時間もすれば夜が明けていただろうから、牢宮攻略はぎりぎりだったようだ。
「……という訳だ。皆、リッドの異変に気づけず責任を感じている。カーティス殿に至っては『リッドが見つからなかった場合、責任を取って自害する』とまで言っていた程だ」
「え……⁉」
自害という言葉に僕が唖然とすると、父上は首を横に振った。
「もちろん、そのようなことは不要だと伝えている。だが、今回の件は後でしっかり説明してもらうぞ」
「はい、畏まりました」
ほっと胸を撫で下ろして頷くと、父上は僕の周囲を訝しみ「ところで……」と帯剣の柄を握った。
「先程からリッドの周囲に感じ慣れぬ気配があるようだ。姿を見せなくば斬るぞ」
「な……⁉」
父上の眼光は、姿の見えないフェイを射貫いている。
彼がぎょっとして戦くも、父上の目つきの鋭さは増していく。
「姿を見せぬか。ならば……」
「ちょ、ちょっと待って。姿を見せるから、ちょっと待って⁉」
半透明のフェイが慌てた様子で姿を見せ、僕の背中に隠れてこそっと顔を覗かせる。
「……妖精? いや、魔物の類いか」
顔を顰め、剣の柄を握ったまま父上が低い声を発してフェイを睨んだ。
彼は「言われたとおりに姿を見せたじゃないかよぉ……」と声を震わせた。
「父上、お待ちください。彼はフェイと言って味方です」
「味方、だと?」
「はい、迷い込んだ牢宮で僕を『助けて』くれたんです」
正確に言うと、助けてくれたのは改心後。
攻略中の九割ぐらいは敵対、妨害されていたけどね。
納得してもらうためには、今はこう伝えておいたほうが良いだろう。
僕の背後にいるフェイに目配せすると、彼は察した様子で何度も首を縦に振った。
「そう、そうさ。ぼ、僕がいなければ、リッドは地上に出てこられなかったんだぞ」
確かにそう言えるけど、そもそもの元凶は君だよ。
心の中で突っ込みを入れていると、父上はフェイを「ふむ……」と見やった。
「息子のリッドが世話になったというのであれば礼を言おう」
父上が会釈すると、フェイは「あ……」と決まりが悪そうに目を泳がせた。
僕は目を細めつつ、圧を発して彼をじろりと見やった。
『そもそもの元凶は君なんだからね』
フェイは青ざめると、勢いよく頭を振りはじめる。
「い、いえいえ。僕もリッドに助けてもらったから、そんな気にしなくていいです」
「リッドが君を救った……?」
父上が首を捻ると、僕は咳払いをした。
「彼は牢宮核の化身で、地上に出る方法をずっと探していたそうです。牢宮に誘われて迷い込んだ先で出会い、目的が一緒で意気投合し現在に至りました。その点も含め、後で説明いたします」
「……よかろう、今は何も聞くまい。では、一度屋敷に戻るぞ。私もリッドに伝えねばならんことがあるのでな」
「僕に、ですか……?」
首を傾げると、父上はこくりと頷いた。
「昨日、帝都から書簡が届いたのだ」
父上はそう言うと、僕の耳元に顔を寄せた。
「アーウィンとマチルダ、両陛下が子供達を連れてバルディアを近いうちに訪れるそうだ」
「え……⁉」
僕が目を丸くして唖然とするなか、フェイは「両陛下って、何者?」ときょとんとしながら首を傾げていた。




