マルバスの想い
「おやおや、今度はフローベルを夢から覚ますのではなく壊すつもりなのか。まぁ、僕は構わないけどねぇ」
フェイが得意げに指を鳴らすと、彼女を守るように優しい顔つきをした偽マルバスが現れ、両隣をマルスとマーベルという狐人族の子供達が固めた。
「私の妻に手は出させん」
「ははうえは、ぼくがまもるんだ」
「わたしだって、まもってみせるもん」
フローベルを囲んだ三人が僕達をじろりと睨んでくる。
彼らの瞳には強い意思が宿っていて、とてもまやかしに思えない。
「皆……」
彼女は安堵した様子で顔がほころぶも、僕とやって来たマルバスは険しい表情のまま眉をぴくりとさせ「なるほど……」と周囲をゆっくりと見渡した。
次いで、マルバスは何を思ったか本棚の前に立ち、本の並びを確認していく。
一体、何をしているんだろうか。
意図が分からず訝しんでいると、マルバスは息をゆっくり吐いてからフローベルを見つめた。
「見覚えがあると思ったが、ここは部族長屋敷の執務室だな。よくお前やルイ達と一緒に遅くまで仕事をしていたものだ」
「……⁉」
マルバスが悠然と歩き出すも、彼女は戦きながらたじろいだ。
「来ないでください。見ないで、見ないでください」
フローベルの悲痛な叫び声が響きわたるなか、偽マルバス達が魔圧を発してマルバスを威嚇する。
僕はハッとして咄嗟に構えるも、「貴様は手を出すな」とマルバスが怒号を発した。
「これは私の戦いだ。黙って見ていろ」
「マルバス……」
彼の発した言葉には、とても強くて重い決意のようなものが感じられた。
そもそも、ここはフローベルの心の闇と希望が生み出した世界だし、僕は彼女に拒絶されている存在だ。
今の僕に出来ることは、二人を見守ることしかない。
「……わかった」
僕が頷くと、マルバスは激しい魔圧による逆風をゆっくりと進んでいく。
「私は、生涯を掛けて兄上を支えると心に決めている。この話はフローベル、お前にも何度もしていたな」
「妻を惑わす悪漢が……⁉」
偽マルバスが鬼の形相で右手の爪を繰り出して襲いかかるも、マルバスは紙一重で躱しながら逆に手刀で偽マルバスの胸元を貫いた。
「がぁ……⁉」
「弱い。貴様では、フローベルを守れん」
「フロー……ベ、ル。お前達、逃げ……ろ……」
胸元を貫かれた偽マルバスが魔力の光となって霧散すると、子供二人が泣き叫んだ。
「ちちうえ、ちちうえぇえええ⁉」
「いやだよぉ。ちちうえぇえええ⁉」
「……⁉ 二人とも、行ってはだめよ」
「どうして、どうしてなの⁉」
「ははうえ、ははうえはあいつのみかたなの⁉」
「そ、それは……」
子供達に泣きつかれてフローベルがしゃがみ込んで困惑しているなか、マルバスは三人にどんどん近寄っていく。
彼女達は戦き、たじろぐも逃げ場はない。
怖面のまま三人の前に立ったマルバス。
何をするつもりかと思ったその時、彼はフローベルと子供達を同時に抱きしめた。
「え……」
彼女が呆気に取られるなか、マルバスは囁くように優しく切り出した。
「私をずっと支えてくれていたのは君だ。フローベル」
「……⁉ マルバス様……」
彼女の目が大きく見開かれた。
「私は情けなく、卑怯な男だ。君の想いを知っておきながら、ずっと応えられずにいた。兄上が事を成すまでは、とな」
「そうさ、その通り。お前はフローベルの想いを踏みにじって、ずっと利用してきたのさ」
黙っていたフェイが勝ち誇ったように口火を切った。
「兄上が事を成すまでなんて、結局マルバスは自分のことしか考えていないじゃないか。狭間砦の戦いで、その兄であるエルバと一緒に故郷を追われた身のくせに。じゃあ、その事を成す日はいつだ、いつになるんだよ。騙されるな、フローベル。この男はお前の夢を叶える気はない。ずっと利用して、使い続けるだけなんだ」
「そうだよ、ははうえ」
「そうよ、こんな、なさけないのはちちうえじゃない」
子供達がフェイに続くと、フローベルの顔色が真っ青になって強ばっていく。
その姿を目の当たりにしたマルバスは「違う」と大声を発した。
「フローベル、今の私が何を言っても無駄だろう。故に行動で示す」
「行動……?」
言うが否や、マルバスは彼女を素早く両腕に抱きかかえた。
お姫様抱っこである。
「ははうえをどうするつもりだ⁉」
「そうよ、降ろしなさいよ⁉」
「はは、何をするつもりか知らないけどさ。マルバスが何をやったところで、フローベルの悪夢は終わらないよ」
子供達が驚きから怒りの声を上げ、フェイの嘲笑が響きわたる。
「マ、マルバス様……?」
彼女がきょとんと小首を傾げるなか、彼は腕の中にいるフローベルの瞳を真っ直ぐに見据えた。
心なしかマルバスの鋭い目つきが柔らかくなって、妖艶というか色香が漂っている。
この場に居る全員、目が離せないというか、息を呑まされてしまった。
「フローベル。これが私の本心だ」
「ほん……⁉」
聞き返そうとする彼女の声は、途中で途切れてしまった。
何故なら、マルバスがその口を自らの口で塞いだからである。
フローベルは何度も目を瞬き、みるみる頭の耳まで顔が真っ赤になっていく。
「な……⁉」
「ふぇ……⁉」
「はわぁ……⁉」
「え……⁉」
フェイ、マルス、マーベルの三人は心臓でも撃ち抜かれたかのように目を丸くしてしまった。
冷静かつ理知的でつっけんどんな彼がこんな『大胆な行動』に出るなんて、誰も思わなかったからだろう。
もちろん、僕もだ。
熱烈な二人の姿に唖然としながらも、何故かマルバスの積極的な姿勢に既視感があった。
はて、どうしてだろうか……と首を傾げたその時、『やっぱり、私は貴方のことが気に入ったわ』という言葉を発した人物の顔が脳裏に思い起こされる。
そうだ、あの唐突かつ勢いある言動や醸し出された雰囲気が、マルバスの姉である『ラファ』にそっくりなんだ。
二人の姉弟仲は良くないみたいだから、マルバスは絶対に否定するだろうけど。
一瞬にも、永遠にも思えるような時間が過ぎ去っていくなかで、マルバスはすっと顔を離して吐息を漏らした。
「私がここまでやってこられたのはフローベル、君が支えてくれたおかげだ」
「マルバス様……」
「狭間砦の戦いで、私と君は弟とバルディアに敗れた。しかし、だからこそ……だからこそ、これからも一緒に戦わなければ意味がないのだ」
彼はそう告げると、フローベルの耳に口元を寄せた。
「君が好きだ。君は私のものだ」
「……⁉」
彼女が目を潤ませて口元を両手で覆うなか、マルバスはじろりとフェイを睨み付けた。
「フェイ、貴様に教えてやろう」
「な、何をだよ……⁉」
「私は世界の誰よりも、フローベルを愛している男だ」
「は……?」
フェイが鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとなると、マルバスは「ならばもう何度でも言ってやろう」と大きく息を吸い込んだ。
「私は世界の誰よりも、フローベルを愛している男だ。貴様のような小童には、断じて渡さんと言ったのだ」
マルバスがフローベルを腕に抱いたまま感情を爆発させ魔波を巻き起こすと、フェイが「うわぁああああ⁉」と吹き飛ばされる。
邪魔者がいなくなったといわんばかりに、マルバスはフローベルに視線を落とした。
「すまない。私は存外、不器用な男だったようだ」
「マルバス様。申し訳ありませんでした。でも、もう離れません」
「あぁ、離すものか」
二人が互いを抱きしめ合うなか、「ねぇねぇ……」と足下にいたマルスとマーベルがマルバスのズボンの裾を引っ張った。
「ぼくたちはどうなるの?」
「わたしたちはあいしてないの?」
「勿論、愛しているさ。マルスにマーベルだったな。いずれ、私達はまた会うことになるだろう。今は眠っていなさい」
「……うん。ぼく、まってるからね」
「わたしも」
マルバスとは思えない優しい顔と声だった。
二人は頷くと、心から嬉しそうに微笑みながら魔力の煌めきとなって消えていく。
「マルバス様……」
「みなまで言うな。全てわかっている」
「はい……」
僕、完全に忘れ去られているよね。
二人のやり取りに当てられて目が点になっていると、地響きと共に執務室が大きく揺れる。
何事かと身構えた瞬間、執務室の壁が轟音と共に崩れて巨大で禍々しい蝶羽を持ったフェイが現れた。
「まだだ。まだ、僕は終わってないぞ。フローベル、君は僕のものだ」
「……⁉ ここにきてまだやるつもりか」
身構えて前に出ようとするも、マルバスとフローベルが僕の前に出た。
「下がっていてください、リッド・バルディア」
「そうだ。これは私達がするべき仕上げだ」
「え……? あ、うん。じゃあ、お任せします」
二人から発せられる熱々な気に当てられて早々に引き下がると、二人は巨大化した禍々しい羽を持つフェイを睨み付けた。
「貴方は、私の心の闇です。でも、もう恐れることはありません。希望の光を見つけましたから」
「そうだ。これまでも、これからも、支えあっていく私達に恐れるものなど何もない」
「闇を恐れない、だって。笑わせるな、ならば君達の見つけた希望ごと飲み込んでやる」
巨大化したフェイの口元が大きく開かれて変形していく。
まるで、全てをかみ砕いて飲み込まんとする蜻蛉の大顎のようだ。
「一片の心も希望も残さず破砕され、闇に喰われるがいい」
フェイが二人に向けて跳躍しながら突進を繰り出すと、フローベルとマルバスは目配せをしてから互いの手をつかみ合った。
「暁の果て、結ばれた二人の心を見くびるな」
「今の私達に打ち勝てぬものなど何もありません」
二人が重ね合った手から二つの焔が生まれ、混ざり合っていく。
「それが、どうしたっていうんだぁあああ」
フェイが間近まで迫ってきた瞬間、二人は目を合わせてこくりと頷いた。
「狐火・焔ノ番火【ほむらのつがいび】」
マルバスとフローベルが同時に発し、放たれた二つの焔は巨大な狐の形をしていた。
高い声の遠吠えのような音を轟かせ、二匹の狐はじゃれ合うよう互いの周囲を回りながら迫り来るフェイに向かっていく。
「この程度で僕が倒せるか。ちんけな火ごとかみ砕いてやる」
フェイは言葉通り、口を大きく開けてその大顎で火種を飲み込んでしまう。
為す術なく二つの狐火が飲み込まれてしまった様子から、『駄目だったのか』と僕が唖然としたその時、フェイがカッと目を大きく見開いた。




