リッド、獣王戦に向けて
「リッド様、殺気を込めて参ります。及び腰にならないようご注意ください」
「言ったね、カペラ。望むところだよ」
カペラは短めの木刀を構えると、言葉通りに凄まじい殺気を放つ。
真剣を用いて行う胆力訓練で父上が発する威圧的な殺気とは違い、隙あらば必殺の一撃を見舞おうというものだ。
強い口調で返事はしたものの、木刀を正眼で構える僕の背中には冷や汗が流れている。
今、僕はバルディア領内にある山岳地帯の頂上付近を訪れて、獣王戦に向けた特訓を行っている最中だ。
この場に居るのは僕とカペラだけじゃない。
ティンクに第二騎士団分隊長の子達とカーティス、少し離れた場所には宿泊できるように天幕が設営されている。
僕が外遊からバルディア領に帰ってきてから数日が経過した。
帰ってきた当時は外遊の報告と打ち合わせ。
昼食で皆と談話。
母上達皆の前での民族衣装姿披露。
熊人族に依頼していた木彫像の確認。
などなど、朝から晩まで目まぐるしい一日だった。
皆と会えて嬉しかったから、疲れたりすることはなかったけどね。
夕食を終えると、屋敷内にある僕の執務室に移動し、不在中における第二騎士団の活動報告をファラ、ジェシカ、アスナから受けた。
特に問題は起きていなくて、むしろ第二騎士団の活動はどんどん効率的になっていて、領内外からの評価もうなぎ登りだそうだ。
メルやキールも時間を見つけては事務処理を積極的に手伝ってくれているそうで、『二人とも仕事を覚えるのが本当に早くてとても助かっています』とファラも喜んでいた。
第二騎士団の活動報告を終える頃には夜も遅くなっていたので、僕とファラは自室に移動する。
ちなみに、僕とファラの部屋は室内の扉で繋がっていて、双方で鍵を開ければ出入りが可能だ。
その日の夜、僕はファラにズベーラで起きた各部族領での出来事、部族長達の人となり、部族で異なる文化、見聞きしたことを面白おかしく伝えた。
『絶対、いつか一緒に見て回ろうね。ファラにも見せてあげたいんだ。バルディアやレナルーテでは見られない海や町並みなんかをさ』
『ありがとうございます。その時を楽しみにしております』
微笑みながら嬉しそうに聞いてくれるファラに語るうち、僕は知らず知らずのうちに寝入っていたらしい。
朝起きると、ファラが僕の胸の中で頬を膨らませていて固まってしまった。
『おはようございます、リッド様』
『ファラ。えっと、どうして僕の胸の中にいたの?』
『……どうしてもなにも、自分の胸に聞いて下さいませ。寝るときのリッド様は、私を抱き枕と思っているのではありませんか』
彼女はため息を吐いてベッドから降りると、こちらに振り向いてにこりと微笑んだ。
『では、私は自室で着替えて参ります。リッド様もご準備くださいませ』
『う、うん。ありがとう』
ファラはそう告げると、凜とした佇まいで部屋の奥にある扉から自室に戻ってしまう。
僕は呆気に取られつつも、寝ていた自分が一体何をしでかしたのかと、ベッドの上で悶絶することになったのは言うまでもない。
帰郷した翌日に開催されたパーティーでは、バルディア関係者、クリスティ商会やサフロン商会をはじめとする大手商会関係者、領地近くの貴族も一部集まって盛大に開かれた。
ここまでの規模になると、否応なしに政治的な色も出てしまうから、楽しむと言うよりは嫡子としての仕事という雰囲気だったけどね。
『貴族の名代を最年少で勤めたリッドの帰郷だ。何もしないわけにいかんだろう』と、父上も止むなく多数の関係者に声を掛けていたようだ。
ただ、会場中央に僕とファラの実物大の木彫像を置いていたのは、どうかと思ったけどね。
パーティー開催の後日、狐人族領から持ち帰った『グレアスの日誌』は内容的に問題がないとして、彼の遺児であるノワール。
グレアスの忠臣だった豪族の遺児ラガード。
グランドーク家の血筋であるシトリー。
三人には、貴重な資料だから譲渡することはできないことを謝罪した上で日誌を読んでもらっている。
ノワールとラガードは読んでいる途中で目を潤ませ、後半の私生活部分はノワールだけが内容を確認して笑顔を浮かべていた。
シトリーもグレアスのことはアモンから聞いていたらしいけど、実際に彼が記していた内容を見て感銘を受けていたようだ。
シトリーは、ノワールとラガードの出生についても驚いていた。
『私達はグランドークの名を捨てておりますし、バルディアに仕えた身上です。どうかお気にされないでください』
ノワールが笑顔でこう告げたことで、今ではすっかり三人は仲良しになっている。
シトリーと年齢も近いし、名は捨てても血の繋がりを持つノワールの存在はかなり大きかったみたいだ。
古代マーテル語で書かれた『著者不明の聖本』はサンドラが管理する研究所の厳重な金庫に保管され、現在は彼女だけで翻訳作業を少しずつ行っている。
内容が内容だけに、翻訳の人選にはまだ暫く時間が掛かるだろう。
父上はこの件について報告するため、帝都に向けて先日出発した。
『もともと、リッドが帰ってきたら帝都に行く予定だったからな。丁度、良かったのかもしれん』
『……もしかして、僕の帰りを待ってくれていたんですか?』
そう尋ねると、父上は『偶然だ。あんまり調子に乗るなよ』と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
父上って、家族のことだけはわかりやすいのかもしれない。
帝都に向けて父上が出発すると、僕は獣王戦に向けた特訓を最優先で行う事にした。
各部族長達と行った会談内容の施行は基本的に『獣王戦以降』で了承を得ているから、多少は後回しでも大丈夫だ。
文字打ち込み君の量産や納品。
バルディア、狐人族領、王都ベスティア、猫人族領、鼠人族領における道路整備。
熊人族、牛人族の『水田開発』。
この辺りの計画は事前に立ててあるから、後は調整をして指示を出せば同時進行で進められるはずだ。
父上から出発前に色々と許可も得ているし、いざとなれば通信魔法で承諾を得られるからね。
あとはファラの力も大きい。
『事務処理を私にお任せください。その代わり、必ず獣王戦で勝ってくださいね』
『は、はい。わかりました』
冷たい眼差しで射貫かれた時はどうしたものかと思ったけど、彼女のおかげでカペラとティンク、第二騎士団分隊長の皆と特訓に励めているというわけだ。
「リッド様。恐れながら、及び腰にならないようにと申し上げたばかりでございます」
「……ちょっと考え事をしていただけさ」
「余裕でございますね。では、こちらから参りましょう」
そう言うが否や、カペラは一気に間合いを詰め、短い木刀と体術で襲いかかってくる。
防御に意識を徹して何とか彼の攻撃を捌くけど、反撃の隙を与えてくれない。
「対ヨハン様に向けた訓練で重要なのは、圧倒的な速さと手数でございます。この攻撃を捌き、反撃の糸口を見つけなければ勝利は厳しいとお考えください」
「ぐ……⁉ わかっている、わかっているさ」
カペラの攻撃を防いでいると、周囲で見学している分隊長の子達から声援が聞こえてきた。
彼等は僕の特訓の手伝いと合わせ、各々が部族長から教わったことにより我がものにすべく鍛錬を行っている。
「この一撃は避けられません。どうしますか」
剣戟の激しい攻防の中、カペラが隙を突いた刺突を繰り出してくる。
僕は咄嗟に魔障壁を展開し、強制的に彼を吹き飛ばして間合いを作った。
カペラが受け身を取って地面に着地したその時、「そこまで」とカーティスの声が轟いた。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら木刀を杖にして片膝を突くと、カーティスが拍手をしながらやってきた。
「カペラの猛攻にあそこまで耐えるとは、さすがでございますな」
「ありがとう、カーティス。でも、どうしても近接戦が続くと防御が間に合わなくなって隙ができちゃうんだよね」
「リッド様とカペラでは体格、体力、身体能力の差がありますからな。その点はどうしても出てくるでしょう。私は会ったことはありませんが、ヨハン王子とはカペラ以上に強いのですかな」
「……わからない。だけど、正直なところ潜在能力でいえば、少なく見積もってもアスナと同等。多分、彼女以上だと思う」
僕が頭を振ってから答えると、カーティスは目を丸くした。
「ほう、アスナ以上ですか。リッド様にそこまで言わしめるとは。やはり、世の中は広いですなぁ」
「ごめんね。アスナはカーティス自慢の孫娘でしょ?」
「いえいえ、おごれる者は久しからず、という言葉がございます。是非、アスナにリッド様の口からそのことをお伝えください。きっと喜ぶことでしょう」
「はは、確かにアスナなら喜ぶかもね」
彼の孫娘にしてファラの専属護衛であるアスナ・ランマーク。
彼女も相当な潜在能力を持つ剣士で、その実力の底は未だ知れない。
ただ、二人と対峙した僕の感想としては、ヨハンの方が潜在能力は高いと思う。
あくまで種族の違いによる身体能力を加味して、だけどね。
剣の才能だけなら、アスナの方が間違いなく上だろう。
「それにしても……」
カーティスはそう切り出すと、周囲を見渡した。
山岳地帯の頂上付近であるこの辺りは、自生の木々が少なくて空気も薄い。
土と樹の属性魔法を使って、ちょっと過ごしやすくはしている。
「空気が薄い頂上付近での修行を思いついて実行するあたり、リッド様はやはり型破りというか。いや、この場合は古風というべきでしょうかな。武者修行をしていた昔を思い出しますぞ」
「そこまで深くは考えていなかったんだけどね。でも、屋敷にいたらどうしても他のことに気が散るし、こうしたところの方が集中できるかなってさ」
ヨハン戦に向けた修行をするぞと、息込んだ僕は何の躊躇もなく山岳地帯での特訓を計画して父上に提出した。
『……どうして修行するのに山に籠もる必要があるんだ』
『どうしてって、修行といえば山籠もりだと決まっているじゃありませんか。必要でしたら片方の眉毛も剃る覚悟です』
『お前の言うことは時折よくわからんが、修行の許可は出そう。しかし、片方の眉毛は剃るな。絶対にだ』
了承は得られたけど、父上が『剃るな』と言った時の顔はかなり怖かった。
「リッド様、お疲れ様でございました」
呼ばれて振り向くと、ティンクが目を細めて布巾を差し出してくれた。
「こちらで汗をお拭きください」
「ありがとう、ティンク」
額の汗を拭いて立ち上がると、カーティスが咳払いをした。
「では、そろそろ訓練を再開いたしましょう。次は皆で交代しながらリッド様と手合わせする掛かり稽古をしますぞ」
「わかった。望むところだよ」
木刀を持って立ち上がると、僕は夕方遅くまで皆と修行に励んだ。




